駆け落ちの物語
姫の求婚に、ただの気まぐれだろうと皆が思いました。
誰もが本気にしませんでした。
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「本気です」
厳格な国王と言われる父王の前で、ジゼルはおっとりと微笑んだ。
「コンラートさまと結婚したいのです。ですからお父様、よろしくお願いしますね」
皆が唖然とする中、ジゼルはふわりとお辞儀をして踵を返えした。
これからお友達に結婚式の招待状を書いて…、いいえ、それより先にウエディングドレスを選ぶべきかしら、コンラートさまのご家族にも挨拶を…、ああこれからいそがしくなるわ!と微笑み、ジセルはすぐさま駆け出す。こんなにすべてがうまくいくなんて…!
「ま、待て!ジゼル…!」
「姫……!」
突然、国王の言葉を遮り、謁見室に飛び込んできたのは息を切らしたコンラートだった。
クセのない黒髪をかきあげて、はっと我に返ったように身だしなみを整えてから、きっちりとお辞儀をする。ジゼルはそのひとつひとつの動作に胸がときめいた。切れ長の瞳はあまり感情を映さないが、いかにも誠実そうな光が宿っている。あまり笑わない口元も、姿勢のいい佇まいも騎士道に忠実な男らしさが見えるのだ。
「入室を許されない身で国王陛下の御前に参りましたことをお詫びします。…しかし、昨夜のこと…。姫君が本気だと聞いて…」
コンラートはちらりとジゼルを見た。しかし、目が合ったと思った瞬間、コンラートがすぐさま視線を不自然にそらす。
その様子になぜかジゼルも恥ずかしくなって、赤くなった顔を慌ててそむけた。
付き合い始めの恋人のような初々しい様子に、凄まじくいらついた国王は足をイライラとゆすった。
「あの……昨日の言葉は本気なのでしょうか」
コンラートが思い切ったようにジゼルに向き合った。
結婚して、と言ったあの言葉。
ジゼルは顔を赤く染めて、そっと微笑む。
ずっと、この日を夢見ていた。
「はい。本気です」
さすがに面食らったような顔したコンラートは、それでも一歩ジゼルに歩みよった。
それだけでジゼルの胸は高鳴る。
「どうして、私を?」
心底不可解そうなコンラートに、きっと覚えていないだろう、とジゼルは少し残念に感じた。
「それは……」
「許さん!!」
突然の怒鳴り声に、ジゼルはびくりとふるえた。
「そんな男と結婚など許さん!騎士なんかに、大事な姫をやれるものか!」
「お父様、何をおっしゃって……」
「今後お前が、この騎士と会うことを禁じる!!」
なんてこと、とジゼルはやっと身分違いの結婚は大変だということに気がついた。
******
「あんな男と結婚するくらなら、隣国の王子と結婚してくれたほうがましだ。そんなに結婚したいなら、どうだ?」
先ほどとうってかわり、満面な笑顔を見せた国王はジゼルの金髪を撫でた。
「ぜぇ~~~~ったい、イヤ!」
結婚したいのは、コンラートだけ。
ジゼルはぷいっと顔をそむけた。
「いいや。それはいい考えだ。ジゼル、隣国の王子と結婚しなさい」
「お、お父様!」
すっかりその気になった国王は家臣から何やら受け取り、さらさらと筆を動かしている。
隣国に手紙を書いているのだ。
ジゼルはそれをむしり取って床に捨てた。
「ジゼル!何をする」
コンラート以外の人となんて、絶対嫌。ジゼルは涙をためて、初めて父親を睨んだ。
そう。
コンラートが好きなのだ。
ずっと、昔から。
昔から、あの人しか見えない。
世界中であの人だけが、ジゼルにとっての男の人。
コンラート以外、異性と意識する人はいないのだ。
「コンラートさま以外の男性と結婚する気はまっったくありませんっ!お父様が許してくれないのなら、ジゼルは一生独身でいます!」
泣きべそをかきながら走っていくジゼルを、大慌てで侍女たちが追っていく。
国王が制止の声をかける前に、意外に足の早いジゼルはもう謁見室にはいなかった。
国王はその様子にぎょっと目をむく。
父に逆らってでも、このことだけは譲れないのだ。
「私は、コンラートさまが好きなんです。お慕いしているのです。その人以外…一生、好きになんてなれない…!」
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「『私は、コンラートさまが好きなんです。お慕いしているのです。その人以外…一生、好きになんてなれない…!』」
「今度はなんでしょうか?」
会っていきなり、裏声で話しかけてきたアンドルーに、コンラートは眉間を押さえた。
この人についていけないのは、この人が変だからだろうか。
それとも、自分が変なのだろうか。
「って、ジゼルが父上に言ったらしい」
…………………。
理解するまで三十秒。
「…へ!?」
さすがのコンラートも少々顔を赤くして、おおいにたじろいだ。
それを、アンドルーが満足そうに見ている。
「そんなお前の顔、初めて見るぞ。お前にも普通に感情があるみたいで良かったよ」
そりゃあ、あるに決まっている。
国王陛下に向かって、そんなことを言われたとなると、誰でも思考がふっとぶに決まっている。
「ふうん。いつのまにジゼルの心を射止めたんだ?見かけによらず抜け目のない奴め」
「まったく覚えがありませんけど」
このこの、とつつくアンドルーを無視して、コンラートは悩んだ。
姫は、誰かと間違っているということはないのだろうか。
コンラートには、姫に好かれるようなことをした覚えがない。
言葉すら、まともに交したことなどないというのに。
「冷めてるな、お前は。やっぱりお前の方は、ジゼルが好きではないのか?」
姫を、好き?
