持つべきものは友
アレックスとマリーアンの前では強がって婚約破棄などと言ってみたものの、クリスティアナは父に報告することを渋っていた。
アレックスとの婚約は母とアレックスの亡き母が親友だったことが縁で結ばれた婚姻であり、父自体は常に弱腰のアレックスを気に入ってはいなかった。恐らく今回の事を報告すればすぐにでも婚約破棄の手続きがされてしまうだろう。アレックスのことが未だ好きなクリスティアナはそれだけは避けたかった。
思えば二人は幼少期からの付き合いで恋人関係といった甘い雰囲気が流れたことはなかった。アレックスの方が2歳年上ではあるが、小柄で怖がりで小心者だったアレックスとの関係はどちらかというと兄と妹というより姉と弟に近かった。甘やかな恋人関係を味わったことのないアレックスにとってこれが初めての恋なのだろう。今彼の目はマリーアンしか見えなくなっている。
もう少し時間をおいて蜜月期を過ぎれば冷静さを取り戻して自分がどんなに馬鹿げたことを言っていたか判断がつくようになるはずだが、恋に盲目になっている今それを言ってもアレクの頭には入らないだろう。
クリスに出来ることは出来るだけアレックスとは顔を合わせずに過ごすことだけだった。
婚約を解消するつもりは毛頭ないがそうでも言わないとアレックスは自分の意見を絶対に曲げないだろうし、いつだって彼の尻拭いをしてきたのはクリスティアナだったから、アレックスの中で自分の望みをクリスティアナが叶えない筈がないという謎の自信が彼の中でどうもあるようだった。
好きな人の願いは出来ることなら叶えて上げたいが、叶えられる願いと叶えられない願いがある。好きな人を誰かとシェアする余裕はクリスにはない。幸いマリーアンに溺れていてもクリスと婚約破棄をするデメリットは理解しているようだったから、強引に話を進めることはしないだろう。
そうクリスは頭の中で計算するとふっと小さくため息を吐いた。
今のマリーアンなら頑張ればまだどこかの貴族男性の正妻を狙うことは出来る。でもクリスとアレクが結婚する予定の2年後まで二人の付き合いが続いたのならどうなるだろうか。さすがに狭い貴族社会で2年も婚約者のいる男性と恋人関係でいれば皆が彼女をそういう存在だと周知する。そんな状態でクリスがマリーアンと手を切れと言った所で新たに彼女を正妻に貰う男性なんて現れる可能性は低いだろうし、あの優しいアレックスがそれを分かっていて頷くとは思えない。
貧しい貴族男性の正妻になるくらいなら裕福な貴族の愛人になった方がマシだと考える女性は少なくないし、マリーアンがそれを狙ったのだとしたら優しく優柔不断でお金持ちのアレックスはまさに格好の獲物だったことだろう。
今までそういう女性に引っかからなかった方が奇跡な位だ。
目を瞑り頭痛がするこめかみを押さえて調査書を広げる。
アレックスに爆弾発言をされてからひっそりと人を使って調べたマリーアンの調査書は酷いものだった。実家は南部地区の田舎町に領地もなくこじんまりとした家が一軒。自給自足で暮らしており、一言で言えば貧乏だった。通常16歳で社交界デビューするところ彼女は2年遅れて18歳でデビュー。それも父方の妹の嫁ぎ先の従姉妹というかなりの遠縁を頼って上京。おかげで特に社交界デビューに力を入れて貰ったわけでもなく、親戚のお下がりのドレスで何度か下級貴族のパーティーに参加していたようだ。
元彼のチャールズは美人であれば出自は問わない事で有名だから、恐らく下級貴族のパーティーにもしょっちゅう顔を出し、そこで知り合ったのだろう。
現在彼女がお世話になっている家に圧力を掛けることもできたが、元々縁は遠いようだし伝えても簡単に放り出されてお終いだろう。
