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5 天下の名刀


「否」


 一言。

 声とともに、頼光は太刀を一閃した。上段から下段へ、真っ直ぐI字に振り下ろす。

 宇宙で最も硬い疑似縮退物質の刃が、頼光の強化された身体と一つになって、射出された巨大な金属体を真っ二つに両断する。

 瞬間――大木を断ち割るような音と主に、両断された金属も上空のレール砲も、消失する。振り下ろされた刃から伝播した相互作用の余波だけで、多重化された兵器が消え失せる。ただ一つ、オリジナルの現実の砲だけが残されて、轟音とともに地に落ちた。


「これは……」


 浮遊する酒呑童子が、突如、がくりと姿勢を崩して落下する。超人的な身のこなしで着地し受け身をとった彼は、すぐに頼光の太刀の特異性に気づいたようだった。


「見たこともない強力な相互作用効果……多重化した砲も浮遊のための相互作用阻害も、全て掻き消して整合性ある一つの現実とした……」


 たった一撃で見抜くのは、さすが元実験体といったところか。重力の阻害を消し飛ばされて砲も酒呑も地に落ちたというわけだった。

 太刀を構えたまま、頼光はゆっくりと刃を酒呑童子へと向ける。切っ先が雪の白さを反射して眩く輝く。


「俺は、倦んでなどいない」

「何だって?」

「うんざりなんてしていないってことだ。確たるものを求めるのは、成程、確かに人の性だ。だが、その極点で不確定さやあやふやな相対性に出くわすのもまた、人が宿命的に繰り返してきたことだ」


 片手に太刀を、もう片手にバトルライフルを把持して、頼光は告げる。


「確かさを求めて人は世界を探り、考え、試し、多くの物事を発見してきた。その末に、多くの分野で逆に茫洋としたあやふやさを見出した。地球は世界の中心ではなく、太陽は銀河の中心ではなく、天の川銀河は宇宙の中心ではなく、宇宙に特別な座標など存在せず、全ての運動は相対的で、時間も距離も立場によって伸び縮みする。聖書の一説は一切を空と語り、般若心境は色即是空と語り、荘子は万物斉同と道を語った。量子論を唱えずとも、人が世界の神髄に触れようとすれば必ず確かさを突き詰めることの極致として不確かさに至る。量子論に至る以前にも、人は同じことを繰り返してきた」


 例えば神話によって。哲学によって。相対性理論によって。


「だが、だからと言って世界の価値が薄まるわけではない。むしろ、世界はそうした極地の不確定さに、相対的なものごとに行き当たるに至って、より鮮やかに意味と姿を我々に現す」


 ヤスと現実を並べ、現実越しに肩を並べ、同じ言葉を酒呑童子へと突きつける。


「人は真善美を価値とする。そしてより確かな価値は、論理として、正しく世界や意味に接近すればするほどにその姿を現していく。量子論の不可解なあやふやさも、それが知られていない時に比べて、人をより世界に近づける道だ」

「互いに相対的な現実であるという世界観を認めることが、かい?」

「互いに相対的であると知っていれば、人はその相対性を基にそれぞれの立場を予測し、翻訳し、共通の価値を見ることができる。客観性や間主観性とはそういうものだ。どこにも存在しない絶対的な基点なんてものを妄信したり仮定したりして、ボタンを掛け違えたまま他者や世界を取り扱おうとするよりもずっとマシだ。世の中は、そういう間違いを既にいくつも犯してきた」

「真善美を信じながら、現実の相対性を信じると?」

「意味は存在するが実在しない。意味へと接近する行為の総体こそが世界だ。絶対と相対を共に見据えて止揚するのが知性だ。それそのもの単体で絶対的なものは存在しない。そんなものがあると夢想していた人類の幼年期はとうに過ぎた。無邪気に確たる世界を信じているのは楽だが、それでは至れない価値がある」


 一息に力強く宣言して、頼光は笑みを浮かべた。卑屈でも皮肉でもない、ただただ力強い笑みを。


「俺はもういい歳だ。だからこそ知ることのできる価値があり、向き合うことのできる世界の茫洋とした部分がある。世界と己が不可分で、相互作用そのものが己と不可分だと知ること。その地点に立ってみれば、より明らかに世界を愛でることができる。そういうことを実感できる歳だ」

