「オットー・ヴェディゲン」
1934年4月時点で、新海道の人口は外国籍も含めて1000万人に近づいていた。開発開始から四半世紀しか経っていなかったものの、度重なる帝国本土からの人口流入とそれを支えられる豊かな鉱物資源、土壌、漁場、そして工場群の存在ゆえである。
その新海道の人口の実に9割以上が暮らすのが主島である黎明島(島と言うが九州と四国を合わせた大きさがある)であり、そして道庁が置かれているのが朝陽市であった。
朝陽市は海軍基地(鎮守府)のある敷島市から西へ150kmの場所にあり、衛星都市を含めて人口200万人を抱えている。そして両市の間は道庁鉄道と、私鉄である黎明鉄道本線、さらには国道によって繋がっている。
軍港を要する敷島市が黎明島と新海道の防衛の要であるなら、朝陽市は行政と経済の中心地である。綺麗に区画整理されており、近代的でこの時代の日本としては高層に入る4~5階建てのビルも少なくない。
大通りには市営の路面電車、周辺の衛星都市と朝陽市の間には私鉄の黎明鉄道が走る。もちろん、道庁鉄道も乗り入れている。それでも輸送力が不足気味で、ようやく日本では東京と大阪に整備されたばかりの地下鉄の建設計画まで出ている。
道路の整備も早期に進められ、日本本土では国道1号など大幹線の整備がやっと始まったに過ぎないのに対して、黎明島では早期に都市内道路、都市間道路が舗装された上で開通している。そしてその上を、進出した列強各国と日本の合弁会社が作った車や、純粋な輸入車、国産車も走っている。
黎明島でモータリゼーションが比較的早く進んだのは、海外からの資本投下、特に既に自動車社会が進展しているアメリカの影響が大きい。この現象は同じくアメリカからの資本投下がなされた満州連邦共和国と似ていた。
そんな黎明島の南東部にある春日市に面する春日湾が、新海道に駐留する諸外国艦艇の停泊港に定められていた。朝陽市から80km南下した場所にあるこの街には、それら諸外国の艦艇の整備・補給を行うための港湾設備の強化も急ピッチで進められていた。
もともとは黎明島に幾つかある鉱物資源の積み出し港の一つにしか過ぎなかったが、各国艦艇の停泊地となったことで、街はこれまでとは違う活気に包まれつつあった。特に新たに軍港が整備されるのと並行して、市街地の開発も進められており、休養する乗員をターゲットにした店も増えつつある。
そんな春日市をバックに、港で手を振る人々や留守番となっている各国艦艇の見送りを受けて、3隻の艦艇が出港しようとしていた。
その先頭を進む艦は、他の艦を圧倒する巨大な三連装砲塔を搭載し、そしてその艦尾には黒白赤の三色に巨大な十字を描いた軍艦旗が翻る。
ドイツ極東派遣戦隊旗艦の重巡洋艦「オットー・ヴェディゲン」(以後「ヴェディゲン」)である。
この「ヴェディゲン」、一部のマスコミからはポケット戦艦とさえ呼ばれていた。排水量こそ1万トン強だが、艦の前後に28cm三連装砲塔を搭載し、速力も26ノットと決して低速ではない。
その「ヴェディゲン」の艦橋に、ドイツ極東派遣戦隊司令官のクルト・エーベルト少将の姿もあった。
「イギリス人たちは、本艦が出撃して清々してるだろうな」
「でしょうね。本艦の28cm砲が目の前にあっては、羨ましくてしょうがないでしょうから」
艦長のヨハン・シュトラスキー大佐の自慢げあふれる言葉に、艦橋内に小さな笑いが漏れる。
「私としては、もっとイギリス人にこの艦を見せつけてやってもいいんですがね」
シュトラスキーが付け加える。
彼が艦長をするこの艦の名である「オットー・ヴェディゲン」とは、第一次大戦中の1914年にイギリスの装甲巡洋艦3隻を一気に撃沈したドイツ潜水艦、いわゆるUボート艦長の名前である。イギリスにとっては、自分たちに苦杯を舐めさせた人間の名を冠しているのだから、二重の意味で目障りであろう。
その艦をイギリス人に見せびらかせるのだから、シュトラスキーならずともドイツ海軍軍人なら溜飲が下がろうと言うものだ。
前大戦でドイツは講和条約となったヴェルサイユ条約により、植民地の連合国側への引き渡しに加えて、軍縮と言う名の大幅な軍備削減を余儀なくされた。陸海軍共に兵員数を制限され、戦車や航空機、艦艇の保有数にも制限が加えられた。
大戦前、ドイツが整備した大艦隊である大海艦隊はヴェルサイユ条約により、多くの艦艇が残存していたにも関わらず賠償としての引き渡しや解体の憂き目にあった。残された主力艦も巡洋戦艦「モルトケ」と「ザイドリッツ」に、6隻の前ド級戦艦だけ。他は巡洋艦と駆逐艦だけという寂しい状況であった。そもそも海軍という組織自体が兵員2万名、内士官は2000名までという所帯に制限されてしまった。
慰めと言えたのは、数は少なく小型艦のみであったがUボートの保有が認められたのと、一定数の予備役の確保が認められたこと。そして、軍縮内容の改定を10年に1回行うことが約束されたことであった。
「ヴェディゲン」は、その軍縮条約改定前から始まった旧式艦の更新計画によって建造された装甲艦の内の1隻である。軍縮条約により新造艦の主砲口径や排水量に制限が課せられたため、その枠内一杯での設計となった。
