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 ぼくはその話を聞いて、胸がしめつけられそうになった。

 先輩には、再会を成就してほしい……そう思った。

 ぼくには、心から会いたい人はいない。いや、もしかしたら前世の前世──もっとむかしにはいたのかもしれない。

 なぜ、思い出せないのだろう?


     * * *


 午後からの地獄ツアーも、ウキウキした気分でおこなうことができた。たった一人とはいえ、天国の住人が増えたのだ。名所を案内しながら、しかし頭のなかでは、いずれ天国でもこういうことをやるんだ、と希望が膨らんでいた。

 ツアーの参加者全員は、やはり地獄行きを決定した。それでもよかった。これから地道な活動を続けていけば、人数は必ず増えていく。そう信じていた。

「なに、のんきなこと考えとんのや。忘れてんちゃうか?」

 ツアーからもどってバルコニーでくつろいでいた大樹のもとに、天使が顔を出した。ここでは降り立つこともできるはずだが、空間に窓をつくって覗いていた。

「なんのことですか?」

「殺し屋や、殺し屋」

「あぁ」

 すっかり忘れていた。

 というより、天使の話を信じていなかった。

「大丈夫ですよ。地獄の鬼でも、そんな物騒なことは考えないですよ」

 すぐ横では、鈴木二郎氏が気持ちよさそうにウトウトしながら座っていた。まさしく平和な光景だ。

「わかっとらんな。あくどいことをぎょうさん思いつくから鬼なんや」

 言われてみれば、たしかにそうなのかもしれない。が、実際に会ったことがないので、想像することができないのだ。

 ツアーのときに見かけたことぐらいはあるのかもしれない。なんせ、見た目は人間とかわらないという話だから、むこうから名乗ってくれないことには知りようがない。

「でも、もし狙われるとしたら、地獄ツアーのときですよね? 地獄の囚人を使ってるなら、天国には来れませんし」

「まあ、そうなるな」

「だったら、気をつけておきます。ツアーのときは、不審人物に近寄りません」

 実際にそんな事態などおきないと考えているから、天使への応対も適当なものになってしまった。心の読める彼女は、それに憤慨したのか、スネたような表情で窓を閉めてしまった。

 それよりも、これからの勧誘のことで頭がいっぱいだった。一人がやって来たということは、同じように考えている人間だってもっといるはずだ。

 だが、その願望は、あっさりと空振りに終わった……。



 翌日、翌々日と、天国の希望者はあらわれることもなく、鈴木二郎氏のような『住居がえ』を申し出る者もいなかった。

 先輩からは、そんなに早く結果がでることなどありません、もっと気長にやりましょう──そう励まされた。

 午後のツアーに向かう直前だった。まだ少しだけ時間に余裕があったので、執務室でそのまま先輩と話し込んでしまった。

「どうして先輩は、天国を希望したんですか?」

 ずっと興味のあることだった。

「私がここに来たころは、まだ天国はそれなりに大きかったんですよ」

 いまのように人気がなくなるまえだったのだろう。

「そのころは、地獄へ行きたい人は少なかったんですか?」

「いえ、天国がつまらないところだという噂は、だいぶ広がっていましたから」

「地獄へ行くということは、まったく考えなかったんですか?」

「はい」

 迷いなく先輩は答えた。

 たんに大樹のような、なんとなく天国でしょ、的な思いではなく、もっと明確な理由があるように感じられた。

 大樹は、ただ黙って次の言葉を待った。

「ばあさんに、もう一度、会いたいんです」

「生前……前世で奥さんだった人ですか?」

 大樹の場合、ついこのあいだの人生は『現世』と表現してしまうが、先輩の場合は、だいぶ時間が経っているはずなので『前世』と呼ぶほうがしっくりくる。

「さらに一つまえの前世です」

「ということは……前世の前世」

 考えても頭がこんがらがってきそうだ。

「私はね、特異体質のようで、死んですぐにこれまでの前世の記憶がよみがえっていたんですよ」

 死んですぐ──ということは、ここで手続きをするために並んでいたときからなのだろう。大樹は、いまだに現世での記憶ですらぼんやりとしている。いや、思い出してはいるのだが、まるで自分のことではないないような気がしてならないのだ。映画や小説で眼にした架空の人物の歴史なのではないかとさえ思う。

