第四章 龍石【一】
「士朗!」
結界が解かれてから少しして、伊織が慌てた様子で戻ってきた。
ついさっきまで感じていた緊張が解れたのか、俺は全身の力が抜けていくのを感じながらも何とか伊織に手を振る。
「大丈夫!?」
「まあ何とかな」
肩で息をしながら俺の身を案じてくれる伊織に内心感謝の言葉を送りながら、俺はそんな風に答えた。
「まさか二人いたとは思わなかったよ」
少し考えればその可能性は思い浮かんだのだろうが、何だかんだで余裕がなかったんだろう。
「私も、そういう可能性を完全に失念してた。ごめんね……」
なんて弱々しい口調で、俯きながら呟く伊織。
「気にするなよ。何とかなったんだからさ。それに、伊織には十分感謝してる」
「士朗……うん、ありがとう」
どことなく儚い雰囲気で微笑みを浮かべる伊織を見て、思わず胸が高鳴った。
……いや落ち着け俺。相手は伊織だぞ? いくら可愛いって言ったってときめいて良い相手じゃない。
「どうしたの?」
「何でもない」
よし。落ち着いた。
「ところで……どうやって退けたの? 記憶、戻ってないんでしょう?」
「ああ――」
ついさっき襲撃者と交わした言葉をそのまま伝えようとして、しかしその言葉を飲み込んだ。
奴らの求めている物が一体どういう物なのかは分からない。伊織がその存在を知っているかどうかも分からない。それなのに、伊織を巻き込んで良いものかどうか……
いや、それは建前なのかもしれない。俺は、どこかで伊織を――ルナファリスと言う存在を恐れているんだろう。もしルナファリスが龍石のことを知ったら、他の連中みたいに俺に襲いかかるかもしれない。そんな風に、心のどこかで考えてしまった。だから伝えられなかったんだ……
「士朗?」
黙ってしまった俺を見て、不思議そうに声をかけてくる伊織。
……そうだ。俺は何を考えているんだ……俺の目の前にいるのは伊織だ。決してルナファリスなんて言う相手じゃない。俺を見つめる伊織の瞳を見て、俺はそう思えた。
「伊織、龍石って聞いたことあるか?」
「龍石……勿論見たことはないけど、その存在は知ってるわ。もしかして、リーヴスが狙われてた理由が龍石だって言うの?」
信じられないという表情で、伊織はそんな風に聞いてきた。それに対してとりあえず無言で頷き、一息吐いてから言葉を返す。
「さっき、龍石はどこだって聞かれた。どうやら、さっきの連中が龍石ってのを狙ってるのは間違いなさそうだったな」
俺のそんな言葉に、腕を組んで考え込む様な仕草を取る伊織。そんな伊織に、俺は率直に疑問をぶつける。
「龍石って、一体何なんだよ?」
少し長くなるけど、良い? なんて前置きを置いてから、俺が頷くのを見て伊織はゆっくりと話し始めた。
「……龍石は、想刻術の元となった物よ。周囲の存在の想いや願いから生まれるエネルギーを吸収して、強い力を持った石なの。生き物の想いや願いはそもそも強い力を持っているんだけど、普段はそれが外に出ることはないわ。でも魔力を介することによって、その力を放出させることが出来るの。それが想刻術なんだけど……龍石は、元々強い魔力を持っていて、しかも周囲の想いや願いを吸収する性質を持っているから、魔力をある程度扱える人間が手にすれば絶大な力を得ることが出来るわ。しかも……龍石は想いや願いの辿った果てを記憶し続けるの。つまり、その龍石に込められた過去を知ることが出来て、それらから推測される未来を予測する能力もある。そんな凄い物だって聞いてるわ」
長々と龍石について説明してくれる伊織だったが、最終的には曖昧な言葉となっていた。どうやら、ルナファリスも龍石について確かな情報を持っていたわけではない様だ。
「そもそも、龍石なんてほとんど伝説上の物なんだけどね」
「伝説上?」
気にかかったそのフレーズをオウム返しに尋ねる。
「えぇ。その性質とかは記述として残っていたから、想刻術を学んだ人間ならどういった物かは知っているわ。だけど、実際にそれを目にした人間は過去に一人だけと言われているの」
「その一人が記述を残したって言うことか?」
「そういうこと。さっき想刻術の元になったって言ったでしょ? つまり、龍石を偶然発見した人こそが想刻術の開祖ってわけ」
なるほど。龍石の特性を知り、それを扱う術を編み出したのが始まりってことか。
