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染み込む日常

作者: 壱原リンコ

         

 「ねぇ、別れようか」


 今晩のメニュー、カレーにしようか。

 それと同じ軽さで淡々と告げた裕介に、佳奈子は少々の驚きはあったものの、すぐに落ち着いてすんなりと了承した。ショックも不満も、努めて何も考えないようにした。裕介がそうやって言い出したことに反対しても無駄だということを、彼女はすでに学習していたのだ。なので、それをただ受け入れた、という表現の方が正しいかもしれない。


 日常面で、特に変わったことは無かった。強いて挙げるなら、放課後に教室で彼を待つ、という習慣が消えたこと。学年ごとに階が分かれているのだが、一つ上の階から、何だかんだと文句を言いつつも、裕介はいつも佳奈子を迎えに来ていたのだ。しかし別れたことによってそれは無くなり、学校が終わった後の時間に一応空白が出来た訳だが、気を使ってくれているらしい友人らの存在が、佳奈子に暇な時間というものを作らせなかった。考えようが考えていなかろうが、時間は過ぎる。気が付けば、裕介との別れ話から一週間が経とうとしていて。

 ああ、こんなものか。佳奈子はそれ以上の感慨を切り捨てる。多少、変わったことがあろうと無かろうと、日常は日常でしかないのだ。

 

 「おはよ、佳奈子。調子は?」

 「いつも通りだよ、おはよー」

 ここのところ、一番仲の良い友人、青木友美の朝の挨拶はずっとコレだ。裕介との件を知っている彼女が、自分を心配してのことだと、佳奈子自身も分かっている。その上で、佳奈子は特に変化も無く、笑顔で返した。友美は一瞬、そんな佳奈子を無表情で眺め。けれど、すぐ上に笑顔を重ねた。

 「文句とか言わないんだ?」

 唐突な問いかけに、佳奈子はきょとんと目を見開いて友美を見た。

 「何が?」

 「大島先輩に」

 佳奈子の反問に対して、友美の返答は微妙に食い違っていたが、答えとしては十分だ。佳奈子は一瞬にして何のことについてかを理解した。そして、彼女の言わんとすることを。

 ドクリ、と心臓が縮む。締め付けるような喉の痛みに、佳奈子は知らんぷりをする。出来るなら本当は、今すぐにでもここで泣いてしまいたかった。

 「文句って、何で?」

 「一方的だったらしいじゃん」

 「んー……」

 佳奈子は肯定も否定もしなかった。確かに一方的と言えば一方的だが、けれどそうでもないと言うことも出来る。自分だって、確かにちゃんと頷いたのだから。

 「まぁ、あたしもちゃんと頷いた訳だし」

 「それでいいの?」

 「いいの……って」

 何が、と聞いてくる佳奈子に、問いかけた友美自身も上手く答えられないようで、少し首を捻りながら言葉を濁した。

 「だって、ショックとか無い?」

 佳奈子を気遣うように、友美の眉がへにゃりと下がる。しかし、どうにも答え辛い彼女の質問に、佳奈子はただ首を傾げた。

 「無い?」

 「さあ……、よく分かんないや。何か、普通」

 もう一度聞かれて、佳奈子は途切れ途切れに言葉を探す。

 「普通?」

 「うん」

 佳奈子の相槌は、答えなようで答えではない。無意識に、彼女が曖昧さを求めていることに、友美は何となく気付いた。本当に何となく、だが。

 「佳奈子はさ」

 「うん?」

 コレって結構キツいんだろうな。友美は口を開きながら、そう思った。

 「傷ついてないのか、傷ついてないと思ってるのか、どっちなんだろうね」

 「……分かんないよ、そんなの」

 むっつりと表情の無くなった顔で、佳奈子は下を向いたまま、そう答えた。


 放課後。

 「佳奈子、帰ろー」

 今まで裕介を待っていた為か、何となく席を立てなかった佳奈子の机に友美がやってきた。それで、佳奈子はもう自分が彼を待つ必要が無いことを、今更ながらに実感する。単に慣れで、と考えることも出来るのだが、未練のようにも見える自分の行動に、少し腹が立った。

 一度染み込んでしまった日常には、そう易々と逆らえない。何故なら、それらはほとんど無意識の行動であったりするからだ。佳奈子はそれを振り切るように手早く荷物を纏めて立ち上がる。早足で歩いていくと、昇降口のあたりに裕介がいることに気付いた。横目で友美の顔色を伺って見ると、彼女も若干気まずそうな顔をしていた。しかし、今更道を引き返したくなどない。同じくこちらに気付いたらしい相手、裕介と目が合う。一瞬、視線に動揺が走ったのは、無理のないことだろう。

 

