不確かなあの子の存在証明
「あ、やっぱりこんなとこにいた」
幼馴染の彼女が笑いながらこちらへと駆け寄ってきた。
現在の時刻は十二時半。朝から見当たらないと思っていれば、たった今登校してきたところらしい。悪びれもせず当たり前のようにその辺の石に腰をかけ、弁当を広げ始めた。
「随分な重役出勤だね」
「へへ、今日はいろいろあってね〜聞きたい?」
「いいよ別に。どうせいつもみたいに道端のアリの行列眺めてたとかそんなんでしょ?」
「今日に限っては違うんだけどな〜」
「はいはい」
そのセリフも何度目だ、と言うくらい彼女が時間を守れないのはいつものことだった。担任の先生も始めは毎回律儀に指導してくれていたが、あまりの回数の多さに最近は諦め気味になっている。
「集中しすぎて時間忘れるってのはまだ分かるけど、それならせめてアラームつけとくとかやりようはあるんじゃないの……って、これこの間も言ったな」
「そう! それを今日実践したの! いきなりアラームが鳴ってびっくりしちゃった」
あはは、なんて楽しそうに笑っているが、この時間に登校したということはつまりはまあ……そう言うことだ。何も反省はしていないらしい。
今度は楽しそうに地面に傘と私と彼女の名前を書きながら、相合傘〜とふざけている。
これはもう一生治らないな……彼女の将来が心配だ。
普段から、一度自分の世界に入るとなかなか戻って来ないような子だった。ふわふわとしていて、どこかズレて浮いている。そんな彼女を現実へと引き戻すのが昔からの私の役目だった。
ふと、いつの間にか彼女が笑うのをやめ、こちらをじっと見つめているのに気づいた。興味のあるものに目を向ける、好奇心に溢れた目だ。
「なに? 私の顔になんかついてる?」
「ううん。今更だけど、よく私の友だち続けてくれてたよなあって」
「なにそれ。時間守らないから?」
「うん。それも」
「ばーか。何年幼馴染やってると思ってんの。ほんと今更」
彼女が時間に遅れてくるのも、一緒に遊んでいたのに私をほったらかして別のことに集中し始めるのも、全部今更だった。それでも私が彼女の幼馴染や友だちを続けるのなんて、彼女のことが好きだから以外に理由があるのだろうか。
そう言ってみせれば、彼女にしては珍しく、眉を下げてくしゃっとした笑みを見せた。
「友だち」なんて直接的な言葉にするのは小っ恥ずかしいものだけど、私の気持ちを分かってないことに腹が立ったのだ。
「あ、ごめん。そういや私今日日直だった。先行ってるね」
「うん。……ねえ」
「……? なに?」
「私も、大好きだよ」
「うっせ! 私の方が好きだし!」
そうやって軽口を叩き、笑いながら教室へと戻る。
校舎の角を曲がる直前、偶然見えた彼女の顔が泣いているように見えたのはただの気のせいだと私は走る足を早めた。
◇
「えー、みんなに残念なお知らせがある。落ち着いて聞いてほしい。……数時間前に、このクラスの──が交通事故にあって、亡くなりました」
え、と声が出た。
昼休み明けの授業。開口先生の口から出たのは、あの子の名前だった。
ありえなかった。
だって、先まで一緒にいたはずだった。ご飯を食べて、喋って、笑いあって。
あの子の名前が聞こえたのは気のせいだと思った。
でも、あとから来るはずの彼女の席は空いたままで、それ以外の席は全て埋まっていた。彼女以外、当てはまる人物はこのクラスにはいなかった。
弾かれたように席を立ち、先生の制止の声も聞かないまま昼ご飯を食べた場所へと走った。彼女がいないのは、きっといつものようになにかに集中しているせいなのだと。
そこに彼女の姿はなかった。
なんで、どうしてと周囲を探しても誰も見つかるわけがなかった。
じゃあ、私が昼休みに会っていたあの子はなんなんだと聞いても、答える人は誰もいない。だって、あの場には私とあの子しかいなかったのだから。
ふと、地面に書かれた落書きが目に入った。彼女が相合傘と称して書いたふたりの名前。確かに彼女はそこにいたのだというなによりの証明。
「なんで……なんであの時言わなかったの……死んだなら死んだって……言ってよ……」
言ってくれたなら、お別れの言葉だって言えたのに。
でもきっと、彼女から死んだなんて言われてもただの冗談だと流してしまうのだろう。私がその手の話を聞き流すのはいつものことだったから。
今更ごめん、なんて言っても彼女が戻ってくるわけじゃない。
それでも、口からは壊れたラジオのように彼女への謝罪が繰り返される。
そうして彼女の落書きばかり見ていたら。
別の文字が書き足されているのに気づいた。
『さいごにあえてよかった』
『ずっとともだちだよ』
彼女が地面に書いたふたりの名前は、水に濡れて歪んでいた。