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「というわけで、ラルフ王子の婚約者だってもっぱら噂のクローディア姫をさらってきちゃった」
あっけらかんと笑顔のシャルロッテとは対照的に、広間の端では檻に閉じ込められ、怯えた表情を見せる女性がいた。
華やかな赤いドレスを身に纏い、ふわふわの長い金髪に青色の瞳。見るからに高貴で純粋無垢なのが伝わってくる。
「私が言うのもなんだが、お前は魔女というより魔王だな。短絡的だが、その自己中心さと行動力は評価してやろう」
「だから違うって。私が目指すのは魔王じゃなくて大魔女なの!」
「私をどうするつもりなの? 城に戻して! 彼の、王子の元に返して!」
シャルロッテとヘレパンツアァーの会話にクローディアの悲痛な叫びが間に入る。泣きそうなのを堪えてか、彼女は両手で顔を覆った。
対するシャルロッテは無表情で檻のそばまで大股で近づくと、妖しく笑ってみせる。
「ふっ。悪く思わないでね、お姫様。あなたに恨みはないけれど、これもすべては計画のため」
低い声色に冷たい紫の瞳。クローディアは絶望の色を顔に浮かべた。
いい! 今の私、彼女の目には間違いなく恐ろしい魔女にしか映っていないはず! よしっ。
笑みが零れそうになるのを必死に堪え、シャルロッテは極悪非道の魔女として続ける。
「ほら、あなたのために命を懸けて愚かな騎士たちが乗り込んできたみたいよ」
「まさか、フィオンが?」
その名にシャルロッテは反応を示す。
「……フィオン? あのエーデルシュタイン騎士団の第一分団長フィオン・ロヤリテート?」
「そうよ。ラルフ王子が一番信頼しているのは彼だから……」
クローディアがわずかに安堵した面差しを見せる。そこにシャルロッテが牢の鉄格子を両手で持ち、顔だけを中に突っ込む勢いで尋ねる。
「その彼って……イケメン?」
数秒の間が空いたのは気のせいか。シャルロッテの迫力に圧され、クローディアも引き気味になる。
「気にするのはそこか」
次の言葉は前からではなくうしろから投げかけられ、シャルロッテはものすごい形相で振り向いた。そして超小声で早口で説明する。
「当たり前でしょ! 国中にその地位と共に名前を知られるほどの実力者だと聞いてはいるけれど、見た目までは知らないから。どうせ負けて、やられるならイケメンがいいじゃない。私の名誉的にも」
こそこそで裏事情を話すふたりのやりとりなど知る由もなく、クローディアは逆らえる立場でもないと素直にシャルロッテの問いに答える。
「え、ええ。フィオンは若くして第一分団長まで上りつめながらも人望もあって、見た目もすごくいいから求婚者が後を絶たないって」
「よしっ。文句ないわ」
話についていけないクローディアに背を向け、シャルロッテは中央に立った。この城の中の張り巡らされた罠も彼ならおそらくかいくぐってくるだろ。
というより、来てもらわないと困る。
「で、やっぱり手を貸すつもりはないの?」
シャルロッテは微笑んで、隣に立つ悪魔に尋ねた。ヘレパンツァーはこちらに視線を寄越しもしない。
「お前とは契約を結んでいない。高みの見物といくさ。死ねば、ついでにその魂をもらってやろう」
「そう。ま、もう死ぬ気はないけどね」
不敵な笑みを浮かべたところで大広間のドアが勢いよく開かれた。
「姫は、クローディア姫はどこだ!?」
暗い濃紺の軍服を模した同じ格好の青年たちが姿を現す。その中心にいる人物がフィオンだとひと目見てシャルロッテには見当がついた。
短めのダークブラウンの髪に、すっと伸びた鼻筋、鋭くも思慮深そうな赤みがかった茶色い瞳。
精悍な顔立ちなのは言うまでもないが、それだけではない。彼は他と圧倒的になにかが違う。雰囲気とでもいうのか、今まで経験してきた修羅場の多さとでもいうのか。
「ようこそ、フィオン・ロヤリテート分団長」
シャルロッテはおもむろに声をかけた。幾人もの殺気が彼女に向くが気にはしない。
「私はこのモーントロゼ城の主、シャルロッテ・シュヴァン・ヴァールハイト。通称紫水晶の魔女」
武士でもあるまいし、自分の正体をわざわざ明かすのは馬鹿げているかもしれない。だが、これだけは譲れない。ここはちゃんと伝えておかなければ。
後世に伝えてもらうには欠かせない情報だ。いきなり名乗り出られ、フィオンたちは一瞬、呆気にとられる。
「君が……」
「さぁ、このお姫様を返して欲しければ、その剣を抜き私を倒してみるがいい」
わざとフィオンを挑発する。正直、剣の腕にはまったく自信はないが、こちらは魔女だ。フィオンは騒ぐ周りを制し、自らシャルロッテに近づいてきた。
シャルロッテは冷静に次の展開に備える。
ある程度、張り合った方がいいわよね。まずは攻撃術ではなく相手の動きを封じる。チャンスは彼が剣を抜く瞬間。
フィオンは無表情のままシャルロッテとの距離を縮めてくる。シャルロッテは唾液を嚥下し、その機会を待った。ルーンはお手の物だ。前世からすべての文字を記憶している。
――H、――I
一文字ずつ、心の中で唱えると、そのたびに目に見えないなにかが熱を帯びて空気の流れを変える。しかし、妙だ。
……まだ、剣に手をかけない?
十分な間合いまで入って来たのにフィオンは腰に掲げる剣を取ろうとはしない。予想もしない彼の行動に、シャルロッテは思わず一歩下がった。