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姫君と騎士  作者: 叶
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榛の騎士の物語2



「ビクターさん。今日も教えてね」


先ほどのお茶の時間にあまったビスケットをお土産に、ジゼルは彼のもとへとやってきた。


太陽の光がさんさんとふりそそぎ、中庭の噴水がきらきらと輝く。


ピクニックをしている気分で毎回ここにきているジゼルは、お土産であるビスケットを広げ、まずいつものように自分が食べた。


「あれ、どこまで話したんだっけ?」


「コンラートさまが騎士に入隊したてのときに、ビクターさんが禁止されているお酒を寮に隠していたら、勝手に部屋に入ってきた先輩にばれたっていうところまでよ」


ああ、そうだ。とぽんと手を叩いたビクターも、口の中にビスケットを一度にたくさん放り込んだ。


彼は無類の甘党らしい。

ばりばり満足そうに味わったあと、やっと彼は口を開く。


「そうそう。あれはとんでもなかったなあ。同じ寮にいる奴らだってちょくちょく俺の酒を喜んで飲んでたくせに、みんな知らんぷりしやがんの。先輩たちは、俺ら新兵をいじめる気満々だしねえ」


楽しそうに語るビクターを、ジゼルは嬉しい気持ちで聞いていた。

ビクターごしで伝わるその世界はまったく知らない、でもとても素敵なところだからだ。

そしてコンラートがかつて経験している世界だ。


「それで?どうなったの?」


昔話を聞く子供のように、ジゼルは話をせかした。


「でも先輩にひどいめに会いたくなかったから、とっさに嘘をついてね。みんなと離れて、ひたすら剣を磨いてたノリ悪い奴を指さして、こいつが持ち込んだんだって先輩に言ったんだ。そいつは前からいけすかなくてね」


ビクターはくすくす笑う。実に楽しそうだ。

ジゼルは呆れてものも言えない。

でも、その人ってまさか…


「都合がいいことに、そいつは愛想がよくない上に、しかも剣の腕も良いから先輩たちに目をつけられていたんだ。すぐに奴は先輩に囲まれたよ。俺もざまあみろって思った。で、そいつが、コンラートだ」

何言ってんの、この人!


