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 ずっと走り続けている感覚に似ていた。

 走っても、走っても、道が続いている。

 それが仕事だ。

 その大変さを、あの世に来て実感した。

 社会人になるまえに死亡したぼくには、ある意味、初めての経験だ。もっとまえの前世で経験していたとしても、いまだ記憶のもどらないぼくにとっては、島崎大樹の人生がすべてなのだ。

 通貨の概念のないここでは、給料というものが存在しない。

 では、なんのための仕事なのか……。

 ただ疲れるだけで、面倒なこと。報酬もなく、使命感もない。

 だけど、一日の仕事を終えたときの爽快感だけは、無駄なものではないような気がする……。


     * * *


 大樹は日々、黙々と業務をこなしていった。三日ほどで、ほとんどの仕事にも慣れていた。

「ざけんな、てめえ! 俺をだれだと思ってんだ!」

 眼の前ですごんでいるのは、生前、暴力団の幹部だった男で、これまでに十人を殺害していた。

 抗争で相手勢力の組員を二名。

 保険金目的などで、カタギの人間を七名。

 喧嘩で、一名。

 ただし、発覚したのは二件の殺人だけ。

 無期懲役で服役中、癌にかかってここへ来ることになった。

 まさしく、天罰がくだったということだろう。

「ぼくを脅してもムダですよ、木村雅史さん」

「なんだと、コラッ! 殺すぞッ!」

「ぼくたちは、もう死んでるんです。それは脅し文句になりません」

 ごく冷静に大樹は告げた。

 凶悪犯が送られてくると、大概はこういうことになる。わずか数日でも、すでに何度も経験を重ねていた。

「あなたの地獄行きは決定事項です。お金のためなら、女子供も殺せるようですね。殺害した一般人のなかには、母親とまだ幼い子供もふくまれている」

 それを耳にしても、男に反省の色は見えなかった。

「それがどうしたよ! 弱いヤツがいけねえんだろ、殺されて当然なんだッ!」

 もはや、言い訳にもなっていなかった。

「それに、そりゃ裁判にもなってねえだろ?」

「たとえ発覚してないことであろうと、ここではその罪も償わなくてはなりません」

「しるか、ボケッ!」

 いまにも殴りかかってきそうだったが、実際に殴られても痛いだけで、こちらが死んだり、大怪我をすることもない。せいぜい、しばらく痛みが残る程度のことだ。そのことさえ把握していれば、それほど恐れることではない。

 ないのだが……やはり暴力への恐怖は、完全に払拭できるわけもなく……。

「てめえ、やったるぞッ!」

 思わず、身がすくんだ。

 早々に印を押せばすむことだが、そうしたい衝動をどうにかおさえこんだ。

 このまま彼を地獄に送っていいものか──大樹は、そう考えていた。反省もせず、被害者への謝罪の言葉もない。

 できれば地獄へ行くまえに、心を入れ替えてほしかった。

「木村雅史さん……あなたにも、奥さんと子供がいましたよね?」

「あ? それがどうした!」

「いまも、現世で生きてらっしゃいますよね? その奥さんとお子さんが、何者かに殺害されたとしたら、どう思いますか?」

 ありきたりな説得しかできなかったが、彼に良心のカケラでも残っていれば、反応はあるはずだ。

「どうも思わないね」

 予想外の言葉が、彼の口から吐き出された。

「あんな女とガキが殺されようと、俺にはどうでもいいことだ! あいつらは、俺の所有物だからな」

 虚勢を張っているようには見えなかった。この男は、心の底からそう考えている。

「この世は、俺だけのものだ! 俺がムカついたやつは、殺していいんだ! 俺のために、ほかのバカは死ぬ運命なんだ!」

 この世ではなく、ここはあの世だというのに、男は豪快にうそぶいた。

 性根から腐っていた。

 彼には地獄の拷問を百万年うけつづけても、改心する日は来ないのではないか。

「あなたには、炎熱地獄を言い渡します」

 毅然と大樹は言い放った。

「親子の殺害方法と同じです……永遠の苦しみを味わってください!」

「ふざけんな! 俺はここでも、好き勝手に生きるんだ! 閻魔を殺して、俺が牛耳ってやるっ!」

 男が、凶行におよぼうとした。

 しかしそれよりもさきに、大樹は印を押していた。

 途端に、男の瞳が絶望に染まる。

 次の瞬間、男の身体が炎に包まれた。

 凄まじい業火。

 だが、その周囲に影響はなかった。大樹も熱さは感じなかったし、床が焦げるということもなかった。

 凶悪犯だけが、火炎に苦悶する。

「あ、あついィィ! た、たすげでぇ!」

「……」

「ゆ、ゆるじでぇ! は、はんぜいじでまずぅぅ!」

「……もうおそいです」

 炎をまとった男は、床に空いた穴に落ちていった。

 彼は、地獄のキャンプ場に送られることになる。そこでキャンプファイアーの火となって、人々を楽しませることになるのだ。

 全身が焼けただれる苦痛にもがきながら、そのまわりではキャンプ客が踊り狂う。

 大樹は永遠と言ったが、彼が心の底から反省すれば、救われる日も来るかもしれない。だがそれは、拷問から逃れるための改心ではだめなのだ。自らの罪と向き合い、被害者に対して謝罪しなければ──。

