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4 戦闘用多重世界観測相互作用ポストヒューマン


 大江山は雪と静寂に覆われていた。冬山は厚い積雪に覆われ、連山の作るシルエットは山間に浮かぶ霧のような白い靄と合わせて幽玄な印象を放っている。


 頼光は山の手前の集落で輸送機から降下し、徒歩で山を登っていた。直接山の上に降下しなかったのは、相手が航空機を落とした実績を持つことを考慮した結果だった。

 頼光は全身に平安武士としてのフル装備を纏っていた。吹返と大きな鍬形(ブレードアンテナ)のついた兜に、大袖や草摺のついた鎧を着こんでいる。清明から受け取った血吹の太刀は腰の左側に佩いていた。

 重い装備を纏って尚、雪の中でも全く淀まず一定のペースで前進を続ける頼光の背後には、生体改造された不整地踏破用の巨大な運搬用の牛と、その牛に引かれたこれまた巨大な、大型トラックほどもある牛車がぎしぎしと雪を踏みしめながら付き従っていた。


「針山のようですね」


 同じように、もう一つの現実として重なったまま山を登るヤスが呟いた。頼光がヤスと同じ方向を見やると、大江山の各所から長大な金属製の何かが突き出ているのが見える。細長い棒のような直方体で、先端のいくらかは真ん中に切れ込みのような溝が見える。

 遠くから見れば細い針のようだが、実際には巨大な塔のような物体であることを頼光は知っていた。


「軌道投射砲だ。電磁加速でリラティブ・オブザーバーを宇宙に射出して地球の軌道上に送り込む打ち上げ施設だな」

「打ち上げ施設なんて言うと大ごとに思えますが、それにしては数が多い」

「リラティブ・オブザーバーは消耗品だからな。それも、さほど長くは保たない。常に数千機の相対観測者として軌道上にあるが、中身の人体が劣化して性能を発揮出来なくなれば軌道を調整されて宇宙の彼方に飛んでいくか地球に落とされるかだ。無くなった分は次々に補充を打ち上げなければならない」


 山に聳えるいくつもの塔は、全長数十メートルのレールガンであり、大量の電力を食わせさえすれば弾道弾を打ち出す要領で宇宙に観測機を送れる。大江山は世界にいくつか存在するオブザーバー打ち上げのための拠点だった。


「世界中が協力して作り上げた施設だ。ここを酒呑童子に占拠されただけでも世界観測によるストームの影響の低減に大きな支障が出た」


 かつては山全体がしっかり整備され半自動化された打ち上げ施設群だったのだが、現在は雪が降り積もり輸送路も積雪に隠され、まるで往年の自然の山に還ろうとしているような状況だった。

 ヤスが死んだ日も、雪の舞う、こんな日だった。思い出して、頼光は胸中に痛痒を覚える。無残な実験に供され死にかけたところを頼光に拾われ、悲惨な境遇に負けず修練を重ねついに妖退治の相棒にまでなった少年が、たった一度のミスで亡くなってしまった。更に、亡くなったという事実を受け止めるより先にもう一方の現実に生きた姿を見せた。

 何もかもがあやふやで、整合性の揺らいだ相対現実の世界。確たるものがない、と嘆く清明の姿は、不本意ながら理解できるものもある。


「たった一人の鬼が、ここまで京を苦しめるとは、誰も思いませんでしたね」


 最早人の踏み入る場所ではなくなった静寂の山を見渡して、ヤスが呟く。


「ああ。酒呑童子という鬼は妖の中でも特異中の特異だ。量子ストームをある程度自在に操ることが可能で、自己に対して相互作用阻害を意図的に引き起こすことで自分自身という現実を分化させることができる」


 それこそが、かの鬼が最強の鬼たる所以だった。自己という相対現実を相対化したまま整合性を生じさせず多重化することで、どんな攻撃も一人一人の酒呑童子を殺すのがせいぜいとなる。生き残った「現実」からまた多重化することで無限に殺されながら無限に戦えるのが酒呑童子だった。


「保昌や四天王はリラティブ・オブザーバーを複数機持ち出し、戦いの場に設置した。観測効果を集中させ相互作用を強めて酒呑の現実の多重化を抑えた上で叩くつもりだったのだろう」


