敵騎来襲! ②
1934年(昭和9年)4月2日の朝、大日本帝国新海道の主島である黎明島では、ごく普通の朝を迎えていた。交通機関は滞りなく動き出し、出勤先へ向かう人々によるラッシュアワーで鉄道や道路は混雑していた。
いつも通りの通勤風景が、黎明島の各地で見られたが、通学風景はそうではなかった。というのも、学校はまだ春休み中であったため、授業が行われていないからだ。しかしながら、部活や自習のために登校する生徒はそれなりにいたし、あるいは尋常小学校あたりでは、運動場で遊ぶ子供たちの姿がチラホラ見られた。
道庁所在地である朝陽市の比較的海辺に近い地域にある、朝陽市立第一臨海尋常小学校でも、朝から子供たちが運動場で部活動や仲間内で集まって遊び、春休みを楽しんでいた。
元気に駆け回る子供たちの姿と声に、付近の住民や出勤している教員たちも微笑ましくなる。
ところが、時計の針が午前9時を指す少し前のこと、子供たちの頭上に突如としてサイレンが鳴り始めた。地震や空襲など非常事態に出される警報であった。
「なんだろう?」
「また訓練かな?」
空襲や防災に関する訓練は時折行われており、子供たちもそして付近住民や学校に詰めていた教師たちも、最初はそれが抜き打ちの訓練か何かだろうと思った。
しかしながら、しばらくして消防車や警察の警ら車が街中を走り始めた。
「ただいま警報が出ております!空襲の危険性があるので、屋外にいる方は屋内に退避してください!」
さらに小学校では職員室の電話が鳴り始めた。区役所や警察署などからの緊急の電話だった。
「軍から警報が発令された。空襲の危険性があるので、ただちに屋内に避難せよ!」
警報が発令されて10分以上経過して、ようやくそれが本物の空襲に対する物だとわかると、朝陽市内は大騒ぎとなった。防空訓練はしていたが、本当に空襲があるとは誰も思っていなかったのである。
「皆さん!校舎内に避難してください!」
「早く校舎に入れ!」
校舎から慌てて飛び出した教師たちは、校内にいる子供たちを校舎内へ避難させる。この時期、まだ防空壕の建設は行われておらず、避難する場所と言ったら建物内くらいしかなかった。
運動場で遊んでいた子供たちも、一斉に校舎内へ向かって走り始める。
「あ!」
逃げ惑う子供たちの中で、一人の生徒が空を見上げた。
「どうしたの、カナちゃん!?早く逃げないと!」
友人が彼女の腕を引っ張る。
「ワイバーン・・・」
空を見上げる彼女、臨海尋常小学校5年生朝陽カナの目には、小さいながらも確かにワイバーンの姿がはっきりと見えた。そして、その長いウサギのような耳には、ワイバーン独特の羽音と風切り音が確かに聴こえていた。
「敵騎、朝陽市上空に侵入の模様!」
「しまった!阻止できなかったか!」
道庁所在地の朝陽市から西へ150km行った敷島鎮守府。その作戦室は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。もちろんその原因は、昨日出撃した水上機母艦「神威」からの、翼竜侵入の報であった。
その報告が入り、長官である須田中将に届けられたのは30分前のことであった。須田はただちにその報告を各国艦隊や陸軍、さらには道庁に転電させた。こうして情報が各部署を経由している間に、20分ほどの時間を消費してしまい、市民向けの警報が鳴り始めたのはつい10分ほど前のことであった。鎮守府所在地の敷島市でも、市内に警報が出されている。
「迎撃態勢はどうか!?」
「各艦艇ならびに砲台はすでに戦闘配置完了!各飛行場にも情報は伝達しましたので、戦闘機が上がっているとは思います。陸軍並びに各国艦艇、それから民間については、現在情報収集中です」