「そして僕の方はといえば、そういうおぢさんの意志を身に受けて生きてきた。互いに相対的な現実として、この心に翻訳された薫陶を継ぐ決意がある」


 ヤスが若々しい声を頼光の逞しい声音に重ねていた。

 悲劇は多く、求めるものは常にどこかで茫洋とした霧の向こうに隠れる。それが世界の常態だとしても、歩み続ける力を人はまさにその茫洋さの中に見出すだけの力をもつ。

 世界への信頼は、人への信頼であり、自らへの信頼だった。


「世界が愛おしい」


 と、頼光は正直に吐露した。ヤスを奪い、現実を乱し、戦いと混乱が続き、ストームへの対抗もじりじりと不利に傾くこの世界が、それでも愛しいと。

 もし世界を元に戻すことができたとして、その時は現実が整合するために、ヤスか自分か、どちらかは消えることになる。それでも尚世界を正常化したいと思うことはやめられない。


「世界にそれ自体単独で、他のなにがしかとの作用無しで存在できるものはないということを知るということは、自己と世界が不可分だということを知ることそのものだ。自己が世界であり、空であるということを。同時に色全てであるということを。その全てが関係論的(リレーショナル)な構造の中にあるということを知り、実感し、そしてだからこそ――自己が他者でもあるという点を知るからこそ、社会や世界を思い、下の世代を思い、価値を残すという意志を持つ。世界を愛することと己を愛することが一つ所にあることを、俺は今まで生きて知った」


 酒呑童子が地に立ち、ライフルを頼光に向ける。頼光もまた、同じように銃口を向ける。

 酒呑から撃ち出された弾丸が迫ると同時に、頼光は太刀を宙で一薙ぎしていた。激烈な特殊相互作用がストームの阻害効果を払うように消し去り、酒呑の弾丸が屈曲せず真っ直ぐ頼光に迫る。同時に逆の手でバトルライフルから弾丸を打ち出し、敵の弾丸に正面から自身の弾丸をぶつける。頼光の生体サイボーグとして強化された視覚と運動機能と副脳の射撃制御プログラムの合わせ技だった。

 空中にけたたましい音共に火花と砕けた金属の光が煌めき、放射状に散っていく。そんな光の中を、駆け出した頼光が烈風の速さで酒呑童子に迫り、刃を突き出す。

 神速の突きを酒呑は紙一重で身を傾けて躱し、基本相互作用を崩壊させて物質を消し去る不可視の刃を頼光の背後から伸ばす――が、頼光は既にこれを予測しており、さらに踏み込んで勢いのままに跳躍し、酒呑を跳び越しながら空中で体を回転させて刃を振るっていた。


 ストームの相互作用阻害の壁が刃を阻み――すぐに貫通され、切り裂かれる。


 その場を飛びのき地面を転がって逃れた酒呑童子が、肩口から血を流したままで立ち上がり、どこか興味深そうに己が肉体の傷を見つめていた。これまで何度も死に、しかし多重化した自己によって無傷に戻ってきた鬼が、すぐには治らぬ傷をその身に受けていた。


「どれほど現実が分化しようとも、全ての現実をまとめて同時に斬る刃。強力な相互作用が相対現実に整合性をもたらし、重ね合わせを収束させ、ストーム以前の世界と同じ結果を残す」


 太刀を鋭く振って僅かに付着した血液を払い、頼光は油断なく構える。


「今この太刀を、『同時切YS27(どうじぎりやすつな)』と名付けよう。どれだけ多重化しようが全てを同時に斬り、全ての多重現実に同じ効果を及ぼす天下の名刀だ」


 全く同じように刃を振るったヤスが、こちらは頼光に由来する別の名を太刀に付けて、「悪趣味な気はしますね」と苦笑する。


「なるほど」


 血を流しながら、最強の鬼はなにか諦めたような、あるいはどこかすっきりしたような顔で、肩をすくめてみせた。


「そうか、じゃあ俺たちは、同類かもな」


 マガジン内の弾丸を撃ち尽くしたライフルを肩に乗せて、酒呑は弾倉を交換しながらそんなことを口走る。


「同類だと? 何故だ」

「俺の本当の望みが、世界を終わらせることだからだ」


 先の頼光と同じくらいに力強く、鬼が語る。


「ストームを部分的に操る俺が観測機たるオブザーバーを破壊して行けば、世界の相互作用阻害効果は強まり続ける。世界の相互作用を深刻なレベルで破壊できる。現実同士の整合性の破れ程度ではなく、量子的な重ね合わせがそのまま現出し始め、更に阻害が進めば基本相互作用が崩れて宇宙が消える」


