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中編 風邪引きと鈍感魔女の介抱

 ――さようなら。


 駄目だ! 行くな!


 ――さようなら。


 行っちゃ駄目だ!


 ――ごめんなさいね。これで君も元の自由です。


 別にそんなことはどうでもいい。一緒に居てくれ!


 頼むから俺を一人に――――――。


      ●


「がはっ! はあ……はあ……」


 酷い目醒めを得た。悪夢にうなされていたような気分だ。しかし、最悪なことはその悪夢の内容が全く思い出せないことだ。原因不明の胸のもやもやとただ漠然とした消失感のすごい内容の分からない悪夢を見たという感覚だけだった。


「君! 大丈夫ですか? 嫌な夢でも見ましたか?」


 見ると寝ながらうなされていた自分の顔を覗き込む彼女の姿が映った。まるで自分の事のようにとても心配そうな表情をしていた。とても悲しそうな表情だった。彼女は周りをきょろきょろ見渡してから勢いよく立ちあがった。


「汗をびっしょり掻いています。タオル持ってきますね」


 小走りで洗面所まで行くと引き出しから手頃なハンドタオルを取り出し軽く濡らしてから持ってきた。俺は上半身だけ起こしてタオルを受け取ろうとした。しかし、彼女は俺の伸ばした手を振り払いこちらの両肩を掴んで、そのまま再び寝かされてしまった。


「駄目ですよ。ちゃんと寝ていてください。汗なら私が拭きますから」


「いや、でも…………」


 俺は全身に汗を掻いているのが分かっていたから、さすがにそれはまずいと思い断ろうとした。しかし、彼女はぴしゃりと遮った。


「駄目です! 寝ていてください」


 何か色々とまずい気がするのだが彼女がここまで言っている以上は仕方がない。しょうがないので厚意に甘えることにする。確かに体を起こすだけでも少々キツいのは事実だった。しかし、銀髪がとてつもなく眩しい。


「じっとしていてくださいね」


 彼女は濡れタオルを持って俺の顔を吹き始めた。丁寧に顔全体の汗を拭いていく。やけに薄いタオルを持ってきたのかタオル越しにも彼女の細くて柔らかな白い指の感覚が伝わってきてた。雑念を捨てないとさすがにヤバい。僅かな立ち膝の姿勢の彼女もまた美しくも可愛らしく見てる分には非常に堪らない。やましい気持ちはない……。やましい気持ちはない……。


「すいません、少し失礼します」


「……!」


 彼女は顔の汗を拭き終えると今度はタオルを置き、俺が被っていた布団を大きく捲りあげた。一瞬で何しようとしているのか理解して、俺は全力で止めるしかなかった。


「さすがにまずいよ。後は自分で汗拭くから」


「駄目です。顔色など見たところ、少々熱っぽいようですし、出来る限り安静にしていてください。看病なら私が大体のことは出来ますので安心してください」


「いや、それでも俺男だし…………」


 異性に全身を拭かれるのは色々と男の尊厳に関わる気がするから、全力で防がなければならないだろう。怠い身体で抵抗する方法を考えていると彼女がぼそりと呟いた。普段だったら聞き逃しかねないほどの細い声だった。


「…………駄目ですか?」


「え?」


「私がこうして君に介抱することはいけないことなのですか? これもまたこちらの世界のルール、常識というやつなのですか?」


 見れば彼女はいつの間にか完全な正座になっていた。膝には強く握られた両のこぶしがあった。そのこぶしはぶるぶると震えていた。


「あなたはどうしてそこまで……」


 俺は分からなかった。彼女がどうしてそこまで尽くそうとしてくれているのか、その理由を。


「私は君に感謝しているんです」


 ……え? 今なんて?


「私は訳も分からず、この世界にいつの間にか転移させられていました。ですが、当初はそこまで深刻には考えていませんでした。まあどうにかなろうだろうと、自分は天才魔女なのだからと。自分の実力に驕っていたのでしょうね。そもそも、この世界の事なんて全く知らなかったというのに。結果は君の知っての通り、この世界で余計な混乱を起こしかけました。それをただの通りすがりだった君が、見ず知らずの私の為に場を収めてくれました。私が出来なかったことを君はあっさりとやり遂げてくれました。そして、君は私に一時的にでも住む場所を与えてくださいました」


「…………」


 そんな大それたことではなかった。ただ単に何か困ってる美人さんがいたから後先考えずに良いところ見せようとして首突っ込んだだけだったんだ。住まいはまあ……下心が全くなかったわけではない。


「……だから、恩返しがしたかった。でもこちらの世界では失敗ばかりで恩返しすらまともには出来ていなかった。だからこそ、看病くらいはと考えたのです――」


 恩返しになっているんだ。こうして傍にいることが。一人暮らしで寂れてたところにやってきてくれて、心が現れるように毎日が充実していた。毎日懸命に生きているあなたの姿を見るのが好きだったんだ。


「――それも迷惑なのでしょうか?」


 彼女が辛そうな悲しそうな表情でこちらの顔を見た。そんな顔で見ないでくれ。そんな悲しそうな表情をしないでくれ。


 決断するしかないか。


「いいよ」


「え?」


 彼女が素っ頓狂な声を上げた。


「迷惑じゃないから看病を続けて」


「……! ありがとうございます。では……」


 彼女はそっとこちらの上着を掴み、下からたくし上げた。


 そして、腹から胸のあたりまで丁寧に汗を拭き、汗を拭き終えたらまた上着を元に戻す。順番としては次は下半身だろう。ズボンをゆっくりと下ろされ、非常にまずい感覚に襲われそうになったがなんとか耐えることが出来た。もしこれでなにかあったら大セクハラだっただろう。危ない、嫌われるわけにはいかない。結果としては下半身の汗拭きもすぐに終わり、彼女の手際の良さを知ることとなった。それでも、全身を張った彼女の指の感触や程よい体温の暖かさは体が更に火照りそうになって危なかったが。ともあれ、これで山場は抜けた。


