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2 バイオサイバー平安京


 バイオサイバー平安京は、VRの中の景色とは異なり晴天の下にあった。冬ではあるが天から注がれる日光の輻射熱が僅かに肌に温かい。明るい日差しの元、朱雀大路の両サイドには知性化や高強度化された建材用改良材木で建てられた木造数十階建てのビルが立ち並び、微生物と砂利などの骨材とセメントからなる自己メンテナンス型コンクリートで舗装された道路上を生体駆動車や舶来品の全機械車両が往来している。バイオ工学と理論物理学をはじめとして様々な面で高度な発達を経た京の都は、海外から取り入れた材料工学やコンピューター理論、情報ネットワークと融合して巨大な生体・機械複合式の情報都市として発展してきた。

 歩道を歩く頼光には、見慣れた都市の光景が時折ぶれて感じられた。錯覚ではなく、現実そのものがぶれているのだと頼光にも他の都市住民にも分かっていた。



 平安初期に見いだされた物理学の新たな領域は、世界の姿を確固とした基盤と統一された一つのシステム、ゆらぎの無い明快な現実運航のシステムとして信頼されていた古典物理の世界観を、根本から揺るがした。

 黒体放射に光電効果……様々な研究がなされる中、古典物理で説明のつかない現象が研究され、その末に――あるいは新たな端緒として――「量子論」が新時代の世界の根本において不気味な巨人として立ち上がっていった。

 電子や陽子や光子などといった物理量の最小単位においては、その状態を古典物理のように確定的に予測することができず、あくまで確率的な予測しかできない。量子論における、いわゆる不確定性原理は、量子を不確定で確率的な存在とし、量子からなる世界の現象は重ね合わせの状態にあって観測によってこれが収束するという、人間の直感に反する奇妙な世界像を提供した。


 量子論についての完全な解明や理解は未だ見果てぬ夢といったところだが、それでも量子論のこの奇妙さは様々な実験で実際に確認されている。世界の根本は非決定論的で、観測され得ぬ限り重ね合わせにある状態といったものが存在するという考えには反発も当然ながら多く、こうした反論の流れの一つとして考えられたのが、かの有名な「シュレディンガーの猫箱」である。

 これは思考実験の一種で、量子現象によって動作する、動作が確率的にしか予測できない装置が猫と共に箱の中にあり、この装置が作動すれば猫は死に、しなければ生きたままになる、というものである。箱の外にいる人間からすれば、量子論的には箱の中の猫は観測されぬ限り生きた状態と死んだ状態が重なり合っていることになる。こんな奇妙なことはないだろう、生きつつ死んでいる猫はどんな気分なのか、というわけである。


 現代の平安物理学においてこうした現象についてはいくつか説明するための仮説が存在するのだが、最も有力視されているのは、関係論的解釈と呼ばれるものである。

 この解釈においては、そもそも観測する人間自身――あるいは観測機器、動物、他の何か……――もまた、量子的現象からなる世界の一部であることに着目する。そして、どんな物であれ事であれ、事物や事象というものは他の何がしかとの相互作用無しには記述不可能であるという考えを根底に持つ。


 何でもいいが、世界から一つ何かを切り出して、それが他の世界と完全に隔絶されてそれでも存在することを想像できるだろうか。ありとあらゆる関係性を断ち、単体としてあるだけの存在を。宇宙や世界と呼ばれるものが存在せず人間だけがいるところを想像できるだろうか。より厳密に言うならば、人も猫も箱もその物体内で微細な構造のレベルで相互作用が無数に起こっている。電磁気的な力や重力的な作用がそこにはある。そうした作用も全て無しに、単体として確固として存在する粒子やエネルギーといったものを想像できるだろうか。なんの相互作用もない状態で、あるものごとの属性が示されることは不可能ではないか。