 普通にしなくては。

 何故か強烈に、そう思った。

 そしてそれは素通り、に近かった。軽く会釈したことに、彼が気付いたかどうかは分からない。裕介がこちらに声をかけてくることは無かったし、佳奈子も勿論しなかった。

 「何だ、大丈夫なんじゃん」

 瞬間的な緊張の解けた頭で、佳奈子はぼんやりと呟く。


「傷ついてないのか、傷ついてないと思ってるのか、どっちなんだろうね」


 ふと脳裏に蘇った朝の友美の言葉を、佳奈子は半ば無理矢理に振り払って家路を急いだ。



 

 つまらない。

 

 意味も無くそんな単語が浮かんでくる。大島裕介は今、いつになくイライラしていた。原因は分かっている。先ほどすれ違った元恋人、古屋佳奈子のこと。彼女は自分とすれ違った時、眉ひとつ動かさなかった。瞳の意図には一瞬動揺が浮かんだようだったが、それを巧妙に繕ったのだ。自分は勿論だが、相手も。それが、裕介の気に食わないらしい。けれど、そんなことが何故いちいち気に掛かるのかが分からない。それがまた気に触る。

 では、一体どうなっていたら満足出来たと言うのか。角度を変えて、裕介はそう考えてみることにした。そしてそれは割と明確に分かった。要するに、彼はこれについての佳奈子の反応に、前々から興味を持っていたからだ。しかし、先ほど見た反応には不満だった。つまり、彼は「彼女の顔がどう歪むか」が見たかった訳である。思い掛けない自分の姿に目を開き、動揺し、そして目を逸らす彼女を、彼は鮮明に想像していた。そうなると思い込んでいた。そして、それはそのまま「再現」されるはずだと、心の中では期待さえして、あの瞬間の彼女を見ていたのだ。

 けれど実際は違った。佳奈子は平然として、軽く会釈しただけですれ違って行った。声をかけてくるようなこともなく、ましてやその後こちらを振り返るようなこともなく。あのまま彼女は、何事も無く、恐らくは自宅に帰って行ったのだろう。

 

 つまらない。


 もうこれで何度目かになる単語を、裕介はまた脳に浮かべてため息をついた。佳奈子と別れてからの数日、やけにこの単語をくり返していることに気付く。あっさり。まさにそんな言葉が似合う別れ方だった。言い合いも無ければ、涙も泣き顔も無い。提案と承諾、それのみのやりとりだったように思う。その後も、何の音沙汰も無い、普通の日常が続いた。放課後、自分が彼女を迎えに行く、という習慣が無くなったが、変化と言えばそれだけ。少なくとも、何らかの反撃や文句が来ると踏んでいたのに。そしてそれを、面倒臭いと思いながらも、返り打ちにするのを楽しみにしているという不穏な気持ちもあったのだが。そういった動きは、あれから一週間ほど経った今でも、何も無かった。


 つまらない。


 その単語には、不満だけでなく苛立ちも含まれていると言うことに、彼自身は気付かない。もし気付いたとしても、自尊心の高い裕介のことだ。彼は全力でそれを無視するだろう。

 寂しい、なんて。きっと自分には一番似合わない言葉だ。二限目終了のチャイムを聞き、彼はさっさと教室を後にした。行き先は保健室。理由は勿論、体調不良などではなく、単純にサボる為だ。

 「失礼します」

 建物全体が古くなっているせいか、少々立て付けの悪いドアをこじ開ける。ちょうど保険医はいないようだ。しかし裕介に気付いて振り返った女生徒が、やけに見知った顔なのは気のせいだろうか。そういえば佳奈子は保健委員だったな。裕介は昔聞いたその情報を、今更ながらに思い出した。

 「ゆ……大島先輩、何処か悪いんですか?」

 「別に。ただのサボり」

 名前の方で呼び掛けてしまったが、すんでのところで気付いて名字に直す。それに対してだろうか、佳奈子が安堵のため息をついたのを見て、裕介が顔を顰める。

 「ムカツクね」

 「へ、えっ?」

 唐突にそう言われて、佳奈子が驚いたように顔を上げた。裕介の発言に、彼女は何とか思い当たる所を探しているのだろう、眉を寄せて黙り込む。しかし、そんな努力も空しく何も浮かばなかったようで、佳奈子はおそるおそると裕介の顔色を伺い始める。

 「この間、無視したじゃないか」

 「この間って……」

 「廊下ですれ違った時」

 ああ、あの時か、と。佳奈子もすぐ念頭に浮かんだようだ。

 「一応は会釈したつもりなんですけど」

 「それだけ?」

 「他に……何か?」

 裕介はただ不貞腐れているのだ。そしてこれは、子供じみた八つ当たりのようなものである。普段ならそれに気付けただろうが、今、無意識のうちに佳奈子は、彼に視線を向けるのを避けていた。関わるのを恐れている、というのが正しいかもしれない。

