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58 麗華の思い出

 羽黒祐介が帰った後、涙に濡れた麗華の心の中には、姉の琴音との思い出が懐かしく、そして哀しく蘇っていた。

 あれは麗華が高校生の時のことであった。その頃、麗華は多感な時期であった為に、今よりもずっと繊細な感性を持っていた。そのせいか、姉の琴音のことがひどく嫌で仕方がなくなっていたのであった。

 麗華は、母親の早苗夫人が琴音のことをよく思っていなかったことや、琴音が父が女中を身篭らせてしまった為に産まれてきたことなどもよく理解していた。そのため麗華は、時として父の汚らわしさと相まって、琴音自身に対してもひどく汚らわしく醜い印象を抱いてしまうのであった。その頃の琴音を見つめる麗華の目といったら、露骨なものがあったのだろう。琴音も、麗華によく思われていないことをうすうすと知っていたらしく、二人にはあまり会話もなかった。

 何か理性ではない胸の奥底から吹き出る嫌悪感が麗華の気持ちを支配していた。そのことは誰にも言わなかった。人に言ったところで、それは琴音さん本人のせいではないよ、だとか、そんな感情を持つのはあなた自身がひねくれているのよ、とか、そんな無責任な説教を言われるだけであることが想像できて、それがひどく馬鹿馬鹿しく思えて仕方がなかったのである。そんな安い説教で気持ちを変えるほどわたしはお人好しじゃないわ、とか、一般論で片付けられるほど単純な問題ではない、と麗華は、自分の悩みが他人には理解できないほど高尚なものであるという孤高の意識の中で、ただ一人うそぶかざるをえなかったのである。

 そんなある日のことであった。麗華は、琴音が朝日の中で一輪の花をいけているのを見つけた。それが麗華には非常に美しい光景に見えて、はたと立ち止まった。それは花が美しかったのではない。花をいけている琴音が美しく思えたのだ。なぜ琴音がこれほど美しく思えたのだろう。それは琴音という自分の姉が、その一輪の花を愛でるその姿があまりにも哀しげだったからである。琴音はその一輪の花をさも愛おしそうに、そして深い深い哀しみを込めて眺めていた。その花は琴音の分身のようであった。その姿からは、これまでの琴音の人生というものが不幸に包まれていたことがしみじみと窺えた。琴音は、早苗夫人に愛されず、妹からも愛されずに、ずっと孤独の淵にいたことが、麗華には切々と感じられてきたのである。

 それまで麗華は、琴音といえば自分勝手な姉と決めつけていた。この家に引き取られたことを被害者ぶって、などとありもしない難癖をつけては、彼女に対する印象を意図的に悪くしてきたのであった。その方が麗華には都合が良かったのである。琴音を姉として受け入れる心の準備ができるまでは、決して心の中に入ってきてはいけない存在だったのだから。

 ただ、琴音が花をいける光景をふと見た瞬間に、琴音に対する麗華の印象というものはがらりと変わってしまったのである。琴音のその哀しみは自分には想像もつかないほど深いものなのだろうと。どこかで、自分は姉を陥れて、それで自分の心の純粋な部分を守った気がして安心していたのだろう、ということに気づいて、罪悪感にひどく胸苦しくなった。それと共に、自身の内側によほど醜い感情が巣食っていたことだろうか、と考えると己に対する嫌悪感がふつふつと浮かび上がってきたのである。

 琴音が、自分を見つめる麗華に気づいた。その時、琴音も麗華が何を考えているのか気づいたらしかった。ただ、そのことには一切ふれなかった。ただ……。

「麗華ちゃんもいけてみる……?」

 とぽつりときいた。

 麗華は何か謝罪したい気持ちになったけれど、やはりそこまで正直にはなれなかった。それでも……。

「うん……」

 と遠慮気味に返事をした。

 琴音はそれを見てクスリと笑った。それだけで麗華は、姉に全てが伝わったような気がした。麗華は、琴音と形式ではなく、心の奥底からつながったような気がした。小さい頃、二人がそうして心を通わせていたように。

 それからというもの、ふたりは良き姉妹になった。麗華は琴音を姉としてみることができるようになったのであった。それでも、琴音の心の底には、麗華には想像もつかないほど深い哀しみが渦巻いているようであった。

(お姉ちゃんは、誰よりも可哀想な存在だった……)

 麗華は涙を流した。

(そのお姉ちゃんが殺したというの……?)

 ……麗華の瞳の中で、一雫(ひとしずく)の哀しみが輝いていた。


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