 世界には無数の相互作用が濃密に詰まっている――人間は音や光を体内器官で捉え、その器官もまた様々な影響を周囲と及ぼし合い、更に微細な構造でも分子や原子が蠢き合い影響し合っている――が、逆に相互作用が無ければ、そこにある物事は何の属性も持たず、故に記述できない、とこの解釈は考える。相互作用そのものが物そのものであり物の属性であると。物があってそこに作用が起こるわけではなく、他の事物との相互作用というそれそのものが物なのだと。観測とは相互作用そのものであり、観測者とは単に相互作用を担う物事であるというに過ぎないのである。


 関係性こそが世界の実相であるというこの考え方はドラスティックでありながら哲学的にも論理的にも一定の理解を得られる考えだった。

 そして、こうした視点に立つならば、先の猫箱の問題もまた一つの解釈が可能となる。箱の外にあって箱の中と相互作用しない人間にとっては、箱の中の猫は生きているのと死んでいるのとの重ね合わせにある。そして箱の中の猫にとってみれば、自分は生きているか死んでいるかである。この二つの現実は矛盾しない。何故なら、箱の内外には相互作用がないからだ(現実ならば箱を透過する様々な物理現象が考えられるがこれは思考実験故に相互作用を完全に断ち切る箱と考える)。

 この時、箱の内外には相互作用の断絶によって、二つの現実が並立していることになる。箱を開けて箱の内外が相互作用し始めれば、そこには新たな現実が立ち現れる。見ている人にとっても見られている猫にとっても、死んでいるか生きているかの、どちらかの現実が。


 要するに、現実とは相互作用によって各所に立ち現れる、相対的なものでしかないということである。ある現実は他にとっての現実ではない。世界は確固とした基盤の上に立ち上がる一つの共通現実ではない。

 ただし、小さな現実同士も他の現実の事物と相互作用するわけで、その中で整合性もまた現れると量子論は記述する。箱を開けてみれば箱の内外は相互作用し、猫は死んでいるか生きているかのどちらかとなり、この時点においては猫から見た現実も人から見た現実も整合する。世界に客観性や間主観性が成り立つのは、このためである。関係性を根本に見る量子論の世界は、相互作用こそが世界の現実であり実体であり、だからこそ無数の相対的現実が存在し、絶対現実は存在しないが、大規模な相互作用の網として形作られる現実には整合性が成り立つ、という形をとる。


 こうした関係論的な量子論によって説明される世界の姿に、多くの人間が戸惑った。絶対的な現実もなければ、そもそも自分たちを含めた全てが常に相互作用として生成生起される相対現実であるという奇妙さによって足場を失ったような不安定な気持ちを抱える人間は多かった。

 時間と、さらなる研究の発展が、そのうち量子論の示した奇妙な世界を当たり前のものとするだろう――学者たちの間にはそう考える者も多かった。

 実際に年月が進み、世界の側は無情にも、慣れではなく更なる奇妙さを人々に・地球に・銀河に、あっさりと吹きかけたのである。



「量子ストーム」


 と頼光は呟いていた。頼光がまだ幼い頃に世界を襲った災厄の名を。

 数十年前、世界中の観測機器が捕らえた宇宙規模の原因不明の奇妙な現象。肉眼では不可視の津波のような特異現象が、天の川銀河を覆い、太陽系を覆い、地球を覆った。量子ストームと呼ばれるこの現象は、特殊な場として押し寄せ、この「場」の中に置かれた存在は何であれ、ありとあらゆる相互作用を阻害されることが判明している。

 相互作用――この世を構成する四つの基本相互作用である、電磁気的相互作用に重力相互作用、弱い相互作用と強い相互作用に加えて、ごく最近ストームの研究の中で発見された、人間のような知性体に存在するとされる特殊な観測相互作用。この全てが、量子ストームと呼ばれる現象で阻害される。

 阻害による影響の第一段階は、「大規模な現実の分裂」である。元々相対的な現実同士が相互作用し巨大な現実を整合性をもったものとして存在させているこの宇宙で、ストームによって相互作用が阻害された結果、まず大規模なレベルでの相対現実同士の乖離――整合性の破れが発生する。小さな現実同士が相互作用しているにもかかわらず整合性をもった一つの現実とはならず、異なる大きな現実が重ね合わさったまま併存してしまい、現実同士の間に矛盾が無数に存在することになるのだ。