 ついさっき、弾丸を消し飛ばしていたように、宇宙の相互作用そのものが消えれば、宇宙そのものが消える。

 馬鹿げたスケールの道理を、彼は口にしていた。


「俺は少なくとも世界を滅ぼそうとなどしていないのだがな」

「けど、愛してはいるんだろう? なら同じだ――俺もなんだよ。俺も、世界が愛おしい」


 頼光は予想外の言葉に、片眉を上げて「どういうことだ」と呟いていた。


「耐えられないんだ」


 と、酒呑童子は銃口を地面に向けて、空を見上げてぽつりと零す。


「朝廷はいずれ宇宙の、現実の維持に失敗する。リラティブオブザーバーによる観測は少しずつストームに押されている……現実はやがて今の二重から三重、四重と際限なく数を増やすだろう。誰もが俺のように無数の相対現実を纏うようになる――望むと望まずとに関わらず」


 そしていつか、大きな現実の規模だけでなく、微細な重ね合わせがそのまま現出してしまう宇宙となる。開けた箱の中から猫が生きつつ死んで出てくるような世界となり、更にストームの影響が進めば、基本相互作用の全てが破壊され、相互作用そのものとしてある宇宙が消える。先ほど酒呑童子自身が弾丸を消滅させていたように。


「俺は……俺の願いは、この宇宙をこれ以上中途半端な相対現実の林立する醜悪な森にしないことだ。相互作用の結節点に生まれる相対的な現実の集まり、しかし整合性をもち客観性が通用する従来の現実には、溢れんばかりの価値がある。俺の味わった苦しみも痛みも何もかもが、多重化し相対化されきって、客観性も整合性もないバラバラの宇宙になるなんてことは、耐えられない」


 何度も戦いの度に自己を多重化しておきながら、酒呑が語るのは、整合性無き現実の並存の否定だった。


「俺は、世界の価値を、俺の人生の価値を、半端な現実のゆらぎによって、台無しにはさせない。生きている俺も死んだ俺も幸福な俺も不幸な俺も何もかもがずらりと並んだ宇宙なんてものは、悪夢だ。何でもありな、何でもそろった宇宙なんてものに、何の価値がある? それはむしろ何もかもの価値が破壊される地獄だ。そんな世界にはさせない。だから――俺は決意したのさ」


 言葉と共に、酒呑童子の足元の雪と土がごっそりと消え失せる。相互作用阻害の存在消失。


「全ての価値を瓦解させずに、一息に世界を粉微塵に引きちぎって虚無に還すことを。時間をかけて現実の多重化を許し、その価値を崩壊などさせず、ここにある全てを宇宙の終局に一息に持っていくことを。価値ある世界は価値あるままに存在の終局、ゴールへと至れる」

「それこそが……狙いか。観測機を破壊しストームを操り、世界の息の根を素早く止めることが」


 多重化こそが目的と考えていた京の上層部の予測と全く逆のことを、酒呑童子は口にしていた。


「全てが関係論的(リレーショナル)な世界で、己を愛するということは世界を愛するということと同義だと言ったな。俺も同感だよ、頼光。俺もお前も、世界を愛し、自らを愛している。そのためにお前はヤスを消してでも現実を整合性の元に返そうとしている。俺は全ての世界を消してでも全ての価値を棄損させまいとしている――俺は、俺の現実を愛しているんだよ」

「お前は、世界を恨んでいるのではないのか」


 世界を滅ぼそうというのならば、そういう理由の方が理解しやすい。酒呑童子の生い立ちは、ヤスと同様かそれ以上に無惨である。それが、愛しているとは。


「実際、ひどい人生だよ。それでも最悪の道を歩む中で、悲惨さの中にも幸福と喜びの影は見い出せるものさ。山の中で己の不幸を噛み締めていると、考えざるを得ないんだ。この世は一体何なのか、とね」