 ストームに対抗するための観測機の運用と、保昌と四天王による火力集中。シンプルだがこの上ない酒呑童子討伐の作だと頼光にも納得できる。


「失敗したけれどね」


 出し抜けに降ってきた声は、若いヤスの声と比べても更に若々しい少年の声だった。透き通った鳥の音のような声である。

 咄嗟に頼光は身体と五感を戦闘モードへと切り替える。副脳が戦闘プログラムを起動させ、鎧の下に着こんだ薄手の生体パワード・クロージングが頼光自身の筋肉や骨と同期して戦闘機動用のパワーアシストを開始する。


「酒呑童子。待ち構えていたか」


 頭上を見ると、いつの間にかそこには美しい鬼が浮かんでいる。女ものの浴衣を着こみ、胴にはマガジンポーチが幾つも取り付けられたタクティカルベストを着けて、大口径のコンバットライフルを抱えている。

 ライフルには見覚えがあった。保昌の愛用するASMR(Assault & Strike Multipurpose Rifle)だった。


 即座に頼光は背後の牛車に下知コマンドを送る。牛車の荷台となっている屋形の屋根が炸薬によって吹き飛び、壁面も側方に倒れるように展開し、中からは複数台の戦闘ドローンが飛び出していた。頼光自身も背負っていたバトルライフルを片手で掴んで鬼へと向ける。

 高速で飛び立ったドローンのガトリングと、頼光がバトルライフルが警告なしに火を噴く。頼光の視界には全てのドローンの情報やカメラ映像が表示され、その挙動は今や頼光自身の神経と一体化して身体制御下にあった。無数の銃声が重なり、ビルが丸ごと崩れるような騒音が雪を震わせて押し潰す。


「驚いたな。観測機を配置したわけでもないのに、以前の刺客よりは攻撃が迫ってくるじゃないか」


 宙に浮く酒呑童子は事も無げに弾丸の全てを眼前で掻き消していた。一体どういう原理によるのか、物質が虚空に消えるように、超音速の弾丸が酒呑の目の前で無に帰していく。


「上空――軌道上の観測機でお前を注視しているからな。観測効果は保昌たちとそう変わらんさ」


 大口径のバトルライフルを片手だけで正確にポイントして射撃しながら頼光が大音声で言ってやると、鬼は「いや、それだけじゃない」と訂正してくる。


「君自身の特殊相互作用効果もまた非常に強い。オブザーバーなんて比にならないくらいだ」


 面白そうに言って、彼は空中を滑るように移動してみせる。射撃が追うが、ドローンのカメラにも頼光の目にも、酒呑童子が何かの飛行装備を付けているようには見えなかった。


「お前は――まさか、重力相互作用を」


 思いついて驚愕を口にすると、酒呑童子はハハ、と笑って首肯した。輝かんばかりの綺麗な笑顔で、これが鬼でなければバイオサイバー平安京中の女性だろうが男性だろうが皆魅了されるような表情だった。


「よく分かったね。ま、局所的なものだよ。ストームの相互作用阻害効果で、基本相互作用の一つである重力相互作用を上手い具合にカットしてるんだ」


 マジックの種明かしといった感のある口調であっけらかんと説明される。頼光は内心で驚きを通り越してほとんど呆れていた。重力操作を、そもそもの相互作用を破壊して行うなど、もはや鬼としても超常的に過ぎる。そんなことができるならば、他の基本相互作用だってバラせるのではないか――と考えて、頼光は先の保昌の戦いで航空機が不可視の刃に貫かれて墜落したことに思い至る。


 世界に存在する基本相互作用。人間の持つ特殊相互作用を除けば、全ての相互作用が根本的には四つの基本相互作用に分類される。素粒子間に働く、自然界の四つの力。そのうち、原子核を構成するための強い相互作用だけでも破壊できれば、物質は形を保てない。電磁気的な相互作用を破壊されれば、バットでボールを打つこともできなくなる。

 弾丸が掻き消えているのも、鬼の眼前でストームにより基本相互作用を崩されて物質として根本から消されているからか。理解して、頼光は瞠目する。


 超常の力。多重化だけではない、ストームの操作による相互作用への阻害効果を操る酒呑童子は、もはや妖と呼ぶことすら生ぬるい。

 なおも攻撃を続けようとする頼光とドローン群体へと、酒呑童子が手に持ったライフルを両手で構える。フルオートで発射された弾丸の射線上から頼光は自身とドローンを退避させるが、瞬間的に数機のドローンが被弾し破壊されていた。酒呑のライフルから飛び出た弾丸は、途中で軌道を自在に変更し、「曲がる弾丸」となって回避行動に移ったはずのドローンを貫いていた。