 第二段階は、大きな現実を構成する小さな現実、つまりは一つ一つの相互作用として現出している物事が相互作用によって収束せず重ね合わせのままになってしまう。シュレディンガーの猫に例えて言えば、箱を開けたにもかかわらず、生きた猫と死んだ猫が重ね合わせのまま観察者の前に現れ続けるという状態になる。

 更にストームの影響が強まれば、それ以上の相互作用阻害効果が起こるとされているのだが、今現在の世界はこの第一段階の中にあった。

 大規模な現実が整合性をもたず二重になってしまい、二つの現実の間では客観性の通用しない状態となっている。


「このままストームの影響が続けば、二つといわず三つ四つと現実が並存することになる、か」


 言って、頼光は隣を歩きながら歩いていない、存在していながら存在していないかつての従者に顔を向けた。


「そうなると、今度は僕やおぢさんが両方生きた世界や両方死んだ世界も相対現実として存在するようになるんでしょうか。ますます奇妙ですね」


 従者――優し気な目つきと柔らかにウェーブした黒髪の可愛らしい少年が、おかしそうに笑う。

 量子ストームは世界を揺らがせ、大きな現実の整合性を破り、放っておけばどんどん影響を強めるとされている。これを、無理やり繋ぎ止めてなんとか二重の現実が生じる程度に留めているのが現状だった。

 頼光は空を見上げた。昼であるためほとんど見えないが、地球の軌道上には無数の相対観測者、リラティブ・オブザーバーと呼ばれる存在が周回している。これは、人間の持つ特殊な観測相互作用を活かして、ストームによって揺らいだ世界を、強く相互作用することで保とうという観測装置である。衛星軌道を回る数千のオブザーバーは見た目は小さな棺桶上のポッドに軌道修正用のスラスターを取りつけたもので、内部に収められているのはなんと人工的に改造された人体である。


 人間には元々基本相互作用を様々な形で感知する機能があるが、基本相互作用だけでは説明のつかない観測効果が量子的な構造に影響を与えていることが明らかになっている。この未知の相互作用を強く持つ者に強化を加えたのがリラティブオブザーバーで、元々特殊相互作用の才覚をもった人間に観測用のサイボーグ処置を施した世界観測用ポストヒューマン衛星というわけだった。

 軌道上のオブザーバーは半数が地球を、半数が外の宇宙を観測することで、世界の姿を保っている。ただ、中身が人間である以上足の速い消耗品であり、次々廃棄されては追加で撃ち上げるという地獄のような状況にある。


「ヤス、お前は落ち着いているな。あの酒呑童子と戦いに行くというのに」


 視線を地上に戻して、頼光は少年の名を呼ぶ。


「おぢさんが散々仕込みましたからね。戦いの中の冷静さも平素の冷静さも同じもので、両立できねば、と」

「なるほど。俺の遺した薫陶が生きているというわけか。まだ俺そのものが生きているこちらからすると、やはり奇妙なものだ」


 首を振って、頼光は視線を少しだけ下げた。自らの影を見下ろしながら、ぽつりと零す。


「お前が死んで、もう二年にもなるか」

「おぢさんが死んで、こちらでも二年です。奇妙なものです」


 少年――ヤスは、同意して、頼光とは反対の言葉を口にした。

 頼光とヤスの言葉は、現実として相反する。そして、両方が並び立って存在している。

 俺たちは、整合性をもって相互作用によって纏まるはずが纏まらない相対現実同士で、会話をしている、と頼光は意識する。


 ヤスは、頼光の拾い子だった。バイオサイバー平安京内部に置かれたリラティブ・オブザーバーの研究施設で作られた、戦闘用多重世界観測相互作用ポストヒューマンの実験体の一人である。オブザーバーの持つ相互作用効果の才覚を利用して妖――ストームの影響で量子的な奇妙な現象を取り込み、人に害をなすようになった人間や動物や機械のこと――に対抗する戦闘ユニットを作るという計画の成果物であり、計画ごと廃棄された実験体。

