婚約者からまさかの裏切り
「実は好きな人が出来たんだ」
久しぶりに婚約者とカフェデートだと浮かれていたクリスティアナは、出会い頭にとんでもない事を言われて、思わず口に入れた紅茶を吹き出しそうになった。
「君に一番に紹介したくって」
急いで飲み込んだせいでむせたクリスティアナに照れた顔でそう言うと、アレックスは少し離れた席に座ってチラチラとこちらを伺っていた女性をエスコートして戻って来た。
「お初にお目に掛かります。マリーアン・ブラウンです。クリスティアナ様のことは前々から存じ上げておりました。ずっとお話してみたいと思っていて、今日お会い出来たのが信じられないくらいです」
両手を胸の辺りで結んで挨拶をしてくる仕草は上品とは決して言えないが可愛らしいと受け取る男性は多いだろう。案の定アレックスも目尻を下げてマリーアンに微笑みかけた。
「ふふふ、そんなに興奮しなくてもクリスは逃げないから少し落ち着いたら?」
「あん、やだもうアレク様ったらすぐ私の事馬鹿にするんだから」
怒った振りをしてポカポカとアレクの肩の辺りを叩くマリーアンに笑いながら痛いフリをするアレックス。
いきなり始まった婚約者と見知らぬ女のラブシーンもどきを見せられる羽目になったクリスティアナは頭に盛大な疑問符を浮かべた。
・・・これは一体何事なのかしら?
突然恋人同士の背景に成り下がったクリスティアナは、二人の世界に流れる甘い空気を壊す為に軽く咳払いした。それに気付いた二人はようやくクリスの存在を思い出したらしく、カフェのメイドさんを呼んでマリーアンのお茶をこちらのテーブルに移動してもらったところで、アレックスが話を続けた。
「えーっと、さっき自己紹介をしてもらったけど、彼女はマリーアン・ブラウン。ブラウン男爵家のご令嬢なんだ」
「そうですか」
席順はなぜかクリスの向かいに婚約者のはずのアレックスとマリーアンが仲良く並んで座っている。
嫌な予感が氷のようにクリスの肌を刺した。
「彼女と知り合ったのは2ヶ月前なんだけど、元々はチャールズの彼女で、彼に紹介されたんだ」
クリスの頭の中で女癖の悪いアレックスの悪友の顔が浮かぶ。
チャールズは伯爵家の次男でそこそこ顔も良く何より女性にマメなおかげでとてもモテていた。本人も自分の魅力を分かっているから一人に絞らず、複数の女性と同時進行して人生を楽しんでいた。真面目な女性は彼には近づかず、自然と彼の回りに集まるのは同じくらい貞操が緩い女性か、田舎から出て来たばかりで何も知らない純情な女性かのどちらかだった。
果たしてマリーアン嬢はどちらだったのか。
少なくともアレックスの横で座っている姿は汚れを知らない可憐な一輪の花のようだった。
「ところがチャールズはその時他の女性とも同時に付き合っていたらしくて、運悪く同時進行していた女性が伯爵令嬢だったものだから、そのご令嬢の友人方にいじめられてしまってね。ワインを掛けられてドレスが台無しになって泣いているところを僕が通り掛かったんだ」
その時のことを思い出したのか、マリーアンは泣き出してアレックスの胸にしなだれ込んだ。
アレックスも抱きしめ返して優しくマリーアンの頭を撫でた。
「それで、慰めているうちにお二人の間に愛情が芽生えてしまったということですか?」
これ以上見ていられなくて予想したことを告げると、アレックスに驚いた顔をされた。
「凄いね、これだけしか言ってないのに良く分かったね。流石クリスだ」
(流石クリスじゃないわよ。誰が聞いても簡単に想像出来るベタな展開じゃないの)
「では、話というのは私との婚約を解消をしたいということですか?」
この二人の前では絶対に泣くものかと極めて落ち着いた声でこちらから切り出したら、キョトンとした顔をされた。
「えっ、何で?僕は君と婚約解消したいなんて思ったことはないよ」
「? でも先程マリーアンさんがお好きだと」
「うん、そうだよ。僕はマリーアンを愛している。でも君との結婚は小さな頃からの約束だ。破るわけにはいかないよ」
はい?
