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後編

「あんた様、飯の用意が整いました」


「ふん…まぁ、食うてやろう。ただし不味かったら、お前を頭から食うてしまうからな!」


「へぇ、そん時はガブリとやってくだせぇ」


「ん? これはなんじゃ? ずいぶん明るい色をしておるが、大根の煮付けか?」


「さくら煮と言います。梅とカツオで取った出汁が染みております」


「ふん…食えんこともないな」



 こうして鈴蘭と山神の奇妙な生活が始まった。

 鈴蘭は、賢くよく働く嫁だった。


 朝は早くに起きて飯の支度。寝ている山神を起こし朝食を取らせ、着替えの手伝い。

 午前は屋敷内の掃除と昼食の支度、午後は山神に昼食を食べさせ庭掃除と鳥たちの面倒を見て、夕方に風呂掃除と夕食の支度。


 山神は当初それを、バカバカしいと心の中で笑っていた。山神が神通力を屋敷に掛ければ、わざわざ掃除をしなくてもチリはなく、風呂も飯も着替えも指一つ動かすことなく終わったからだった。

 だから、わざと神通力を使わず、むしろよりより屋敷が汚れるように術をかけた。鈴蘭がそのうち根を上げ、自ら出ていくのを待っていたのだ。


 ところが、それからひと月ふた月経っても、鈴蘭は一向に怠ける気配はなかった。屋敷はいつもピカピカで、毎食出される料理に手を抜いた跡もない。品数多く、同じ品目は続かず、いつもホカホカに温かかった。


「ふーむ、中々真面目な子のようじゃのぉ」


 山神は意地悪をしていた自分への罪悪感から、気恥ずかしさを感じ始めていた。



 ある日、山神が着物のほつれを縫い直している鈴蘭に尋ねる。


「お前もよくよく不運じゃのぉ。山神の嫁なんぞ、なりたくてなった訳ではあるまい? 後悔しとるんじゃないか? んん?」


 鈴蘭は眉一つ動かさずに答える。


「そったらことありません。オラの身ひとつで村が救われるなら、なんも思い残すことなんぞありゃしません」


「本当か? 本当にそう思うのか? 村の連中はお前をワシへの生贄に、自分たちの身を守ったではないか。お前がどうなるかもわからんというのに。身勝手な奴らを、恨んでおらんのか?」


「恨むなんてそんなこと…」


 鈴蘭が縫い物を止めて山神に向き直る。


「オラ、元々は戦孤児だったんです。物心つく前に、おっとうもおっかあもいなくなっちまって、暮れ始め村の和尚さんが拾ってくれたんだぁ。寺には他にもおんなじような孤児たちがおって、村も苦しいはずなのに、やれ食べ物だの着物だの色々世話してもろて。今、こうして生きていられるのも村の衆らのおかげだで。感謝こそすれ、村を恨むなんてとんでもねぇ」


 鈴蘭がニッコリ笑う。


「むしろ恩返しができたと思うております」


「む…むぅ…」


 その笑顔はずっと荒れていた山神に、眩しすぎるほど純粋なものだった。


「さて、直りました。置きっぱにされてた着物ですが、着てみてくだせえ」


「う…うむ」


 山神の後ろに回り、片腕ずつ袖に通させる。


「いかがでしょう?」


「あぁ…ご苦労。よく縫えておる」



 十月のある日。山神は八百万の神々の寄り合いがあると言って、出かけた。


「半月ほど帰らん。その間、屋敷の留守を頼んだぞ」


「へぇ、どうかご無事でお帰りくだせぇ」


 鈴蘭が玄関口で切火を切り、山神はうなづいて敷居を跨ぐ。

 表にたてがみが燃え盛る黒馬がいる。山神が鞍に飛び乗り手綱を引くと、黒馬は高くいななき空中を駆ける。大鷲より早く、その姿はあっという間に洞窟の入口へと飛び去っていった。



