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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

帰り道。

作者: 林来栖

「……お願いでございます、ここの戸を、開けてくださいまし、」


「うっぎゃあぁ——!!」


 芳美が低い声でゆっくりとセリフを言うと、男子達は奇声を上げて走って行った。


「なぁんだよっ。聞きたいって言うから、噺してやったのに」


 芳美が男子達に聴かせたのは、母から教わった昔の怪談である。先日、ホラーが聴きたいという女子のお願いに、放課後の教室で披露した。

 芳美の話し方がうまくて怖いと女子達から聞いたというクラスメイトの男子達が、帰り道で芳美に「聴かせて」と言ってきたのだ。


「話、最後まで言ってないじゃん……」


 呆れながら、芳美はランドセルを背負い直し歩き出した。


「ねえ」不意に後ろから声を掛けられて、芳美はびっくりして振り返った。


 薄い茶色の髪に、茶色い目。背丈は芳美と同じくらいだ。

 色白で痩せている。だが、どちらかといえば綺麗な顔をしている。

 同い年だと思うが、見たことのない男子である。


「きみ、誰?」


 ずばりと聞かれて、男子は少し照れたような笑顔を見せた。


「ああ——。僕、つい最近こっちへ転校して来たんだ」


「うちのクラスじゃないよね? 会ったことないもん」


「うん、3組。倉持潤」


 芳美は1組である。5年生は全部で6組。

 1年生から3年生まで持ち上がりで、4年生の新学期にクラス替えになる。なのであまり喋ったことの無い生徒もいる。

 教室は下駄箱に近い方から若い番号のクラスになり、3組は中廊下を隔てた奥だった。


「……ふうん」


 芳美は『倉持潤』と名乗った男子をまじまじと見詰める。

『倉持潤』くんは、困ったようにまた笑った。


「あの、さ。さっきの怪談の続き、聴かせてもらえない?」


「えっ? 聴いてたの?」


 クラスメイトの男子しか周囲には居なかった、と思っていた。

 ちょっと離れて聴いていた、という『倉持潤』くんに、芳美は「そうなんだ」と返した。


「おうちの方向、こっち?」芳美は自宅への道を指す。


「うん。多分おんなじだと思う」


『倉持潤』くんは、またはにかんだ笑顔を見せた。


「いいよ」


 芳美は承諾してゆっくり歩き出した。

 隣を、同じ歩調で歩く『倉持潤』くんに、先程途中になってしまった結末までを話す。


「ほんと、怖いね」


 聴き終わって真顔で言う『倉持潤』くんに、芳美は「そうかな」と軽く言った。


「でも、昔の落語? っていうお話なんだって。お母さんが教えてくれたの。だから、出て来るキャラもみんな江戸時代の人なんだよね」


「だから、よけいに怖い気がするよ。ファンタジーのホラーみたいで」


 そうかなあ、と首を傾げた芳美に、『倉持潤』くんはそうだよ、とちょっと強く言った。


「それに。その娘さんは、きっと恋人が来なくなって淋しかったんだね。大切な人に見捨てられたと思ったのかも。だから、幽霊になって逢いに来たんだ」


「そ——」んな風に考えたことは、なかった、と言い掛けた言葉を、何故か芳美は飲み込んだ。


「『倉持』くんは、幽霊の味方なんだ?」


「う……ん、味方っていうか、なんか分かるっていうか」


 不思議な子だなあと思った芳美に、『倉持潤』くんはにっこりと笑った。


「あ。この先の坂の上が、僕の家」


 芳美は彼が指差した方を見る。緩い坂道は左側に長くカーブしていて、途中の家の樹木が目線を遮っている。


「どのへん?」

 

