お伽噺のはじまり
あるところにエクトールという小さな国がありました。
その国には王子が六人いましたが、姫はたったのひとりしかいませんでした。
そのたったのひとりの姫を、王様と王妃様は大変可愛がり、姫は愛されてすくすくと育ちました。
年月が経ち、姫が十六歳になった頃、王様は姫の結婚相手を決めることにしました。
それは難しいことでした。王様は、可愛い姫の結婚相手を世界一立派な男にしたかったからです。
当然すぐには見つかりません。
しかし、自分で結婚相手を決めたいと言った姫の願いを聞いた王様は、たくさんの立派な男の人を集めたパーティーを開くことにしたのです。
そのパーティーの日、姫の気をひこうとする大勢の男の中で、ひとり…―――――
*************
「ひとり、隅っこでふてくされている冴えない騎士がいました」
「…冴えなくて、申し訳ありません」
それは自分のことだと、すぐに理解できたのは、珍しく本当にふてくされている自覚があったからだった。いつもは主人に絶対服従の彼も、突然始めた、意味の分からない主の独り言に、さすがに眉をひそめた。
「その話はなんのおつもりですか?アンドルー王子」
「この頃、末の弟にお伽噺をせがまれてな。話が尽きたからつくっていたんだ」
「……なぜ、私でつくるのです」
主が意味の分からないことを言うのは、もはや日常茶飯事のことで、さして驚くことではないが、この元来まじめな騎士は、いつも律儀に主の言動にいちいちつき合ってしまうきらいがあった。
「一番主人公にならなそうな人物、つまりコンラート、お前をあえて主人公にしてみたら面白いのではと思ってな」
コンラートはため息ついて、黙り込んだ。なにから指摘してよいのか分からなかったからだ。
主人公にならなそうな人物を主人公にしたって、面白い話ができるわけないではないか。
面白味がないから、主人公になれないというのに。
「ああ、話の続きを考えねばな」
ぶつぶつ呟き出した主を一瞥したコンラートは、この人はパーティーの日に何をやっているのだろう、と非難めいた感情をいだいた。
妹の結婚相手を決めるパーティーだというのに。
こんな風に隅のソファに座り込み、にぎやかなパーティーの輪に入っていかずに、ひたすら創作にふけっているのだ。ほかの王子たちに目を向ければ、外交のチャンスとばかりに活発的に様々な来客者と談笑を交わしているのだから、ますます隣にいる自分の王子に幻滅するばかりだ。
主の側からはけっして離れてはいけない近衛騎士のコンラートは、パーティーの始まりから、直立不動で、この変わり者の主の傍にずっと立っていた。
「……えーと、その騎士がふてくされているのは、実は騎士は姫にずっと恋をしていたからです」
「……王子」
ぴくりと眉を動かしたコンラートに、アンドルーはにやりと笑いかけた。
「だって、事実だろう?俺は知っているぞ。ジゼルが傍を通るたびに目で追っていることを」
「……そんなことはありません」
コンラートは静かに答えた。アンドルーがのぞき見た、その表情には、残念ながら変化は見当たらない。いつもより少し、不機嫌なだけ。アンドルーは自身が期待していた反応を見られず下唇をつきだし、鼻をならした。
「ふん。本当、面白味のないやつだな。少しでも赤くなったり、慌てたり、むきになったりしないのか」
「しません」
簡潔な返事に、アンドルーはつまらなそうにため息をついて、またぶつくさ呟きだした。
もうかまうまい、とコンラートは主から視線をはずし、ホールの中心に立つ人物に目を向ける。
この国唯一の姫。
ジゼル姫。
コンラートはジゼル姫に恋などしていない。
ただ。
思い出があるだけ。あれはいつのことだったか。もう数年前になるだろうか。
奔放な王子を追いかけていた時、上着から手袋を落としたことがある。
それを拾ってくれたのが、ジゼル姫だった。
ただ、それだけなら記憶には残らない。
コンラートの記憶となっているのは、『どうぞ』と言ったあの笑顔。
無邪気で、ほんのり頬が色づいて、あどけない少女のあの笑顔が、今でも記憶にある。
コンラートが出会ってきた人々の笑顔の中で、なぜか忘れられない笑顔だった。
だから、彼女が笑っているとついつい見てしまう。
幸せそうな笑顔は、こちらも幸せな気分になれるから。
だから、彼女には幸せになってもらいたい。
世界一立派な男と結婚して、もっと幸せな笑顔を見せて欲しい。
しかし、なぜかたくさんの男が姫に群がるのを見ると、どこか腹立しく感じる。
そのため、コンラートはふてくされていた。
「おお、ジゼル。やっと相手を決めたのか」
国王の声にあたりがざわついた。
男達の間に緊張が走ったのが、大部屋の隅にいてもわかるほどだった。
そうか。
ジゼル姫は決めてしまったのか。生涯の結婚相手を。
姫が決めたのなら、さぞかし立派な男なのだろう。
コンラートは静かに目を閉じた。
今ごろ、姫は相手の手をとって幸せそうに笑っているだろうか。
なぜか、その笑顔は見たくはなかった。
「私と結婚して下さいますか」
予想外に声は近くから聞こえた。
ああ、こんなにも近くに姫が心惹かれた男がいたのか。
「コンラートさま」
予想外の言葉に、コンラートは目を開けた。
目の前には、着飾ったジゼル姫がいた。金色の巻き髪からのぞく真っ赤に色づいた頬と、潤んだ青い瞳の奥からみえる真剣な眼差しに気づいたコンラートは、思わず声を失った。
言葉を交わすのは、数年前のあの日以来。
声を聞くのは二度目。
あまり感情が表にでないコンラートは、きりっと背筋を伸ばしただけだが、内心はこれまでにないくらい驚いていた。
「……私、ですか?」
恐る恐る口を開くと、ジゼル姫は不安気に眉を下げた。
「私が、お嫌いですか?」
泣きそうに顔を歪めたジゼル姫に、コンラートは慌てて首を横に何度もふった。ぶんぶんと、かつてないほどふった。
「いいえ」
これが、精一杯の言葉だった。
それが伝わったように、姫はぱぁっと瞳を輝かせて微笑んだ。
あの日、見たときと同じ、もう一度見たいと思ったあの幸せそうな笑顔だった。
「では、私と結婚してください」
「………はい」
コンラートは惚けながら、ぼんやりとそう呟いた。
エクトール国の唯一の姫が選んだのは、隅に立ってこちらを見守る誠実そうな騎士でした。
皆が姫の選んだ相手に、驚きの声をあげました。
しかし、姫は幸せそうに微笑むばかり。
その笑顔を見ながら、誰よりも驚いていたのは選ばれた騎士でした。
このふたり、
まだまだ――
「まだまだ、『めでたしめでたし』にはなりそうもないな」
アンドルーは、腰が抜けそうになっている騎士を眺めて微笑んだ。