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姫君と騎士  作者: 叶
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白馬の王子の物語(後編)



決闘当日。


白い雲がくっきりと浮かぶ晴天を、白い鳥達が観戦するように古い剣技場の真上を旋回していた。

決闘が始まるずっと前から、すでに会場は異様な熱気に包まれている。


隣国の美貌の王子と、噂の姫に選ばれた騎士が姫を争って決闘をするとなると、普段は退屈な日常を過ごしている人々が興味を持つのはあたり前のことだった。

一般市民には公開されないが、城で働く者達や退屈な貴族達がまるでお祭りのようにはしゃいでいた。

そのような中、貴賓席に通されたジゼルは、緊張と不安で何度もため息をついていた。

隣にはなぜか、兄のアンドルーがあくびを噛み締めて座っている。

呑気な兄を一瞬ひっぱたきたくなりながら、ジゼルはじっと試合場を見下ろしていた。

しばらく見ていると、ひとりの鎧を来た男性が白馬に乗って姿を表した。


眩しいほど銀色に輝く鎧を着こなしていたのはフランシス王子だ。

輝く金髪が太陽の下で、さらに華やいでいた。

少しして、鹿毛の馬に跨ったコンラートが姿を現した。

爽やかな風が吹き彼の黒髪をさらう。端正な顔が現れるたびに、ジゼルの胸は高鳴った。

か、かっこいー…

身を乗り出し、見とれているうちにふたりが槍を構えだした。

広い剣技場の中、端同士にいるふたりはまっすぐに向き合う。

静かな時間が流れる中、観客も息をつめた。

緊張の均衡が破れ、どちらともなく馬を走らせる。

臆することもなく快速で駆ける馬たちから砂ぼこりが舞った。

どうしよう、とジゼルは泣きそうになりながら手を握りしめた。

ふたりの距離がどんどん縮まる。

ぶつかりあった瞬間、耳障りな金属音が響いた。

お互いがお互いの槍を受け止めたのだ。


「コンラートさま……っ」


息をするのも忘れていたジゼルは、何度も深呼吸をして呼吸を整えた。

「よく受けとめた。…と言っても、まぐれだね。次は確実に地にねじふせてやろう」

高らかなフランシスの声が響いた。

今度こそジゼルは気が気ではない。

きっとフランシスはまだ本気を出していない。

それは、余裕な表情から伺えた。

フランシスはコンラートの腕を知っているのだろう。大会に出たことがない実力を事前に知っていて、じわじわと攻めるつもりなのだ。

「どうしよう……」

もう、やめてほしい。

コンラートが怪我をしないうちに。

「大丈夫だ。ジゼル」

絶望に沈むジゼルの耳に落ち着いたアンドルーの声が届いた。

「コンラートは勝つよ」

「なんで、そんなこと言いきれるんですか…!?フランシス王子は、隣国でも有名な武勇に優れた方なんですよ!?」

ほとんど泣きながらジゼルはアンドルーに詰め寄った。

「それがどうした」

「え?」

ふふん、となぜかアンドルーが自慢気に胸を反らした。

「コンラートは、エクトール国の騎士の中で十指に入る腕を持つ騎士だぞ」

ぽかん、とジゼルはアンドルーを見上げた。

だって、意味がわからない。

「大会に出たことないのに……?」

「大会?…ああ。確かに出てないかもな。えっと、去年が妹が寝込んで看病。そのまた前の年は自分が体調不良になって、…また前の年が、確か捻挫したんだったな。俺をかばって階段から落ちて」

