前編 彼女の私服のセンスはいかにもダサい
――異世界転生。
それは、特殊な力を持たない者が剣と魔法が飛び交う異世界に生まれ変わり、そこで力を得て、たくさんの活躍をする。
そんな夢と希望とロマンに溢れた冒険物語である…………一般的には。
しかし、世の中にはその逆もまた然りなのだ。
これはとある魔女が魔法の無い世界に転生してしまった話である。
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「説明を求める」
夕方の大学帰りの俺は帰宅するなり玄関先にてすぐに視界に飛び込んできた目の前の惨状――フライパンごと丸焦げになったかつて鮭だったソルトな何か――を見ながら、その惨状を造りだした犯人に言葉だけ詰め寄った。
しかし、犯人は首を傾げるばかりだった。何故こうなったのか理解が出来ないといった様子だった。
「あまり、火力は出していないはずなのだけれど…………」
「火力云々の前に魔法は使わないでって言ったよね!? もう……、あなたがここに来てからもう一週間になるんだから覚えてよ、ガスコンロ使って?」
「ごめんなさい。でも、このガスコンロ? とかいう道具はどうにも非効率に感じるわね。魔法でさっと焼いた方が早いわ、それにこのガスコンロっていうのは使うのにお金が掛かるんでしょう?」
「こうやってフライパンをダメにされる方が余計に金掛かるから!」
「本当にごめんなさい。しかし、魔法の無い世界というのはすごく生き辛いのですね」
彼女は高い身長とその輝かしいほどの銀髪を揺らしながら、目いっぱいに頭を下げて謝罪をしてから頭を上げ、それから困ったなあと言いたげな表情をした。困ったなあという表情をしたいのはこちらなのだが。
「魔法の無い世界に来たんだからこっちの世界になるべく合わせてね。もし、外で魔法なんか使われたら大騒ぎだからね。というか、初めて会った時も魔法使って大騒ぎ起こしてたよね。周りの人に誤魔化し入れるの大変だったんだから」
「その節は本当に感謝しています。右も左も分かっていなくて、むやみに魔法を使ってしまってこっちの世界に混乱を起こしかけてしまったのを庇っていただいただけでなく、こうして住む場所も与えてくれたのですから」
「だって、あんなボロボロの布切れを着たいかにもホームレスな状態の女の人を放置なんて出来ないよ。ましてや、魔法使ってまた騒動でも起こされたらそれこそ面倒だよ」
はっきり言えば下心もあったが。普通なら通報されかねない事案だが相手が異世界人で助かった。感覚はやはり違うようだ。
「優しいのね、君は」
彼女は僅かに微笑み、俺と視線を合わせてきた。危ない危ない、堕ちるところだった。一応、この暮らしがいつになるか分からない状態なのだからある程度の距離感は保っておかないと大変だろう。
「優しいわけじゃないよ。あなたをあのまま放っておいたら周りの一般人に迷惑が掛かるから俺が仕方なく預かってるんだよ。それに――」
「それに?」
彼女が聞き返す。
「――いや、なんでもない」
うっかり言い掛けた言葉を何とか引っ込めた。さすがにこれは言うべきではないだろう。別に何か悪いわけじゃないが対面があるし何より自分自身が恥ずかしいので今は黙っておきたい事実だ。なので言うのは避けておく。
「それより服、着替えて? 手首のところ焼け焦げてるから」
俺は靴を脱ぎ、自宅にようやく上がると彼女の服の手首の裾の部分をちょんと掴んで焦げを見せた。焦げは裾部分全体に広がっており、どうしてもかなり目立ってしまっている。
俺が指摘すると初めて気が付いたのか、驚きと困惑の表情を見せてきた。
「あら、どうしてかしらね?」
「どうしても何も、比較的新しいフライパンを丸焦げにするほどの火力で火使ったらそりゃ裾が焦げても不思議じゃないよまったく……。火事にならなかったのが不思議なくらいだ」
「そうなのかしら、不便なものね。でもちょっと焦げてるだけだわ、服としては不自由しないわ。だからわざわざ着替える必要はないわよ」
彼女のその発言に溜息が出てしまう。やはり彼女は、というよりは異世界人はこの世界とは価値観のずれというのはかなり大きいようだ。彼女も同じくこの世界とは価値観が大きくずれているのだ。そして、それをなるべく正すのも俺の役目なんだろう。なので仕方なく訂正を促した。
「一般的にはそんな黒焦げの服で外に出たら変な目で見られるの。ましてやお店なんて絶対入れないよ。だから着替えて? 服はテキトウに選んで着ていいから」
「あら、そうなのね。また一つ勉強になったわ。でも、なぜこの時間から人目を気にする必要があるのかしら。もう時間も遅いしこの時間から出かける用事が?」
俺はため息を突きながら、黒焦げのフライパンを指差した。
「そのかつて鮭だったソルトな何かの埋め合わせをしなきゃならないから、急だけど急いで買い物に行くよ。あなたもついてきて、拒否権はないよ」
「仕方ありませんね。是非御一緒させてください」
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それから十分の後に素早く買い物へと最寄りのスーパーへと向かった。彼女も新たな服に着替えて一緒に買い物へときた。彼女と俺は横に並び、日も殆ど落ちた暗い夜道をなるべく急ぎ足で歩いていた。