 オブザーバーとなる人間は情動などを廃した形で一から生産されるクローンなのだが、この計画の場合はそうした検体では不十分だとされてより強い才覚をもつ人間を求めて貧民から子を買い上げて利用していた。ヤスもその一人だ。

 計画は結局非合法とされて封印、廃棄され、関係者も処分されたが、生き残った検体は多くが行方不明となり、ヤスは偶然頼光に拾われたのだった。

 YS27というのが彼の検体ナンバーで、ヤスというのは頼光がつけた渾名だった。


(ヤスは死んだ)


 思い出す。生物工学によって形作られた都市の景色の向こうに、過去の情景が蘇る。二年前、とある任務で妖を狩りに出た時のことだった。将軍でありながらバイオサイバー平安京で最強の対妖戦闘要員とされる頼光は妖狩りに度々駆り出されていたが、その日はヤスを伴っていた。ヤスは元々の才覚に加え、戦闘用ポストヒューマンとして改造された身であり、戦いにおいては頼光に匹敵する力があった。頼光にとっては自分の相棒であり後継者候補であり、そして二回り以上も年の離れた可愛がりがいのある若者だった。

 不運が重なり、強力な敵との戦いで頼光は敵の一撃を思い切り受けてしまい、死にかけた。あるいは、死んだ。

 咄嗟にヤスが頼光を庇い、死んだ。あるいは、死ななかった。

 量子ストームが整合性のない二つの現実を並存させていた。死んだのは片方の現実では頼光であり、もう片方ではヤスだった。

 相互作用しながら整合性をもって統合されない二つの現実の間で、この二年間、頼光とヤスはそれぞれの現実で生きている。


「なあヤスよ、そろそろその、『おぢさん』って呼び方はやめないか?」

「最初は様付で呼んでたのに、おぢさんが嫌がったんでしょう」

「だからって何だその『ぢ』ってのは」

「特別感あっていいでしょう。拘りポイントなんですよ、そこ」


 よく分からん、とため息をつくと、くすくすと笑われる。


「酒呑を倒せば」


 気づけば、頼光は二重にぶれる世界に更に言葉を吐いていた。


「世界は何とかまだ維持できるかもしれない。オブザーバーでストームに対抗しつつ、より世界を元の姿に戻す方法を模索できる」


 言いながらも、頼光自身その可能性はあまり高くないだろうとは考えていた。京の研究も、世界各国の研究も、今のところストームの影響を巻き返すような方法は見つけられていない。オブザーバーを観測機として宇宙に打ち上げ続けてもなお、じりじりと世界は曖昧さと不整合の中に沈みつつある。

 もし奇跡的に何か革新的な手法が見つかったとして、世界が整合性を取り戻し相対現実同士が客観性でまとまる以前の世界に戻れば、死んだ者は死んだ者となり生きている者は生きている者となるだろう。


「僕は、おぢさんが目指すなら、こっちでも同じ道を目指しますよ」


 頼光の考えを先読みしたように、ヤスが平素と変わらぬ軽い声音で呟いた。


「そうか」


 としか、頼光には応えられなかった。

 ストームを操りオブザーバーを破壊する酒呑童子を倒し、世界を維持する。その先に世界の再建を目指すならば、行き着くのは、今ある「ぶれた」現実の消失ということになる。


 一度死なせてしまったヤスをもう一度消してしまうか、あるいは自分が消えるか。


 相互作用だけがあり、確たる事物が基底としてあるわけではないという関係論的量子論の世界で、そんな結果を目指すことに、どんな意味があるのか。

 頼光はそれ以上口にせず、陰陽寮のある大内裏へと足を速めるのだった。


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― 新着の感想 ―
シュレディンガーの猫箱の話、頼光とヤスがそれぞれ別の世界戦に生きている・あるいは死んでいる、という状態を面白く読みました。 世界を観測するリラティブ・オブザーバーが意外とエグいものだったのもよかったで…
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