「ひ、ひとでなし!いますぐ謝りなさいっ!コンラートさまにあやまってください」


「待ってって。まだ続きが…。まあいいや、この続きはまた今度、仕事いかなきゃ」


「えっ!気になるわ!明日、明日ですよーっ」


さっさといなくなろうとするビクターの後ろ姿に、ジゼルは思いっきり叫んだ。



――おい、見ろよ。またジゼル姫とあの騎士が一緒にいる。


――最近よく見るわ


――まあ、ずいぶん楽しそう。もしかして、姫君…


――ああ、もしかして…


――のりかえたのかなあ



「やあ、コンラートくん。たまに使用人の話を聞くのも、おもしろいなあ」


あっちでも、こそこそ。

こっちでも、こそこそ。

コンラートを見ては、こそこそ。

今や城中が、同じ話題でこそこそしてるのだ。


「ジゼルが浮気してるってよ。どうする、婚約者どの」

「楽しそうですね、王子」

「楽しいわけないだろう、大事な部下の危機だというのに」

本当だろうか、とコンラートは上司の顔をまじまじと見る。

ああ、目が笑ってる。

小さくため息をついたコンラートは、噂のふたりを思い浮かべた。

あのジゼル姫と、あのビクター。


「ああ、つらいよな。親友に婚約者を取られたんだ。煮えきらないよな。奥まで焼けない鶏肉みたいなもんだよな」


煮る話から、焼く話になっている。この人は何が言いたいんだろう。


「……もしかして王子。お腹すいてます?」

「よくわかったな」


ようやく、主の考えることがわかってきたみたいだ。

と当たったことに少し喜びを感じてしまったコンラートは、直後、我れに返り、本当に煮えきらない思いを抱えた。



********


これは、予想外だったな。

城中に流れる噂に、ビクターは少し頭をかかえた。

別れさせようと思っていても、こんなリスクの高い方法は考えてはいなかった。

できるだけビクターの存在感をなくしつつ、すれちがいと誤解による自然消滅をねらっていたというのに。


ああー、王様の耳にはいったらどうしよう。

コンラートは…。

ああ、あいつの耳にはもう入ってたか。

なにしろビクターがこの噂を知ったのは、アンドルーから教えてもらえたおかげだ。

そして、あの王子はバカなのかコンラートを隣に従えたまま、


「ビクター、お前ジゼルと浮気してんだって?」


とゲラゲラ笑いながら人の顔を指さして笑ったんだから、本当にもう正真正銘の馬鹿王子だ。

これは、さすがにコンラートにやられるかな、と思ったが、意外なことにコンラートはいつものようにアンドルー王子をいさめていただけだった。

なんだよ、あいつは。

婚約者が、浮気したっていうのに。

普通は、浮気相手疑惑の男をぶん殴るだろう。

まったくわからない男だ。


「ビクターさん!話の続きをお願いします」


噂の存在も何もわかっていないジゼル姫が、今日も能天気にビスケットを持って駆け寄ってきた。

そろそろ作戦決行かな。まわりにこれ以上疑われたら立場が危ういし。

心の中でため息をつき、ビクターはにこりとジゼルに笑いかけた。


「ねぇ、コンラートのどこがいいの?姫君」

「え?コンラートさま?もちろん、全部よ」


ジゼルはそう言って幸せそうに笑う。しかし、くす、と笑ったビクターはジゼルの瞳を覗きこんだ。

「全部?コンラートのこと、そんなに知らないのにそんなこと言えるの?」


うっとジゼルは言葉につまる。

案の定だね、とビクターは心の中でほくそ笑んだ。

「だから、ビクターさんに教えてもらってるんじゃない…」


なにも知らないのは嫌だから。

「そうだね。なんでも教えてあげる。たとえば、なぜコンラートが君を選んだのか知ってる?」

「…え?」

そっとこちらを覗き込むジゼルは、知りたいけど少し恐いといった顔だった。

それを安心させるように、ビクターはやさしく笑う。

しかし、口は毒をはく。

「あいつってさ、昔は名門だった貧乏貴族の次男なんだ。長男は爵位と家を継げる。けど、次男が安定した家を築くために何をすると思う?その一族の血を守りながら」

「な、なにを?」

「金持ちの名門貴族の婿になるしかない。…つまり君の求婚をすぐ承諾したのはただそのため。姫君、あなたは愛のない結婚をして幸せなのかい?」


「コンラートさまはそんな人じゃないわっ」


むっとしながら詰め寄る彼女を、彼はなおもたたみかける。


「本当だよ。俺がこの国を出る前、あいつには恋人がいた。だけど、結局自分の家の繁栄を選んだんだね。…当たり前だよね、姫から求婚なんてこんなチャンス二度とない」

「こ、恋人!?」

「それにあいつの好みは年上だ。悪いけど、姫君はまったくあいつの好みにはまってない」


みるみるうちに肩を落としていくジゼルに、ビクターは容赦なくいい放つ。

「結婚してから、その恋人とよりを戻すかもしれないよ。世間ではよくある話だしね。貴方の夫になっても、その夫が愛人を囲うなんて、姫君はたえられる?」

「…それは……」

「俺はね、姫君には幸せになって欲しい。だって俺はこの国の騎士だから。王族を…姫を守るのが俺達の役目なんだ」


我ながらよくもこんなことを言えるな、とビクターは自分で呆れた。

いや、呆れたというよりも感心した、というほうが合っているかもしれない。

本当に自分の腹の中は、どこまで黒く染まっているのか。

そう心の中で、ひとり微笑む。


「コンラートは、本当に姫君を愛しているのかな?」

「そんなの……ひどい…」


などと呟きながらジゼルは顔を覆った。

じきに、めそめそと鼻をすする音が聞こえてくる。


だよなあ。

コンラートのとりえって誠実そうなところだけみたいなものだし。

でもね、こんな他人が言うこと本気にして、恋が冷めているなら本当の恋じゃないってことだ。


良かったじゃないか。

結婚する前に気づいて。


そして、俺に言ったことを鵜呑みにして落ち込んでいるような女に、コンラートはやれない。


なぜ、他人の言葉をそうも簡単に信じられる?

