榛の騎士の物語1
白馬の王子さまとの決闘を終えたあとのふたりは、さらに仲睦まじくなりました。
姫がその騎士のことが、もっと大好きになったからです。
それはもう、姫の兄の王子がうっとおしくなるほどです。
結婚をひかえた二人はとても幸せでした。
とくに姫の方は、幸せでしかたがない、という言葉を口ぐせにするくらいでした。
姫の兄である王子はなんだかとてもおもしろくありません。
生まれたときからいじめっこでしたが、さらにいじめっこになりました。
それのせいで兄弟ケンカはたえません。
今日も城はにぎやかで、お城で働く人たちは苦笑い。
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「お兄様!ずるいです!いっつもいっつも、コンラートさまを独り占めしてっ」
キンキンとなり響く高く甘い声、…アンドルーに言わせてみるとこれまでになくやかましく、例えるなら沸騰したやかんの音だあんなの!という声を、ジゼルは朝から鳴り響かした。
「あぁあああ!!うるさい!昨日俺が落として割った十枚の皿の音より、お前はうるさい!!
「わたしはお兄様が落とした皿なんかに興味はないんです!それより今日わたしが叩き落としてしまった花瓶のほうが…!」
なかなか間にはいっていけないコンラートが、出しかけた手をあきらめて引っ込めた様子を、ジゼルは知らないまま兄に向かっていた。
「いつも私のコンラートさまとベタベタして!ジゼルにも我慢の限界があるんですからねっ」
この頃、ジゼルはコンラートと一緒に過ごしていないのだ。
原因は、新作のオペラに行きたいだの、町はずれの秘湯につかりたいだのとわがままを言っている兄のせい。
コンラートは忙しく立ち回って常に兄とそこに行ってしまうのだ。
わざとだわ、こんのちゃらんぽらん王子っ。
などとは、はしたなくて口にしないが、 つい口に出しそうなほどジゼル
は怒っていた。
「こ、こら!コンラート、主の危機だぞ!鼓膜が破れる!なんとかしろ」
ジゼルに睨まれたままコンラートの背後に隠れたアンドルーは、そのままずいっと彼の背を押した。
多少よろめきながらジゼルの前に出されたコンラートだが、やがて困ったように口を開いた。
「えっと、……………姫」
「はい。コンラートさま」
寂しい思いをした婚約者のためになにかしてくれるのだろうか、とジゼルは期待のこもった目で彼を見つめた。
その眼差しは、相手から見るとあきらかにきらきらと輝いていたに違いない。
「えーと…」
いったい何をすればよいのだと、冷や汗をかき、果てしなく困りきったコンラートはちらりと背後の主を見た。
「ええい!にえきらない奴だな!男ならな、接吻でもして女を黙らせてみろ。…いい考えだ!ジゼルならすぐ黙るぞ」
ぇええ!?せ、せせせせっぷん!?そんな、こんなタイミングでっ?
でもコンラートさまとなら……わたし…
「まさか、そんな野蛮なことはできません。王子じゃあるまいし」
「言ったなこのやろう」
ああ、そうよね…。とジゼルは一気に気が抜けるのを感じていた。
安心したような、どこか期待はずれのような、そんな気分をもてあます。
「情けない奴だな。まあ、うるさい悪源が静かになったことだし、許してやろう」
勝ち誇ったように、真っ赤になって押し黙ったジゼルを見てにやりと笑う兄を、彼女はおもいっきり睨んだ。
こんなことでうやむやにされて、許したわけじゃないんだから!