大人しく家に戻って縁が切れれば良いが、あののぼせようではアレックスが探し出して保護しようとするだろう。さすがに侯爵がマリーアンを屋敷に住まわすことを許すとは思えないから、アレックスがどこかに匿う羽目になる。
結局なし崩し的に愛人関係が結ばれてしまう。
侯爵に話を通せばアレックスの個人資産を凍結させて彼女を囲うことは阻止出来るかもしれないけれど、あの真っ直ぐな気性のおじさまにそんな話をすれば間違いなくアレクに鉄拳制裁の上お父様と私の前に謝罪に訪れるだろう。そして結局お父様の手によって婚約破棄されてしまう。
結局はあの二人が自発的に別れることを選択してくれなければアレクとクリスは別れるしかないのだ。
あの二人の蜜月状態だった姿を思い出してクリスティアナは胸が石を飲み込んだように重くなった。
クリスはこのことを誰にも相談出来ないままずるずる時間だけが過ぎていった。専属侍女に「お嬢様どこか具合でもお悪いのですか?お痩せになったようですが」と心配されたが笑って誤魔化した。
気の置けない友人達と楽しくお茶会をしていた時も笑いながら、クリスの頭の片隅にはアレクとマリーアンのことが重くのしかかっていた。
お茶会もお開きになり後は帰るだけとなった時点でクリスの腕を親友のアンジェラが掴んだ。
「?」
「クリス、少しだけお時間貰えないかしら?渡したい物があるのよ」
「? ええ、良いわよ」
「じゃあ私達は先に帰るわね」
「ええ、今日はありがとう。とても楽しかったわ、また会いましょう」
友人達を笑顔で見送った後、アンジェラが真顔で振り返った。
「で、何があったの?ああ、ダイエットなんて嘘は結構よ。痩せたとやつれたの違いが分からないほど私は愚かではないわよ。もちろん私にも言えないというのなら無理にとは言わないわ。あなたの気持ちが一番だもの。でももし私で何か力になれることがあるのなら言って頂戴。大切な親友が苦しんでいるのを黙って見ていられないのよ」
アンジェラの友を思う優しく温かい言葉にクリスの傷ついて固まっていた心が緩んだ。
「・・・実は」
説明を終えるとアンジェラはうつむいて机を両手で大きく叩いた。
「なにそれ、馬鹿にしているの!?何が第二夫人!?何が少しの我慢よ。あったまきたわ。ちょっと今から二人の空っぽの頭をぶん殴ってくる」
派手な顔立ちに見合った激しい気性のアンジェラは言うなり立ち上がって部屋を出て行こうとした。
それを懸命に引き留めて椅子に戻した。
「待って、大事にはしたくないのよ。分かるでしょ、お父様にバレたら間違いなく婚約破棄になっちゃうのよ」
「すれば良いじゃない、婚約破棄。そんな男にすがる必要なんかどこにもないでしょ。大体ね2歳も年上のくせにいっつもクリスに甘えてなんでもしてもらってきておいて、挙げ句の果てに浮気?ふざけるんじゃないわよ。何様のつもりよ。捨てちゃいなさいよそんな男。どうせ困るのは向こうだけなんだから。クリスには私がもっといい男いくらでも紹介してあげるから安心して」
男女ともに交友関係の広いアンジェラなら頼んだ瞬間条件の良い男性の釣書を山のように持ってくるだろう。
「小さな頃からアレクが結婚相手だって言われて育ってきたのよ。もうアレクは私にとって家族であり人生の一部のようなものなのよ。今更婚約破棄なんて出来ないわ」
「確かにここまで苦労して育てたのに、収穫期に横から何の苦労もしていない女にかすめ取られるのは癪よねぇ」
微妙にずれた回答をしてくるアンジェラ。しかもアレックスを果物か何かと間違えている。
「それにしてもマリーアン。マリーアンねぇ。どこかで聞いたことがある名前だわ」
