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一次情報とネットのスティグマと

作者: xoo

 1996年(平成8年)2月10日午前8時10分、北海道古平町の国道229号で岩盤が崩落し、豊浜トンネル古平側シェルター部分を通行していた路線バス1台と乗用車1台を押しつぶした。2万7千トンの岩盤を4回の発破で爆破し、遭難者の救助が試みられたが20名全員の死亡が確認された。

 先日投稿した「雪まつりがやってくる」https://ncode.syosetu.com/n2566ib/ の背景である。




 豊浜トンネルの事故について調べていたら、「被害者の親族(遺族)が騒いだから爆薬を減らして岩の爆破に失敗した」という主張を見つけた。さてこれ、真実か否か。某匿名掲示板の流儀に沿うと、「ソースは?」。

 ググればいくつがそれらしいのが引っかかるが、元々はネットの噂・都市伝説。新聞に載っていたとかテレビのニュースとして放送されたとか、証拠としても残る一次情報はあるのだろうか。


 トンネルの南側、余市町の図書館に事故関連の新聞切り抜きがファイルされている。閲覧してみたが、前記の主張を裏付ける記録は発見できなかった。もっとも、視覚で検索したので私が見落とした可能性、恣意的にファイリングされなかった可能性、北海道新聞および北海タイムスに記事が載らなかった可能性は、否定できない。被害者家族からすれば、極限状態の中で色々な発言や行動が出てくるのは仕方がないことだと考える。


 それでもなぜこのような都市伝説が残ったのか。匿名の発言だけでなく、実名で同じことを発信した人もいて、ネットにそれは残り続ける。遺族の、また発言者のスティグマ、として。



 そもそも1996年当時、日本のインターネットは黎明期で、大学や企業の一部だけしか接続されていなかった。スマホはなかったので、一般の人がインターネットに接続するためにはベッコアメ・インターネットとかリムネットなどの接続プロバイダと契約、電話回線とモデムを介してパソコンで接続していた。2ちゃんねる(後に5ちゃんねる)はまだなく、あめぞうもなく、あやしいわーるどがギリかな?インターネットの匿名掲示板というものは、一般的ではなかった。

 そんな時期に都市伝説や噂はどうやって伝播したか。メディアとしては対面のコミュニケーション、パソコン通信のSIG/フォーラムや掲示板、パーソナル無線、壁のいたずら書き、など。それらが週刊誌やラジオ、一部テレビ番組などのオールドメディアが拾い上げた可能性はある。これが後に匿名掲示板などに書き込まれ、今に至る。確たる証拠がなかった噂、もしかしたら流言や誹謗中傷は、それを信じたい(または悪意を広げたい)人により伝い広げられた。



 噂が広まった理由はいくつかあった。一つは被害者家族の振る舞いから。一つは地理的な要因から。一つは国や北海道開発庁(後に国土交通省北海道開発局)への不信から。


 1回目の発破が失敗した後に被害者家族の一部がトンネルに押しかけ、自ら救出しようとしたことがあった。この姿はテレビや新聞などで報道されている。冷静でいられなかったお気持ちもわかるが、賛同はできない。


 地理的な要因としては、古平町および積丹町から余市町へのルートはこの国道229号のみしかなく、大回りルートも当丸峠のみであった。当時は国道229号のうち積丹町沼前〜神恵内村川白は未開通で、全線開通は同年秋の予定だった。尚、積丹半島の反対側(西側)根元の泊村には北海道電力泊原子力発電所があり(1989年運転開始)、当丸峠の通年通行化と国道229号の整備は原発事故時の避難路確保のためだったが、トンネル事故により泊村神恵内村を含めた積丹半島全域は避難路を断たれる事もあり、トンネルまたは代替経路の早急な通行再開が望まれていた。


 国への不信は泊原発の件だけではなかった。

 トンネルを管理する小樽道路事務所の事務所長が現場に到着したのは当日午後、現地合同対策本部長に据えられたはずが「本部長には意思決定権も決定能力もない」と会見で言い切り、後に交代するなど迷走が目立った。発破を担当した業者が当初策定した計画を丸一日前倒しさせ、火薬量を減らした計画に変更させたことが担当した社長の手記として出ている(被害者家族家族への説明同意は計画変更後)。北海道開発庁には発破の専門家はおらず、火薬量算出などは業者任せであった。3回失敗した後の4回目は、建設省の専門家の助言を受けている。

 視察を行なった建設大臣は、被害者家族と対話すること無く去った。




 「被害者の親族(遺族)が騒いだから爆薬を減らして岩の爆破に失敗した」という主張、これは偽であると判断する。





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