4.すごい、柔らかい
「以前にあなたの着ていた服を再現して作りました。サイズが合えばいいのですが」
渡されたのは、確かにミリシャが当時に着ていた服と同じだった。
軍属の魔導師なので、いわゆる軍の正装なのだけれど。
赤を基調としたもので、しっかりと細部まで再現されている。
「うん、ピッタリ」
「それは良かったです。この時のために用意しておりましたので」
そう言って笑みを浮かべたルマは、何故か執事服に身を包んでいた。
真っ白な彼女に黒の執事服は、彼女のスレンダーな体格や整った顔立ちもあって非常によく似合っている。
執事服なのだから男性向けなのだろうけど、これはこれで『あり』という感じだ。思わず、同性なのに見惚れてしまうほどに。
「なんで執事服なの?」
「これからミリシャ様に仕える者なので。従者はこういう服を着ると学びました」
曰く、ルマはミリシャに仕えるために人間らしいこと、も学んできたらしい。
敬語で話していたら、その話し方はやめてほしいと言われて、逆にミリシャが敬語をやめるように言うと、「それはできません」と断られてしまった。
ただ、『ご主人様』とか『お嬢様』とか、そういう呼び方はもうされるような立場にないと思っている。
名前で呼んでほしいと頼んだところ『様付け』にはなったが、話は聞いてくれた。
ここは『ウェルダ霊峰』と呼ばれる場所で、『ランヴェリア大陸』の北方に位置しているらしい。
ランヴェリア大陸と言えば、ミリシャの暮らしてきた大陸だ。
ウェルダ霊峰について、ミリシャは訪れたことはないが名前は知っている。
ただし、強力な魔物が多くいる危険な場所、という認識だ。
けれど、ルマはここに家を建てて暮らしている。
フェンリルならば、どこだろうと暮らすことはできるだろうけど。
「フェンリルって、こういう家で暮らすものなの?」
「それぞれですね。基本的には山奥でひっそりと暮らす者が多いようですが、人の生活に紛れる者もいますよ。わたしはミリシャ様のためにこの家を建てました。やはり、ミリシャ様は人間ですので、フェンリルの生活には慣れないかと思いまして」
「な、なるほど……」
どこまでも、ミリシャのために用意されているものらしい。
さすがに、そこまで用意周到にされると悪い気しかしてこない。
けれど、ミリシャが『お願い』をすると、顔立ちの整ったルマは決め顔で了承しつつ、尻尾は物凄く嬉しそうに振っていた。
フェンリルも果たしてそうなのか分からないが、尻尾を振っているということは喜んでいるのだろうか。
五百年待った――というくらいだし、ミリシャにとっては一瞬でも、彼女にとっては今日という日はもしかして、待ちわびた日だったのだろうか、なんて考えたりもする。
「……そう言えば、私が死んでから五百年経っているんだよね? 全然、そんな感覚はないけれど」
ベッドに腰掛けて、ミリシャはルマに問いかけた。
「はい。十年程度は差異があるかもしれませんが」
「十年って、結構な差異だと思うけど……?」
「そうでしょうか? わたしには分からない感覚ですが」
きょとんとした表情を浮かべるルマ。やはりフェンリルは長命種だ。
二千年以上の年数を生きる個体もいる、という話を聞いたこともあるし、寿命が半分になったとして、それでもなお五百年以上は生きる可能性のある種族。ある意味、死生観には捉われずに生きていると言える。
それでも、やっぱり人間のミリシャからすれば、ちょっとスケールが大きすぎる話だ。
何となく、外の景色に視線を送る。木々に囲われていて、ここからではよく分からない。
五百年経った、という事実をどう確認するには、一先ずどこか町に行くしかないだろうか。
「どこか町とかって、近くにある?」
「! 何かご入用ですか? わたしが買ってきますが」
「いや、年月が経っているなら、町とか変わっているのかなーって」
「ああ、様子を見たいってことですね」
「うん、そういう感じ」
「一番近い人里なら、わたしの足で半日ほどですが……今日はまだお出かけはなさらない方がいいかと」
「? どうして?」
「まだ足元が覚束ないようでしたので。それに、蘇生魔法は確かに成功したようですが、魂は定着するまでに少し時間がかかります」
先ほどから少しよろめいたり、どうにも眠気が抜けなかったりするのはそのためだったのか。
なら、今日はルマの言う通り、出かけない方がいいのかもしれない。
そうなると、今日は一日休ませてもらう、という感じだろうか。
「……」
「……」
いきなり美少女と一つ屋根の下、なんとなく気まずい。彼女は正確に言えばフェンリルなのだろうけど、見た目は完全に女の子だ。
そうだ、ここで確かめられることがあった。
「あの――」
「はい、何でしょうか?」
――返事が早い。
しかも、ミリシャが声を出すたびに尻尾を元気に振っている。
ギャップに少し可愛さを覚えつつ、ミリシャはルマに切り出す。
「フェンリルってことは、狼の姿にはなれるんだよね?」
「もちろんです。わたしも立派な『成白狼』ですから」
どうやら大人のフェンリルの自称は『成白狼』と言うらしい。
ミリシャが出会った時は、『幼白狼』だったということか。
それなら――しっくりはくる。
「狼の姿を見せてもらうとか、できる?」
「もちろん、お望みとあれば。ただし、ここでは狭いので、外に出る必要はありますが」
特に断られることはなかった。フェンリルの誇り高い姿は見せられない、とか言われるかと思ったけど、勝手な妄想だった。
すごく凛々しいのに、ルマはとても従順だった。
ミリシャは彼女と共に外に出る。
やはり、周囲は森に囲われていて、近くに人の気配などは感じられない。
「では、戻りますね――」
その一言と共に、ルマの姿が変化していった。
小さな白煙が上がったかと思えば、中から出てきたのは――数メートルはあるかという大きな白狼。
すぐに感じたのは悪寒だった。
生物としての『格』の違いが、目の前にしてようやく感じられたのだ。
紛れもなくルマは本物のフェンリルだ――そう理解させられる。
「いかがでしょうか」
「あ、その、もう大丈夫です」
「あれ、また敬語になっていますよ?」
「す、すみません」
「? 何を謝っておられるのか分かりませんが……せっかくですので、わたしの毛並みを味わってはどうでしょうか」
そう言うと、ルマはゆっくりとした足取りでミリシャに近づいてくる。
大きな身体なのに、足音すらさせない動き。
ミリシャはただ圧倒されて動けなかったが――もふん。
「ふぁ……?」
思わず、間の抜けた声を漏らしてしまう。
今までに感じたことのない、ふわふわとして温かい毛並みだった。
先ほどまで感じていた悪寒がなくなり、唐突に安堵させられる。
そっと、ミリシャは彼女の白い毛に触れた。
「……すごい、柔らかい」
「毎日、手入れは欠かしませんから。どうです? これからわたしの上でお昼寝など」
「え……!? いや、今日は遠慮しておこう、かな」
さすがに、フェンリルの上でいきなり昼寝できるような度胸はミリシャにはなく、「そうですか……」とやや元気のなさそうな返事をしたルマに対して、申し訳なく感じてしまった。
とりあえず、ルマが本物のフェンリルであるということは確認できた。
――生き返らせてもらったという時点で、今更な確認なのかもしれないけれど。