「相変わらず、にぎやかだなあ、この城は」
その時、はは、と陽気な声とともにこちらに歩みよってきたのは、ジゼルには見知らぬ男だった。
その榛色の短い髪の若い男は、コンラートと同じような恰好をしている。つまりはこの国の騎士だろう。
「ビクター」
珍しく目をみはって、彼の名を呼んだのはコンラートだった。
「久しぶりだな、コンラート。…とアンドルー王子っ」
ビクターと呼ばれた男は、アンドルーを目にとめると両手を口元の前にかさねあわせて小首をかしげてみせた。
「ついでのように言うなよ。それでもって、ついでに言ったことを、可愛く言うことでフォローしようとするなよ」
「アンドルー王子のその無駄に優れた洞察力、感服いたします。」
「その丁寧なようで人を馬鹿にした物言い。おまえも相変わらずだなー」
なんなの、この人は。
と三人の仲の良い様子見守っていたジゼルは、呆然とビクターと呼ばれた男を見上げた。
「ああこれは挨拶が遅れて失礼、ジゼル姫。隣の国に2年ばかり出張していましたが、本日帰ってきました、正真正銘のこの国の騎士です。名前は、ビクター。以後お見知りおきを…っとまあ、堅苦しい自己紹介はこんな感じかな」
隣の国ってどこのことかしら?
「おかえりなさい。ビクターさん」
疑問に思ったままだったが、とりあえずジゼルは姫らしく腰を少し落として挨拶をした。
「それにしてもずいぶん久しぶりだな!ああ、ジゼル。こいつはコンラートと同期で入隊した奴だよ。この国出るまで、ずっと俺に仕えていただろう?」
まったく記憶にない。
そんな人いたかしら、とジゼルは首を傾げた。
「思い出そうったって、無駄か。お前は、コンラートしか見てなかったもんな。アホに聞いた俺が馬鹿だったよ」
その通りだった。
兄に図星をつかれ、少し顔を赤くする。だけど、アホとはなによ、アホとは。
「顔出したばっかりで申し訳ないけど、国王陛下に呼ばれるんでそろそろ失礼するよ。王子達を見かけたら、つい声をかけたくなってね。こんなことしてる場合じゃなかったんだ」
それじゃ、と言って来たときと同じように突然立ち去ったビクターの後ろ姿を、ジゼルは首を傾げて見つめていた。
なんだか忙しくて、つかみどころがない人。
この時ジゼルは、彼がアンドルーと同じように、自分の恋の障害になることに予想もしてなかった。
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寝耳に水、とはこういうことか。
君主たる国王陛下に久しぶりの拝謁をたまわった外交帰りの騎士は、慇懃に片膝をついた礼のかたちのまま、凍りついたように固まった。
「恐れながら、…お、お話というのは、その…外交先のレハール国のことではなく…その、ただいまお伺いした陛下のお悩みのことで…?」
言葉につまりながら、なんとかビクターは声を発することができたのだが、国王陛下は気にすることもなく、まくし立てるように言葉をつづけた。
「むろん。今我が頭を悩ます出来事と言えばそのことの他にない!そなたはコンラート・アベラールのもっとも近しい友人と聞いた。さて、そなたはどう思う?同じ身分の騎士であろうが。」
「そ、それは、ただいま聞いたことがらに非常に驚いていまして、…すぐにはお答えできません」
「そうだろうの。一介の騎士がこの国の姫の婿になるという重大さ…あの男は理解していないのか、ずうずうしくも婚約者ぶっておる。それが何より気に食わん!」
眉をつりあげたまま、荘厳な細工をほどこしてある玉座の肘掛けに、握りしめた拳を国王はたたきつけた。
顔を伏していたビクターはその音を聞き、ますます顔を上げられなくなっていた。
「…で、では、私のお役目はコンラートをたしなめて、姫君との婚約を断るよう促すことですね」
「なに!あちらから断ると!?あの心美しく可愛らしいジゼルを振るというのか!私のかわいい娘に言い寄られておきながら」
国王はますます憤慨するが、他国でも有名な親バカぶりにビクターは相づちをうつのも忘れた。
「あのような娘に好かれようものなら、惚れるのも当然じゃ。そうじゃなければ男の風上にもおけん!命がけで駆け落ちしたくなるのもうなずける!」
「はあ。では、コンラートをお許しに?」
「許してなるものか!娘をたぶらかしよって!」
…支離滅裂じゃないか。
なにをしたいんだ、この人はいったい。
呆れながらも、ビクターは脳をフル回転させ、国王の気持ちと目的を探る。
人の顔色ばかりを伺って生きてきた自負があるビクターには、さほど難しいことではない。