 訊いた芳美に、『倉持潤』ただ笑った。


「じゃあまた明日ね」


 手を上げると、『倉持潤』くんは小走りに坂を登って行ってしまった。


 ******


 翌日の下校時間。

 芳美を呼び止めたのは、幼馴染で同じクラスの幸祐だった。


「ねえ、昨日の帰り、誰かと話してた?」


「誰かって、幸くん達じゃない」


 怪談を途中まで聴いて逃げた男子の中に、幸祐もいた。


「ちげーよ。俺らが逃げちゃった後に」


「あー。やっぱ逃げたんだ」


「だってほんとに芳美ちゃんの話し方が怖かったから……。って、そのことじゃなくって!!」


 口を尖らせる幸祐に、芳美はわざとニッコリ笑った。


「見てたの?」


「いやその、置いてっちゃったんで、芳美ちゃん、怒ってるかなぁと」


 ポリポリと頬を指で掻く幸祐に、芳美は「べっつにぃ」と横を向いた。


「怒ってないよ。呆れちゃっただけ」


「え?」


「だってそぉんなに怖いお話じゃないでしょ? 昔話なんだし」


「話してる芳美ちゃんは怖くないかもしんないけど、初めて聴いた俺らは怖かったの!! で、誰と話してたの?」


「3組の子」


「え?」


「最近転校して来たって言ってたよ。——『倉持』くんって言ってた」


「へえ……」


 釈然としない、という表情で、幸祐が相槌を打った。

 と。芳美達の後ろから、昨日逃げた別の男子達もやって来た。


「なーに話してんだよ、幸ちゃん?」


「いっつも二人仲良いよなー」


 囃す子達に、幸祐は「ばあかっ!! 俺と芳美ちゃんは幼稚園からの幼馴染なのっ!! 家も近所なのっ!!」と、真っ赤になって反論する。


「ホントにそれだけ?」


「ぜってー芳美ちゃんが好きなんでしょ?」


「うっ……、うっせーなっ!!」


 幸祐が向きになって揶揄う男子を捕まえようとする。男子達は口々に囃し立てながら、幸祐の手を掻い潜って逃げる。

 たちまち始まった鬼ごっこに、芳美はため息をついた。


「あーもう……。これだから男子は」


 騒ぎながら帰り道を駆けて行く幸祐達を見送って、芳美はランドセルを背負い直した。

 と。


「また、置いてかれちゃった?」


 振り向くと、『倉持潤』くんが笑っていた。


「今日も会えたね?」


「うん……。ねえ」


 お家はどこ? と訊きかけた芳美を遮って『倉持潤』が話し始めた。


「昨日芳美ちゃんに聴いた話、僕のお祖父ちゃんにしたら、そんなに上手なら聴きたいって言うんだ。ちょっとだけ僕ん家寄ってってくれないかな?」


 いきなり『お祖父ちゃん』という言葉が出て来て、芳美は少し驚く。


「『倉持』くん、お祖父ちゃんと暮らしてるの?」


「うん。僕の家族、お祖父ちゃんと暮らすためにこっちに来たんだ」


「そう、なんだ。で、お家って、坂の上?」


「……一緒に来てくれたらわかるよ」


 行こう、と、『倉持潤』くんは芳美の手を取った。

 途端。

 芳美は頭がぼうっとして来た。

『倉持潤』に手を引かれるまま、彼の家があるという坂道、地元っ子が『幽霊屋敷の坂』と呼ぶ道を、ふらふらと登って行った。


 ******


 散々クラスメイトと鬼ごっこをした幸祐は、芳美をまた置いて来てしまったことに気が付いて、慌てて戻って来た。

 小学校通りの途中、『幽霊屋敷の坂』とT字路になるところで。

 幸祐は芳美が『何か』に引っ張られるように早足で坂を登って行くのを見つけた。


 「芳美ちゃんっ!!」


 幸祐の呼び掛けに、だが芳美は見向きもしない。

 おかしいと思い、芳美の後を追って『幽霊屋敷の坂』を、幸祐も上り始める。

 すぐに追い付く、と思ったが、芳美との距離は全く縮まらない。

 焦って、幸祐はランドセルを道端に放り出し、思い切り駆け出した。


「おーい、幸祐?」


 背後から名前を呼ばれる。幸祐は、声音でそれが坂の一番上の寺『慈恩院』の住職であるのは分かった。

『慈恩院』は、芳美と幸祐が通っていた幼稚園を経営していて、若い住職は手が空いた時に園児達の面倒を見てくれた。


「どうした?」


 猛烈な勢いで坂を駆ける幸祐に、住職がのんびりと訊いてくる。が、幸祐は今はそれどころではない。

 どんどん上へと行ってしまう芳美に追い付こうと必死だった。

 全力疾走し、漸く芳美に手が触れそうな距離までになる。

 と。

 その時になって、幸祐は芳美が黒い靄の塊に手を引っ張られているのに気が付いた。


「芳美ちゃんっ!!」


 もう一度大声で名前を呼ぶ。

 すると。

 靄からすうっ、と顔が現れた。

 自分と同い年と思われる、少年の顔。しかしその顔は、どす黒く、恐ろしいほどに痩せている。

 芳美の、空いているもう片方の手を掴もうとした幸祐に、少年は落ち窪んだ目をぎょろりと向けた。