 「別に、何も言うこと無いと思ったんですけど、その……」

 「もう別れたから?」

 「はあ、まあ……そんな感じです」

 「ふうん」

 裕介は納得する風でもなく相槌をうった。

 「結構、平気そうだね」

 「いけませんでしたか」

 「さぁね。ただ、意外だったから」

 泣くと確信していた訳では無いけれど。あんな、理不尽ともすれば一方的な別れ方だ。佳奈子が憤ったとしても、何ら不思議は無かった。

 「それとも、気にしてない?」

 奇しくも、友美と同じような質問をしていることを、裕介は知らない。佳奈子は下を向いたままだった。

 「……先輩、は」

 「何」

 「裕介先輩は、気にしてるんですか?」

 微妙に震えている彼女の声に、気付く。緊張の為なのか、それ以外に理由があるのかは、裕介には分からない。でも、それ以外にもあると、心のどこかで期待していた。そうであれば良いと、絶対にそうだと、それは確信めいた気持ちでもあった。

 「さあね」

 ここ数日、つまらないことだらけだったことなどおくびにも出さずに、裕介は答える。ドライな彼の反応は初めから分かり切っていたのか、佳奈子は苦笑しながら黙り込んだ。

 

 「あんまり、気になってない」


 そして彼女は、ポツリ、と落とすように呟いた。

 「と、思ってたんですけど」

 「何が言いたいんだ?」

 「友美が正しかったのかな、と思って」

 「友美?」

 いきなり挙げられた彼女の友人の名前に、裕介は眉を上げる。

 「友美に、聞かれて……」

 「何を」

 「傷ついてないのか、そう思ってるだけなのか、どっちだって」

 「で、何て答えたの」

 「分からないって、答えましたけど……」

 ふと顔をあげると、いつの間にやら裕介が目の前に立っていたことに、佳奈子はようやく気付いた。それでも視線を自分の足元に落としたままでいると、顎を掴まれて無理矢理視線を上げさせられた。目が合うと、その手を放される。それでも、目を逸らそうとは思わなかった。

 「それで、結局は?」

 畳み掛けるような裕介の問いに、佳奈子は言葉を探す。友美に答えたものはどこか真実ではない気がしたし、彼が求めているものとも違うだろう。こくり、と喉を鳴らした。沈黙と視線がやけに痛い。

 「泣いたりとかは、してないです」

 「知ってる」

 「こういうことで泣いたりとか、悩んだりっていうのは、苦手って言うか……」

 苦手と言うよりは、それに動かされる自分というものを、まだ把握出来ない。幼さとでも言うのだろうか。

 「奇遇だな、それは同じだ」という返事が裕介から返ってきた。彼の場合、「こういうこと」であろうがなかろうが、泣きも悩みもしないだろうと、佳奈子は思っている。

 それは彼女が彼に対して、そういった反応を求めていないからでもある。する訳がないと、して欲しくないと、ある意味での完成型を彼に求めているのだ。


 「また、付き合う?」

 かくり。突然に、何の脈絡もなく言われた言葉に、佳奈子は脱力するように首を折った。

 「嫌?」

 「そういうことじゃなくて、展開についてけないんですよぉ」

 「何となく別れたんだし、何となく付き合うのも良いだろ」

 あっけらかんとそう言う彼に、佳奈子はぽかんと口を開ける。

 「な、何となくだったんですか?」

 「まあね。そろそろ飽きたかなって」

 特に意味はないが、少し涌いた興味については黙っておいた。

 「普通そんなことを何となくで言いますか!」

 「そっちこそ、何となくで返事しやがったクセに」

 「……それ、は」

 そう言われてしまえば佳奈子も反論出来ない。確かに、何も考えずに返事をしたのは事実だ。

 「どうせ、こういうことで悩むの苦手だろ、お互いに」

 「はぁ、そうですね」

 「ホラ」

 今度はそう言われる。少しだけだが、なるほど、と頷きたい気持ちになった。責めると言うよりは、呆れたように裕介が言う。そのまま頷くのが悔しいのか、それでも、と佳奈子が返した。

 「でも、嫌だったら、断ってます……よ?」

 小さくなって消えていく語尾。それと共に、佳奈子の耳はどんどん赤くなっていく。

 


 「放課後、教室で待ってて。今日もちゃんと、迎えに行くよ」



 裕介が人の悪い笑みで愉快そうに笑う。やはり、染み付いた日常は変わらなかった。


初投稿です。

小説も初めて書きました。

お目汚し失礼いたしました。

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