「ええとつまり、コンラートからではなくジゼル姫が結婚を断るようにしたいのですね」
「そう!それだ!なんとか身を引くようコンラートに言い含めつつ、ジゼルが愛想をつかすような状況にしてくれ。成功したあかつきには望むものをさずけよう。」
ようやくビクターはぱっと顔をあげた。思いもよらない話だった。
「陛下のお悩みを解決できるよう、努力いたします。…そのあかつきには…」
「よい。申してみよ」
にこりと微笑んだビクターは、やっと自分にも運がまわってきたかもしれないと、ゆっくりと口を開いた。
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「まあ、なにはともあれコンラートも王子もあまり変わっていなくて安心したよ」
次の日。
いつものように婚約者を今日も一目見ようと探していたジゼルは、中庭で兄やビクターと三人で、にこやかに話すコンラートを見つけた。
やっぱり三人は仲が良いのね。
あれが男同士の友情っていうものかしら。眺めているのは楽しい気がする。
「昨日、あのあと王様にお会いしたら、また王子の護衛を任されてね。ということでまたよろしく、王子」
「なんだかまた煩くなりそうだな」
「王子ったら、本当は嬉しいくせに」
その仲良しな会話に入ってくいけず、ジゼルは少し離れた所で三人を見守っていた。
「柱に隠れて盗み聞きはやめてください。姫様~…」
「少しよ、少し。いいじゃない。普段と違ったコンラートさまが見られるかも」
侍女のため息を聞き逃し、ジゼルは白い柱からちらりと顔だす。
今日もコンラートは相も変わらず涼しげな表情で、姿勢よく兄の傍らに立っていた。
「ビクター、あちらでの暮らしはどうだった?」
コンラートさまが、敬語以外の言葉をつかっているわ!
とジゼルは感動して、会話により集中する。
しかも友との再会に、どことなくコンラートは嬉しそうだ。
「なかなか快適でね。お前も行けばよかったのに。良かったら案内するよ」
「いや、今のところそんな気はないよ」
「もったいない。美女も多いってのに」
「ビクターらしいな」
そう言ってコンラートは笑った。
見たことのないコンラートの一面に、いちいち、ビクターさんの肩をたたいたわ!笑ったわ!とジゼルは感動していた。
「コンラート、お前だってすみにおけないだろ?いろいろ噂は聞いているんだからな。まったく、相手がお姫様とはねえ」
自分の話になり、ジゼルは思わずどきっとしてしまった。
う、噂なんて。
いったいどんな話で伝わっているのかしら。私がコンラートさまを好きで好きでしかたがなくて求婚したとか…?駆け落ち未遂したとか?は、恥ずかしいわ!
「青くなったり、赤くなったりへたり込んだりしないでください」という侍女の呆れた声に、ジゼルは我に返り小さくせきばらいをした。
「昔、下町で遊んでたころは女にいいよられても驚異的な鈍感さて、チャンスも逃していたような男がまさかね、俺より早く嫁さんもらうことになるとはねえ。ね、王子」
「いまでも鈍感だぞ、こいつは」
…下町遊び?女にいいよられてた?
聞きずてならない単語に、ジゼルは眉をひそめる。
「そうだ、あの色っぽい後家さんのときも…」
ご、け、さん?ジゼルは自分の体の奥底からなにか嫌なものが吹き出しているような錯覚に陥った。そう、嫌なもの。黒くて重くて底冷えするようなそんな何かだ。
「…ビクター」
そのときアンドルーがちょっと待て、と静止の声をかけた。
「なんだか、お前の背後の柱から嫌なものが見える」
「ちょっとお兄さま!嫌なものってなんですか!」
我慢できず、柱から身をのり出したジゼルは大股で兄に歩みよった。
「おっと、これは姫君。ごきげんよう」
思いがけない自国の姫の登場に、さすがのビクターも目を丸くする。
高貴であるべき姫君が、柱に隠れていたなんて到底理解し難いのだろう。
アンドルーはというと、とんでもなく嫌そうに顔をしかめている。
さらに、めんどくさいな、という呟きも聞こえた。
「姫。おはようございます」
そんな中、ひとりだけ場の空気に染まっていないコンラートの、礼儀正しい挨拶がジゼルの耳に届いた。
それだけで、荒波のようだった心がきゅんと甘く締め付けられるのだ。
「コンラートさま。おはようございます」
へへっと照れ笑いをすると、コンラートも照れたように頬をかく。
すべての空気がこの二人の初々しい世界に侵されていく様子に、アンドルーが舌打ちを打った。
「……お前。あのどすぐろーい感情をどうした」
ため息まじりの言葉に、ジゼルははっとした。
そうだったわ!いいよる女!後家さん!
