38 天ざるとカレーうどん
その後、昼食を食べる為に羽黒祐介と室生英治のふたりは赤沼家の邸宅を離れて、付近の古びた飲食店へ行った。
店内へ入ると、壁には手書きのメニューが書かれた紙が貼られていて、四つほどテーブルが並んでいた。腰の曲がったおばあさんとその娘と思しき五十歳ぐらいの太った性格の良さそうな女性の店員がテーブル席に腰を下ろしていた。太った女性の店員はふたりを見ると席から立ち上がって、愛想よくふたりを奥のテーブルへと案内した。店員は湯気の立った煎茶を二人の前に置いて、ふたりの顔をまじまじと見比べて、
「こんなところに観光ですか……山しかない田舎でしょう……」
「ええ……でもそれがいいんです……」
祐介は思ってもいないことを言った。風光明媚なところには違いないが、なるほど、観光資源は山しかないので登山客しか来ないのだろう。
「どこからいらっしゃったんですか?」
「ええ……東京から……」
「それはそれは……。何を食べます? といってもうちには蕎麦とうどんしかないですけど……」
「では蕎麦で……」
「ざるですか……?」
「ざるで……いや、天ざるにして下さい」
そちらは、という目で見られたので、英治は壁のメニューを眺めながら、
「カレーうどん」
と一言ぽつりと呟いた。
そんなものがあったのか、と少し後悔しながら祐介は背後の壁を振り返った。何しろ今日は寒いのである。天ざるなんて食べたい気分ではない。しかし、カレーうどんというのもどこか邪道な気がした。色々考えている内になんだかどうでも良くなってきて、
「天ざるとカレーうどんでいいですか?」
と店員に聞かれると、
「ええ、大丈夫です……」
とぼんやりと上の空で答えた。
店員が厨房に引っ込むと、英治はけらけらと笑いだして、
「お前、カレーうどんに少し惹かれていただろ」
と祐介をからかった。
祐介は可笑しいやら恥ずかしいやらで、何も言わずに店内を見まわしてごまかした。
「それにしても、明日は村上隼人が赤沼家にやってくるな」
英治はぼそりと呟いた。祐介も頷く。
「祐介はこの事件、どう見ているんだ……?」
「うん……そうだな……」
「やはり村上隼人が犯人か……?」
「どうとも言えないな。明日わかるよ」
祐介は何か考え込んでいるらしく、そうごまかして煎茶を一口すすった。
そのまま二人は会話もなく、ぼんやりと店内を眺めていた。
しばらくして、太った女性の店員が天ざるとカレーうどんを二回に分けて、祐介と英治の前に置いた。
「ありがとうございます……」
祐介が言うと、
「いえいえ、お口に合えばいいですけど」
と非常に店員は、まだ食べてもいないというのに非常に喜んだ。
祐介は早速、山のように盛り付けられた蕎麦を箸でひとつまみ、半分ほどつゆに浸して上品にすすった。これがなかなか美味い。その後、南瓜の天ぷらを箸でつまんで、つゆに少し潜らせて二口ほどで頬張れば、これもさっくりと揚がっていて美味しかった。
英治も夢中になって、湯気の立つカレーうどんを音を立ててすすっていた。
「そういえば……」
祐介は、テーブル拭きを持ってわけもなく付近をうろついている太った女性の店員に話しかけた。
「この付近の赤沼さんのお宅で、なにか事件があったそうですね」
「そうなんですよ……」
店員はテーブル拭きを隣のテーブルの上に投げると、待ってましたとばかりに近づいてきた。
「あのお家わねぇ……一年前もなんか娘さんが亡くなったとかで……今度のこともテレビや新聞で大騒ぎでしょう……やっぱり、社長さんっていうのはお金持ってるから、命を狙われることもあるんですねぇ……物騒な話で……」
「そうですか」
祐介は、店員があまりにも話に乗ってきてしまったので、少し困った様子で獅子唐の天ぷらを箸でいじっていた。
それを見て、英治はまた笑いをこらえていたのであった。