歩きながら隣の彼女を見ると、彼女は夜道の中にいて一層輝いていた。その美しく輝く銀髪が月の光に照らされて反射し、神々しく映えていた。事実、すれ違う通行人は必ず一度彼女の存在に目を奪われていた。そして、服装を見て正気に戻り再び視線を元に戻していた。
「さすがにテキトウに選んでいいとは言ったけどその服はどうにかならなかったの? いやまあ、もともと俺の服だけどさ、女の子が着るような服じゃないと思うんだけど」
「あら、そうかしら。またずれていましたか?」
彼女はそう言って俺の顔を覗き込む。彼女の自らの顎に人差し指を押し当てる仕草がドキッとするくらいに美しく、そして可愛かった。駄目だ、平静を保たなければいけない。
「あー、まあ一般的は女の子の着る服じゃないんじゃないかな。そんなでかでかとした文字入りのシャツは」
俺は視線を合わせないように目をきょろきょろさせながら、ちらりと彼女の着ている服に目をやる。白一色の服に黒字で大きく「ごくぶと」と平仮名で書かれていた。元々は昔に友人と悪ふざけで買ったもので、もうめっきり着ていなかったものだがあろうことか彼女はそのシャツを選択したのだ。さすがに最初はもっと無難な服を薦めたのだが、彼女がこれがいいと言って聞かないので、仕方なく了承した。少なくとも、黒焦げの服よりかはいくらかマシだろう。
彼女は俺の説明に深く頷いた。
「なるほど、また勉強になりました。君といるといろいろなことが知れて退屈しませんね。まだまだ異世界の慣習というのは奥が深いのですね」
彼女はそれはもう好奇心に満ち溢れた表情をしており、元々の大人びた美貌とは別に純粋な童心のような知的好奇心を持ち合わせていた。
「まあ、元の世界に戻れるまではうちに居てもいいからそれまでは頑張ってこの世界のことも覚えてね。それはそうと、異世界転移魔法の術式の組み上げはまだまだかかりそうなの?」
俺は不意にそんなことを聞いてみた。彼女がうちで居候することが決まった初日から部屋の一部を借りて、彼女が元の世界に戻るための転移魔法の術式の組み上げを始めたのだ。どうやら随分と難航しているようだが、ちょっとずつには進んでいるようだ。
彼女はうーんと首を傾げた。
「まだそれなりの時間を要すると思います。何せ、世界を丸々跨いで移動する魔法なんて聞いたことありませんし、想像なんてとてもじゃありませんができませんよ。こうして実際に異世界転移を経験した今でも不思議なものです。ですので、どうしても簡単には術式を組めそうにはありません。型にはめてセオリー通りに組めばいいってものでもないようですし。申し訳ございませんが、もうしばらくはお世話になりそうですので何卒よろしくお願いいたします」
「別に今更そんなに気を遣わなくていいよ。まあ、あなたと俺の二人くらいなら金銭面でもぎりぎりなんとかなりそうだし、しっかりと確実にやってほしい」
俺は正面向いて、彼女にそう告げた。そうしたら、彼女は満面の笑みを返してきた。俺は赤面してしまい、小走りで彼女よりも少し前へと進んだ。危なかった、危うく惚れるところだった。それはまずい、彼女と俺は住む世界が違うのだから、一緒に居ることは本来できないのだ。
そうして五分ほど歩いてから目的のスーパーへと辿り着いた。俺はエスコートするように彼女をスーパーの中へと連れて行った。
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買い物を終えて自宅へと戻ると、すぐに料理を開始した、もちろん俺が。彼女はリベンジさせてほしいと言っていたが、これ以上事態を悪化させても面倒なので全力で遠慮させてもらった。彼女にはちゃぶ台の前でじっと座っていてもらうことにした。
料理の傍らでちゃぶ台の前でそわそわしている彼女が見えた。どことなく落ち着いていないのがはっきりと分かった。台所から追放されたことが原因かはわからないが。
それからしばらくして料理を終えて、部屋の中央に位置している丸いちゃぶ台に料理を並べていく。とは言っても、そこまで豪勢なものではなく、小さな鮭の切り身に後は冷凍食品のハンバーグを一つずつといった質素なものだ。料理を並べ終えて、俺もちゃぶ台につくと、両手を合わせた。
「いただきます」
俺と彼女は同時に手を合わせて、そう口を揃えた。彼女は最初、この手を合わせていただきます。という文化を知らなかったようだが、俺が説明するとかなり気に入ったようで、元の世界に戻ったら広めてみると言っていた。
ともかく食事を始めてから、今日は俺が大学で体験したこと、彼女が元の世界でしてきたこと、お互いの体験談などを語り合い談笑しながら食事の時間を過ごした。
食事を終え、片づけを済まし、その後はシャワーや明日の準備を終えた後に時間も時間なので就寝ということになった。
布団を並べて寝床につくと、すぐに眠りに落ちた。彼女はもうしばらく、転移魔法の術式研究を続けるとのことでもうしばらくしてから寝るそうだった。俺は彼女の後ろ姿を見ながらいつの間にか深い眠りについていた。