敷島鎮守府配備の艦艇と、周囲にある砲台の配置は海軍の管轄下なので速やかに情報が上がってきた。しかし別系統の陸軍や外国軍、また道庁指揮下にある警察や消防などの状況も、すぐには入ってこない。
「とにかく侵入した敵騎に関する情報は最優先で集めろ!」
侵入した翼竜の目的が何であれ、大日本帝国の領土を侵しているのである。逃すわけにはいかない。
「侵入騎について続報あり!敵騎は朝陽市を南西方面へ飛行!内陸部に侵入の模様!」
「内陸部か」
須田はその報告に苦い顔をする。
まだレーダーもないこの時代、敵騎に対する観測手段は地上の聴音器や目視が中心となる。しかし、聴音器は翼竜の飛翔音にそもそも対応できるかわからないし、目視にしても観測する人間と、それを連絡する手段が必要となる。
朝陽市は都市部であるし、警察や消防がいるからまだ捕捉が容易であろうが、黎明島の内陸部は人口も減るし、連絡網も不十分である。敵騎を地上から捕捉するのは難しい。
須田もすぐにそのことに気づいた。
(そもそも、本気で空襲があるなど想定していなかったからな)
この世界に敵対する存在があり、その敵が航空戦力を持っている可能性も考慮し、一応は民間を巻き込んでの防空演習などは行ってきた。しかし、本当に敵が空から現れるとは、須田を含め誰もが心の中で本気にしていなかった。少なくとも、この黎明島上空に現れるとは思わなかった。
だが現に黎明島に翼竜が侵入し、易々と飛行を許してしまっている。
「戦闘機隊はどうか!発進したのか!?」
地上から捕捉が難しいとなると、あと頼りになるのは空から敵を追跡できる航空戦力だけだ。黎明島には海軍の飛行場3つと、陸軍の飛行場2つ、さらに民間の飛行場が4つある。
この内海軍の敷島鎮守府に近い金剛飛行場には、三式艦上戦闘機と90式艦上戦闘機を装備した敷島航空隊があり、そして朝陽市南部にある美原の陸軍飛行場には飛行第10連隊が展開し、91式戦闘機に甲式4型戦闘機を装備していた。
須田はその航空隊がどうしているか確認を求めた。
「金剛飛行場から、敷島航空隊所属の90式戦闘機が発進中とのことです!」
「鎮守府配備の水偵と飛行艇も離水中!」
「美原の陸軍航空隊からも、戦闘機を出していると陸軍より報告あり」
どうやら各航空隊は戦闘機などを出しているらしい。
「後は捕捉出来るかか・・・航空参謀、どう思う?」
須田は艦隊内部の数少ない航空の専門家である、航空参謀の細井太一中佐に助言を求めた。
「かなり困難な任務だと思います。敵騎がどこにいるかもわからない状況で、しかもパイロットは竜など見たことありません。発見できるかどうか」
「1機でもいいから、見つけてくれることを祈るしかないということか」
須田には他に言葉が見つからなかった。
この時、敵騎の捕捉のために飛び立った戦闘機を始めとする各種航空機の総合計は52機に及んだ。しかしながら、細井航空参謀の心配通り、そのほとんどが敵騎の捕捉に失敗した。機上レーダーどころか、機上無線機さえ整備されていないこの時代の航空機には、目視以外に敵を発見する手段がなかった。
しかし目視で探すにしても広い大空からたった1騎の翼竜を見つけ出すのは至難の技であった。しかも、パイロットたちは翼竜を見たことがない。本物の写真どころか、シルエット画や簡単なイメージ画すら、一部の偵察機のパイロットを除けばまだ配られていなかった。
翼竜との戦闘を一切考慮していなかったのだから、当然と言えば当然であるが、その予想が最悪の形で裏切られ、敵に悠々と領空への侵入を許す事態に繋がってしまった。
敷島鎮守府も、陸軍も道庁もその後1時間近くに渡って翼竜の姿を見失ってしまった。
そしてそれを再捕捉したのは。
「敵騎だ!」