 都から大江山に逃れ、盗賊まがいの生活をしながら、世の哲理を見据えていたというのか――頼光はこの時になって初めて、酒呑童子という鬼を正面から見たような気分を覚えていた。


「世界をじっと見据えれば単純な構造の向こうに玄妙な構造が見えてくる。悲惨さを生み出す世界は限りない喜びを生み出す世界と同一であり、悲惨さを生み出す相互作用は己そのものでもある。自分を世界に溶かして見れば見るほどに、不幸ばかりだったはずの世界にたまらない切実な価値を感じたのさ」


 自嘲気味に言って、酒呑童子は腕を振り上げる。動作に応えるように、無数の振動が地に走り、何本もの軌道投射砲が山のあちこちで引き抜かれ、上空へと浮かび上がる。多重化ではない、本物の砲が幾つも浮遊する。


「世界を消すなんて、何十年か昔なら夢物語だったろう。けど、今なら、ストームと、俺の力があれば、それが可能になる」


 酒呑からは、髪が逆立ちそうなほどの凄まじい気配が発揮されていた。頼光は太刀を――血吸改め同時切YS27を片手で正眼に構える。


「なるほど、同類か」


 己とは何もかもが異なるはずの鬼を前にして、頼光は確かに認めていた。世界に対して、ある意味では酒呑童子も自らも同じものを見ているのだと。


「だが俺は、まだ世界らしい世界を捨てたくはない。諦められはしないんだ」

「君やヤスが今以上に多重化することになっても?」

「それを止めるために俺やヤスが、そしてこの太刀がある」


 虚勢だったが、頼光ははっきりと怖気づかずに言い切った。人類がストームに押されているのは事実であり、この特別な太刀の力も未だ小さな範囲にしか力を及ぼさない。

 それでも、諦められはしない。酒呑童子と同じく、世界を諦められない。


「そうかい。じゃあ、どっちが世界を正しく愛せるか、力比べだな」


 快活に笑って、酒呑童子がライフルを頼光に向ける。

 頼光もまた、久々に心から笑い、太刀を構えたまま逆の手のライフルを向ける。

 浮遊する投射砲が一斉に電磁加速弾を射出し、大江山に巨大な爆炎を広げ、大気が焦され尾根が形状を変える。

 荒れ狂うエネルギーの嵐の中を、頼光は駆け抜け、ライフル弾の応酬を行いながら、太刀を振り上げていた。


 価値を守るのでなければ、存続する意味がない。

 存続していなければ、価値を守ることなどできはしない。


 相反する現実の逆説構造の中で、頼光は太刀を手に、声を張り上げた。


「ヤス、仕留めるぞ!」


 返事は、全く同じ鏡合わせの言葉として既に届いていた。太刀の力が解放され、頼光とヤスの特殊相互作用効果が相乗され全ての多重化を打ち破り、酒呑童子に力を引きはがしにかかる。

 それは同時に、多重化したすべての現実を打ち払うことに他ならなかった。


   *


 あちこちが抉れ、最早以前までの連山の形状を全く保っていない山から、一人の男が人里に降りてきていた。

 男の姿は、ぶれても、重なってもいなかった。ただ、その手には全ての現実を同時に貫き断ち切る、一振りの特別な太刀が握られていた。


 この太刀は後年、天下の名刀として人々に広く知られ、時代を下っても大切に保管され受け継がれることになる。

 ただ、太刀の呼び名は二種類伝えられ、どちらが真の名かは千年以上後の世においても判明していないのだった――。


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斬新で深く作り込まれた世界観が凄かったです! 引き込まれました!
面白かった!SF平安京スペクタクル! 無くなってしまっては、価値そのものも無いことになってしまいますものね。頼光おぢさん、さすがでした。 個人的に倦んだサイボーグ清明さんも好きです。 ウェブ小説も似た…
酒呑童子も頼光と別の方法で世界を愛していたんですね…。 相互作用阻害が進んでいった未来は、たしかにこの宇宙が消えるときの姿を想像させられました。 頼光は四十代。「不惑」を身をもって体現しているような良…
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