そんなこと、考えたことなどなかった。
この国唯一の姫は、コンラートにとっては遠い存在。
こんなことを考えるのさえ許されないくらいの、貴い人なのだ。
「まあ、元からジゼルが無茶いったわけだしな。結局ジゼルは隣国の王子と結婚するように父上に命じられたようだ」
「え?」
姫が、結婚?
違う男と。コンラートに求婚してくれたというのに。
「聞いてなかったか?そうだ。その時もジゼルはこう言ったんだ。
『コンラートさま以外の男性と結婚する気はまっったくありませんっ!お父様が許してくれないのなら、ジゼルは一生独身でいます!』」
ジゼル姫の真似のつもりなのか、コンラートの手を握って裏声で語るアンドルーにつっこむ余裕がないままコンラートは固まった。
「…姫、が……?」
「ああ。ずいぶん慕われているなー」
はは、と愉快そうに笑うアンドルーにコンラートは突然背を向けた。
「コンラート…?」
「王子、申し訳ありません。ひとだひ、任務を放棄します」
そう言って、コンラートは颯爽と急ぎ足で回廊を渡った。
後ろから、しっかりなーという呑気なアンドルーの声が聞こえた。
『ジゼルが好きではないのか?』
わからない。
好き、という感情をコンラートはまだ知らない。
知っているのは、姫の微笑みを見たときの幸福感。
恋や、愛などはわからないが、姫が笑うとなぜだかとても嬉しい。
姫が隣国の王子と結婚したら、その笑顔は二度と見れなくなるのだろうか。
遠い地で、姫は幸せそうに笑うだろうか。
姫の笑顔が見たい。
喜ぶ顔が見たい。
幸せそうな顔が見たい。
いつでも。
姫が笑うとき、その時には一緒にいたい。
ならば、自分が姫を笑わせればいいのだ。
幸せにすればいいのだ。
――姫が、望んでくれるのなら
*******
あれは、もう11年も前のことだ。
連れていかれた貴族の屋敷でのパーティーに、退屈だったジゼルはついつい屋敷をでて、森にさ迷いこんでしまった。
当然、幼い少女はすぐに迷子になり泣きじゃくった。
このまま、誰も見つけてくれないのではないかと思った。
森の妖精たちに拐われると本気で思っていた。
味わったことのない絶望と恐怖に、足がすくんで立てることさえできなかった。
―大丈夫?
