第三章 過去の幻影【三】
「何だよ、これ……」
そこは廃墟だった。
前に来た時は、故郷である村と良く似た雰囲気の平和な村だった。それなのに、今は何もない。いや、正確に言えば瓦礫などの家屋が崩れた残骸はある。あちらこちらに人々が生活していた痕跡が残っているのに、人は全くいない。人だったモノさえ、今はその姿がない。
「何なんだよ……」
もう一度、そんな言葉を漏らした。
自身の目に映る光景が信じられず、しっかりとしたとは言えない足取りで村の中を歩く。
これが戦争か?
ここで何が起こったのかは分からない。だけど、今この景色を見てここで戦いがあったとは思えない。ここで起こったのは、ただ単に一方的な虐殺でしかない。そんな風に思える。
そんなことを考えながら歩いていると、気がつけば村のほぼ中心地までやってきていた。村の中心であることを示す噴水が――噴水だった物が目に付き、そのことに気がついた。
「……何だ?」
ふと、違和感を覚えた。
何――とは言えない。単純に、何かが引っかかった。
刹那、身体が――いや、世界が揺れた。
地震だ。そう理解した時には完全にバランスを失い、噴水跡に倒れ込んでしまった。何とか受け身は取ったものの、それなりの衝撃を受け思わず小さく呻いてしまった。
「――え?」
だがしかし、それすらも一瞬。倒れ込んだ噴水跡の底が崩れ、地面よりも下に落下する。
一瞬、奈落の底へと落ちてしまうんじゃないかと思った。しかしそんな訳はなく、噴水の下に地下室があったのだと直ぐに理解した。
運が良かったのか、地下室の床に着く前には体勢が着地するのに丁度良いものになっており、殆ど苦なく着地することが出来た。
「ここは……」
地下室。と言うのは直ぐに分かった。だけど、何かが違う。いや、その言葉には語弊がある。そうだ……さっき感じた違和感。それが物凄く強い。
周囲を見渡すと、奥に続く道が一本あった。違和感は、その奥から感じられるみたいだ。
「行って、みるか」
そんな呟きを漏らして、地上からの明かりが届かない通路へと進んで行った……
「起きた?」
目を覚まして顔を上げると、そこには伊織の姿があった。
病院から大学に戻った俺たちは四限目の講義を受けるべく別れた。それから講義を受けて……
ああ、そうか。途中で眠りに落ちたのか。
「おはよう」
「おはよう。それにしても珍しいじゃない。士朗が居眠りなんて」
「……だな。やっぱ疲れてるのかもな」
特にそんなつもりはなかったけど、命を狙われたのなんて初めてのことだ。講義中に居眠りするくらい疲れていたとしても不思議じゃない。
「携帯かけても出ないから、もしかしたらと思って来てみたら案の定。まあ、私としては士朗の寝顔が見れたから良いんだけどね」
「……聞かなかったことにしておく。まあ、何にせよ悪かったな」
「いいのいいの。それじゃあ帰りましょうか?」
「ああ」
俺の返事も聞かずに踵を返した伊織に続き、鞄を手にして講義室から出た。
ここは文学部の棟の一つで、六号館と番振りされている建物だ。五階建ての棟で、今俺がいたのが三階。棟の端にある階段を使い階下へと向かう伊織の後を追う。
「真っ直ぐ帰るんだよな?」
階段を下る途中、なぜか無言な伊織にそう声をかけた。
「そのつもり」
階段を下ってる最中なんだから当然だが、振り返りもせずに淡々とそんな返事を返す伊織。どことなく冷たいその口調に違和感を覚えた。いつもの伊織ならもっと明るい口調で話す。これは……そうだ。俺が襲われた時に、相手に向けていた時の口調に近い。いくらかあの時よりは柔らかいが、それでも普段俺に向けるものよりは硬く冷たい感じがする。
「……どこか寄りたいの?」
「いや。そう言うわけじゃない」
――多分、近くに何らかの気配を感じるんだろう。
前世の因縁だが何だか知らないが、相手にだって今の生活があるはずだ。そう考えると、やっぱり昼間とかよりこういう時間の方が手を出し易いんだろうな。なんて、今更ながらに思う。
「士朗」
数瞬思案に耽っていると、伊織が声をかけてきた。
「ん?」
「前に襲われた時の状況って覚えてる?」
その質問の意味をどう捉えて良いのか迷い、直ぐに返事が出来なかった。
「えっと……一応は」
「ごめん。聞き方が悪かったかな」
どうやら俺がどう答えて良いのか分からないと察してくれたらしく、そんな風に言う伊織。
「あの時、普通の空間とは遮断された空間にいたのは分かる?」
「……そう言えば、俺たちの他に誰もいなかったな。しかも、あいつがいなくなった後急に人波の中に放り出された様な感覚だった」
「うん。あれって、俗に言う結界って奴なのよ」
結界……って言うと、ファンタジーとかで良く出てくるアレか。
「その結界も、想刻術って言うので作ってるのか?」
「いいえ。正直、あの結界がどんな仕組みで作られるのかは分からないの。でも確かなのは、近くにあの戦争に関わった前世を持つ人間が二人以上いる時に、誰かが意識すれば作れるって言うことね」
「って言うことは、伊織が傍にいれば俺でも作れるってことか?」
「そう言うこと。まあ、記憶が戻ってない士朗でも作れるかどうかはやってみないと分からないけどね」