こんな娘に、大切な親友は渡せない。


世間知らずなわがままな姫さまに、振り回される人生なんて歩ませたくない。


そもそもコンラートだって、本当にジゼルを好きなのかもわからない。


嫉妬もしないなんて、愛がない証拠だ。


王族の求婚を断るのは不敬に値する、とあの律義な友人は断れないのかもしれない。


だったら、救ってやれるのは自分しかいない。


最初は自分の出世のために、と始めた行動は、しだいにビクターの決意を固めていったのだ。


そう、ビクターが決意を込めて拳を握り立ち上がったとき、ちょうど回廊から王子とコンラートがこちらを見ていた。



「あ、王子。コンラート」


その言葉に、ぴくりとジゼルは反応した。

婚約者の思惑を知って、初めてのご対面だ。


「ジゼル、ビクター、ふたりしてなにやってんだよ。ああ、もしかして浮気現場見てしまったのか、俺たちは」


たいしておどろいた様子もなく、アンドルーが能天気に声をかけた。


「はは、冗談やめてくださいよー」

なので、ビクターも陽気に答える。


「だって、みんなが噂してるだろお?あれ…何泣いてんだよ、ジゼル」


ジゼルは黙ったまま、兄に背を向けた。


潔癖な少女は、コンラートの姿も見たくないのかもしれない。

少し、ビクターはコンラートに対して罪悪感を抱いた。


「姫…?」


心配したコンラートが、ジゼルに歩みよる。

あー、逆効果だよ。コンラート。

ごめん。ちょっと、いや、ひどくやりすぎたかな…

などとビクターが頭を抱えるのをそっちのけで、コンラートはジゼルに駆け足で歩みよった。


「姫、姫君。どうなされました?ジゼル姫?」


コンラートは困ったように眉根をよせたまま、ジゼルの顔を覗きこもうと身を屈めた。


「ひどいです…」


かすかにジゼルから、声が漏れた。


「姫…?」

コンラート、近づくなって。

見ろよ、ジゼル姫の今涙ふいた手を。

コブシしっかり握ってるよ。


殴られるよ、おまえ。


さすがに罪もないコンラートが殴られるのは可哀想だと思ったビクターは、ふたりの間に割って入ろうと、体を割り込ませた。


「待って、姫君。確かにこいつはどうしようもない男だけど、殴るのは…」


「ひどい!許せないっ」


「うん。わかるどさあ…わ!」


そのとき、ジゼルがコブシを構えた。

その標的は、コンラートではなく……


「コンラートさまを侮辱するなんて酷すぎます!!友人のあなたが、コンラートさまをそんなふうに思っているなんて…!コンラートさまはそんな人じゃないのよーっ!!」



ビクターの右頬にとんでもない衝撃が走った。


よろけ、そのまま地面に転ぶ。


頭蓋骨が揺れているようだ。


小さい星たちも見える。


「ってて…」


ああ、この拳は記憶にある。


「いってーよ、コンラート」


殴ったのはジゼルではない。

コンラートだ。

頬をおさえながら、見上げると、相変わらず涼しげな顔をしたコンラートがどんな表情も浮かべず、こちらを見下ろしていた。


ジゼルはというと、握りしめた拳をゆるめ、一番驚いたように呆然とコンラートを見つめている。


「…何でお前?」


「ビクター、あれだ。なんだかんだいって噂にかなり嫉妬してたんじゃないか?」


あーあ、と傍観者の立場を楽しんでいるアンドルーが深く納得しながら呟いた。

そうか、噂か。


こいつも人並みに焼きもちとか焼くのか。


「理由は分かりませんが、姫がビクターを殴ろうとしていたので、変わりに殴ったまでです。姫君の手を痛めつけるわけにはいきませんから」


「コンラートさま…」


ジゼルが、のぼせたように顔を赤く染めた。

無理もないかもしれない。

淡々といい放つ声に、迷いも後悔もない。 相変わらずの忠誠心。


ほら、とコンラートは何もなかったようにビクターに手をさしのべる。

間違ってた。

こいつは人並みの感情なんてないんだな…

人並はずれた強い何かをもっている。