つまり、コンラートは予選にすら出られなかったのだ。

「安心しろ、ジゼル。コンラートは間違いなく国一の騎士だ。この国の騎士の誰もが認めている」

歓声が聞こえた。

再び二人が距離を縮めているのだ。

砂埃がふたりの姿を隠す。激しい金属音が響き、人々は息を飲んだ。

やっと見えた姿は、フランシスの槍を盾で受け止めたコンラートが、己の槍を敵目がけてつく所だった。

驚きの歓声が唸る中、さらに驚いた顔したフランシスが落馬をして地に倒れた。

コンラートの槍がフランシスの体をついたのだ。

これでついに勝敗が決まったのだ。

「ほらな。コンラートは誰の騎士だと想っているんだ。将来有望の俺つきの騎士なんだから、国一の騎士に決まっているだろう」

「……いいえ、アンドルーお兄様」

勝利したコンラートを目にし、思わず涙を流してしまったジゼルは瞳を細めて微笑んだ。


「私の、騎士です」


私だけの、騎士。


いつでもジゼルのすべてを守ってくれる騎士だ。

気持ちも、想いも、望みも、すべて守ってくれる。

「さっきまでコンラートが負けると泣いていたくせに…。現金なやつだな」

呆れながらそう言ったアンドルーは、それでもすぐに声をたてて笑った。

見下ろすと、馬上から降りたコンラートの手を借りたフランシスが起き上がるところだった。

フランシスが悔しそうにコンラートを睨むが、コンラートの表情に変化はない。

勝って嬉しいという顔をしていなければ、睨む王子に対して気まずいという顔もしていない。

それがフランシスの感に触ったらしい。

コンラートの手を振り払った彼は、自力で立ち上がり、槍の先をコンラートに向けた。

「平然とした顔をして、内心では私をあざけ笑っているのか?」

「いいえ」

何事もないようにあっさり答えるコンラートの様子に、王子は再び片眉をつりあげた。

「言っとくがな、武勇の腕だけで、立派な男かどうかは決められないぞ」

自分から決闘をしよう、と提案したくせにとジゼルはむっとした。

「ただ優れた剣術を持っているだけで、自分は姫にふさわしい男だと本気で思っているのか?」

挑発してるなー、とアンドルーが楽しそうにつぶやいた。

口笛を鳴らすアンドルーを睨みながら、なんて事言うのだ、とジゼルは拳を握りしめた。

私にふさわしいというより勿体無いくらいなのに!と怒鳴ってやりたい。

「いいえ。思ってなどおりません」

え?コンラートさま?

