いつの間にか姉妹関係を結ばれていた
アレックスに会いに行かなくなって三ヶ月。あれから何度かアレックス本人がやって来たり手紙が来たりしていたけれど本人には一度も会わずに追い返した。
手紙だけは受け取って読んでいたけれども、最初の方はクリスティアナを責めるような文調だったのが、最近では段々と弱腰の文章になってきていた。
それでもマリーアンと別れるという一文はどこにも見られなかった。
恐らくアレックスはまだマリーアンと別れてはいない。アンジェリカはああ言ってくれていたが、もし二人の意思が強固だった場合第二夫人は無理としても愛人としては認めなければいけない日が来るかも知れないと心の隅で考え始めていた。
そんなある日、友人のローラが主催するお茶会に参加した折り、ローラの友人からおかしなことを言われた。
「あの、クリスティアナ様は妹の方はお作りになられないのですか?」
この場合ご令嬢方の言う妹とは本当の妹ではなく、最近社交界で流行っている疑似姉妹関係である。仲の良い女性と姉妹関係を結び、二人は姉妹のように特別な仲だと周囲に認知させる。
シャペロンのような正式的なものではなくもっと年齢の近い女性同士の軽いお遊びのようなものだが、身分の低い女性にとって高位女性と姉妹関係を結べれば上位貴族のパーティーにお供出来たりと何かとお得になることが多いので、積極的に申し込む人が多かった。上位貴族の方も侍女が入れないパーティーで代りに細々したことをやってくれる姉妹の存在はありがたく積極的に何人も受け入れる人もいたが、クリスティアナは自分の事は自分で出来るし、元々パーティーに出るのも好きではなかったので妹や姉のために出席しなければならない状況になるのが嫌だったので作っていなかった。
アンジェラとは仲が良かったがお互い自由の上に成り立っている関係の為積極的に結ぶメリットをお互い感じていなかった。仮にでも絆を作れば煩い志願者避けにはなるだろうが、パーティー等で一人参加をすると途端に姉妹の仲が良くないのではと噂になるので、お互い志願中と言葉を濁していた。
「ええ、良い方が多すぎてまだ迷っているのよ」
いつも通りありきたりな言葉で断りの言葉を述べるが、普段ならこの言葉に引き下がる筈のご令嬢がいつになく食い下がってきた。
「でも、姉はお作りになられましたよね?それなのに妹はまだお作りになられないのですか?クリスティアナ様のお立場ですと姉よりも妹がいた方が便利ではありませんか?」
だから自分を妹にと言いたいのだろうが、その言葉にクリスの眉がいぶかしげに寄せられた。
「私は誰とも姉妹関係を結んではいませんよ」
「え、でも・・・。皆噂してますよ。クリスティアナ様が姉を作られたって」
「どなたとです?」
「えっと、ブラウン男爵家のマリーアンさんと」
「!!!」
衝撃で持っていたカップを落としてしまった。
落ちたカップは幸い割れることはなかったが、芝生の上を濡らしながら半回転して止まった。
侍女達が急いでやって来て落ちたカップを拾い上げ、ドレスに飛び散った汁を綺麗に拭き取ってくれた。お礼を言いつつ、ご令嬢に向き合った。
「それは、何かの間違いです。私がマリーアンさんと言葉を交わしたことは一度だけです。それだけの間柄で姉妹を結ぶだなんてありえませんわ」
「そうでしたか、申し訳ございません。私の勘違いです」
いつも穏やかなクリスティアナがきつめな声を出したことでご令嬢が怯えてしまった。
内心しまったと舌打ちし、その後はいつもより気をつけて穏やかな声と表情を心がけた。
「いえ、教えて下さってどうもありがとう。どうしてそんな変な噂が出たのか本当に不思議ですわ。あなたはどこでその話を聞いたのかしら?他にも聞いた方はいらっしゃる?」
笑顔で話しかければご令嬢は頬を染めて知っていること全てを話してくれた。
噂はどうやら下級貴族の令嬢を中心に回っていたようだった。
クリスティアナの友人は上級貴族ばかりで下級貴族の妹を持たない人がほとんどだった為、気付くのが遅れてしまった。
貴族間で噂になった以上早々に火消しをしないと面倒なことになってしまう。