「これで、ひとまず汗の方は大丈夫ですね、後は……」


「まだ何かしてくれるの?」


「当然です。今日一日は安静にしていてください。今日の間は看病に徹しますので」


 彼女は張り切った様子で颯爽と台所に向かった。正直、彼女の張り切りようはすごい。気持ちはすごく嬉しいのだが、正直なところあまり張り切りすぎないで欲しくもある。失敗後の後処理が大変そうだから。しかし、失敗してでも自分の為に頑張ってくれるのならやはり嬉しくあるのも事実だ。難しい塩梅なのだが。


 だが、やはり今は何か危険な気がする。自分の体調も良くないし今は落ち着かせよう。


「とりあえず、今は何もしなくていいよ。必要があればまた何か頼むから」


 布団の中でなんとかそう伝えると彼女はどこか物足りなさそうな表情をしていた。


「え、でも……」


「今は何もしなくていいよ。代わりに傍にいて欲しい。こうして、傍で一緒にいてくれることが充分な助けになるから」


「まあ君がそう言うのでしたら……」


 そう答えると、彼女も渋々だが納得してくれた。彼女は俺の傍までやってくると膝を崩して座り、俺の頭を優しく撫でてきた。


「どうしたの?」


「治療です。私の体質ですが、こうしていると少しずつですが、快復を促すことが出来るのです」


「そうか、ありがとう。なんだか……気持ち良……くなって……き……」


 俺は彼女の治療を受けて、ゆっくりといつの間にか深い眠りについていた。


      ●


 それから数時間後、夕暮れ時に差し掛かった頃に俺は目を覚ました。目を覚ますと、何か体に重みを感じた。すぐに、原因は分かった。俺の身体の左半分に覆いかぶさっているのがいたからだ。彼女は俺に抱き付くようにして腕を伸ばして俺に絡みついており、首元を這うように伸びた彼女の腕がとても艶やかで柔らかく、そしてくすぐったかった。


 よく見れば彼女は寝ており、僅かながら寝息が聞こえてきた。寝顔はとても健やかで気持ちよさそうだった。


「予想外にいつの間にか寝ちゃってたな。しかもかなり長い間の睡眠になってたようだな。おかげで今日の大学は全サボりか。まあ元々今日はもう行く気なかったし良いと言えば良いのだが。とりあえずは今日の晩飯の買い物に行かなきゃ」


 俺は彼女を起こさないようにそっとゆっくりと彼女から抜け出して、代わりに彼女に布団を被せてあげた。そして、家を出る準備を始める。準備の過程で気付いたが、意外と体調の方はかなり快復したようだ。


 着替えと財布を用意するだけの簡単な出発準備を終えて家を出ようとした。


「さて、出かけるかな……ん?」


 家を出ようと玄関へと向かうと、台所に小さな皿が置かれていることに気が付いた。そこには小さな焼き鮭と目玉焼きが盛られていた。冷蔵庫に残っていたものを使ったようだ。


「何もしなくていいよって言ったのに全く……焦げてるじゃんか」


 一部が焦げて黒くなっており、その部分を一口分だけ口に運ぶ。


「美味いし……」


 とりあえず今はこれだけにして、残りは晩御飯と一緒に食べることにしよう。書き置きだけテーブルに置いてさっさと出ていくことにした。


      ●


「ん…………あれ? いつの間にか寝ちゃったのかしら」


 私はいつの間にか寝てしまっていたみたい。彼に体質と称して催眠魔法をこっそり掛けて彼が寝たのを確認してから、自分のスキルアップの為に料理の練習をしていました。そして、その後は彼の傍で今度は本当に治療目的で添い寝をしていたのですが、彼を抱いているうちに私も眠ってしまったみたいです。一つ気になるのはしっかりと抱きとめていたはずの彼の姿が見えないことです。代わりに私に布団が掛けられているのは彼がやってくれたのでしょう。


「彼は…………」


 彼の布団をもう少し味わっておきたいところですが今は我慢しなければなりませんね。少し惜しいですが、布団から体を起こすと部屋に彼がいないことが分かりました。買い物にでも行ったのでしょうか? 辺りを見渡すとちゃぶ台の上にメモ書きが置かれていました。


「これは……」


 この世界の言葉で「晩御飯の買い物に行ってきます。目玉焼きと鮭美味かったです」と書かれていました。料理の練習の為に作ったのですが、またしても焦げてしまった失敗作になってしまったのをうっかりと残してしまっていたのですが、どうやら食べてしまったようですね。しかも焦げの部分だけをしっかりと。残りは責任持って私が食べておきましょう。


「それにしても焦げの部分だけをしっかりと食べるなんて……。本当に彼は……」


 そして、買い物に出かけたらしい彼を追い掛けるか、ここで待機しているかしばらく考え、待機することにしました。


「入れ違いになってしまっても困りますからね」


 このまま留守番をすると決め、再び彼の使っていた布団を味わおうと布団に向かった時でした。


「おいこらてめえ!」


 外から不吉な怒声が響いてきました。

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