 それから数日が経った。鈴蘭は山神の言いつけ通り、彼がいなくても屋敷の掃除はかかさず鳥たちの面倒もよく見た。

 鈴蘭が台所で献立を考えていると、やけに掠れた狐の声のようなものが聞こえてきた。


「はて? 野良狐でも迷い込んだんじゃろうか?」


 勝手口を開けて外に出ると、水瓶の影に誰かが隠れていた。


「す…鈴蘭かぁ?」


「あれま、和尚さん。なしてここに?」


 育ての親である和尚が、やや怯えた様子で座っていた。


「あぁ、お前のことがどうしても心配でなぁ。村じゃ山神に食われちまった、なんて噂が流れとるくらいじゃ。ところで山神はおらんのか?」


 おっかなびっくり立ち上がる和尚の手を取る鈴蘭。


「そうけぇそうけぇ、村じゃそんな風に。だったら心配はいらねぇ。オラはしっかりやってると、村のみなに伝えてくれるだか。旦那様は留守じゃ。上がってってくだせぇ」


 手を引いて屋敷に引っ張りこもうとする鈴蘭を、和尚は手で制する。


「いやいや、ワシはお前の無事な顔が見られただけでじゅうぶんじゃ。婚儀の日から心配で心配でなぁ。酷いことはされとらんか?」


「いんや、大丈夫だ。旦那様は見た目はおっかねえが、悪い神さんじゃねぇ。何一つ不自由してねぇよ」


「そうか、それなら安心じゃ。本当は、寺の子供たちもお前を心配しとったから連れてきたかったんじゃがのぉ」


「和尚さんの口から、オラが元気にやってると伝えてくんろ。ほれ見てけれ、この綺麗なべべ。旦那様からいただいたんだ。こんなの京のお嬢さんでも着てねぇぞ」


 くるりと回り、鈴蘭は藤紫の着物を見せびらかす。不思議な術がかけられたそれは、あやめの柄が花咲いては舞い落ちていた。


「お前は昔からおなごの着物がよう似合うておったからのぉ。しかし、乱暴な扱いをされてないようでなによりじゃ。長居をして山神の怒りを買ってはややこしい。留守を見てまた来よう」


「あぁ、また来てくれ」


 鈴蘭は土産に団子を持たせようとした。和尚は断ったが、「元々オラが食べる数日分だったから、減ったところでバレはしねぇ。寺の子供たちと食ってくれ」と鈴蘭は頑として譲らなかった。

 根負けした和尚がなんとも申し訳ないやら嬉しいやらの気持ちで帰っていった。



 そうして半月が経った。

 鈴蘭が玄関で待っていると、山神が黒馬に乗って帰ってきた。


「おかえりなせぇ」


「う…うぅ~む…」


 山神の様子がどうもおかしい。黒馬から転げ落ちるように降りると、あっちへふらふらこっちへふらふらしながら歩いてきた。


「ど…どうなさったんで?」


「いや、どうも酒を飲みすぎたようなのだが…どうにも体が重くてな」


 玄関に入った山神はそのまま、ズデーンと倒れ込んでしまった。


「ありゃま、こりゃ酷い熱だ。あんた様、早く寝所の方へ」


 山神の巨体を鈴蘭の細い腕で支えるのは大変だったが、どうにかして寝床へ連れて行った。


「う~む…う~む…」


 山神の熱は、人間ならとうに死んでいるほどの高熱で、鈴蘭は何度も水場を行き来しては水手拭いを交換した。満足に動けぬ山神の巨体の汗を拭いたり着替えをさせるのは大変だった。


 しかし、鈴蘭が夜も寝ずに懸命に看病したおかげか、三日後には熱も下がり始め、四日後にはだいぶ食欲が出るようになってきた。


「はれ、だいぶお熱も引いてきたようで」


 ひたいを当てて熱を計る鈴蘭の顔を、山神はじーっと見つめる。そして一言、


「すまんのぉ」


 鈴蘭は声を立てずに笑う。


「なにをおっしゃいますやら。夫婦なればこれくらい普通でしょうに」


「…いや、ワシをかように愛してくれたのはお前だからじゃろう。そこいらの奴らではワシのナリを見ただけで腰を抜かしてしまう」


「でしたら、いくらでも甘えてくだされ」


 山神の頬を涙が一筋伝う。


「やれ情けなや」


「風邪を召せば誰でも心が弱りまするで。情けないなんてことありはしませんよ」


「…ワシは、昔はこのような荒神ではなかった。聞いてくれるか?」


「はい…」


「その昔、山の守り神として近くの村々を守っておった。村人は毎年祭りを開いて信仰してくれ、それは豪華な供え物を貢いでくれておった。じゃが、世に戦乱の火が広がった頃から村々にはゆとりがなくなってしもうた。毎年の祭りも一年毎、二年毎、三年毎…と減っていき、やがていつしか供え物すらされんようになってしまった」


「それは、お可哀想に…」


「哀れんでくれるか? 山神は人の信仰心と表裏一体じゃ。廃れたワシは荒んでいき、守り神としての役目もまっとうできなくのうなってしまった」


「そんなことが…」


 山神が手を差し出すと、鈴蘭はそれを両手で握り締める。


「じゃが、お前の清らかな心がワシの枯れた心を潤してくれた。ありがとう」


「なにをおっしゃいますやら。夫婦なれば互を想い合うのは当たり前。オラで良ければ、死ぬまでお傍であんた様の乾きを癒す如雨露になりましょう」


 微笑んだ鈴蘭の顔は、山神の目にそれはそれは絶世に美しく映った。初心な初恋の童のように顔を真っ赤にして、体ごとごろんと横になりそっぽを向く。


「やれやれ…とんだ嫁子を掴まされたものじゃ。長者の奴め、これはうんと仕返しをしてやらんとな」



 その翌年、暮れ始め村は豊作だった。田畑には黄金色の稲穂が生え渡り、静ヶ山は山菜やきのこがたくさん実り、川では魚やドジョウや貝が山ほど採れた。

 また村では女子が産まれるようになり、減り始めていた住人はみるみるうちに増えていった。


 和尚の提言で、村人たちは年に一回は山神への信仰を忘れないように祭りを開き、毎年欠かさずお供え物をするようになったとか。


 以後、この村では花嫁の角隠しに鈴蘭を一本添える風習が出来、夫婦は末永く仲睦まじく幸せに暮らせたそうな。

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