「そうか……で、今俺たちはその結界の中にいるのか?」
あの時と同じ違和感はないが、伊織の表情からそうなんじゃないかと思った。
「うぅん。今はまだ入ってないわ」
今はまだ。そんな言葉に僅かに拍子抜けしたものの、しかしいつ結界内に入ってもおかしくない状況なのだと直ぐに気付き気を引き締める。
とは言っても、俺に何か出来ることがあるわけじゃない。出来るとすれば、精々必死に逃げ回って死なない様にすることくらいだろう。
それから俺たちは無言に戻り、ゆっくりと階段を下り終える。そして建物の出入口に差し掛かった瞬間、軽くめまいを感じると同時に違和感を感じた。
「もしかして……」
そんな俺の呟きに、伊織が黙ったまま頷いた。どうやら結界内に入ったらしい。いや、今作られたのかもしれない。俺たちが外に出るのを見計らって……
「士朗はここにいて。向こうが外にいるのは間違いないだろうから」
遮蔽物があった方が安全ってことか。
「分かった」
俺がそう言って頷くと、伊織はどことなく寂しげな笑みを浮かべた。それも一瞬のことで、直ぐに何時になく真剣な表情を浮かべる。それは俺を守りたいと言う気持ちからくるのか、それともリーヴスを守りたいと言う気持ちからくるのか……
いや、今はそんなことを考えるのはよそう。伊織は伊織だ。俺は、あいつを信じていればいい。
そんなことを考えている内に、気がつけば伊織は外に出ていた。想刻術の力なのか、相手の場所を探り当てたのか隣りの棟に向かって駆けている。
刹那、伊織に向かってくる何かが飛んできた。それを目視したのか感じ取ったのかは分からないが、伊織は加速することで飛来物をかわした。飛んできたのが何かは分からないが、それがこの世界の常識で考えうるものでないことは分かった。いや、大した音も立てずにコンクリートが抉れるなんて有り得ないだろうからな。
と、飛来物に視線を巡らせている間に伊織の姿を見失った。どうやら相手は隣りの棟の屋上にいるらしい。想刻術で空を飛ぶことは出来ないらしく、伊織はどうやら中に入って階段から昇る様だ。
この間に相手が何らかの手段で伊織を避けて降りてきたら、俺ってかなりヤバイんじゃないかと思うんだが……
伊織の奴、そこまで考えてるんだろうか。
「……えっと、どちら様?」
ふと首筋に冷たいモノが当たるのを感じ、俺はそんな風に尋ねてみた。
「名乗った所で意味はないが、一応答えてやろう。俺の名はタイラント=レイズワース。別に忘れてくれても構わないぞ?」
なんておかしなことを言う様に苦笑しているが、背後から感じる気配はとてもじゃないが穏やかなものではない。
「で、何かご用でしょうか?」
敬語になってしまうのは、やはり命を握られているからだろうか。いや、どうでもいいかそんなことは。それよりも、今はどうやってこの場を切り抜けるかだ。
「言うまでもないだろう。龍石はどこだ?」
龍石? 何だそれ……
「死にたくなかったら、龍石の在処を吐け。いや、むしろ渡せ」
「と言われても……」
「知らないとは言わせないぞ、リーヴス=リィンハート」
知らない物は知らない。と言いたい所だが、はっきりとそう言っても信用はされないだろう。
推測するに、俺――リーヴスが狙われていたのはその龍石って奴のせいみたいだな。だとしたら、その存在を利用するしか生き残る術はない。
「今は持ってないし、場所を言った所で今解放はしてくれないだろう?」
「当然だ」
と、俺の言葉に背後の男は即答してきた。まあそれもそうか。
「なら言えないな」
「……死にたいのか?」
「まさか。そんなわけないだろう。けど、今俺を殺せば龍石は手に入らない。絶対にな」
これは賭けだ。相手によっては簡単に俺を殺す決断を下すかもしれない。だけど、おそらく龍石の在処を知っているのはリーヴスだけ。なら、この賭けはそんなに分の悪い勝負じゃないはずだ。その証拠に、何も言ってこないし動く気配がない。多分、次の俺の言葉を待ってるんだろう。
「一週間後に用意する。今――いや、今後一切俺たちに関わらないって言うなら、その時にお前に渡す」
「それをどうやって保障する?」
「あんたらがどうなのかは知らないけど、俺にとっては今の生活の方が大事なんだ。それを守る為って言うのじゃ、保障にはならないか?」
難しい理由かもしれない。だけど、少なからずこいつらだって今の生活が大事なはずだ。
「……良いだろう。だが、待てるのは三日だけだ」
「近くにはないんだ」
「……なら五日だ。それ以上は待てないな」
「……分かった。五日後の同じ時間、この場所で渡す。それで良いか?」
「良いだろう」
そう答えて、男は俺の首元に当てていた刃物を下げた。真後ろに感じていた気配も遠ざかる。俺は相手の顔を確認しようと直ぐに振り返ったが、もうそこには誰もいなかった。
「顔は見れなかったか」
まあ、これが交渉材料になる可能性もある。良しとしておこう。
いつの間にか結界を解かれていたらしく、もうあの違和感はなかった。とすれば、伊織も直ぐに戻ってくるだろう。
……はぁ。それにしても、今日は濃い一日だ。外に出た俺は、空を見上げてそんな風に思った……