嫉妬にかられるような、狭い心なんて持ってない。

だから姫もこいつに惚れ、王子は常に傍におき、俺は心配する。


そう思い、ふっと笑いながらさんきゅ、と言った瞬間、力強く…痛いくらい…いや骨が砕けるくらいにコンラートが手を握りしめてきた。


「………おまえ、怒ってる?」


でも、顔は微笑んでいる。

あれ、こいつこんな風に笑ってるときが一番恐かったような…


「あれだよ。そんな顔してコンラートは『人の女にちょっかい出しやがって』って心の中で思っているんだよ」


本気で?と手を握られたまま、冷や汗をかきコンラートを見上げる。


「おまえも、そんなこと思ったりするの…?」

「いや」


だよな、まったく想像できない。

まさかなあ、とははっと笑う。

王子も自分で言っときながら、わはは、と腹を揺すっている。


とそのとき、コンラートの口がゆっくり開いた。


「王子の言葉を借りるなら、『泣かせてんじゃねぇよ』とは思いました」


今、目が本気だった。


あ。「俺の女を、泣かせてんじゃねえよ」、ね。



********


「お話の続き、聞かせてください」


今日も駆け寄ってきたジゼルに、さすがにビクターは呆れた。


「こりないね、姫…」


殴られたのは昨日の今日だっていうのに、とビクターは痛む頬をおさえる。

いや、気がすまなくて俺をまた殴りにきたか?

とも思ったが、いつもどおりビスケットのふくろを広げるジゼルの様子にそんな素振りは見当たらない。


まあいいか。とお土産のビスケットを口にほおり込み、ビクターは口を開いた。


「…なんで姫君は、コンラートの過去を知らないのに、俺が嘘言ったってわかったんだ?」


ショックをうけて、めそめそ泣き出したのは、ビクターがコンラートの過去をでっちあげ、最低な男にしたてあげたからだ。

だから、侮辱するなとジゼルは怒った。


「いいえ?わからなかったわ」

「は?」


楽しそうにビスケットをかじるジゼルは、のほほんとそう言った。


「何も知らないのに、どうして好きになれるのかってビクターさんは聞いたわよね?」


突然の話の切り替えに、ビクターは首をかしげる。


「それはね、今のコンラートさまが私のすべてなの」

「…ジゼル姫?」

「わたしが好きになったのは今のコンラートさまよ。だから私にとってのコンラートさまは、今のコンラートさまだけ。だから、あまり過去なんて関係ないの。どんなことをしてきても、今のままで変わらないなら」


たとえ年上好きでも、恋人がいたというのも本当だとしても、今のコンラートはジゼルを選び、全力で守ってくれる。

ジゼルだけを、大切に想ってくれている。

家のためだけにジゼルを選んだなんて、今のコンラートにはできないとわかっているから。

それが真実で、疑いようもないからジゼルは信じていられるのだ。

今のコンラートだけが、ジゼルにとっての真実だから。


「…ふーん。なんだ、ままごと恋愛じゃなかったんだ」

「え?なんのこと?」


かすかなビクターの呟きは、ジゼルが問いただしてももう紡がれることはなかった。

ままごとじゃなく、このお姫様はコンラートをちゃんと見ているようだ。

ならば、邪魔をする必要はないわけだ。

そしてコンラートも、きっと覚悟はできている。

親友が手を貸す隙もないほどの、決意をすでに固めているに違いない。


まあ、ちょっと独り身の立場としては妬ましいけどね――



「姫君、話の続きをしてあげるよ。俺の知る範囲のあいつのこと。お詫びも込めてね」

「うそは、やあよ」


くすくす笑い、ジゼルは耳を傾ける。


「はいはい。確か、酒のことをコンラートのせいにした後だったよね。そうだ、そのあと乱闘になっちゃってさ。まあ、その先輩たちっていうのが、俺たちより悪事千万を働いてる最低な騎士のくせに、散々コンラートだけでなく俺たちをなじるから、さすがにみんなキレて、結局大乱闘になったんだ。そのときあいつは……」


