27 怪人の絵画
根来がアトリエへと向かうと、足跡の問題が浮上したことによって、鑑識が躍起になって雪の上の足跡を調べていた。肝心の犯人の足跡というのはすでに稲山、麗華、そして救急隊と警察によって踏みつけられていて、もはや完璧な状態で残っているものは見つからないようであった。
さらにアトリエの周囲を調べた結果によると、本館の裏口とアトリエの間をつなぐ空間以外はいまだに処女雪に囲まれていて、ここもまた犯人の脱出経路とは考えられないのであった。
根来と粉河は、アトリエの中へ入った。死体は司法解剖をするので、すでに運び去られていた後だった。アトリエには何枚も油絵が並べられていた。そこにはいつぞやの印象派のようなぼんやりとした風景画が多かった。モネというかマネというか、それともセザンヌか、根来は絵画というものはよくわからないから、重五郎の絵が誰に似ているとか語ることはできなかった。時代の最先端をゆく芸術という印象もなく、重五郎はただ好きな印象派の画家の画風を真似て、それこそモネマネをも真似て描いていたのだろう。
根来は一枚の絵画を見つけた。柿が三つ転がっている絵であった。これなどはまさにセザンヌの真似に違いない。ところが、ここは重五郎の力量が問われるところだが、セザンヌの絶妙な空間の配置とは正反対のひどくバランスの乱れた配置であった。この絵画の持つひどく調子の狂った調和をじっと見ていると、突然降りかかった重五郎の死と重なって、運命の不気味さや不合理さのようなものがじわじわと感じられてきて、何だか根来の心境は穏やかではなかった。
「根来さん」
粉河は何かに気づいたらしく、根来に声をかけた。
「どうした」
「このアトリエ、裏口側には窓はひとつもないんですね」
「そうだな、それがどうしたんだよ……」
「ということは、裏口からアトリエに向かってくる人の姿は、重五郎は見えなかったんですね……」
「ああ」
ということは、重五郎は、怪人がアトリエに歩いてきていることに気付かなかったということか。
その時、根来ははっとして振り返った。後ろには粉河がいた。
「おい、粉河」
「はい、根来さん」
「はいじゃないよ、それよりもお前、重五郎が死ぬ前に描いていたっていう絵はどこにあるんだ?」
「え……そう突然言われても困るんですが」
「困るじゃねえよ、なきゃおかしいだろ、探すんだよ」
根来は腹立たしげに言った。
「描きかけのやつがあるはずだ」
ところが、根来と粉河がアトリエにある絵画を見てまわっても、描きかけのものや、つい最近、描かれたものは見つからなかった。
「おかしいな。ねえぞ」
「ありませんね。でも、そういうことならば、絵画は犯人が持ち去ったということになるんですかね」
「小さなサイズのものであれば、あり得るだろう」
このことは、さらに絵一枚一枚見ていかないとはっきりしたことは言えないが、この時根来が調べた範囲では、重五郎が死ぬ直前に描いていた絵画は見つからなかった。それでは、犯人が持ち去ったのかなどという訳のわからない推論が出てきて、余計に根来と粉河の頼りない頭を混乱に貶めたのであった。
ところが、もっとも驚いたことはその直後に起きた。根来が描きかけの絵画を探していると、棚の中から一枚の絵画を見つけて、驚きの声をあげたのである。アッという声が聞こえて、粉河は油絵の向こう側から頭だけ出して、根来の様子を伺った。それをじれったそうに根来は眉をひそめて、
「おい……! これを見てみろ……」
「なんですか、なんですか」
根来が握っている油絵、粉河が小走りで近づいてきて覗き込むと、はっと息を呑んだ。
「Mの怪人じゃないですか……!」
その小さな油絵には、やはり重五郎らしい印象派のぼんやりとしたタッチであったが、それでいてはっきりと、そこには黒地の背景に黒装束と銀色に光る笑った顔のお面をつけた不気味な男の顔がまざまざと浮かび上がっていた。
「一体これはなんだ……。早苗さんが見た怪人と同じじゃないか……」
根来はもう何もかもが分からなくなって、それ以上言葉が続かなかった。