うーんと考え込むアンジェラ。
「知っているの?どこかで会ったのかしら。でも私達の出るパーティでは顔を会わせたことないわよね」
基本クリスもアンジェラも上級貴族主催のパーティーにしか顔を出さない。マリーアンは下級貴族の人が開くパーティーに主に出ていたようで接点はないに等しい。
「ああ、そうよ。丁度1年位前ブリジットがイズモ子爵のパーティーにお目当ての歌手が出るからって無理矢理連れて行かれた時に会ったのよ。出会い頭私に向かって何やら訳の分からないことを叫んでいたから頭のおかしい女性だと思ってその時は無視したのよ。暗い焦げ茶色でサイズの合ってないドレスを着た冴えない女性だったわ」
「マリーアンは明るいオレンジ色の髪だったわ。人違いじゃないかしら」
「脱色でもしたんじゃないかしら。田舎娘が王都に来てオシャレに目覚めるなんて良くあることじゃない。その子口元のここのところにほくろがなかった?」
ここと指した場所が正しくマリーアンの左下にあったほくろなので頷いた。
「やっぱりね、じゃあその時の子がマリーアンで間違いないわ。でも変ね、その時その子自分には彼氏がいるって言ってたのよ」
「チャールズのことじゃなくて?」
アレックスと付き合うきっかけになった男だ。
だがアンジェラは首を横に振った。
「その時チャールズはベラとオードリーと付き合っていて、カミラにちょっかいを掛けていた時だったから違うと思うわ」
「よく覚えてるのね」
感心していると、アンジェラは嫌そうに眉をひそめた。
「当然よ。あの頃私とチャールズの婚約の話が家同士で出ていたのよ。私あんな浮気男絶対に嫌だから阻止する為にチャールズの交友関係を片っ端から洗い出していたんだもの。よぅく覚えてるわ。それにその時あの子が言った名前もチャールズじゃなかったはずよ。ダニーだかトムだかそんな名前を連呼していた気がするわ」
アレックスでもなくチャールズでもない恋人がマリーアンにいた・・・。
誰なのかしら。
「とにかくマリーアンには恋人がいるんだかいたんだかしたはずよ。私に向かって泥棒猫とか返してとか叫んでいたから」
アンジェラは美人な上、人と接するのが大好きなので彼女の信望者は大勢いる。彼女はその気じゃなくとも勝手に男性から惚れられて女性から敵意を持たれることは少なくない。
いつものことだとアンジェラもマリーアンの存在を頭から早々に消し去っていた。
思い出したのは、マリーアンがトムだかダニーだかの恋人が自分の口元のほくろをセクシーだと褒めてキスしてくれるのだと自慢げに言って、だからアンジェラの色っぽいと評判の目元のほくろなど自分のほくろに比べたら安っぽい子供だましだと声高に叫んでいたからだ。
「その時彼女の腕を掴んで屋敷から出て行った背の低い男性がもしかしたら彼女の恋人のダニーだかトムだったのかも知れないわ」
「その男性を探し出せば何か分かるかしら?」
「何度かパーティで視界の端に入れた事があるわ。見つけたら話しかけてみる。もし私が原因で彼女が恋人と別れてアレックスと付き合うことになったのだとしたらあなたに悪いもの」
「たとえマリーアンが恋人と別れた原因が恋人の移り気のせいだとしても、それはあなたのせいじゃないわ。あなたが誘った訳でも奪った訳でもないのだもの。気にしないで」
「ありがとうそう言ってくれて。でも私、あなたに少しでも迷惑を掛けたくないのよ、あなたは私の大好きな親友だもの。最悪私が彼女に小金持ちの独身男性を紹介するわ。どうせお金持っていれば誰でも良いんでしょうから。真実の愛を語る人ほど苦境に陥いるとあっけなく相手を見捨てるものよ」
私に任せてと優雅に扇子を振ってアンジェラは艶やかに微笑んだ。




