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悪人を成敗する、厳正なる裁判官のようなものだと考えていた。
実態は、事務作業を黙々とこなす役場の職員のようなものだ。
地味で、忙しく、達成感も薄い。
この世でも、あの世でも、仕事とはそういうものなのだろうか?
ぼくは、社会人になるまえに命をなくした。
簡単なバイトぐらいの経験しかないから、責任もなかったし、大変さもよくわからない。
しかもここでは、収入という概念がない。
なんのために働けばいいのだろう……。
* * *
きっかけはなんであれ、閻魔としての修業がはじまった。
裁判官が着る黒い法服のようなものをまとい、胸には『閻魔見習い中』という札がかけられている。
一日の大まかなスケジュールは、こうだ。
午前九時から正午までが、面談手続き。あの世へ来てしまった人々を、天国か地獄に振り分ける──もしくは、選んでもらう作業となる。
一時間の休憩を挟んで午後一時からは、天国と地獄の見学会。大樹自身も体験した、あれだ。
午後四時からは、事務処理。それが終業の午後六時まで続く。まさしく、役所のような時間割だ。
業務外は、完全なプライベート時間だという。先輩閻魔が言うには、その時間を使って地獄から天国希望者を勧誘するとのことだ。閻魔にだけあたえられた特権は、自由に天国にも地獄にも行き来できること。それを最大限に利用して天国の住人を増やしてほしいと、彼から強く頼まれた。
「これ、いつまで続くんですか?」
大樹は、思わず愚痴をこぼしてしまった。
執務室の壁の時計は、まだ九時四十分。業務をはじめて、まだ四十分しか経っていないことになる。が、すでに数時間は経過している感覚だ。
それもそうだ。大樹は、すぐに思いなおした。
ここでの時間は現世より、だいぶのんびりと流れている。まさしくあの世ではパラダイスのごとく、ゆるやかに時を刻む。まだ慣れていないこの身体では、十二時をむかえるころには永遠を感じているだろう。
それがわかっていても、念のため確認してしまった。
「あの時計が狂ってるってこと……ないですよね?」
「それはありえません。この時計は、これまで一秒たりとも狂ったことはないのです」
「へえ……」
ヘンなところで感心させられてしまった。
「とにかく頑張ってください」
先輩閻魔に励まされながら、大樹は業務に集中する。
「次の人……」
まだ頼り無げに来訪者を迎え入れている。
これで何人目になるだろうか。部屋に入ってきたのは、二十代の男性だった。自分と同じように、若くして亡くなってしまったのだろう──そう単純に考えてしまったが、眼の前にある書類には、享年七二、とある。
「ここでの姿は、本人の希望ですから」
疑問を先回りされ、先輩はそう指摘した。
「現世の姿でも、一つ前、二つ前──前世での姿でもかまいません。思い入れのある姿になれます。とはいえみなさん、ほとんど一番最近の姿になりますけど」
おそらくそれは、記憶のだめだろうと思う。大樹自身、ようやく『島崎大樹』のことを思い出せたのだ。ここに来たばかりのときは、それ以前の人格の記憶を思い出すことは難しい。もっとあとになって姿を決めることができれば、そうはならないのだろうが。
「年齢についても自由に決められます。まあ、これについても、ほとんどの方が二十代に設定されますね」
冷静に考えれば、そういうものだと納得できる。自分の場合は死亡した年齢を迷わず頭に思い描いたが、高齢で死亡していたなら、ずっと若いころの姿を熱望しただろう。
「え~と、山本和夫さん……あなたは天国へ行くことができます。どうしますか?」
「どうしますか……といいますと?」
山本和夫氏は、困惑の表情を浮かべた。
チラッと先輩の顔を見たが、あれをお願いします──という視線が返ってきた。
「じつは、地獄というところは──」
大樹自身が聞いたのと同じように説明をしていく。パンフレットも渡して、見学会のお誘いも忘れずにおこなった。
「そうなんですか……おもしろそうですね、ぜひ見学します!」
瞳を輝かせて、山本和夫氏は熱心に応えた。
どうやら、また地獄行きが一人増えてしまったようだ。
彼が退室してから、
「あの……天国には、売りになるようなものはないんですか? パンフレットとか作ったりすれば、それなりに行きたいっていう人も出ると思うんですけど」
「そういうのは、私たちでは決められないんです。天使の仕事ですから」
地獄には、地獄生活向上委員会──というものがあるようだが、天国にはそんな組織はないのだろうか?