後家さんって確か未亡人のことよね…。聞き逃せないっ
「コンラートさまっ!隠し事はなしにしましょう。下町遊びとは?後家さんって!?大丈夫です。昔のことをとやかく言うつもりはありません。知りたいだけです。私は心の広い婚約者ですから」
どこがだ、と兄と侍女の声が聞こえた気がした。
「下町遊び、ですか…?」
えーと、とコンラートは思いだそうと、首をひねりだした。
下町のことも、未亡人のこともきっと記憶にないに違いない。
「まったく、こんな鈍感男は大変でしょう?ジゼル姫」
いつまで悩んでいるのかジゼルが心配になったとき、そう言って、ビクターは親しげにそんなコンラートの肩に腕をかけた。
「そ、そんなこと、ないわ…」
そんな様子に、ジゼルはぎこちない笑顔を浮かべるしかなかった。
なんだか、ビクターはコンラートのことを知りつくしているかのように語る。
…そういえば、私はコンラートさまのことなんてこれっぽっちも知らないのだわ。
きっとビクターは、たくさんコンラートのことを知っている。
ビクターさん、ずるい。
羨ましい。
かくして、明るくコンラートに笑いかけるビクターは、今日この日、ジゼルのライバルリストに仲間入りしたのだ。
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「コンラートさまの昔のことを教えて下さい!」
ようやく、兄からコンラートを奪還することに成功したジゼルは、直ぐ様そう尋ねた。
城外の木下、腰を落ち着かせ穏やかな昼間の木漏れ日を目を細めて見上げていたコンラートは、不思議そうにジゼルに視線をうつした。
「昔のことですか?」
仕立てたばかりの桃色のふんわりとしたドレスを、ジゼルは気にせず広げて彼の傍に座る。
その間、コンラートは何を話せばよいのかと悩んだように声も出さずに黙ったままだ。
「はい。わたしはもっとコンラートさまのことを知りたいんです。気付いたんです。わたしは婚約者なのに何も知らないんだって」
ビクターには負けていられない、とひそかに拳をにぎる。
「たとえばどんなことをですか?」
うーん、とジゼルは考える。
ここはひとつずつ聞いてみよう。
「じゃあ、小さい頃はどんな子だったんですか?」
「えーと…。今より背は低かったですね」
「そ、そうですか。じゃあ、入隊したてはどんな少年だったんですか?」
「今と同じくらいの背丈でしたよ」
うーん、とジゼルは頭をかかえた。
だめよ。あきらめるにはまだ早いわ。
「じゃあ、昔はどんな遊びをしてたんですか?」
「そうですね…遊びと言えば、とりあえず剣を振っていた記憶しか」
「あの…!ビクターさんといた頃の遊びが知りたいんです!」
「ビクターと?それこそ二人で毎日剣を振っていましたよ。」
だめだわ。
コンラートからは何の情報も得られそうもないと悟ったジゼルは、早くも聞き出すことをあきらめた。
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ビクターさん、発見!
