1.心残りは
「はぁ、はぁ……」
大きく肩で息をするようにしながら少女――ミリシャ・エンドルフは空を見上げていた。
ミリシャは間もなく――死ぬ。
それを理解してしまったからか、こんな状況でもひどく冷静にいられた。
腹部からの出血は止めどなく、けれどだんだんと痛みがなくなっているのが、せめてもの救いとでも言えるだろうか。
――ミリシャは『ハーペント王国』の軍属魔導師であり、同時にエンドルフ家という貴族の家柄でもあった。
エンドルフは王国内でも権威を持っており、いわゆる『保守派』と呼ばれる勢力の筆頭を担っている。
自国の基盤を盤石なものとし、安定した国家の形を目指すものだ。
当然、その逆の考えの者達もいる。
『ハーペント王国』はいわゆる大国に分類されており、すでに国家として基盤を強化する必要はなく、さらなる領土拡大へと踏み切った方がいい、という『過激派』の者達であった。
派閥争いは激しさを増し、そしてついに――『過激派』は行動に出た。
ミリシャを暗殺し、その事件を他国の仕業に見せかけようとしているのだ。
そのためにミリシャをわざわざ辺境の地の任務に就かせ、見事に策にはまって追い詰められている。
まさかそんな暴挙に出るとは、正直考えもしなかった。
仮に失敗すれば、内乱に発展することは必然。
『過激派』にとってもリスクのある行為なのだが、どうやらそのリスクを踏まえてでも、彼らは戦争がしたいらしい。
「……ごめんね、巻き込んじゃって」
座り込むミリシャの膝の上には、傷付いた一匹の小さな子犬がいた。
真っ白な毛並みをしているが、今は怪我をしていて赤く染まったところが目立つ。
たまたま迷子になっていた小さなこの子を保護したのだが、結果的には巻き込むことになってしまった。
王都近辺でも見たことがない種類の魔物だが、大きさから見るに大人になってもさほど大きくはならないだろう。
どうにか、この子だけでも助けないと――そう考えて、ミリシャは森の奥へと身を潜めたのだ。
あるいは、子犬を見捨て逃げることだけ考えていれば、助かったのかもしれない。
魔法にはそれなりに自信はあったし、ミリシャは仮にも軍部に所属している身――それなりに実戦経験だってある。
「……でも、それじゃあダメだよね」
自分に言い聞かせるように、小さな声で呟いた。
ミリシャが助かるために、巻き込んでしまった子犬を犠牲にしていいはずがない。
魔物だって、全てが危険な存在ではないのだ。
ミリシャは魔力を込めて、子犬の『治癒』を開始する。
魔法による『治癒』とは、魔力によって他者の怪我の回復を促進させることができ、致命傷でなければ治せる。
だが、魔力の消費は激しく、ミリシャは治癒を得意としないので、治せるのはこの子が限界だ。
ミリシャの傷は治せないし、だからこそ諦めがつく。
「……っ」
徐々に意識が遠退いていく。
けれど、何とかこの子だけは救いたい――その一心で、ミリシャはただ魔力を治癒に込める。
しばらくすると、
「……?」
ゆっくりと身体を起こし、子犬がこちらを見上げていた。
よかった、と言葉に出そうとしたけれど、
ミリシャはもう声すら出せない状態だった。
ただ、子犬がペロペロと、ミリシャの指先を舐める感覚は伝わってくる。
――私はいいから、もうここから離れた方がいい。
最後に力を振り絞って、手で追い払うような仕草を見せると、子犬はミリシャに背を向けて去っていった。
(……ああ、よかった)
これで心残りは――ないと言えば、嘘になる。
結局、ミリシャは貴族に生まれたために――ニ十歳にもならないのに、死ぬことになってしまった。
あるいは、もっとうまく立ち回りさえすれば、別の道もあったのかもしれない。
ただ、ミリシャの死体さえ見つからなければ――戦争も、起こらないかもしれない。
(そうだと、いいな)
――最期にそんな願いをして、ミリシャの意識は途切れた。
昔書いた百合ファンタジーを少しリメイクして投稿しております。