嫌々ながらクリスティアナはアレックスに連絡を取ることにした。
翌日アレックスの館では満面の笑顔のアレックスとマリーアンが揃って待っていた。
「やあやあ、待っていたよクリス。君から連絡を貰えるなんて嬉しいよ。ささ、こっちに座って」
案内されたのは上座ではあったが、やはりマリーアンとアレックスはクリスの向かいに仲良く並んで座った。
「この間の件、やっぱり考え直してくれたんだね。クリスは優しいからそうなると思っていたよ」
何を勘違いしたのかクリスがようやく折れたと思い込んだアレックスは上機嫌で紅茶を飲んでいた。そのご機嫌な顔が憎たらして、舌が火傷する位カップのお茶が熱くなれと心の中で念じた。当然そんな力はクリスにはなくアレックスは満足げに飲み終えカップを置いた。
クリスはアレックスの顔を見たくなかったので、彼を無視してマリーアンをひたと見つめて言った。
「最近貴族女性の間で変な噂が出ていると耳にしました。あなたはご存じですか?ブラウン男爵令嬢」
本題をズバリと切り出したのだが、マリーアンはくりくりとした瞳を不思議そうに見開いて訊ねた。
「噂ですか?さあ、いつも皆色んな噂をしているのでどのことでしょう?」
当然知っているだろうにとぼける所がアレックスとは別のベクトルで憎らしい。
「私とあなたが仲良しで姉妹関係を結んだという噂です」
クリスが答えると、マリーアンは黙り込み、アレックスは「へーそうなんだぁ」と暢気に相づちを打った。
クリスはアレックスを目線だけで黙らせた。
「なぜそんな噂が出たのでしょうね?私はブラウン男爵令嬢と姉妹関係になった覚えは一切ないのですが」
「ブラウン男爵令嬢だなんてそんな他人行儀な呼び方しなくて良いよ。マリーアンだってば。マリーでも良いよ。ねっ」
クリスの怒りが理解出来ないのかアレックスが天然発言をしてくる。
アレックスの発言は無視して元凶のマリーアンに会話を戻した。
「あなたがそんな嘘を周囲に言いふらしたのですか?事と次第によってはあなたの後見人を務めていらっしゃる伯爵家にも話をさせて頂くことになりますけれど。よろしいですか?」
事を大きくするという宣言にマリーアンの顔が真っ青になった。
「ちょっと待った。そんな大げさな事じゃないじゃないか。姉妹関係なんてご令嬢方のお遊びみたいなもんだろう?しょっちゅうあっちで結んだこっちで解消したなんてやってるじゃないか」
男性陣は女性の姉妹関係を馬鹿にしているところがあって、アレックスも貴族女性の可愛いお遊びだと認識しているようだった。
それに関してはクリスも否定はしないが、自分の名誉がかかっているのならば別だ。自分の婚約者の愛人と姉妹関係を結んだとなると周囲から嘲笑されるのは目に見えている。
「いくらお遊びだからといえ、勝手に姉妹関係を結んだと虚言を言う方は社交界からつまはじきにされても文句は言えません。姉妹関係を結んだと周囲が認識すれば姉や妹にはそれ相応のメリットを得る訳ですから。ブラウン男爵令嬢にも私との噂が広まってから今までお付き合いのなかった方々から招待状が送られてきているのではないですか?」
正解だったらしく、ビクリとマリーアンの肩が震えた。
そうなの?とアレックスが訊ねるとマリーアンは素直に頷いた。
それを聞いたアレックスの顔が喜びに満ちた。
「良かったじゃないか、マリー。これを機に君の魅力を皆が分かってくれるようになるよ」
話を聞いていなかったのか聞いてても理解しなかったのか、アレックスはマリーアンの両手を握りしめて良かった良かったと上下に振り回している。
「良くありません。私の方でも否定に回りますが、ブラウン男爵令嬢の方でも早々に誤解だったと皆に伝えて下さい」
本当は勝手に名前を使った事へのペナルティも加えたいところだが、アレックスの前でキツい処罰をするとまたマリーアンへの同情が増してしまうことを恐れてクリスは火消しすることだけで我慢した。
しかしそれを聞いたマリーアンは不安そうな顔でアレックスを見つめ、「そんな」と小さく震えてその胸にすがりついた。