榛色の髪を持つ彼を見つけたジゼルは計画通りこっそりと後をつけた。
植え込みの影、柱の影を彼女は巧みに移動する。
姫君はまた新しい遊びでも考えたのか、とその様子を見かけた城で働く者たちは、特に気にすることもなくいつものように見守っていた。
しかし、ふいに角を曲がったビクターを見失ったジゼルは、隠れるのをやめて慌ててその後を追う。
その回廊を曲がったとき、ある壁が立ち塞がっていた。
「姫君」
「きゃあ!ビクターさん」
「俺に話があるなら、そう言えばいいじゃないか」
呆れたように見下ろす彼から、ジゼルは慌てて視線をそらす。
「な、なんのことかしら」
「ばればれだって。後をつけてきたんだろう?気付かない人はいないですってば」
ばればれ…。無念だわ。
心の中で嘆き、くぅっとジゼルは拳をにぎる。
「で、目的は何?」
といつめるようにジゼルに目線を合わす彼は、迫力満点だ。
姫…いや女の子を脅す不届きものに負けてたまるか、とジゼルは粘るが、迫力もなにもない彼女が諦めるのが早かった。
その無言の脅しに敗けを認めたジゼルは、しぶしぶ口を開いた。
「だって、ビクターさんったらコンラート様と仲良しなんだもの」
「はい?」
「だから、つけていたら私の知らない…ビクターさんが知っているコンラート様を知れるかしらって…」
なんだか、こんなことをしなければ婚約者のことを知れない自分がなんだか情けない。
そう思ったジゼルは、どんどん落ち込んでいった。
「…ふーん。なるほど。なるほどねえ…」
その様子を観察していたビクターは、なぜかにやにや笑いだした。
「確かにあいつは自分のことを語らないから、姫君の気持ちもわかるよ」
「そうなの!コンラートさまってどんなに質問しても話してくれないの!」
コンラートさまの子供のころはどんなかんじだったんですか?
何をしてらしたの?
好きな食べものは?苦手なものはなあに?
聞きたいことは山ほどあるのに。
たくさん、たくさん、あなたのことを知りたいのに。
私の知らない過去までも。
「姫君が知りたいのなら、教えてあげるよ?いくらでも」
「え?本当?」
ジゼルはぱあっと瞳を輝かせて、ビクターを見上げた。
神様のような人!
こんなに親切で協力的な方だったなんて。
「俺が知っている範囲でいいなら」
にっこり笑ったビクターの人なつっこい笑みに、ジゼルはなんていい人!と感動していた。
この笑みに少しいたずらっ子のような企みがひそんでいるのを知らないまま。
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ああ、気にいらない。気に入らないねえ。まったく気に入らな…
「ああ、なんか気に入らん…」
いらいらと廊下を渡っていたビクターは、中庭で夕日を見つめながらため息まじりに呟く主を見つけてしまった。
オレンジ色に照らされ、ちょっとけだるそうだ。
だが、かっこいい男を演出したような彼は、なんだかビクターの気に触った。
「なにが気に入らないのか、あてましょーか」
そっと後ろに忍びより、ふうっとアンドルーの耳に息をふきかける。
「ひゃぁあああっ!ってビクター!おまっ」
「そんなかわいい声出さないでくださいよ。もう一度したくなるじゃないですか」
にっこり笑うと、アンドルーは真っ青な顔をして力いっぱいビクターから距離をとった。
「…お前、長く見ない間にその道に目覚め…」
「冗談ですって。そんなに引かないでくださいって。からかっただけじゃないですかあ」
ははっと軽く笑うビクターを、これまでになく主は疑惑の瞳で見つめた。
「やっぱり王子をからかうのが、一番楽しいや」
「…こんの腹黒め」
言われ慣れた言葉に、ビクターはにっこりと笑った。
そんな当たり前のこと、いまさらだよ王子。
「それより、王子が気に入らないわけ、俺なんだかわかっちゃったよ」
「……なんだ。当ててみろ」
くすっと笑い彼もまた夕日を仰ぐ。
目にうつるのは、ジゼルの笑顔とコンラートの落ち着いた顔。
「つまりさ、王子は自分より幸せそうな奴、むかつくんだろ」
そうだ。そうなのだ。
気に入らない理由なんて、実に単純明快。