飛行第10連隊所属の陸軍少尉、小原善勝少尉はついにお目当ての翼竜を見つけた。
ついに敵翼竜を見つけたのは、陸軍の戦闘機であった。
「よ~し、追うぞ!」
彼は機体をバンクさせ、さらに手信号で部下に追跡開始を告げる。そしてスロットルを全開にし、翼竜に向けて全速で突進を開始した。
彼とその部下が乗り込んでいるのは、91式戦闘機。胴体の上部に支柱で支えた主翼、いわゆるパラソル翼を持つ単葉の戦闘機で、第一次大戦型の複葉機である甲式4型戦闘機の後継機である。中島飛行機がフランス人技師の助力を得つつ、ドイツなどから航空機のノウハウを得てきた日本技術陣が完成させた戦闘機だ。
最高速度は330kmを超えており、武装も7,7mm機銃2基を備えている。
「それにしても、まさか軍港の真上に出やがるとは」
彼らが翼竜を捕捉した地点。それは鎮守府のある敷島市の南20km地点であった。どうやら翼竜は内陸部に侵入後、Uターンして再び黎明島の北岸を目指したようだ。
そしてこのことが、彼らが翼竜を発見する要因となった。というのも、本来であれば軍港の上空の防空と言うのは、海軍の航空隊が行うものだからだ。というより、海軍航空隊は敵艦への攻撃や、砲撃戦による弾着観測と言った海戦における役割を果たすのが主任務であり、防空は主として軍港や艦艇に対してするというのが決まりであった。
しかしこの黎明島の場合、島全体の防空を行おうとすれば陸軍の戦闘機だけではとても足りない。そのため、海軍の戦闘機も軍港の周辺のみならず、陸軍航空隊がいない島の西側の広い空域の防空を、陸海軍間の協定によって担当することとなっていた。
このため、海軍の戦闘機は広く島の西側に散らばってしまっていた。そのため、軍港に近い敷島市上空であったにも関わらず、発見したのは海軍機ではなく、陸軍の防空担当空域の西端を飛んでいた小原らの小隊のものとなった。
小原は部下を引き連れ、定石通り敵機の後に回り込もうとする。しかしながら、敵も気づいたのか速度を上げた。羽根をばたつかせながら、降下に移るのが見えた。
「野郎!」
小原も機体を降下させて増速する。速度計の針が300kmをとうに超え、350kmに近づく。しかし。相手との距離は縮まっているが、急激ではなくジリジリとだ。
(向こうも300km以上出してるのか!?)
小原は速度差からそう直感した。
(だがこのまま行けばいずれ追いつける)
距離は少しずつであるが縮まっている。このまま行けばいずれは追いつき、一撃をお見舞いできる。彼はそう考えていた。
しかし、その考えは周囲で炸裂し始めた高角砲弾によって打ち砕かれた。
「な!?バカヤロウ!味方を撃つんじゃねえ!海軍!!」
敵機を追っている内に、敷島軍港の上空に出てしまっていた。そして、そこに停泊する艦艇や周囲の砲台が、小原らに砲撃してきたのだ。誤射である。
小原たちはその回避運動に入らざるをえなかった。
「クソッ!」
すぐに味方と気づいたのか、砲撃は止んだ。しかしながら、その時には既に翼竜の姿は既に海上に出ており、洋上航法の出来ない小原ら陸軍航空隊では追跡できない。例え航法が出来たとしても、今の誤射で機体は傷だらけであり、一度着陸する必要があった。
「やむをえん。帰るぞ」
小原は悔しさに顔を歪めながら、部下に引き返すよう指示し、自身も機首をひるがえした。
こうして、帝国陸海軍は新海道への初めての敵による侵入を許し、そしてその迎撃に失敗した。
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この作品では史実と同じ名前の兵器も登場しますが、あくまでそれは史実を基にしたものなので、史実の物と性能などで同一であるとは限らない点を御了承ください。