意味が分からなくて首を傾げると、なぜかマリーアンも真似して首を傾げてきた。
何故真似をするのかしら?気味が悪くてクリスティアナが首を元の位置に戻すとマリーアンも元に戻した。
「ではマリーアンさんを愛人にしたいというご相談でしょうか?」
貴族に正妻とは別に愛人がいるのはよくあることだった。
政略結婚と恋愛は別と考える風潮のせいだ。
それでも最近の若者は恋愛結婚を重視する人が大分増えたし、アレックスの両親も恋愛結婚で結ばれた二人だったから、アレックスも恋愛結婚派かと思っていた。
意外だと思っていると、アレックスはわざとらしく怒った顔をした。
「僕は愛する人を日陰者にするつもりはないよ。ちゃんとマリーアンとも結婚する」
「では私を愛人にするおつもりですか?」
公爵令嬢で政略結婚の相手のクリスティアナを愛人にする訳がないのだが、意味が分からなくてそう訊ねると、そちらも首を振られた。
「クリスを日陰者にしたら僕はお父様や公爵様にボコボコにされてしまうよ」
「ではどうするおつもりですか?我が国は基本一夫一婦制ですが」
クリスティアナとマリーアン二人同時に結婚する方法なんてない。一体どうするつもりなのかと思っていると、アレックスは勝ち誇った顔をした。
「物知りのクリスでも知らないことがあるんだね。一夫二婦制にする方法があるんだよ。僕とマリーアンで過去の事例を沢山調べたんだ。そこで見つけたんだよ、僕たち3人で結婚出来る方法!」
どうりで最近ずっと家を空けていたはずだ。クリスが手紙を出して訪問してもいつも留守だった。
彼の専属侍従が仕事が終わらないんです。これは緊急案件だって何度も言ったのに、僕の目を盗んで逃げ出してしまってとクリスの目の前で泣くものだから、仕方なく代わりに仕事を片付けていたというのに、まさかの浮気をしていたとは。
クリスティアナが呆れて見ているのを何と勘違いしたのか、アレックスは鼻の穴を膨らませて説明し出した。
「僕たちが調査した結果、この国では10年で3件の貴族が重婚していた。3件もだよ。その理由はズバリ、子供の存在だったんだ。神殿は基本一夫一婦を推奨しているけれども貴族は血を残す義務があるから、愛人に子供が出来ると第二夫人として特例で認められるんだ。ここまで言えばもう分かるだろう、この方法を使えば、僕たち3人も仲良く結婚出来るって算段さ」
どうだとばかりに胸を張るアレックスになぜか拍手をしているマリーアン。
ワンコ系の彼をいつもは可愛いと思うのに、この時ばかりは棒で殴ってしつけたいとクリスは思った。
「まあ暫くはマリーアンも愛人という立場になってしまうけれど、妊娠するまでの我慢だし、実質は第二夫人であることに変わりはないから、今日君に紹介しようと思ったんだ。結婚したら同じ屋敷に住むわけだし、僕たちはもう家族だからね。早めに顔合わせしておいた方が良いと思って」
アレックスの満面の笑顔にマリーアンも笑顔で答える。
「クリスティアナ様。ふつつか者ですがどうぞ末永くよろしくお願い致します」
マリーアンがしおらしく頭を下げてくるが、クリスが受け入れる言われはない。
「お断り致します」
冷たく言い放った言葉が予想外だったのか、笑顔で見守っていたアレックスが目をまん丸にした。
アレックスはなぜ自分が喜んで受け入れると思ったのか、クリスにはそちらの方が疑問だった。
「そんな・・・やはり私の身分が低いから認めて貰えないんでしょうか。侯爵令息であるアレク様には相応しくないと・・・」
フラフラと力なくマリーアンは崩れ落ちた。
華奢な肩が震える様は庇護欲をかき立てるには十分だった。