「その龍石はどこかに隠されて、誰にも発見されていないはずなの。それに、他の龍石が見つかったなんて言う話も聞いたことないわ」
「と言うことは、リーヴスが偶然想刻術の開祖が隠した龍石を見つけてしまったってことか……」
「その可能性が高そうね。でもだとしたら、リーヴスが誰かに殺されたとは思えないわね」
それだけ凄まじい物なのだろう。伊織はやけに真剣な表情を浮かべ、再び何かを考え込む。
「それで、結局どうやって退けたの?」
「……言い難いんだけど、龍石を渡すって言った」
「へ?」
今までに見たことないくらい唖然とした表情で変な声を出す伊織。
うん、まあ……やっぱそんな感じの反応するよな……
「何考えてるの!? って言うか、そもそも士朗は龍石の在処を知ってるの!?」
伊織は声を荒げて、俺に掴みかからんばかりの勢いで迫ってきた。
「在処なんて知ってるわけないだろう。そもそも龍石なんて物自体知らなかったんだから」
「だったらな――」
なんで? そう言おうとした伊織の言葉を遮り、俺ははっきりと言葉を紡ぐ。
「それしかあの場をやり過ごす方法が思いつかなかったんだ」
「……ごめん」
俺の言葉に、俯きながら伊織は謝ってきた。自分が不用意に離れたせいで俺が危険な目にあった。そんな風に考えたのかもしれない。
「謝ることなんてないさ。ただ、これからどうするべきか一緒に考えて欲しい」
「それは勿論」
「ありがとう。とりあえず、期限は五日後の同じ時間だ。ここで落ち合うことになってる。って……そういや、この会話は聞かれてないよな?」
監視さててる。そんな話を思い出し、慌ててそう尋ねた。
「多分大丈夫。今は何の気配も感じないから」
「そうか。帰りながらか、帰ってから話した方が良い気もするけど……せっかく監視の目がないなら、今ここで話した方が良いか?」
「うーん……帰ってからにしましょう。例え監視されてたとしても、家の中にいれば聞かれる心配はないだろうから。盗聴器とかしかけられてなければだけど」
「…………」
いや、それはないだろう。と思いたい。
「分かった。なら、とりあえず帰ろう」
「えぇ」
伊織が頷いたのを合図に、俺たちは帰路に着くべく同時に歩き出した……
改めて考えてみると、リーヴスたちが住んでいたのはこことは違う世界だ。となると、そもそもこの世界に龍石なんて物が存在しているのかどうかも怪しい。何せ、ファンタジーな代物だしな。
伊織と今後の対策を考えた後、俺は自分のベッドで仰向けに寝転がりながらそんなことを考えていた。
伊織との話し合いの結果、俺と伊織は別行動を取ることになった。他の連中が襲って来ないとは言い切れないが、それでもあの連中が五日間襲って来ることはないだろうから。と言うのが理由だ。
とは言え、あのエルトリアって奴のこともあるし、俺は外に出ず家で過ごすことになっている。勿論、ただ引き篭もる訳じゃない。明確な手段があるわけじゃないが、何とか前世の記憶を取り戻そうと言う魂胆だ。そうすれば戦うことも出来るし、もしかしたら龍石のことも何か分かるかもしれない。そんな算段だ。
家の中にいれば絶対に安全かと言えばそうじゃないが、そこは伊織が想刻術を使って守りの結界みたいなものを張っておくらしい。
と、その伊織が何をして過ごすのかと言えば、簡単に言えば味方探しだ。前世での戦いはそもそも個人単位の戦いではなく、国と国との戦争だ。俺を――リーヴスを狙っているのが敵国の人間のはずだから、自国の人間だってどこかにいるはず。と言うのが伊織の弁だ。
ただ……もしかしたら伊織も考えているかもしれないが、リーヴスを狙っているのが敵国だけとは限らないと言うのがネックだ。もし自国の軍も龍石の存在に気付いていたとしたら、みすみす放置しておくとは思えない。となると、純粋な味方と言えるのは限られてくる。まあ、元々伊織の――ルナファリスの身近な人間を探すらしいから、おそらく大丈夫だと思うんだが……
とまあそんな訳で、伊織は仲間探しをする運びになった。それと同時に、この世界にも龍石があるのかどうかも探りを入れると言っていた。
俺も伊織も大学を休むことになるが、今はそんなことを気にはしてられない時だと俺たちは理解していた。
伊織には随分と負担をかけることになる。だけど、今は頼らせてもおう。
「……ありがとう」
この場にはいない伊織に向けて感謝の言葉を呟き、俺はそのまま眠りに着くことにした……