(重力相互作用の阻害の応用か)


 頼光にも屈曲した軌道で弾丸が迫る。身体の運動性能を活かしてランダム回避を行うが、数発が肩や腿を掠る。ドローンを前面に押し出し、敵の攻撃の隙を狙って射撃するが、酒呑童子もまた空中を滑って高速で回避し、反撃として躍るように宙でくるくると回転しながらライフルで射撃して周囲のドローンを落としていく。

 頼光は後退し、距離をとって巨大な塔――地面から生えた軌道投射砲のレールガン銃身の裏へと身を隠す。


「なるほど、四天王でも歯が立たないわけだ」

「ほとんど反則みたいな力ですね。ストームをあんなに自在に戦いに利用できるなんて」


 同じように追い込まれたヤスがもう一つの現実で頼光に合わせて呟く。

 背にしたレール砲が弾丸を受けて耳障りな金属音を掻き鳴らす。しばらくすると、リロードのために空のマガジンを捨てる酒呑童子の姿をドローンが捉える。


「君は――いや、君らと言った方が良いかな。君らは、これで四十人目くらいだ。俺を討伐しに来た人間としてね」


 どこか暗い喜色を含んだような声が、弾丸の音が消えてドローンの飛行音だけが残った山に響く。歌声のような、美麗な流れを連想させる声だった。


「皆、誰も彼もが、必至で命がけの任務を果たそうと俺に襲い掛かりながらも、本当はうんざりしている」

「何にだ?」


 隠れたまま頼光が声を返すと、ドローンに映る酒呑の笑みが深くなった。


「この世の根本構造にだよ。相互作用だけが網の目のように存在する世界、重ね合わせの量子論による不確定な世界、微小な現実の全てが相対的な世界に」


 量子論が描く、新たな世界のモデルに。鬼の言葉に、頼光はなるほど、と気怠く相槌を打つ。


「京にも同じような人間がいる。戦う者だけでなく、研究者にも」

「では、君はどうだい? 皆、確かな足掛かりを失って倦んでいる。自分という存在すら自己と外界の相互作用するところに浮かび上がる存在でしかなく、それ以前の基底として存在する自己などいない。確固とした価値も根本ではこの世界の構造に依拠している。あらゆる存在物の位置も、時間も、色も、形も、全て他のものに対しての属性としてしか立ち現れない。全てが存在と存在との相互作用の結節点以外ではあり得ない、存在が相互作用である世界だ。古典的な世界の姿に比べて実に空疎にも見えるこの世界に、君はどう相対しているのかな」


 頼光は一方的に酒呑の言葉を聞かされながら、考えていた。人は古典的な、分かりやすい世界像にいつまで、どこまで頼り続けるのだろうかと。動物としても理性的な知性体としても長い間慣れ親しんだ宇宙のモデルを更新することが、どれだけ可能かと。


「もし君もまた世界に倦んでいるなら――うんざりしているなら、どうか俺の邪魔はしないで欲しい。むしろある意味で俺はそういう者の味方かもしれないのだからね」

「お前の狙いは、何だ。自己の多重化を維持するためにストームを利用し、観測機を破壊するだけではない、ということなのか」


 問いかける。酒呑童子の言葉は、明らかに、あのモノリスに聞かされたような小さな動機を示していない。


「観測機を破壊すれば、ただでさえ少しずつストームによって蝕まれているこの世界の寿命を縮めることになる。お前は、お前の言う『うんざりする世界』を滅ぼしたいとでも言うつもりか?」


 頼光の声に、酒呑は即座には応えず、ふむ、と小さく愛嬌のある声を漏らした後で、声の調子を変えた。


「……俺はね、見た目で分かると思うけれど、元々は人間なんだ。どうしてこんな、ストームの操作能力なんてものがあるのか。どうして妖と同じ、量子ストームを加害に利用できる機能があるのか。答えは簡単で、俺がそもそもそういう風に作られたからだ。この鬼としての力は、ある計画に従って組み込まれた後天的な生態改造と、元から俺が持っていたらしい才能の合わせ技の結果らしい」


 どこかで聞いた話だった。一瞬呼吸を止めて、頼光はくそ、と毒づいた。予想はできていた。むしろそれが最も自然な結論であると。ただ、あまりに酒呑童子の能力は常軌を逸しており、「同じ」ものだとは考え難い所もあった。