ジゼルは驚いて、さらに貴賓席から身を乗り出した。

「姫にふさわしい男などと、思ったことなどありません。しかし、姫は選んでくれました。この私を」

フランシスに向けていた視線を、今度はジゼルに向ける。

ジゼルと目が合うと彼は少しだけ口元を緩めた。

「…だから、これから一生をかけて姫君にふさわしい男になろうと思っています」

コンラートに向けた槍を静かに下ろしたフランシスは、そのまま背を向け歩き出した。




*******




「やっぱりコンラートさまはかっこいいですね!」

「『これから一生をかけて姫君にふさわしい男になろうと思っています』だなんて!本当に素敵!」

「ええ。さすが姫さまの選んだお方…」

「姫さまが羨ましいですぅ」


侍女達のお喋りに、先ほどまでフランシス王子をひそかに応援していたというのに、とジゼルは呆れながらやっぱり誇らしかった。

コンラートに会いに行こうと辺りを見渡す。

観客が帰り始めた剣技場にコンラートはいない。

どこに行ってしまったのか、と侍女たちを置いてジゼルは歩き出した。

剣技場を出ると、背後に広がる森の近くで馬のいななきがかすかに耳に届いた。

ドレスを掴み、ジゼルは駆けた。

遠くにぽつりと見えるのは、コンラートの乗っていた馬だ。

ようやくたどり着き、息を整える。

あたりを見渡すが、コンラートの姿はない。

風が吹くと、足元の芝生がかすかに揺れた。

少しひとりでいることが不安になって、剣技場の方をふと眺める。

その時、自分を呼ぶ声がしてジゼルは振り向いた。

姫、としっかり呼びかけるのは彼しかいない。


「コンラートさま……」

「えっと、こんにちは」

思い出したように頭を下げるコンラートに、ジゼルはつられて頭を下げた。

「こんにちは」

ジゼルがねだった挨拶だったが、なんだか今では変でジゼルはつい笑ってしまった。

「どこ行ってたんですか?」

にっこり微笑んで、コンラートを見上げる。

コンラートは困ったように頭をかいたあと、森を指さした。

「あそこに野薔薇が咲いていることを思い出して…」

躊躇いがちにコンラートは右手を差し出した。

そこにはピンク色の小さな野薔薇が摘まれていた。

「私に……くれるんですか?」

長い沈黙が流れる。

「……花束には敵いませんが」

コンラートのつぶいた声は小さ過ぎてジゼルには届かなかった。

ただひたすらうつ向いて、ジゼルが喜ぶかどうかびくびくしているコンラートに気付かずに、ジゼルは感動で言葉を無くしていた。

コンラートが花をくれるのなんて、一生ないかもしれないと思っていたからだ。

その薔薇をとろうとしたジゼルは、コンラートの手を見て思わず手を引いた。

「コンラートさま!どうしたんですか?手が……」

首を傾げたコンラートが薔薇を持つ手を開く。

その手は傷だらけで血がにじんでいた。

「もしかして素手で薔薇を摘みとったんですか!?」

ひー、と痛痛しい手を観察する。

薔薇の茎はコンラートの血にまみれていた。

それを見て、コンラートは落ち込んだようにさらにうつ向いた。

「…薔薇にトゲがあるなんて忘れていました」

そう低くつぶやき、ジゼルから隠すように薔薇ごと手を引っ込めた。

「すいません。…今度は、ちゃんとした薔薇を贈りますから」

落ち込んだように言うコンラートに、ジゼルの胸はじんわりと熱くなった。

『姫君を喜ばせることをしてくれますか?とびきりの愛を返してくれますか?』

ふとフランシスの言葉が蘇った。

ジゼルは微笑んで、引っ込めたコンラートの手をとった。

「下さい」

「姫?」

「これが欲しいんです」

コンラートの手から小さな野薔薇をトゲに気をつけながら取り、慎重にドレスの胸元のリボンに飾った。

そして、ハンカチをとりだして傷ついた手をギュッと縛る。

どうしてこんなに嬉しいのだろう。

先ほどまで、何気なく咲いていた一輪の花がなぜこんなに愛しいのだろう。

なぜフランシスがくれた薔薇の花束より何倍も嬉しいのだろう。

それは、とびきりの愛があるから。

わかりやすい愛情は、とびきりの愛じゃない。

それはきっと本当の愛じゃない。

わかりにくくて、気付かなくても、ひっそりと咲いているようなものがとびきりの愛なのかもしれない。

「もう、しょうがない方ですね」

きゅっとその手を両手で握る。

「すいません…」

不安気に目を伏せたコンラートに、ジゼルはにっこりと微笑みかけた。

「でも、見つけましたから。…ちゃんと私に届きましたから」

とびきりの愛を見つけたのだ。

この傷だらけの手に。

この血にまみれた野薔薇に。

にこにこ笑うジゼルを、不思議そうに見つめていたコンラートは躊躇いがちに口を開いた。

「姫」

「はい」

傷だらけの手を握っていたジゼルの手に、コンラートはまた手を重ねる。

珍しく、その表情はひどく不安げだった。


「私で、いいんですか?」

結婚相手に選んだ男が。

ということだろう。


ジゼルはさらに強くコンラートの手を握り、目を細めて微笑んだ。


「コンラートさま、が!、いいんです」


『が』を限りなく強調したジゼルの気持ちが通じたのか、やっとコンラートはほっとしたように口元を緩めた。

「…コンラートさま。提案があるんです」

「はい。なんですか?」

「次からの挨拶、『愛しているよ』にしませんか?」

「そ…それは、ちょっと…」

焦ったように顔をひきつらせたコンラートを、ジゼルはじっと観察した。

そんなジゼルを見て、彼はさらに戸惑ったように視線を泳がす。

「あ、でも…姫が、ご希望なら…。ど、努力しま、す」

諦めたようにうなだれながら、コンラートは小さくつぶやいた。

その様子にジゼルはついに吹き出してしまう。

声を出して笑うジゼルを見て、ただコンラートは困ったように首を傾げていた。


わかりやすい愛の言葉なんていらない。


言葉なんてなくても、心がちゃんと見えているから。


精一杯想ってくれていると、ちゃんと感じるから。


「冗談ですよ」、と茶化して言うジゼルに、「えっ?…」と固まったコンラートはどうやら頭の中が混乱しているらしい。

少し遊びすぎてしまっただろうか、と反省しながらジゼルは傷だらけの手にキスを落とした。

「大好きです。とっても、とぉっても」

胸元に飾った野薔薇が香りを立てる。

甘いその香りは胸に広がるコンラートに抱く恋心のよう。

心の中に咲く薄桃色に色付く薔薇が、情熱的に赤く染まるまでにはまだ少し。


胸元の薔薇だけがそれを予感するように、風に吹かれて小さく揺れた。






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