 それ以前の記憶となると、ほんのわずかな断片でしか思い出せない。

「その前世で死んだときは、めぐり会えなかった……」

「それほど愛していたんですか?」

 先輩は、ゆっくりとうなずいた。

「妻のほうが先に死んでしまったんですが、その間際に約束したんですよ……天国で会おうって」

 大きな恋をするまえに死んでしまった大樹にとっては、うらやましく、そして悲しい話だった。

「ですが、死んで天国へ行ってみたら、妻はそこにはいませんでした。転生して、もう一度人生を送っても、妻には出会えなかった」

 そのことを聞いて、大樹は不思議に思った。

「私は生前も、前世の記憶があったんですよ」

 すぐに先輩が疑問を解消してくれた。

 そういえば、前世の記憶があると豪語する人間をテレビ番組で観たことがある。まったくのデタラメだと信じていなかったが、こういう本物もいたようだ。

「その人生も終え、また天国へ行ってみたんですがね……やはり、妻はいなかった」

「どういうことなんですか?」

「考えられることは、私がここに来るまえに転生してしまったんじゃないかと……」

 頭のなかでシミュレーションをしようとしても頭がますます混乱するだけなので、やめておいた。とにかく、前前世の奥さんとは会えていない、ということなのだ。

「そこで私は考えました。また妻が死んだときのことです。もしかしたら妻は、私が地獄に行ったと考えるかもしれない。だから、私は閻魔になるための希望を出したんです」

 どうやら当時はスカウト制ではなく、希望をつのっていたようだ。まだそれだけ天国の住人がいたということだろう。

「それが閻魔になった理由なんですか?」

「そうです」

 いつのまにか天国を選んだ話から、閻魔になった経緯についての話に発展していた。

 きっと先輩の姿がおじいさんなのは、奥さんが来たときのためなのだろう。前前世での記憶を思い出しやすくするための。

「……結局、奥さんには会えていないんですか?」

 話の筋から聞くまでもないことだが、あえて問いかけた。

 先輩は、再びゆっくりとうなずいた。

「もう、地獄にいるということはないですか?」

 意地悪だったかもしれないが、大樹はその可能性を口にした。先輩が閻魔になるまえにここへ来て、地獄を選んでしまった。

 それには、先輩は横へ首を振った。

「それはないと思います……」

 一転して、悲しげな瞳を天に向けた。執務室の天井しか見えていないはずなのに、なぜだかバルコニーに広がる青空が見えているような気がした。

「……そうなんですかね……私も、そのことは少し頭をよぎったことがあるんです」

 つらいことを思い出させてしまった。大樹は、おのれのおこないを悔いた。

「す、すみません! いまのは忘れてください」

「いえ……いいんです。真相はなんであれ、潮時ですから。もうすぐ私は、転生をむかえます」

「それは、いつごろなんですか?」

 具体的には、あと何日残されているのだろうか。大樹にとっては死活問題だ。彼に旅立たれたら、閻魔は自分一人だけになってしまう。

「期限はあるのですが、明確に日にちが決まっているわけではないんです。書類上でも、大まかにしか記されてないですよね」

「そう言われれば、そうですね」

 ここに来た人たちの書類には、次に転生するまでの期間が明記されていることがほとんだ。たしかにそれには、何年の何月何日とまでは書かれていない。ちなみに大樹は数少ない例外で、転生期限がまったく設定されていないのだ。

「なんとなく転生する時期が迫っているとしか……。まさしく、神のみぞ知る……です。われわれには、そろそろだってことしかわからないのですよ」

 先輩は、しみじみと言った。いずれ、そういったここでの風習も思い出しますよ──と言外の意をふくんでいた。

「あの、奥さんは……奥さんだった人は、どんな方なんでしょうか?」

 大樹は、あることを考えついた。地獄ツアーや、就業後の勧誘の最中にさがすことはできないだろうか?

「ムリですよ。私の知っている姿でいるとはかぎらない。私なら会ってみればわかるでしょうが、ほかの人では……」

 先輩は言った。そして、悟った。彼も、大樹がツアーをまかされるまえには、何百回、何千回……いや、何万回と地獄に行っているはずだ。それでも奥さんだった人には出会えなかった。

「だとしても、一応……」

「もう遙かむかしのことですから、鮮明には覚えていなんですよ」

 それでも遠くをみつめて、思い出しているようだった。

「やさしい笑顔でした。見ているだけで、心があたたかくなっていくような……」

 とても曖昧な特徴だった。だが、それだけで充分のような気がした。細かな容姿をあげられたところで、いつの年齢を選んでいるかわからないし、そもそも彼の奥さんだった姿ともかぎらないのだから。


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