声に顔をあげると、自分よりも少々年上な少年が手をさしのべていた。
優しげな顔に安心したジゼルは、泣きながらその少年に抱きついた。
大丈夫だよ、と何度も背中を撫でてくれる温もりが心地よかった。
――足、怪我してる
転んだ時に膝頭に出来た傷。足をだして、と言った少年に、幼くもプリンセスと育てられ、男の子に足を見せてはならないと言い聞かせられたジゼルは首を横にふった。
少年は首をかしげて、なお足を取ろうとする。
このままだと、ひどくなると真剣な顔をして。
――ケッコンする人だけに、足はみせるものなの。
恐る恐るジゼルはつぶやいた。
黒髪の少年にどきどきしながら。
―大きくなってケッコンしてくれるなら、みせてもいいよ
少年は首を傾げたが、やがてうなずいた。
――いいよ。大きくなったら。
ジゼルは幼心にも、嬉しかった。
その少年に一目惚れをしていたからだ。
足を手当してくれた少年は、ジゼルを立ち上がらせて、しっかりと手を繋いでくれた。
あんなに怖かった森が、きらきら輝いて見えた。
森を出て、屋敷が見えた時、ジゼルは嬉しさに屋敷に向かって駆けた。その時には、つい手をはなしてしまった少年はいなくなっていた。
それはいい思い出として、胸の奥に大事にしまっていた。
そして、三年前。
ジゼルは彼に出会った。
すぐに分かった。
くせのない黒髪に、少し淡白そうな顔。
少年の頃からあまり変わってない、あまり男の人っぽさのない繊細な顔。
ジゼルはまた、一目で恋に落ちた。
少し成長して、また彼に恋をした。
彼が通るたびに、目で追った。
姿が見えるだけで幸せで、にやにやと笑ってしまうことが多くなっていった。
だから、城に来て初めて声を交したあの日のことは、よく覚えている。
大きくなった彼をあんなに間近で見るのは初めてだった。
どうぞ、とわたした後に、「有り難うございます」と言った低くくなっていた声を、何度も思い出しては幸せにひたった。
恋をしたのは、あの人だけ。
コンラートさまだけ。
もっともっと言葉を交して、もっとあなたのことを知りたい。
そうしたら、私はもっと幸せになれるのに。
ジゼルはため息をついて、バルコニーの手すりに頬づえをついた。
柔らかい風が、ジゼルの髪をさらっていく。
日がだいぶ傾き、空をあかね色に染めている。その色は、どこか切なくてジゼルは彼のことを頭に浮かべる。
会いたいなあ、とため息をついてふとバルコニーの下、綺麗に手入れされた庭を見下ろした。
そこに人影があった。
こちらを見上げるのは
コンラートだった。
「コンラートさま……!?」
思わずバルコニーに身を乗り出してしまう。
信じられなかった。
「あー…、えーと。……姫」
コンラートは頭の中が真っ白になっているのか、呆然とジゼルを見上げていた。
「はい。コンラートさま」
どきどきしながら、言葉を待つ。
姫の庭に忍びこむなど、国の騎士であっても大変だったことだろう。
コンラートは危険をおかしてここまできたのだから、きっとジゼルが望んでいる素敵な言葉をかけてくれるはずだ。そう、まるでおとぎ話のように。
ジゼルは静かに期待して言葉をまった。
「元気ですか?」
へ?
「はい」
「…えっと、風がまだ冷たいので風邪など召されないように」
「…はい」
「あの…、風邪が流行ってきているので。あ、私の妹も風邪をひいているんですよ」
「そ…そうなんですか」
………。
長い沈黙が落ちる。
ジゼルはがっくりと肩を落とし、コンラートは困ったように頭をかいた。
……何しにきたんだろう。
「あの…姫が、隣国の王子とご結婚されると聞いて…」
「それは……!」
予期もせぬ突然の呟きに、ジゼルは言葉につまってしまった。
好きな人の前で、何と言ったらいいのだろう。
「それを聞いたとき、気づいことがあるんです」
コンラートのしっかりとした声がふいに響いた。
その声音にジゼルの胸はどきりと高鳴る。
「どうも私は、姫と結婚したかったみたいです」
「コンラートさま…」
夢のようだった。
ジゼルは泣きそうな顔でコンラートを見た。
嬉しくて、幸せでたまらない。
こんなふうに彼が言ってくれるのを、何度も夢の中で見た。
「私のそばでずっと笑ってほしい。その笑顔をいつでも見ていたいのです」
真っ直ぐ、ジゼルを見つめてコンラートは微笑んだ。
微笑む顔なんて初めて見たかもしれない。騎士である彼はいつも、真面目な顔をしているから。