『何シニ来タ』背筋が凍るような、不気味な声。


 それに怯まず、幸祐は言い返した。


「よっ……、芳美ちゃんを、返せっ!!」


『嫌ダ』


 短く拒否した少年は、さらに芳美を強く引っ張る。傾いだ芳美の身体が、そのままずるずると靄に囚われる。

 取り込ませまいと幸祐は芳美の手を掴み、引いた。

 その時初めて、少年の行き先が『幽霊屋敷』なのに気付く。

 壊れた鉄格子門の内側へ、芳美を引き込もうと少年の靄が動く。


「うっ……、くっ!!」


 物凄い力で芳美を引き摺る靄に、このままでは芳美の腕が千切れてしまうのでは、と幸祐は怯んだ。

 幸祐が放しそうになった芳美の手を、しかし別な大きな手がしっかりと掴んだ。


「芳美ちゃんっ!! しっかりしなさいっ!!」


 住職だった。


 ******


 自分の名前を呼ぶ声に、芳美は我に返った。

 眼前に『幽霊屋敷』の壊れた鉄格子の門があるのに、パニックになる。


「い——っ!! いやぁ!!」


 芳美は靄に掴まれた手を振り逃れようとする。が、『倉持潤』はがっちり掴んでいて放してくれない。

 しかも。

 靄から現れた『倉持潤』の顔は、頭蓋骨に薄茶の髪が僅かにくっついただけの、不気味なものだった。

 あまりの恐ろしさに声を失った芳美に、骸骨がケタケタと笑った。


『怖ガラナクテモイイヨ? 僕トオ祖父チャンニ、昨日ノオ話ヲシテクレレバ帰スカラ』


「芳美ちゃん!! バケモノの言うことを信じるなっ!!」


 叫んだ幸祐を、骸骨が嘲る。


『コノママ芳美チャンヲ引ッ張ッテルト、身体ガ千切レチャウヨ?』


「幸祐っ、絶対に手を離すなっ!!」


 住職が言うのに、骸骨はうるさそうに返した。


『面倒クサイナァ。大人ハ邪魔』


 靄から大きな『手』がにゅっと伸びると、幸祐と一緒に芳美を掴んでいた住職の頭を物凄い勢いで叩いた。


「うおっ!!」


 住職は横方向にすっ飛んだ。

 大人の力があって何とか抑えられていたが、幸祐の力だけでは『倉持潤』の力に抗し切れない。

 あっという間に、芳美は靄の中に取り込まれた。


「幸ちゃ……っ!!」


 助けを求めて幼馴染の名を呼んだ芳美だったが、また意識を失った。


 ******


 それから後のことを、芳美ははっきりと覚えていない。

 住職が屋敷の中で倒れていた芳美を見つけ、救急車を呼んでくれ、幸祐は芳美の母親に急ぎ連絡してくれた、らしい。

 芳美は近くの総合病院に一週間ほど入院したが、転倒したらしく、後頭部に軽い傷と鬱血があった程度だった。

 自分が倒れていた時のことを幸祐に尋ねたが、どうも肝心のことは教えてくれていないようだった。

 それからさらに二ヶ月ほど経った頃。

 警察官が芳美の家へやって来た。


「でさ。あの屋敷、本当に『倉持』って人の家だったんだって」


 同じように警察官にあの時のことを訊かれた幸祐は、その時に教えてもらった話をクラスメイトに話した。


「じゃあ、見つかった子供の死体って、芳美ちゃんが言ってた……」


「うん。『倉持潤』って子だって」


 幸祐と住職は、芳美を見つけた時の話を本人には知らせないと取り決めていた。が、芳美に質問した警官は当時の様子を全て本人に話してしまった。


「その子の骨が、芳美ちゃんに抱き付くみたいにしてたんでしょ?」


「うん……」


 幸祐はその光景を思い出し、身震いする。

 骸骨はしっかりと芳美にしがみついていて、住職と幸祐、救急隊員の4人掛かりでどうにか外した。

 あのままにしておいたら、きっと芳美は『倉持潤』に締め殺されていたかもしれない。


「それ聞いちゃって……。芳美ちゃん、今どうしてるの?」


 クラスメイトの質問に、幸祐は答えられなかった。

 芳美はショックのあまり、完全に精神を病んでしまった。

 現在は、母親と一緒に東京の精神科の病院に入っている。

 時間が経てば治るかもしれない、と、幸祐は両親から聞かされた。


 ——時々、黒い服を着た茶色っぽい髪の男の子が遊びに来るの。


 一度だけ面会に行った折、芳美は、にこにこと笑いながら言った。


 ——その子ね、『倉持潤』くんっていうんだ。


                                      了



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― 新着の感想 ―
[良い点] 怪談は時と場所をわきまえて、って奴ですが。帰り道にするのは確かに「同類」と思って寄せ付けそうですが、何故か今回1200作の中で見た記憶ありません。 しかし、住職をもはねのけるとは。 [一言…
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