ある父親の手記
5月28日
娘が死んで、一か月がたった。私はようやく落ち着いた気持ちで、娘が死んだ事実を受け止めることができた。
通っている精神科の医者から、日記を書くことを勧められた。毎日の出来事を書くことで、気持ちを整理できるらしい。
頑張って続けてみようと思う。
5月29日
いいことはなかった。悪いこともなかった。一日中家に引きこもっている。妻が心配そうに私を見ていた。
5月30日
いいこともなく、悪いこともない。昨日と同じだ。
6月1日
いいことも、悪いこともない。
6月2日
いいことも、悪いこともない。
6月3日
いいことも、悪いこともない。
ペラリ、ペラリ
7月5日
いいことも、悪いこともない。
7月6日
……このままではいけない気がする。毎日同じことの繰り返し。医者に言われるまでもなく、よくないとわかる。
久しぶりに外に出た。太陽の光が強くて、もう夏が近いことに気付いた。愛美が死んだ時はまだ春だったから、ずっと春のような気がしていたが、そうではないのだ。
私は、生きているのだ。
7月7日
久しぶりに妻と会話をした気がする。彼女は泣いていた。申し訳ない、と思う反面、こんな情けない私を見守り続けてきてくれたことに感謝をしたい。
久しぶりに、食事の味を感じた。
ペラリ、ペラリ
8月19日
会社の同僚が会いに来た。いや、元同僚、か。愛美が死んでしまってから、会社は辞めてしまった。誰にも会いたくなかったから。
同僚は、私を見て泣いていた。よかったと。今では一応の会話はできるようになったから。
……よかったのだろうか。今でも私は愛美の夢を見る。目の前で命を散らして、今も苦しんでいる夢を。
ペラリ、ペラリ
9月5日
愛美が通っていた学校の体育祭を見に行った。生き生きと笑う高校生の顔を見ると、胸が張り裂けそうになる。
どうしてあの中に愛美がいないのだろう。どうして愛美がいないのに、彼らは笑っていられるのだろう。
しばらく泣いていると、去年から愛美の担任だった教師が私を見つけ、話しかけてきた。彼は、愛美がいなくなった後のクラスの様子を話してくれた。
感情的で、しかしみんなのリーダーだった愛美が死んで、一時は沈み込んだ雰囲気だったらしい。だが少しずつ回復して、今は前を向いて頑張ろうという気持ちに満ちているらしい。
彼らはすでに乗り越えているのだと思った。なら大人の私も……
ペラリ、ペラリ
10月5日
仕事を探す傍ら、町を散策した。今はもう、愛美の死にざまを思い出すことも少なくなってきた。そのことをさみしく思う反面、それが正常なのだとも思えるようになった。
医者の顔も明るい。私が回復してきたからだろう。
10月6日
裏通りに、古めかしい古書店を見かけた。試しに中に入ると、見知らぬ本がたくさんあった。
店主の老人は、私をしばらく眺めた後に「また来なさい」と言った。
何か買っていけということだろうか。
ペラリ
10月13日
またあの古本屋にいった。しばらく見ていると、妙に気をそそられる本を見つけた。
真っ黒で、奇怪な手触りの本。手に取ると、視界が歪むような、吐き気がするような、そんな感覚があった。
気づけば私は、その本を買い取っていた。その間の記憶が妙にあいまいだ。買わねば、という使命感のようなものだけがあった気がする。表紙を開くと、英語で書かれていた。
何が書かれているのだろう。時間もあることだし、翻訳でもしてみよう。
10月14日
どうやら私は、とんでもないオカルト本をつかまされたらしい。
書いてある内容は、魔術や神などといった、眉唾もののことばかり。しかも難解な英語で書かれていて、翻訳もなかなか進まない。
ページをめくる度、具合が悪くなるのはどうしてだろう。しかし、ページをめくることをやめられない。
10月15日
翻訳を勧めていて、気になる記載を見つけた。魂の探査と固着。これを使えば、もしかしたら……
いや、私は何を考えているのだろう。そんなこと、ありえない。
10月16日
また部屋に引きこもるようになった私を、妻が心配していた。申し訳ないとは思うが、今はこの本の翻訳に忙しい。
私は大丈夫だから、心配しないでほしい。
10月17日
魂の探査と固着の魔術について、また記載があった。使い方は主に二つ。生きている人間から魂を取り出す方法と……すでに死んだ人間の魂を依り代に移す方法。
邪なる考えが頭から離れてくれない。
10月18日
少しやせただろうか。妻が、私の目の隈がひどいと言っていた。
しかし、私はこの本について知らなければならない。
読み進めるほどに、翻訳は速くなっていった。もう、辞書がなくても読むことができる。
冒涜的な魔術を、おぞましくも平伏すべき神々のことを、もっと知らなければ。
10月19日
魂の依り代には、相応の器を用意する必要がある。人間の魂を固着させるために、死んだばかりの傷のない人間を使うことが通例らしいが、人間を調達することは難しいし、何より失敗すれば、かつての人格と魂の人格が混ざり合い、精神が崩壊してしまうらしい。
たった一度しかできない儀式に、そんなリスクを冒すことはできない。何か、何か人間よりももっとふさわしい器はないものだろうか。
10月20日
見つけた。これなら、黒の落とし仔であれば、人間の魂に耐えられる。黒の落とし仔に愛美の魂を固着させる。人間以上の生命力をもつ落とし仔を使えば、人間であった頃よりもずっと長く生きられる。
なんてすばらしい。私は二度と、愛美の死を見なくて済むのだ!
ペラリ
11月1日
女がうるさい。本の翻訳をやめろと。
何を言っているんだか。この本の内容を完璧に読み解かなければ、愛美と再会することはできない。そのことを伝えると、女は絶望した顔をした。しょせんは、愛美を生んだだけの女か。親子の情というものがないのだ。
私はもう一度愛美と……
11月2日
愛美に会いたい。はやく、あいたい。
11月3日
魔術についての考察を深める。必要なものは術者の精神力、魔法陣、生贄。魂の探査に関しては、時間をかければどうにかなるが、黒の落とし仔の招来に関しては厄介だ。
身近に殺してもいい人間。
……なんだ、すぐそばにいたじゃないか。あの女。血筋でも完璧だ。儀式は必ず成功するに違いない。
ペラリ、ペラリ
11月29日
魔術の研究はあらかたすんだ。魔術で地下に専用の部屋も創ったし、あとは愛美をよみがえらせるだけ。研究で、私の中から様々なものがごっそり抜け落ちていった気がするが、気にするまい。
私の研究に狂いはない。儀式を行うための一週間。甘美なものになりそうだ。
11月30日
明日がついに決行の日だ。愛美、待っていてくれ。私が、お父さんがお前をよみがえらせてみせるから……
パタン
ブクマなどいただけたら嬉しいです。
そういえば、この話はクトゥルフ神話をベースにしているんですよ。