「泣かないでマリー。クリスはまだ君のことを知らないだけだよ。君の良さを知ればちゃんと分かってくれるはずだから」
そうマリーアンを慰めながら、咎めるような目でアレックスはクリスを見た。
(なぜ、私がそんな目で見られないといけないのかしら)
被害者は浮気をされたクリスのはずなのに、なぜか泥棒猫のマリーアンが被害者のようなポジションに治まっているのが理不尽だとクリスは思った。
「誤解なさらないでマリーアン様。私はあなたがアレックスに相応しくないなどと思ってはおりません。むしろ愛し合っているならばお二人はご結婚なさるべきだと思っております」
「本当ですか?」
先程まで泣いていた涙はどこに行ったのかと問いただしたいほど嬉しそうにマリーアンが顔を上げる。アレックスも満面の笑顔でクリスの顔を見上げた。
「ほらね、だから僕が言っただろう、クリスは優しいから何も心配することないって」
先程とは打って変わって満足げな顔でいきなりクリスを持ち上げるアレックスに、じゃあ先程の咎める目は一体何だったのかとクリスはつつきたくなったが、今はそれどころではないと話を進めることを優先した。
「お二人がご結婚なさるのはお二人の問題だからお好きになさって下さい。ですがそうなされた場合私はアレックス様との結婚はお断り致します。アレックス様の不貞による婚約破棄ですから慰謝料その他は後に我が家から連絡させて頂きますのでどうぞご自由に」
話は終わりとばかりに立ち上がろうとするとアレックスが素早く目の前に立ちはだかった。
「待ってくれ、どうして僕とクリスが婚約解消しないといけないんだ。僕はちゃんと君と結婚するって言ってるじゃないか」
「私と結婚してその後でマリーアン様とも結婚なさるのでしょう?」
「あ、いや。結婚式はマリーアンの方と先にしようと思ってる」
ハア!?
クリスの無言の怒りを感じてアレックスは慌てて言い訳をしだした。
「いや、君との結婚は家と家同士の結婚だから準備にも時間が掛かるし、大がかりになるだろう?君は16歳になったばかりだからどんなに急いでも結婚は後2年は先になるし。マリーアンは今19歳だからそれより後になると結婚適齢期を過ぎてしまって可哀想じゃないか。それに何より僕と一刻も早く結婚したいって言うし。先に彼女と身内だけの結婚式を挙げようかと思って。あ、もちろん君にも僕の第一夫人として出席してもらいたいと思ってる」
マリーアンが19歳だったことを初めてクリスは知った。小柄で童顔のせいで同い年くらいかと勝手に思っていた。
アレックスは顔だけみればそんなに悪くはない。若干頼りない感じはするが、柔らかいミルクティー色の髪と同じ色の瞳は優しげで、なにより上流貴族としての育ちの良さが身体全体からにじみ出ていた。結婚適齢期の女性からしたら垂涎ものの獲物だっただろう。
「アレックス様。この国では先程も申し上げた通り、基本一夫一婦制です。第一夫人と結婚する前から第二夫人と結婚するなど道理がまかり通りません」
「でも第二夫人を持っている貴族は過去にもいたし問題はないだろう?」
「この国で第二夫人を設ける条件は第一夫人との間に子供が出来なかった場合のみです。愛人に子供が出来た場合その子に継承権を渡す必要性がある為、特例として神殿が第二夫人を承認するのです。先にマリーアン様とご結婚なされるのでしたら私との結婚は重婚となりますし、私との結婚に正当性を持たせるのでしたらマリーアン様との結婚は無効となります」
淡々と事実だけを述べると二人は困ったように顔を見合わせた。
無知なアレックスはともかく、結婚適齢期のマリーアンが知らないことにクリスは違和感を覚えた。
