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こんな「普通の人」がいるのか……。
ぼくは、思った。
どこをとっても、普通。
特徴がない。でも、特徴がなさすぎるというのも、逆に印象的なのかもしれない。
ここまで普通の人のことは、このさき忘れることはないだろう。
* * *
『住居がえ』希望の男性は、鈴木二郎と名乗った。
大樹は男性を待たせたまま、資料をさがしだした。鈴木二郎──二ヵ月前に死亡し、自らの意思で地獄へ行っている。
つまり、天国への居住権をもっているということになる。
「ここで込み入った話というのもなんなので……」
大樹は男性をともなって、最上階にある天国への扉を開けた。
バルコニーにはイスが一つしかなかったが、その一つを男性──鈴木二郎氏にすすめた。
「ここは……?」
鈴木二郎氏は、不思議そうな顔で周囲を見渡している。どうやら死亡してここへ来たときは、天国見学をしていないらしい。
「ここが、あなたの希望する天国です」
大樹は告げた。鈴木氏は、ポカンとしている。
「あの霧の向こうには……」
みな、同じような疑問をもつものなのだ。当然といえば当然だが──大樹は、しみじみとそう思った。
「なにもありません。いまのところは……」
「は?」
「こういうことなんです──」
大樹は天国と地獄にまつわる話を、かいつまんで鈴木氏に語った。
「と、ということは……天国は……ここ」
「そうです。ここだけです。いまのところは……」
いまのところ──という言葉をはしばしに挟んでしまう。
「いまのところは、小さな場所ですけど……もっといっぱい人を勧誘できれば、立派な天国になりますよ! いえ、ともにそれをめざしましょう!」
思わず、鈴木氏の手を握っていた。
「は、はあ……」
大樹の熱量に、鈴木氏はついてこれないようだった。
「島崎さんも、こちらをどうぞ」
先輩がイスを持ってきてくれた。遠慮なく、大樹も席についた。先輩はかたわらで立っている。老人を立たせておくのは気がひけたが、その常識は現世だけのもので、ここでは見た目の老若は意味をなさない。
天使の姿はどこにもなかった。さきほど鈴木氏を眼にした途端、興味を失ったように引っ込んでしまったきりだ。出てきたがらないのに、わざわざ呼ぶこともないだろう。
「で、一応お聞きしておきますが……天国を希望する理由は?」
本当なら、そんなやりとりなどせずに移住を認めたかったが、転居理由がしっかりしていないと許可を出せないということらしい。
「じ、地獄が……肌に合わないというか……居心地が悪いというか……」
鈴木氏は、言いづらそうに話しはじめた。
「娯楽は充実してると思うんですが……ぼくには楽しめないというか……どこに行っても、人が多いですし」
「そうでしょう、そうでしょう。その点、ここは娯楽が少ないですけど、人の数も少ないですから、のんびりできますよ!」
ここぞとばかりに、ここの短所を長所のように言ってみた。
『ガッハハ!』
下品な笑い声が聞こえた。
『そりゃ傑作や!』
「邪魔しないでください!」
天使が姿をあらわした。
「娯楽は少ないんやなくて、まったくないで! 人の数は、だーれもおらん」
「え……」
天使のよけいな言葉に、鈴木氏は絶句していた。
「だれもいない……とは?」
「ちがいます。正確には、二人います」
「なに言っとるんや。一人は、もうじき転生するし、もう一人は正式に閻魔になるから、普段はここにはおれへん」
「で、でも……だんだんと人が増えていけばここも広がるし、娯楽だって充実していきますよ!」
大樹は、必死にアピールする。
「ガッハハ!」
その姿がおかしかったのか、天使は下品な笑いを繰り返す。
女を捨てたような身なりとあいまって、場末のホステスようにすさんでいた。
「ちょっとは、ここのことを真剣に考えてください! パンフレットはどうしたんですか? まだできないんですか?」
キッと睨みながら、天使に詰め寄った。
「そんなコワい顔、天使に向かってするもんやないで。ホレ、ちょうどできたとこや!」
軽やかにそう言うと、天使が紙の束を差し出した。
大樹は受け取ると、その紙に眼を通した。
『究極のスローライフを』
と大きく書かれていた。
『なにもしなくていい。食べて寝るだけ!』
『のんびり怠け者生活をエンジョイ!』
『ゴー・トゥ・ヘブン!』
そんな文字が並んでいた。
「こ、これ……」
「どうや、自信作や!」
天使は、あくまでも誇らしげだ。
「アピールになってますか……?」
「これ以上ないやろ、ここの利点なんて」
「いえ、もっとこう、ここに来ると楽しくなるような……そういうのを期待してたんですけど……」
「のんびり怠け者生活のなにが悪いんや!」
「で、ですから……そういうのがイヤで、みんな地獄へ行ってしまったんじゃないですか?」
「ほな、どないしろいうんや!」
自信作にケチをつけられたからか、天使が癇癪をおこした。
「お、おちついてください! ぼ、ぼくが悪かったですから!」
とにかく、気を鎮めようとあやまりたおした。
「……うちは、もう知らん!」
しかし、すっかりスネてしまった。
「い、いやあ……よく見れば、これもいいんですけどね……もっとこう……冒険心をあおるというか……地獄にも負けない長所というのを……」
「そやからそれが、のんびり怠け者生活や!」
「あなたほどの方なら、もうひとひねりできますって!」
期待を込めた瞳で、そう訴えかけた。
「……そうやろうか」
ボソッと、彼女がつぶやいた。
「そ、そうです……できますとも!」
「ほな、もう少し考えてみるわ……」
天使の姿が薄くなっていく。すぐに消えてしまった。
一連のやりとりを見て、鈴木二郎氏がポカンと口をあけていた。
「いまのは……あまり気にしないでください」
だめだ。これでは、せっかくの天国希望者がいなくなってしまう。
「……で、どうでしょうか?」
結果はわかっていたが、一応訊いてみた。
「あの……」
「そうですよね……わかりました。でも気が変わったら、いつでもここに来てくださいね」
「お願いしようかと──」
「え?」
意外すぎる返事だった。
「ですから……ここへ移住したいと……」
「ほ、本当ですか!」
「は、はい……」
大樹は、再び鈴木氏の手を握った。
「ありがとうございます!」
これで、ようやく一人目が誕生した。
このまま着実に数を増やしていきたい──大樹は、希望を胸に決意を固めた。