そうだ、確かあいつは……


「姫君?」


その時、低い声がふいに響いた。


「コンラートさま!」


「やあ、コンラートじゃないか」


また、タイミング悪く会っちゃったかな。

とも思ったが、彼の様子はいつもとは変わらない。

コンラートに限ってはそういう嫉妬などというような心配も必要ないみたいだ。


「どうしたんですか?コンラートさま」


嬉しそうに婚約者のもとへジゼルは駆け寄り、にこにこと見上げる。


「ちょうど、姫君を探していたんです」

「まあ、わたしを?」

「はい。これからアンドルー王子が近くの湖に舟遊びをしに出かけるのですが、良かったらご一緒にいかがですか?」

「本当に!?つれていってくれるの?」


ジゼルはこれまでになく嬉しそうに瞳を輝かせた。

久しぶりにコンラートと過ごせるのだから当たり前だろう。


「たまにはいいな。俺も行こうかな」

「ビクター。今日は末の王子からお茶会に招待されているんだろう?」


とは言っても、ほとんどお守りを押し付けられたようなものなのだ。

アンドルーが、こいつは外国から帰ってきたばっかりだからいろんな話を知ってるぞ。たくさん遊んでもらえるぞ、と幼い弟に調子いいことを言ったおかげだ。


「いつも遊んでやってんだから、たまにはいいだろう。今度ちゃんと行くって。ねえ、姫君だって俺が行ったほうが楽しいと思うだろう?」


「え?…まあそうね。たくさん人がいるほうが楽しいかもしれないわね」


やっぱりね、と気分よくビクターは立ち上がった。

ジゼルを味方につければ、コンラートはしかたなく認めるだろう。

姫を調子良くおだてて、ちょっくら舟遊びにでも行きますか。


「さっすが姫君!やっぱり俺がいなくちゃ寂しいよね。姫のためなら、ボートなんて俺が何周でも漕いであげるよ」


ビクターは二人に歩みより、軽いスキンシップのためにジゼルの肩をぽんっと叩いた。

…いや、叩こうとしたそのとき、何かが足にあたった。


「…げ!?」


そう感じたときにはもう遅く、ビクターはその場に派手にすっころんでいた。

地面にあごを叩きつけられ、ひとり痛みに悶える。


「ビクターさん!?大丈夫ですか!?」


目をまるくして駆け寄ろうとしたジゼルの腕を、なぜかコンラートがつかんで止めた。


「姫君、ビクターは大丈夫です。きっと寝不足で寝そうになったんでしょう。残念ですが、舟遊びはあきらめてゆっくり休んでもらいましょう」


…はあ!?そんなわけあるかよ!


「そうなんですか!?無理はいけないわ、ビクターさん。地面じゃなくてちゃんとベットで寝てくださいね」


コンラートの言葉を本気で信じているジゼルに、ビクターは言葉がでないほど呆れた。

…コンラート。この野郎…


「行きましょう、姫。王子がお待ちかねです」


しれっとそう言ったコンラートは、ジゼルの手を恭しく取り、この場を後

にしようと促す。


ああ、…思い出した。

入隊したてのころ、結局コンラートに罪をなすりつけた甲斐なく、先輩たちと大乱闘になったとき…


あいつは、あの時もこんな顔をしてたっけ。


ビクターは懐かしい昔を思い出しながら、遠ざかるジゼルとコンラートを、地に伏せたまま見上げた。

本気にこいつは、とんでもないやつだ。


「お前…本当はめちゃくちゃ焼きもちやいていたんだろ」


うらみがましく低い声で、ビクターはその颯爽とした背中に向かってつぶやいた。

ジゼルと噂になったときだってこいつはかなり嫉妬していたのだ、とビクターは確信する。

コンラートと舟遊びができると浮かれているジゼルには、その彼の言葉はまったく聞こえてはいなかったが、コンラートはぴくりと反応した。


そして少しだけ振り向いた彼は、いたずらをした少年のように小さく舌を出した。


……こんの野郎…


お前が一番腹黒だったということを忘れていたよ!



