9音 星空
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「………」
学校から徒歩で十五分程度の閑静な住宅街にある三階建てと見受けられる何の変哲もない一軒家。その扉を開けて無言の帰宅をする少女。
扉を開けた先に誰かが迎えに来てくれている事はなく、後ろ手に鍵を掛けると無造作に靴を脱ぎ捨て真っ暗なリビングへと向かう。主の帰宅に反応して自動的に家中の照明が点けられる。
「……ただいま」
虚空に向かって帰宅したことを告げると制服のままリビングに設置してあるソファに座る。家にある家具は全て黒を基調としたものであり、壁の色が白であることから、その部屋の中心にいる玲の存在が際立つ。スラックスを穿いたままの足をソファに付随している足置きに載せ、玲はネクタイを緩めると目を瞑る。
(思ったよりも情報収集が進んだけど…科選択にチーム、そして……デュアル…ね)
たった一日で、祖母が言っていた『異端』という言葉の意味が解った気がする。それが決して異国の学校であるからだとは言わない。確かにかなり自由な学校ではあるのだろう。けれど自由を代償に求めてくるモノがこの小さな国の未来とは……。
「……随分といやらしい場所ね」
ゆっくりと目を開ける。もう外はすっかり夜となり、暗闇といくつかの家の灯りが玲の目に映る。
レーガンと別れてから約四か月、人肌が恋しいかと言えばそういう感情が湧き上がることは無い。あれだけ彼女に好意を伝えられても特別な感情を抱くことがなかった自身にそのような変化を求めるのも可笑しなものだ。今日という日を彼女がどう過ごしているのか、興味が無ければ心配も無い。なんなら彼女だって玲を気にすることなく、自分の人生を謳歌し出しているかもしれない。
そういう可能性全てが―――今の玲にとってはどうでもよかった。
「ひとまず重要なのは明日の科選択か…」
今一度配布された腕時計に送信されたファイルを確認する。…やはりリストの最後には『特科』の二文字が載っており、あの短時間で自分の実力がきちんと測定されたようで安堵を覚える。
(特科であれば他科では出来ないような行動の選択が可能となるはず)
迷うことなく第一希望を決めた玲は、立ち上がると手を鳴らし家に搭載されているAIに自動でカーテンを閉めさせる。一家に一台となったAIも昔に比べて随分と性能が上がったようだが、玲にそんな事を知る由はない。
―――シュルッ。パサッ。
ネクタイをブラウスの襟から引き抜き、ブラウスのボタンを一つずつ外していく。
―――カチャ。コンッ!
スラックスからベルトを取り、床に落とす。
そのままスラックスも脱いでいき下着姿となった玲は奥の浴室へと向かう。足許に照らされた光に案内されるて中へと入り、下着を全て洗濯機に入れるとすでに温められた浴室内の壁に表示されるシャワーのボタンを押す。そうして天井から流れ出るお湯で、今日の対戦で掻いた汗を流していく。
「……チームとデュアル。この二つに彼らが重きを置いている理由」
その長い髪に水分を含ませつつ、先程の会話を思い出す。
『単刀直入に言わせてもらうとだな、お前、俺らの所属するチームに入らないか?何なら俺とデュアルを―――ってぇ!何すんだよ!!!』
『あ、あのねチームっていうのは基本的に同じ科の…生徒で組むもので人数は十人まで……。チームは学年、性別関係なく…お互いの…同意があれば組むことが出来る。え、えっと、それでデュアルって言うのはね……』
『一々君はうるさいんだよ。まったく…それで話が逸れてしまいましたが僕達のチームに入りませんか?チームを組むことで評価も上がりやすくなりますし。貴女にとっても僕達にとってもチームの加入にはメリットがある』
「学年も関係ないとは言え、年下を勧誘するのは…」
確かに玲の実力からすれば勧誘されることは不思議ではない。けれどそれは飽くまでも玲の本当の実力を知っている者からしたらの話であり、今日の測定で手を抜いていた自分の実力が彼らが欲しがるレベルのモノであったのか……。
(いや…そうか。あの日向とかいう少女)
おそらく自分の実力が測定通りじゃないことを日向が彼らに告げたのだろう。あの金髪の生徒も気付いていた様だし、戦闘を全て見ていた訳じゃない彼らも戦った本人の口から告げられた言葉は信じるに値するもののはず。
極力面倒事は回避していきたいところだが、あの様子だとまだ勧誘は諦めていないだろう。
「初日から面倒な事を……」
ボディソープを泡立て、身体を隅々までその指で洗いながら明日からの学園生活に思案する。首回り、耳の裏は丁寧に指でこすり、肩、腕などゆっくりと洗っていく。そして手は下へと降りていき、お腹、太もも、お尻とデリケートな部分にまで泡をつけていく。体が石鹸の香りに包まれると、またシャワーを起動させてその全身についた泡を流していく。
「―――ハァ」
浴槽へと脚を入れていき、全身を湯船に浸からせる。プラチナブロンドの髪がお湯を漂う中、一人用とは言い難い湯船で足を広げ、天井に映し出された夜の星を眺める。立地の良さからかなり高めの金額設定がなされていた、この家を購入したがこういう玲にとっては無駄に思える機能も付けられていた。
「失うことのない輝きも都会の光に勝つことは出来ない」
この地に引っ越してからその事実を再認識する。永久ともいえるはずの光が、たかだか数十年の寿命しか持たない街頭やビルの灯りによってその存在を消されてしまう。
「まるで人間の様ね」
皮肉めいた言葉を吐きながら、天井へと届くはずのない手を伸ばす。一つの星を目指して握りしめた拳には何もなく、玲は掌を見つめ続ける。
無言の空間でただただ雫が落ちる音だけが響いた。