マリーアンに頼られたアレックスは漢気を出して鼻息荒くクリスに文句を言った。
「別に良いじゃないかその位。たかがお遊びなのにそんなにムキにならなくても。姉を作ったところでクリスには何のデメリットもないだろう?それなのに強固に否定したらマリーは今後社交界で大きなダメージを受けてしまうんだよ。可哀想だと思わないの?」
「自業自得では?」
「クリス!」
冷たい回答にハァ~とアレックスは大きなため息を吐いた。
「じゃあせめて姉妹関係を結んだけれど、すぐに解消したということにしたらどう?それならお互い傷つかずに済むんじゃない?」
「お断りします」
他の令嬢が嘘を吐いたのならばその令嬢の未来のためにその方法を使うことを考えないこともなかったが、マリーアンだけは別だった。その提案を受け入れた後でもしマリーアンがアレックスの愛人だと周知されてしまったら・・・醜聞の大好きな貴族社会でどう噂されるか想像に難くない。
婚約者に愛人を紹介されて愚かにも姉妹関係を結んでしまった公爵令嬢。もしくは信頼していた姉に婚約者を奪われてしまった見る目のない令嬢。大体こんな所だろう。表だっては妹の男を取ったマリーアンが悪いと言うだろうが、対立貴族などはこれ見よがしにクリスをバカにすることだろう。貴族社会ではほんの少しの隙も見せてはいけないというのに、好き好んで地雷に足を踏み入れる愚かな真似はしたくない。
しかし侯爵子息として甘やかされて育ったアレックスにはクリスティアナがそんな状況に陥る事が想像できないのだろう。頑なに拒否する姿を見て不満げに唇を尖らせた。
「クリスはどうしてマリーにだけそんなに意地悪になるの?彼女は僕の大切な人なんだよ、もっと思いやりを持ってくれてもいいんじゃない?」
「嘘を吐かれた私には思いやりを持ってはくれないのかしら?」
「そこにこだわってるようだけど、マリーとクリスはどのみち家族になるんだからあながち嘘じゃないじゃないか。少し時期が早まっただけだよ。マリーもそう思って言っただけだよね?」
マリーアンはコクコクと小さく何度も頷いた。
「私、あの時いつものように髪型とかドレスとかを他の令嬢方に馬鹿にされて悔しくて。だから私を笑うのはクリスティアナ様を笑うのと一緒よってつい言ってしまったの。私達は家族になるから姉妹も同然だと思って。でもまだ家族になるのは内緒だから曖昧に言葉を濁していたら、皆が勝手に姉妹関係を結んだって勘違いしちゃって。訂正することも出来なくて。だって本当の事を話したらクリスティアナ様にご迷惑がかかってしまうでしょう?」
「マリー!君は本当に優しい子だね。なぜこんなに優しい君を皆が虐めるのか僕には理解出来ないよ。これはあれだね、皆が君の美しい心に嫉妬をしているに違いないね。貴族社会に染まってしまった彼女達はいつまでも清らかな心を持ち続けている君を穢したくてたまらないんだよ。でも大丈夫、これからは僕達で君を守って上げるからね」
ポロポロと泣くマリーアンの頭を優しく撫でてアレックスは同意を強制するかのような瞳でクリスを見つめてきた。
クリスはその視線を拒否するように顔を背け、キツく拳を握った。
(僕達って何?もしかして私も彼女を守る騎士の一人だってこと?大体今の説明でどうしてマリーアンが被害者の立場になるの?彼女は嘘を吐いた加害者で被害者は私でしょう)
爪が食い込んで手の平から血が滲んだ。
「勝手なことを言わないで。あなたがブラウン男爵令嬢を庇うのは自由だけれど、私は過去も未来も無関係よ。私達は姉妹じゃないし家族にもならないわ。3ヶ月猶予を差し上げます。それでもまだこの噂が流れているようでしたら、あなたには解決が無理だったと判断してこちらで対処致します。その際あなたの立場がどうなろうと関知しませんが、よろしいわね?」
念を押して言うと、マリーアンはますます大声を上げて泣いた。
「クリス!」
アレックスが怒ってクリスを止めようとするが泣いているマリーアンを放っておくことも出来なかったようで、困ったように二人の顔を見比べるアレックスを尻目にクリスは屋敷を後にした。