「ちなみに、天使と鬼……ああ、この呼び名は日本支部だけのもので、ほかでは普通に『悪魔』と呼ばれるかな、とにかく天使と悪魔の人数も、天国と地獄の面積に比例してしまいますので、優秀な天使はみな、地獄へ行っちゃいました」
「じゃあ、優秀でないのが残っちゃった、ということなんですか?」
「私の口からは言えません……」
「このままでは、ますます地獄に取られちゃいますよ? 現在、天国の人口は、たった二人なんですよね?」
この先輩閻魔と、大樹だけなのだ。
「はい。あなたの見習い期間が終われば、私は転生しなくてはなりませんので、そうなれば……」
最後のほうは言いづらそうに、先輩は語った。
「その天使に、直接かけあうことはできないんですか?」
「はい?」
「ですから、天国をもっとよくしてもらうように……地獄に負けないセールスポイントをつくってもらうんですよ」
「は、はあ……」
そんなアイデア、考えたこともなたった──老人の眼が、そう訴えかけていた。
「どうすれば、会えるんですか?」
「そ、そりゃ……天国へ行けば……」
「え? でも」
天国は、あの小さなバルコニーだけだったではないか。どこにも天使などいなかった。
「むこうから自発的に出てきてくれればいいんですが……そうでない場合、呼び出さなければなりません。天使と人間の住む次元はちがいますから」
「呼び出せばいいんですね?」
先輩はうなずく。
「仕事終わりまで待たなくても、天国への見学会があれば、いいんですよね?」
「ええ。あまり、期待できませんが」
いまのところは、だれもいない。だが時間は、まだたっぷりある。
「次の人、どうぞ」
それまでよりも気合を入れて呼び込んだ。
しかし入室してきたのは、いかにもガラの悪そうなチンピラ風だった。
「はじめてですね、がんばってください」
先輩の言う意味を、書類を読んで理解した。
『取り扱い注意 極悪人』
と印が押されていた。
「なんだよ、てめえは!」
チンピラは、すごんでいる。思わず、チビりそうになった。
「ぼ、ぼくは閻魔見習いです! 加藤竜次さん、あなたは地獄堕ちが決まっています」
「ざけんな、コラァ! 天国に行くんじゃ! さっさと、手配しろやぁ!」
そうか、こういう人間だけは天国行きを希望するものなのか。
「あなたの地獄行きは、強制です!」
負けないように、大樹は宣言した。
「発覚はしなかったようですが、あなたは殺人を犯しています。反省もせず、社会的罰もうけることなく、のうのうと生きてきた。泣かせた女性も十数人におよび、恐喝、傷害、その他もろもろ。ろくな人生じゃなかったようですね」
資料を読んでいるうちに、怒りがこみあげてきた。こういう悪人は、せめてあの世では苦しみもがけばいいのだ。
「それがどうした? おう!」
「あなたには、土中地獄に堕ちてもらいます!」
「なんだ、そりゃ?」
金品と強姦目的で女性を襲ったものの、抵抗されたため、所持していたナイフで女性を刺した。事件の発覚を恐れて山中に埋めたが、じつは女性は、そのときにはまだ死亡していなかった。冷たく苦しい土のなかで息絶えてしまったのだ。
「これからあなたは罪が許されるまで、土のなかで苦しむんです!」
「てめえ、殺すぞ! そんなの取り消せや」
「ぼくたちは、もう死んでいます! 脅しにはなりません!」
毅然と言い放ったが、チンピラが突然、殴りかかってきた。腕でブロックしたが、痛かった。
「はやく判を押してください!」
先輩の叫びが耳に届いたが、身体が言うことをきいてくれない。チンピラは、なおも攻撃をくわえようとしている。
大樹は勇気を振り絞って、判を手に取った。
朱肉につけて、痺れた利き腕で書類に捺印した。
『決定済』
チンピラの拳が、寸前で止まった。
「う、い、いやだ……!」
これからの厳罰を予感したのか、チンピラの表情が恐怖に歪む。
「い、行きたくねえよ……地獄は……いやだよぉ……」
まるで、子供のように泣き言を口にする。
決定の判を押した瞬間に、身体の動きが封じられてしまったようだ。
「許してくれよぉ……!」
「反省するのが、おそすぎました」
「そ、そんなぁ!」
「罰を受け入れて、更生してください。何年何百年……何万年かかるかもしれませんが、次の転生まで、反省の日々を送ってください……」
いざ、地獄へ堕とされる人間を目の当たりにすると、さすがに憐憫の情がわいた。
「もうしません……もうしません……」
哀れにも、涙を流しながらチンピラは許しを請うている。
彼の足元に穴が空いた。
一瞬のことだった。
奈落の底へ落下していった。
彼の絶叫が、執務室の天井に反響する。
「……」
大樹は閻魔という職業の重さを、はからずも知ることになった。死刑判決をくだす裁判官の気持ちが、少しわかったような気がした。
「さあ、まだまだあとがつかえてますよ」
先輩にうながされて、大樹は業務を再開した。
「天国への見学会希望者は……いませんでしたね」
「そうなります」
正午をむかえ、気の遠くなるような作業がようやく一段落ついた。先輩の予想どおり、天国に興味をしめした人間は、だれもいなかった。
「となると……天国へ行けるのは、終業後になってしまうんですね……」
「はい。プライベートな時間で行ってください」
それにくらべ……。
「地獄は、三十名もいるのか……」
天国への見学会がないとはいえ、それだけの人数がいれば、地獄の見学会は長引いてしまうだろう。それが終わっても、残りの事務もこなさなければならない。定時までに終わるのだろうか。もしかしたら、残業もあるかもしれない。
永遠にも感じる時間、まだまだ仕事は続いていく。
業務を終えたとき、はたして自分には、まだ天使に面会する体力は残されているだろうか……。