「戦闘用多重世界観測相互作用ポストヒューマンの実験体。知ってるよね、頼光、君も。そして同じ場所にいるもう一人、YS27(ヤス)もさ」


 元々特殊相互作用を強く発現している人間に改造を施し人間を超える人間として、観測機を超える観測機として、特殊相互作用をストームへの対抗だけでなく直接的な戦闘の力としようという試みの結果。


「酒呑童子という名は元々俺が捨て童子と名乗っていたのを、京の人間が聞き間違えたのか、もじったのか、とにかく後から言い出したものさ。気に入っているけれどね。元々の名は、STN102。実験体の中で最も強く、特異な才覚をもった検体として生まれてすぐに実験体となり、十数年を経て廃棄されたポストヒューマンという名の鬼だ」

「生き残りは、ヤスだけではなかったのか……」

「そうとも。脳改造の中で俺には、通常の観測能力の強化とは別に、特殊な力が芽生えた。量子ストームの相互作用阻害効果を引き寄せて、その領域の濃度を操る力だ。特殊相互作用とは反対の、世界に虚無を呼び込む力。実験を主導していた人々でさえ、この力は予想しなかった」


 前代未聞の、ストーム操作能力。だが、妖の類が多かれ少なかれストームを利用した奇妙な力をもつことを考えれば、生き物には――あるいはあらゆる存在物は、相互作用そのものでありながら相互作用をほどく機構というものが存在するのかもしれない。


「度重なる生体改造、同じような実験体との命がけのテスト戦闘、多くの苦痛の末に、最終的には情動や思考の一部を完全にカットされて兵器そのものみたいな存在になるはずだった。だから俺は当然、脱走した。ストームの力は誰にも止められなかったから。野に逃げ延びて、しばらくは盗賊のような生活をして、力の使い方を習熟した後に、俺は俺の生き方を決めて、やるべきことを知った」


 確かな決意の言葉と共に、突如大地からの振動が頼光を揺らしていた。地震のようではあるが、もっと局所的で騒々しい揺れ方だった。

 長い影が雪の山肌に現れる。投射砲の影から空を見ると、浮かぶ酒呑童子の頭上に、頼光が背にした軌道投射砲と同じものが浮かび上がっていた。地面から電源供給用の太いケーブル類が根のように伸びて、長大な電磁加速用砲身に繋がっている。


「世界の不確かさに相対できないなら。確かな価値を見出せず不幸に向き合えないならば。俺に任せるといい」


 酒呑童子が浮かんだ砲の下ですっと手を振ると、上空の砲が一瞬ぶるりと震えて――多重化した。

 合計六本の電磁加速砲がずらりと並ぶ。その一つ一つが軌道上に楽に観測ポッドを打ち上げられる性能を持つ。そしてこの大江山は元々大規模打ち上げ施設の塊のような場所であり、空のポッドも電磁加速弾体に加工できる金属資材も豊富な場所である。

 並ぶ砲の真ん中の一つから飛び出た最初の一射が、視認を許さない速さで頼光が隠れていた投射砲を貫き砕いて破壊しきった。


 一瞬早くその場を離れ高速で跳躍していた頼光はそれでも衝撃で吹き飛ばされ、雪の上を転がる。常人なら骨も内臓も細切れだっただろうエネルギーの津波に揉まれながら、頼光は腰に下げた太刀の柄を握る。


(俺はずっと、量子論以降の世界で考え続けてきた)


 不確定な世界に向き合い、揺らぐ相対的な現実というものを意識し、多くの人間の「うんざりした」顔を見てきた。自分の心がどこを向いているのか、どこを向くべきか、ヤスが死んだ後で更に考え続けてきた。確固たるものが腕をすり抜けていくような世界の実相に、煩悶し続けてきたのは、頼光も同じだった。あの機械化した安倍晴明の疲弊し諦観したような態度に苛立ちながら、理解もできてしまっていた。

 残りの多重化したレール砲が頼光に狙いをつけて、一気に大電力が流し込まれ空気が匂いを変える。


 お前は、うんざりしているのか。

 あやふやで相対的なものに囲まれて、倦んでいるのか。


 頭の中で自分自身の声が響き渡り、頼光は同時に太刀を引き抜く。

 五つの電磁加速砲の砲口が輝く。莫大な電力エネルギーを運動エネルギーに変えて、金属体が人智を超えた速度で撃ち出された。


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