失恋者、モテないやつ誰もが経験したことのある、この醜い感情。
「散歩道の目の前の歩みの遅いカップル然り、聖夜を幸せに過ごすカップル然り!」
「お、おい。ビクターくん…?鼻息あらくなったぞ。落ち着けって」
「あいつら、結婚控えているとかなんか知らないけど、彼女いない俺達の身にもなれって感じですよね王子!」
ちくしょう!と興奮気味にビクターは地面を殴りつけた。そのはずみで舞い上がった芝生の草が、悲しげに風に舞う。
動揺に惨めな気分であろう彼の顔をのぞき込む。しかし、アンドルーは予想に反し、やけまじめな顔をしてビクターの視線を受け止めていた。
「…あのなあ。お前と一緒にするなよ。っていうかお前もそんな理由じゃないだろう。父上に何を頼まれたか知らないが」
どきり、と小さく心臓が音をたてた。
…いやだいやだ。ほんとこの王子は思いのほか油断ならない。
「…なんのことですか?」
「ほー。とぼける気か。来月には兄上の近衛騎士への移動の希望をだしたんだってなー。王太子の兄上のほうな。大出世じゃないか。」
「希望を出しただけですよ。やだなあ。平民出身の僕がアンドルー王子付きの騎士になれたのも恐れ多いほどの幸運ですけどね。すこし夢見てもいいと思うんです」
幸運だと言ったのは本心からだった。自分はすこぶる運がいいと思っているが、人間というのは際限なく欲深い生き物である。
ビクターはとぼけたように、へらりと笑みをうかべた。
「ビクターお前何たくらんでるか知らないけどな、あいつを出世のために使うのはやめろよな。」
しかしビクターがとぼけよう努力しても、今日のアンドルーはどうしたことか、見て見ぬ振りをしそうになかった。
「俺だってな、あいつらが仲良くしているのをみるとイライラするさ。だがな、それはあまりにもジゼルが能天気だからだ!コンラートの悲惨さをみてみろよ」
「あれ?俺はてっきり、かわいい妹を取られるのが気にくわないのかと思っていましたよ」
「はあ?馬鹿いうなよ!誰がかわいいって!?あのわがまま娘!」
心底嫌そうに頭をかかえたアンドルーは青ざめたまま言葉を続けた。
「知ってるか?ジゼルと結婚したら、あいつは騎士のまま王家の婿になる。父上はジゼルをこの城から出したくないからな。ジゼルには王族として侯爵位と領地が与えられるらしいが、実質はコンラートのものになるだろう?それこそ大出世だ」
「…大出世すぎません?」
逆玉の輿、と世間の言葉にはあるけれど、これこそ完璧な玉の輿だ。
絶句するビクターに、アンドルーは重々しくうなずいた。
「当然お前が思ったように、コンラートをうらやみ、妬む奴らも出てきてるんだよ。まあアイツは鈍感だから気にした様子はないけどな。だけど、かわいそうだろ、コンラートのやつ。出世欲もなく、平和に生きたいだけっていうのが顔に出ているような無害なやつが。罰ゲームだろう!それなのに、ジゼルは、コンラートさまコンラートさまうるせえし。あー!イライラする!」
うーん、とビクターは腕をくんだ。
意外とアンドルーという男は情が深い。それはビクターも昔から気づいている。ただただ、コンラートを不憫に思っているだけなのだ。
ビクターもコンラートとのつき合いは長いので、アンドルーが同情する気持ちもよく分かる。
わがまま娘ねぇ。
アンドルーの言葉にさきほどの会話が頭によぎった。
『コンラートさまってどんなに質問しても話してくれないの!』
ふと、切実にこちらを見つめていたジゼルの顔を思い出す。
自分の立場も、婚約者のことをまるで知らない、世間知らずなお姫様。
まるで、ままごとのような恋愛じゃないか。
自分が気に入ったものを、とりあえず欲しいという幼い欲望なのだろう。
婚約者のことを知らないで、どうして好きといえる。
恋愛とは、いつまでもままごとのようにはいかないんだよ、お姫様。と諭してあげるのが自分の役目なのかもしれない。
コンラートの出世も気に入らないし、ままごと恋愛のやりとりにはイライラさせられるし、王様もご褒美をくれるというし、ビクターはもはや迷うことなどなかった。
考えることは、なるべく穏便な方法だけだった。
二人の中を引き裂く方法を。