*******



ビクターがコンラートという人物を理解したのは、あの出来事だった。

前から、羽目をはずさない真面目すぎるコンラートがビクターは気にいらなかった。

成績もよくなく、不真面目な部類に入る自分を、いつも見下しているような気がしていたからだ。

貴族出身というのもあったからかもしれない。

騎士の世界では、貴族出身のエリート派と、下町や庶民出身の荒くれ派というものにだいたい別れていたせいだろう。

まさしく正真正銘の下町育ちのビクターは、貴族出身というだけで苦労もせず、いばりくさる騎士たちが大嫌いだった。

だから、いかにも綺麗な身なりのエリート派の、あのすました顔が崩れさるところを見てみたかった。

だから、酒を持ち込んだのをコンラートのせいにしてみたのだ。

喧嘩なんてしたことのなさそうなおぼっちゃまの、泣き顔はどうだろうか、と。

つまりは、いいこちゃんぶってんじゃねーよ、と。


しかし、ビクターの期待は外れ、彼はみるからに柄の悪い先輩たちに囲まれても、顔色ひとつ変えずに彼らの顔を見返していた。


生意気な新米たちをいじめたくてうずうずしている先輩たちは、誰かれ構わず寮にいる奴らに手を出したのをきっかけに大乱闘が行ったのも、ビクターの予想外のことだった。


きっかけはというと、自分ではないという訴えを少しも聞いてもらえず一方的に殴られたコンラートが、なんの躊躇もなく先輩たちを殴り飛ばしたのが原因だった。


まったくその顔に、怒りも興奮も見えない分、ビクターの目には必要以上にコンラートが恐ろしく映ったものだ。


部屋がぐちゃぐちゃになるほどの気品もなにもない揉合いに、当然だというふうにコンラートが参加しているのを見たとき、ビクターは思わず笑ってしまった。


いけ好かない奴だと、勝手に決めつけてた自分が本当はいけ好かない奴だったなと。


そう、友情の証としてコンラートに助太刀にいこうと近付いたとき、なぜかビクターは彼に殴りつけられたのだ。


その拳は、今まで散々受けていた先輩たちの拳より、数倍も痛かった。

呆然としているビクターに、コンラートはいたずらっこのような顔で笑

いかけた。


ごめん間違えた、と。


本当に彼が一番最初に殴りたかったのは、彼をこんな事態に貶めることに

なったビクターだったのだろう。


なにはともあれ、ビクターにとって彼は唯一無二の友となった。

友というよりは、くされ縁に近いかもしれない。

おそらくコンラートにとっては。


「へえ、そんなことがあったのか。お前たちにねえ」


気まぐれにアンドルーに昔話をしたビクターは、くすくすと笑った。


「王子もさ、たまにあいつが一番腹が黒いって思うだろ?」

「どっちもどっちだな。だが、お前のは質が悪い」

「ひどいなあ。……だからさ、今回はお詫びも込めてジゼル姫には内緒にしとこうかなって思ってるんじゃないか」


秘密?とアンドルーは首を傾げた。


「うん。だってコンラートがあんなに焼きもちやきだったなんて、きっとイメージが崩れそうだから」

「コンラートのために?」

「そ。あいつのために」


微笑みながら、ビクターは視線を移した。

王子の部屋の窓から外を眺めると、遠くの林の方にピンクのドレスがちらついた。その傍らには、騎士のような男も。

今度は本当に祝福してやるよ、親友として。


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