もう、このまま死んでしまってもいい。幸せすぎて、どうにかなってしまいそう。
やっぱり、彼としか結婚したくない。
彼しかいらない。
あとは何もいらない。
「あの、コンラートさま」
「はい」
「駆け落ち、しませんか?」
ふいにジゼルは呟いてしまった。頭の中で考えていたことがつい口から出てしまったのだ。
コンラートは目を見張り、やがて小さく笑った。
「……いいですね」
思いもよらない返事にジゼルは満面な笑みを浮かべた。それを見て、コンラートも微笑む。
ふたりで顔を見合わせて笑っていると、すべてがうまくいくような気がした。
コンラートはジゼルに向かって両手を広げた。
なんだか、本当のおとぎ話話のようだ。
うっとりとコンラートを見下ろし、ジゼルは迷うことなく、バルコニーから飛び降りた。
ふわりとドレスが広がり、鳥になってようで気持ちがいい。
大好きな人の胸の中をめがけて飛込む。
コンラートはしっかりとジゼルを受け止めた。
間近で見つめあう。
ジゼルの胸が高鳴った。
こ、この状況は…まさか…
キスを期待して、ジゼルはそっと目をつむった。
しかし、いくら待っても何もない。
「姫、だめですよ。こんなところで寝たら」
……。
もしかして、コンラートさまはとても鈍いお方なのかもしれない。
*******
夕日に向かって、愛の逃避行。
なんて素敵だろう、とジゼルは馬上でぎゅっとコンラートの背に抱きついた。
「姫。もしかして馬が怖いのですか?」
「いいえ。こうゆうのを夢見ていたんです」
ふふ、と笑って華奢だけれどたくましい背中に頬を寄せた。
「…駆け落ちが、ですか?」
「はい。ふたりで遠い地を目指して馬で駆けていくなんて、素敵じゃないですか」
コンラートは理解できないのか首を傾げていた。
「はあ…。しかし、馬に乗り続けるとお尻が痛くなりますし、今夜は野宿ですし、このあたりは盗賊もでるので大変ですよ?」
「……う」
………コンラートさまは、とても現実的なお方なんだわ。
「でも、大丈夫です。何があっても私がかならず姫を守りますから」
「コンラートさま…」
ジゼルはたまらなくなってぎゅうっとコンラートに抱きついた。
鈍感で乙女心がわからないかと思えば、こんなふうに唐突にジゼルの欲しい言葉をくれる。
コンラートさまがわからなくて、ジゼルは溶けてしまいそうです。
ジゼルは熱い顔を、背中に押しあてた。
このままふたりで、何処まででも行ってしまいたい。邪魔する者がいない地へ。
しかし、後ろで馬の蹄の音が聞こえた。
ジゼルの名を呼ぶ声がする。
「コ、コンラートさま……!」
「追手ですね」
コンラートの声は驚くほど落ち着いていた。
でも、ジゼルは気が気ではない。
「ジゼル!!」
父の声がした。
国王じきじきにここまで追ってきたのだ。
後ろを見ると、弓を構えた少数の軍隊もいる。
コンラートはそれを見て逃げ切れないと悟ったのか、馬を止めて向き直った。
「ジゼルを渡せ!」
国王の声が鋭く響く。
ジゼルはコンラートの背にしがみついた。
離すわけにはいかない。
コンラートの傍にいたい。
「絶対イヤです!私はコンラートさまと結婚するんです!駆け落ちするんです」
「何を言っている!駆け落ちが本気で成功するとでも思ったのか!?結婚などできやしないのだ」
コンラートを抱きしめながら震えるジゼルの手に、コンラートが優しく触れた。
そっとほどかれる。
「コンラートさま…?」
「姫。申し訳ありません。最初からわかっていたんです。駆け落ちなんて成功しないことを」
そう言って馬を降り、ジゼルに手をのばす。
呆然としている間に、ジゼルは馬から抱きおろされた。
コンラートは、最初から無理だと知っていた。
なら、ジゼルと結婚する気なんてないのだろうか。
どうせ、諦めるなら駆け落ちの真似ごとでもしようと思ったのだろうか。
「ジゼル、こちらにきなさい」
国王の声に、反射的にジゼルはコンラートの首に抱きついた。
「いやです!コンラートさまと結婚を認めないなら、私は死にます!」
コンラートの吊している剣に手を伸ばして一気にひきぬく。
ざわり、とあたりが動揺に揺れた。
「何を馬鹿なことを言っているんだ!そんな危ないものを置いてさっさとこっちに来なさい!」
ジゼルはふるふると首を横に振って、剣の先を自分の喉につきつけた。
連れもどされて、違う人と結婚するしかないのなら、コンラートへの想い抱いて死んだほうがましだ。
