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激しい爆音と突風が部屋の中に巻き起こった。その衝撃でシャルロッテは、床に仰向けの状態となり、しばし意識を失っていた。パラパラと天井からなにかが落ちてくる。
薄暗いが、石造りの頑丈な部屋が軋むとはこれいかに。シャルロッテはゆっくりと目を開けた。
淡い紫色の双眸が姿を現し、辺りを捉える。髪はゆるくウェーブがかかり腰まで長さのある蜂蜜色だ。金色と茶色の中間色とでもいうのか。
本人は黒髪に憧れていたが、もしかすると前世への名残惜しさなのかもしれないと今なら思う。
ああ、私。あんな小さい頃から――前世から大魔女を目指していたんだ。
なんだか泣けてくる。もちろん自分に対してだ。
なんて健気! でもその夢ももうすぐ叶うから!
そこで自分の置かれた状況を思い出し、がばりと身を起こす。
「ま、まさか、召喚失敗!?」
ガリガリとチョークで床に描かれた魔法陣を確認する。そこには涅色の煙霧が起こり、徐々に形を成した。人の姿になったそれは、明らかに普通の人間とは逸脱している。
妖艶に光る赤い瞳に透き通りそうな血色のない白い肌。艶のある黒髪は短くも濡れているかのようだ。青年の姿になった黒き存在は、シャルロッテに問いかけた。
「汝、我を呼び出しなにを願う? 契約を結ぶのならば対価として……」
説明を続けようとしたが、目の前のシャルロッテには届いていないのか、彼女は瞬きひとつせず微動だにしない。呆然と自分を見つめるシャルロッテに、男は口角を上げ魅惑的に微笑んだ。
「ふ、恐怖のあまり声も出ないか。無理もな――」
「やったぁぁぁぁ! 最後の最後で大成功!」
前触れもなくガッツポーズをするシャルロッテに男は虚を衝かれた。シャルロッテはふるふると体を震わせている。ただし恐怖ではなく喜びで。
「最終決戦の前になんとか間に合ったわね! やっぱり大魔女にはそれなりの悪魔がついていないと。ラスボス感は大事!」
うんうんと納得するシャルロッテに男は怪訝な表情を浮かべる。
「お前、誰を相手にしているのか理解しているのか?」
「え、地獄帝国の総監察官でネクロマンサーとして有名なヘレパンツァー。自身も四十四の軍団を従えて、ネビロスとは親友なんでしょ?」
あまりにも淀みのない説明に男、ヘレパンツァーは舌を巻く。そして苦々しく返した。
「……最後の情報だけは訂正しておく。あいつと親友になった覚えはない」
そこらへんは聞き流し、シャルロッテはまじまじと異様な姿の男を見つめ興奮気味に詰め寄る。
「私の実力をもってすれば当然とはいえ、昔、本で読んだ通りの状況になるなんて!」
「本?」
「あ、こっちの話」
私が今まで使っていた魔法や術が、まさか前世で読み漁っていた魔術書の類からの引用が無意識にも多々あったとは驚きだわ。
他の魔女と術の系統が違うと薄々は感じていた。多種多様で一貫していない術を操るのは、裏を返せば自分の属性がはっきりさせられていない証拠だ。
引け目を感じたりもしていたが、これも前世の影響なのだとしたら悪い気はしない。
シャルロッテの前世は白鳥沙織という日本人だった。幼い頃、寝る前に両親に読んでもらった童話の類。
そこに登場する魔女はたいてい悪役や畏怖の存在として描かれていた。綺麗なお姫様に憧れ、なりたいと思う子どもが多い中、沙織はなぜだか魔女に心奪われ、本気で目指そうと決めたのだ。
両親にせがんで買ってもらった『まじょのやくそく』という幼児向け絵本には、子どもにわかりやすく魔女の生態を説明し、なり方まで書いてあった。
その中で特に目を引いたのは『まじょになることをほかの人にしられてはいけません』という一文だ。これは幼い沙織の心に深く突き刺さった。
そっか。魔女になりたいって言っちゃだめなんだ。
ひとり固く決意し、その日を境に沙織は魔女に関する話はしなくなった。だから沙織が本気で魔女を目指しているなど知る者はいない。
両親や保育士でさえ、『王道ヒロインより悪役に肩入れしちゃう子っているわよね』程度の認識だった。それも一過性のものだと。
沙織の作戦は上手くいったのだ。そして彼女は誰にも内緒で、ひそかに魔女を目指すため魔術書や魔法書を収集し、魔女に関する情報を網羅すべく、日々研究と修業を怠らなかった。
それでも魔女になれそうな日は来ない。ついに沙織は魔女に慣れないまま人生の幕を閉じるはめになった。
満足な人生だった。穏やかな気持ちで目を閉じる。ただひとつ、魔女になれなかったのが最期の最後まで心残りだった。