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天使というよりも、悪魔のように思えた……彼女は……。
髪はボサボサ。化粧にも手を抜いている。
態度も最悪で、淑女とは程遠い。
本当に天使なのだろうか?
ぼくは、率直にそう感じた。
* * *
地獄見学ツアーを、ぎこちなくだが、どうにか無難に終え、残りの雑務が完了したのは午後七時を過ぎていた。しかも、まだ現世の感覚のままだから、永遠に仕事を続けていたかのようだった。
萎えそうな気力を奮い立たせると、大樹は天国への扉を開けた。
白いバルコニーがあるだけの空間。
そのむこうには深い霧がたちこめている。明るさは昼と同じだ。地獄には昼と夜が現世と同じようにあるということだが、天国に夜はないのだという。
最初にここへやって来たときと、寸分たがわぬ光景だった。
「天使……さん? 出てきてください」
なにもおこらなかった。
「出てきてください」
どうしても遠慮がちになってしまう。
だが何度声をかけても、姿をあらわしてくれない。
「お願いします、出てきてください!」
強めに呼んでみた。
「天使さん……天使さま!」
『さっきから、うっさいやっちゃな!』
だれもいないはずなのに、どこからともなく声が返ってきた。ひどく不機嫌そうで、言葉づかいも乱れている。
女性の声だった。
「どこですか?」
『ここや、ここ!』
大樹は、眼を凝らした。
バルコニーにあるテーブルとチェア。
だれかが座っている?
瞳をこすった。
だれもいない。
いや……じょじょに見えてきた。
「さっきから、ここにおるで」
その女性──人間の基準に合わせると、歳のころ二十代後半。身なりさえ整えれば、もしかしたらもっと若く見えるのかもしれない。
それほどまでに、彼女の姿には気品がなかった。
天使のシンボルである背中の羽までが、くすんでいた。
一言であらわすならば、残念。
「よけいなお世話や!」
「い、いえ……ぼくはなにも……」
「人間の考えてることなんて、まるわかりや」
残念な天使は、口調と同様、表情も不機嫌さ全開だった。
(本当に、残念だ)
「残念で悪かったな」
「……」
どうやら嘘ではなく、心が読めるようだ。天使としての能力なのだろうか?
「そんなことは、どうでもええやろ。用件はなんや」
「……心が読めるなら、わかるんじゃないですか?」
少し、ためしてみたくなった。
「面倒くさいやっちゃな! いいから、はよ用件を言えや」
本気で苛立っていた。まわりくどいやりとりは、やめたほうが無難だと大樹は思い知った。
「わ、わかりました……用件を言います」
「ダメや、そらあかん」
まだなにも言っていないのに、拒否されてしまった。
心を読まれたようだ。
読むんだか、読まないんだか、はっきりしてもらいたかった。
「とにかく話を聞いてください! 地獄には生活向上委員会というのがあるんですよね? 天国にも、そういうのをつくってください」
「イヤや!」
キッパリと、断られた。
「どうしてですか? このままでは天国の面積が、このバルコニーだけになってしまうんですよ」
「ウチ一人しかおらんのや。向上なんとかを設立してしまったら、全部ウチがやらなきゃならんやろ?」
天使が一人しかいない状況では、たしかにそうなってしまうだろう。
「で、でも、天国の人数が増えれば、天使の数も増えるんですよね?」
「増えるまで、ウチ一人でやるのは、絶対イヤや!」
「ぼくも、できるだけ手伝いますから!」
「イヤや、イヤや!」
まるで、駄々をこねる子供だ。
「じゃあ、このままでいいんですか? 天国がこのバルコニーだけだなんて」
「ウチは、なんでもええ。なんにもしたくないから、天国に居すわったんや」
彼女、恐ろしく怠け者とみた。
「ここが大きくなったら、きっと、もっとラクができますよ」
「……それ、どういうことや?」
信じられないほど話にのってきた。
「だって、こんなバルコニーで休むより、大きなベッドで寝ころがったほうが気持ちいいでしょ?」
「……」
「でも、ここがこの狭さじゃ、ベッドなんか置けませんし」
「……それもそうやな」
「広くなれば、大きなリゾートホテルみたいなのをつくって、毎日楽園生活ができますよ」
「……で、なにをすればいいんや?」
(た、単純だ)
「なんやと? だれが単細胞や!」
「いや、そんなことは思ってません」
ヘタなことは考えられないな、と大樹は肝を冷す。
「で、なにをすればいいんや?」
「そうですね……やっぱり、ここをアピールするパンフレットをつくってくださいよ」
「パンフレットやな? よし、まかしとき」
自信ありげに、天使は胸を叩いた。
リゾートホテルに釣られて、コロッとやる気が出たようだ。
なにはともあれ、まずは最初の一歩から。
これから、この天国を人であふれる楽園に変えていかなくては──。
* * *
そこは、いずこかの室内だった。
炎が灯り、闇が凝縮している。
広い縦長のテーブルを、数名の姿が囲んでいる。
人ではない。
ここでは《鬼》と呼ばれる存在だ。
「動きがあったようだな」
「ちょこまかと、ちょこまかと」
「興ざめよ。酒がまずくなるわ」
だれの発言かはわからない。おのおのが勝手に言葉をつむいでいる。
「天国の話だ」
「ちょこまかと、ちょこまかと」
「酒よ、酒」
「なにを言う! 女だ女だ」
「静まれ!」
何者かが一喝した。それすらも、だれの声なのかは特定できない。
だが、部屋には静寂がおとずれた。
「天国をどうするか、ここらで真剣に考えてもいいだろう」
「現状維持よ」
「だな。天使一匹だけがよかろう」
「領地を広げられては迷惑よ」
「では、どう対策をとる?」
「殺し屋をさしむけてはどう?」
「物騒だな」
「いいじゃない。どうせ、死にはしないんだし」
「地獄に堕とされた人間に、いいのがいる」
「おもしろそうね」
女性らしき声の主は、笑ったようだった。しかし、だれがその女なのかは不思議とわからない。
「閻魔見習いの男……」
「どうしたの?」
「ちょこまかと、ちょこまかと」
「いや、なんでもない」
「じゃあ、責め苦をうけている受刑者を、いっときだけ自由にしてあげましょう」
「自由とは、かく恐ろしきものよ」
「これにて、本日の委員会を終了する──」