後ろ盾のない下級貴族の女性がいつまでも売れ残っていると、愛人関係を迫ってくる貴族の中年男性は大勢いる。マリーアンほどの器量ならばすでに2~3人から声が掛かり初めていてもおかしくない。ましてや遊び人のチャールズの彼女をやっていたのなら尚更だ。貞操が緩く愛人にピッタリな女性として複数の男性からマークされていたことだろう。
だが困ったように眉をひそめるその姿は愛人業を考える計算高い女性には見えなかった。
「それは知らなかったな。なんとかならないかな?クリス」
婚約者に不倫の相談をする男は世界広しと言えどもアレックスだけだろう。
「なりません」
本当は例外はあった。ただ心情的にクリスはそれを教えたくなかった。
「あのぉ、でも確か以前ハーウェイ侯爵家で第二夫人が先にご結婚されたと思うんですけど・・・」
マリーアンが表向きはおずおずと、だが目はしっかりと見据えて発言してきた。
その瞬間クリスはマリーアンが全てを知っていながら何も知らない振りをしてアレックスを誘導していたことに気がついた。
無垢な顔をしてアレックスを操る腹黒さにクリスは背中がスッと寒くなった。
だがそれに気付いたのはクリスだけで単純ワンコのアレックスは気付かなかった。
だからその言葉を聞いて本気で喜んでいた。
「本当かい、マリー。聞いた?クリス。前例があるらしいよ。なら僕たちも大丈夫じゃないかな?」
「確かにあります。でもそれは第一夫人が病弱で子供が作れないことを予め世間に公表していたからです。私達の場合とは事情が異なります。もしアレックス様が先にマリーアン様とご結婚された場合、世間の皆様は私の身体に問題があると思うことでしょう」
婚前でそんな屈辱を受けたい女性などいない。
しかしアレックスは私の発言になんだそんなことかとホッと肩をなで下ろした。
「そんなこと?不妊のレッテルを貼られることがそんなことだとでもおっしゃるのですか?」
「大した問題じゃないじゃないか。実際君は不妊じゃないんだし。子供が出来るまでちょっと変な噂が回るかも知れないけど、出来ればそんな噂すぐに消えてなくなるよ」
「あなたとマリーアンの恋の為に私に泥を被れと?」
「そんな言い方はないだろう?マリーアンも君の家族になるんだし。マリーアンは第二夫人で我慢するって言ってくれてるんだ。君だって少しは譲歩するべきじゃないかな」
「私達に我慢を強いてあなたは何を我慢するの?」
「僕だって心が痛いよ。君たち二人を同時に愛してあげたくても僕の身体は一つしかないんだから。でも神に誓って言うよ、クリスとマリーをちゃんと平等に愛するって」
手を掬い上げられてキスされそうになる前に払いのけた。
「結構よ。私は身を引くから、マリーアンさんだけを愛して差し上げて頂戴。マリーアンさんも私も我慢しなくて良い。あなたも身体が2つなくて良い。皆にとって最も良い結果になるわ」
「クリス、どうしたんだよ。君はそんなに我が儘なことを言う子じゃなかっただろう。家同士で決めた結婚だよ?君の勝手で解消など出来るはずがないだろう」
我が儘な子供に言い聞かせるようなもの言いにクリスの我慢が切れた。
「誰が我が儘よ。結婚する前から愛人作って二人を同時に愛します宣言する屑男が寝ぼけたこと言わないで!」
言うのと同時に足の甲をヒール部分で思いっきり踏みつけたら「アウッ!!」と悲鳴を上げて片足を上げたので、残りの足も同じように踏みつけてやった。
「アレク!!大丈夫!?」
両足を踏まれて痛さに蹲るアレックスをマリーアンに押しつけて帰った。
のんびりと書けたら良いなと思っています。