 大樹は、やりきれない気持ちにさいなまれた。

 人間には、けっして悔い改めることのない悪の本性をもった者が確実に存在する。社会へ出るまえにここへ来た大樹にも、そのことはわかる。

 だとしても、虚しさだけが残る結果だった。

「大丈夫ですか?」

 先輩に声をかけられて、大樹はようやく平常心を取り戻した。いまでは、先輩が声をかけてくることは稀だ。まだ大樹の知らない事柄を教授するか、不慣れなことに助言をするぐらいのことだった。

「気にしないことです。こういう連続ですよ、この仕事は」

 大樹はうなずいた。

「次の方、どうぞ」

 書類を見て、少しヘコんだ。二件続けて、『取り扱い注意』になっている。

 名前は、冴島流星。

 殺害した人数は……。

「五二人!」

 思わず大樹は、声に出してしまった。

 いったい、どんな極悪人だというのか。

 しかし部屋に入ってきたのは、物静かそうな男性だった。ただし、その身体からかもしだす空気が尋常ではなかった。例えるなら、鋭利な刃物がそのまま人の形をしているかのようだ。

 聞いたことがある。本当に恐ろしいのは、さっきの木村雅史や、先日の加藤竜次のような「いかにも」な人間よりも、この男のような、一見、静かな人間だと……。

「冴島流星さん……あなたは地獄に堕ちなければなりません」

 勇気をもって宣告したのだが、想像していたような反応は返ってこなかった。

「だろうな」

 まるで、今朝の食事を質問されたときのように、さらりとした応答だった。

「氷の彫像地獄です。これから氷づけにされ、広場で彫像として生きなければなりません。反省するその時まで、凍えづつけるんです」

「おれは反省などしない。したところで、罪が許されるわけじゃない」

 あくまでも淡々と言葉をつむいでいた。

 虚勢をはっているわけでもなく、悪ぶっているわけでもなく……。

「はやく送ってくれ。おれには地獄がお似合いだ」

 けっして反省しているのともちがうが、この男は自らの罪の重さを知っている。こういう潔い人物もいるのか……大樹はしみじみと思った。

「では──」

 判を押すと、冴島流星は、おびえることもなく、許しを請うこともなく、しっかりとした眼光のまま穴へ落ちていった。

「……」

 大樹には、どうしてこれほどの人物が大量殺人なんてしたのか、やりきれなさと深い謎が残った。



 午前の業務が終了した。

 大樹はさきほどから、なにかの違和感を察知していた。いつからだろうか……もしかしたら、だいぶまえからなのかもしれない。

(……)

 どうやら、何者かの視線のようだ。

 だが、周囲には先輩しかいない。

「どうしましたか?」

「いえ……だれかに見られているような気がするんですよね……」

 先輩もまわりをうかがうが、やはり執務室内に人の姿は認められなかったようだ。

「気のせいでしょう」

「そうですね……」

 そのときだった。

 トントン、と扉を叩く音が。

「だれでしょう?」

「もう今日の訪問は終了していますから、死者のみなさんは敷地の外に出ているはずです」

 そうなのだ。ここ数日の経験で、それは知っている。あの長い行列が、たかが午前だけの業務で解消されるわけはない。当然、順番が回ってこない人たちも大勢残っている。

 医学の発達した現在でも、やはり死亡する人数は多いのだ。しかも、執行官は見習いの大樹一人しかいない。先輩は大樹への教官に専念しているから、いつも以上に行列は長く続いているだろう。

 残った人たちは一旦、この執務所の外へ出てもらうことになる。入り口の前から、長い列のまま並んで一晩を越してもらうことになるのだ。ただし列の後ろのほうの人たちは、まだ記憶や自我が曖昧だから、並んでいるという感覚はない。それは大樹自身も体験したことだ。自分を取り戻したころには、個人差もあるだろうが、執務所の近くになってからということになる。それでも長時間を並んで過ごさなければならなかったが。