この装甲艦の建造は1925年から開始され、一番艦の「リュッツォウ」から四番艦の「ヴェディゲン」までが1928年から31年に掛けて竣工した。
大きさこそワシントン軍縮条約で定められた条約型巡洋艦と大差ないが、主砲口径は少し前の戦艦の主砲に匹敵する28cmであり、戦い方次第では圧倒できるポテンシャルを持つ。
そのため、新海道へ派遣する艦としてこの艦が選ばれたさいに、英仏が抗議したが、ドイツ側は「当艦は戦艦ではなく、カテゴリーとしては巡洋艦である」と言い張り、他国の巡洋艦増勢と見返りに派遣を認めさせた。
実際「リュッツォウ」級の基準排水量は1万トンと少しであり、重巡洋艦と変わらない。これはそもそもこの艦が厳しい条約の制限下で建造されたのと、あくまで主目的は大西洋やインド洋など本国から遠く離れた地域での通商破壊にある。
そのため、機関にはディーゼル機関を採用しており航続距離も長い。それが今回の派遣に繋がっている。
なおこのクラスは戦艦の代艦として建造されたが、実質的には前述した通り巡洋艦であり、29年の軍縮内容改定のさいに、ドイツ側は戦艦建造の条件緩和を求めた。この結果連合国側に2隻ずつの主砲口径28cm以内、排水量3万トン以内の巡洋戦艦建造を認めさせている。これが後の「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」だ。
さて、そのドイツの新鋭艦「ヴェディゲン」は、やはり新造の駆逐艦「ZJ1」と「ZJ2」とともに春日湾湾口に向かっていた。
「ZJ1」と「ZJ2」は新海道方面での活動専用に、日本の造船所(正確には日本の支配地域内の)に発注して建造された。当初はドイツから自国製の駆逐艦を連れてきたが、航続力が短いために使い勝手が悪かった。そのため英仏と協議の上、特例で日本に4隻が発注され、2隻は現在建造中となっている。竣工後はローテーションを組む予定だ。
ちなみにこのドイツ駆逐艦の発注を引き受けたために、日本海軍は新海道派遣艦隊増強用の駆逐艦を、アメリカから購入することになったらしい。
エーベルトは艦橋の窓から、前方を見る。そこには「ヴェディゲン」の象徴である3連装28cm砲が鎮座している。
と、その脇に彼は2人の人影を見つけた。
「客人も本艦に興味津々のようだな」
「いかにエルフといえど、装甲艦は持っていないようですからね」
先ほどの会話そのままに、シュトラスキーの言葉はどこか自慢げだ。エルフという神話やおとぎ話の存在が、自分たちの持つ科学力を羨望のまなざしで見る。悪いことではない。
「もっとも、本艦を始めとする各国艦艇の飯には文句をつけているそうですが」
「そればっかりはな。一人のためだけに毎食特別食を準備するわけにもいかないし」
シュトラスキーの言葉に、エーベルトは苦笑いするしかない。
現在各国と外交関係を築いたイルジニア連邦は、その進んだ科学力を習得しようと軍民関わらず多くの人間(厳密にはエルフ)を派遣していた。そのため、新海道ではエルフを見る機会が多くなり、今回「ヴェディゲン」はじめ、ドイツ海軍の艦艇や基地でも受け入れを行っている。
そのエルフたちを悩ませているのが、食の問題であった。と言うのも、彼らは食べられないことはなかったが、基本的に植物系の食べ物しか普段は食さないという。文化的なものなのか、それとも身体的にダメなのかはまだ未知なることだが、とにかくこのためにエルフたちの食問題は意外と大きい。
陸上の基地ならまだ融通は利くが、艦上では搭載できる食材などに限りがある以上、我慢してもらわなければ困る。
「何でも食事面では、日本軍が一番人気だそうですよ」
「まあ、日本料理はヘルシーなものが多いからな」
新海道に駐留すると、必然的に日本の文化に触れる機会も多い。エーベルトも日本料理を食する機会が幾度もあった。日本料理はヨーロッパの料理に比べて肉は使わないし、野菜だけで済ませるようなものもある。
エルフが好むのも理解できた。加えてエルフの場合、魚と肉は食べられないことはないが、どちらかと言えば肉よりも魚や貝と言った魚介類の方を好むらしい。この点も日本料理が彼らに人気の理由となっていた。
ちなみにエーベルトは日本料理よりも、日本酒や和菓子の方が好物であった。
「「神威」と合流したら、あっちに乗り移るとか言うかもしれませんよ」
「それは勘弁願いたいね」
今回ドイツ戦隊は、日本の水上機母艦「神威」と共同で哨戒を行う予定であった。日本側の調整が終わり、ようやく本格的な水上機母艦の搭載機による哨戒が、共同で行われることとなった。
これに手ごたえがあれば、フランスやアメリカと言った水上機母艦を既に保有している国々も派遣に前向きになる筈だ。
「「神威」との合流地点は、敷島沖50海里だったな」
「はい」
「よろしい艦長。日本人に笑われないためにも、1分の遅延なく合流するように」
「ヤー!」
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