3音 MEMORY
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(お婆様……)
ホテルを去った後、玲は近場の空港に戻りこれからの行き先を考えていた。取り敢えずプラスチック製の冷たい椅子に腰かけながら、電光掲示板に表示される便の行き先を眺めていると、自身の祖母の母国である―――日本の名が出てきた。
祖母は祖父と結婚してからというもの、自分の国には帰れていないと玲に話してくれた事があった。
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『玲、貴女にもいつか私の国に行って欲しいものですね』
(お婆様の国…ですか?)
それはいつもの鍛錬の時間に不意にされた会話だった。祖父も父も国の重要な役職に就いておられる方でなかなか時間を取ってもらえなかったため、祖母がいつも玲の能力の手解きをしてくれていた。今の車椅子に座っている彼女からは見る影もないが、昔は一流の能力者であったことは祖父の惚気話で散々聞いていたことだった。そして玲もその事に関して疑うことはしなかった。
なぜなら―――
『―――ほらほら、会話に集中していてはいけませんよ』
祖父がオーダーメイドさせた特注の車椅子を扱いながらも、薙刀を片手に玲の注意が疎かになっている足許に払いをかけてきたりと、とても御年八十に差し掛かる者の動きではなかったからだ。
(うっ―――。ま、待って下さい!)
『待ちません。戦いに待ったはありませんからね』
その後もいつも通り、祖母に能力を使わせることは叶わず庭の真ん中で大の字に寝っ転がらされる玲。
(ハァハァ…)
『玲もまだまだですね』
(お婆様が手加減してくれないから…です。よいっしょ!それよりも、お婆様の国の事を聞かせて下さい!)
急に起き上がったかと思えば、祖母の許へと一瞬にして距離を詰めて先程の話の続きを催促する。彼女の姿はまるで、犬が尻尾を懸命に振っているように見え、祖母はふっと笑みを浮かべると、寝た際についたと思われる孫の頭にのっている葉を丁寧に取ってあげる。
そうして全ての葉を取り除くと、玲に庭に置いてある椅子を自分の隣に持ってくるように伝え、御伽噺でも語るかの様な口調で自身の思い出を話し始める。
『私が生まれた国、日本はそれはもう自然が美しい国でした。四季があり、朝起きれば庭で小鳥が囀り、空気が澄んでいて。懐かしいですね。今でも目を閉じればあの情景が思い出されます。今は車椅子なんて使っていますが、昔は友人達と共に桜並木を見に行ったりもしましたね』
目を閉じて、昔を懐かしむ祖母。その横顔がとても嬉しそうに見え、玲も思わず笑顔を浮かべるが、以前考えていた疑問を口に出す。
(あの…お婆様はとても素晴らしい能力者であることはお爺様からよく聞かされていますが、実際どのように凄かったのですか?いつもそれをお訊ねする前にお爺様はお婆様の惚気話をされてしまうので…詳しく聞けていなくて……)
『まったく…あの人は余計な話を。そうですね、では私がこの様な使い手になれるきっかけを与えてくれた学園の話をしなければなりませんね』
(がくえん?スクールの事ですか?)
『ええ、そうです。私が通っていた学園は、それはそれは自由な学校でしてね。国内でも異端扱いを受けるほど可笑しな学校でした。この世界を発展させ続けている科学の勉強に力を入れるのではなく、未来の世代のための能力・人材育成を特化させた学校で…。私があの人と出会えたのも、学園に入学したおかげなのです』
(お婆様!その学園の名は何と言うのですか!)
『その学園の名は―――』
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「―――藤学園」
玲は過去にまだ祖母が存命中だった頃、その話を聞かされたことを思い出す。レーガンから離れるためにも、あの小さな島国は何かと都合が良さそうだと考え、祖母の母国へ向かうことを決める。
スーツケースを手に取り、椅子から立ち上がると、再度日本の名が表示された電光掲示板に目をやる。その表情からは何も読み取ることは出来ないが、彼女は数十秒ほどじっとその名を見続けると、一つ息をハァと吐き、空港の奥へと進んでいく。
その胸の内に何を思ったのかを知る者はここにはいなかった。