 大樹は運よく、夜をむかえるまえに順番が回ってきた。自我を取り戻すまえには、もしかしたら何泊も外で並んでいたのかもしれないが、意識がしっかりしてからの野宿はない。

 もしや、そんな野宿組の何人かが抗議のためにやって来たのかもしれない──大樹は、そうも考えた。

 もしくは、この建物内にある控室で待機してもらっている午後からのツアー参加者が、質問のためにノックしているのかも……。

「どうします? 入室を許可しますか?」

 先輩から返事はなかった。難しい顔をして、考え込んでいる。どうやら、こういうことは普段ないらしい。

 あまり待たせるわけにもいかないので、大樹は自身の判断で決めることにした。

「入ってもらいますよ。なにか急用かもしれませんし……」

 大樹は扉の外にいる何者かに、声をかけようとした。

『待ったほうがええで!』

 突然、頭上から鋭い声が降りかかった。

「な、なんですか?」

 聞き覚えのある声だ。

 上を見れば、四角く窓のように空間が切り取られ、多次元から覗き込むように天使が顔を出していた。

「ど、どうしたんですか?」

「うちらは、そこへは行けんのや」

 だから覗いているのか。

「天使や鬼は、この執務所に立ち入ることはできません。『人魂界不可侵条約』によるものです」

 先輩が補足してくれた。それ以上の説明はなかったが、なんとなく理解はできた。

 現世でも、裁判所は独立した存在だ。有力な政治家でも、司法に対して権力を振りかざすことはできない。ここを裁判所と同義のものとみていいかは疑問だが。

「そんな大層なことちゃうわ。アホか」

 心を見透かした彼女にあっさり言われた。

「それに、現世の司法は腐りきってるで」

 そう指摘されると、そのとおりなのかもしれない。だが、すでに現世へ帰ることのできない大樹にとっては、どうでもいいことだった。

「人間界への風刺はわかりましたから……どうかしたんですか?」

 大樹は繰り返した。

「そやから、そっちへは行けんのや!」

「それは聞きました」

 どんな用事があって顔を出したのかを問いかけているのだ。

 トン、トン。

 いまだ、ノックは鳴り続いている。

「それ、出んほうがいいかもしれんで」

「どうしてですか?」

「地獄が、なにやら騒がしいっちゅう噂や」

 それがどういうことを意味しているのか、大樹には皆目見当がつかなかった。

「どう騒がしいんですか?」

「殺し屋をさしむけたのかもしれへんで」

「は?」

 間の抜けた声をあげてしまった。

 天使の発言が、それほど突拍子もなかったのだ。

「殺し屋って……」

 マンガや映画のなかの話ではないか。

「たとえ殺されたって、死にませんよね」

 死んでしまったから、ここにいるのだ。

「そりゃそうや。けど、閻魔ではいられなくなる」

「どういうことですか?」

「地獄の鬼どもにけしかけられたんなら、まちがいなく《業》を背負わされるで」

「業?」

「そうや。人を殺せば、重い業を背負わなならん。なんの悪さもしておらん人間でも、食事はするわな。動物を食べるだけでも業を背負うんや。植物でも同じやけど、背負う業の重さがちがってくる」

 そういう話は、仏教大学に通っていた友達から耳にしたことがあった。カルマ哲学に似たものがある。

「つまりや、その業の重さで、地獄へ堕とされるか、自由を得るかの差になるんや。殺し屋として雇われた人間は、きっと仰山、業を背負ってるはずや。それを移されるで」

「そんなこと、できるんですか? だって、それはその人の罪なんですよね?」

「地獄の鬼に許可をもらえば、それも可能なんや」

 トン、トン。

「出ないほうがええ」

「でも……」

 このままずっと応答しないわけにはいかないだろう。

 大樹は、先輩の顔を見た。皺だらけの表情も困惑に揺れていた。

 思い切って声をかけることにした。

「どちらさまでしょうか?」

 トン、トン。

「どちらさまでしょうか?」

「あの……」

 ボソッとした小さな声が扉の向こうから、かろうじて届いてきた。

「『住居がえ』をしたいんですけど……」

「? 住居がえ?」

 そこで先輩が、思い出したように大声をあげた。

「ああ、そうでした! 最近なかったんで、忘れてました!」

 声に驚いた大樹は、眼を見開いて先輩をかえりみた。

「午前の業務終了後──ちょうど、お昼休みの時間ですけどね、そのあいだだけ『住居がえ』を申し出ることができるんです」

「それって……」

 意味をそのまま考慮すれば、住居をとりかえる、ということになるだろう。おそらく天国と地獄を変更することではないだろうか。地獄ないし天国を選んだ人間も、途中で変更することができると教えてもらった。天国の住人はほかにいないから、たぶん地獄からの……。

「開けますよ!」

 喜々として、大樹は言った。

「あかん! 罠や!」

 だが、天使はあくまでも警戒している。

 大樹にとっては、ようやくおとずれた第一歩だ。これを皮切りに天国の面積を大きくするのだ。

 天使を無視して、大樹は扉を開けた。

 もしかしたら──も、考えた。

 サングラスをかけ、ライフルをかまえた殺人者を想像してしまった。

「ど、どうも……『住居がえ』をお願いしたいんですけど……」

 やはり杞憂だった。

 そこに立っていたのは、いかにも気の弱そうな男性だった。


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