ジゼルは涙を瞳にためて、剣先を見つめた。
「姫」
ジゼルの肩に優しく触れたのはコンラートだ。
慎重に剣を握るジゼルの手をつかんで、剣を奪う。
「ここまであなたと来たのは、あなたの心を確かめたかったからです。本気で私について来てくれるのか。本当に私と結婚したいのか」
「何を言ってるんですか!したいに決まってるじゃないですか!だから……」
こんなに必死になるのに。
赤く潤んだ目でコンラートを見上げる。
彼はかすかに微笑んだ。
「はい。私が愚かでした。どうかお許し下さい」
そう言って、コンラートはジゼルの手を取り、その場にひざまずいた。
そして、そのまま白い手にキスをおとす。
それは、騎士の正式な挨拶。
あなたに忠誠を誓うという印。
コンラートの伏せられたまつ毛を、ジゼルはどきどきしながら見つめた。
どんどん早鐘をうつ心臓を無意識におさえる。
口付けされた部分だけが、熱をもったかのように熱かった。
固まるジゼルに気にせず、コンラートは立ち上がってようやく国王を見据えた。国王は国賊でも見るかのようにコンラート睨んだ。
「陛下」
コンラートの低い声が響いた。
「ジゼル姫と結婚させてください」
顔をしかめる国王に、彼は深々と頭を下げた。
「…守ります。…姫を一生、私の命にかえても、からなず守ります」
一言一言を噛み締めるように言葉を紡ぐコンラートの姿に、ジゼルは視界がさらにぼやけるのを感じていた。
熱い雫が、とまることなく頬へ流れでる。
頬を拭いながらジゼルもコンラートの隣に並び、同じように頭を下げた。
「結婚させてください」
ジゼルの涙声に国王はうめき声をもらした。
コンラートもジゼルも、国王の許しがあるまで頭を下げ続ける気だった。
国王の言葉を待つ。
周囲の者も息を飲んで成り行きを見守った。
「へ、陛下ー!!」
そんな沈黙を破ったのは、城からの早馬だった。
家臣の慌てぶりに、国王は何事だ!、といらついたように怒鳴った。
「クリスティーナ妃がご出産なさいました!!」
思いもよらない報告に、国王は絶句していた。
そういえば、とジゼルも驚きながら思い出していた。国王陛下の第三妃であるクリスティーナは懐妊し、住みやすい南の城で生活していたのだ。
もう、それが産み月だったとは。…いや、けっこうな早産だ。
「王子か?」
わかりきったように、国王は言い捨てた。
これまで、ジゼル以外みんな男だったからだ。
「いえ!姫でございます!」
「なに?」
「え?」
国王とジゼルの声が同時に響いた。
あたりも驚きにざわつく。
ジゼルは国で唯一の姫ではなくなったのだ。
「クリスティーナのもとに行く!皆ついてこい」
一気に機嫌が良くなった国王は、喜々として叫んだ。しまらない顔で馬にまたがる。
「ちょ、ちょっと、お父様!私たちの駆け落ちの件はどうなったのです!?お許しがでるまで、ここを一歩も動きませんからっ」
このまま保留にされたらかなわない。
「わかったわかった。良い、許す。結婚を認める」
へ?
ジゼルは一気に力が抜けた。
え?許すって?
コンラートさまと、
結婚できるの!?
そう理解したとたん、ジゼルの瞳は輝いた。
「きゃー!やったー!」
飛び跳ねて大喜びをするジゼルを尻目に、コンラートははじめ、周りの人々は、『それでいいのか……』とただただ、無茶な展開に呆然としていた。
コンラートを追ってきた軍隊は早々と馬を走らせていた国王を、慌てて追っていった。
後に残されたのは、ふたりだけ。
呆然としたコンラートと満面な笑顔のジゼルは、顔を見合わせた。
「結婚、できますね」
にこにこと笑ってコンラートを見上げる。
彼はかすかに照れたように頭をかいた。
「そのようですね」
「あの…。あの言葉本当ですか?」
「あの言葉?」
「命にかえても一生守ってくれるって」
ああ、とコンラートはつぶやいて、優しく笑ってみせた。
「はい、守ります。この命にかえて。私だけの大切な姫君ですから」
また、コンラートさまは…。
私の欲しい言葉をどうして唐突にくれるのか。
どうしようもなく、彼に惹かれていく。
どこまでも、彼に堕ちていく。
ジゼルがこんなにも赤くなっているというのに、それを観察するように平然とした顔で首を傾げるコンラートに少しだけ悔しさを感じた。
だから、そっと背伸びする。
「大好きです。コンラートさま」
コンラートは赤くなってくれるだろうかと期待して、ジゼルはその頬にそっとキスをした。