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前史 ③

 エルフの国家であるイルジニア連邦の使節が新海道にやってきたのは、1932年4月のことであった。かつて日本側の接触を拒んだ彼らが、今になって外交交渉を行うためにやってきたことに、誰もが不信感を拭えなかった。加えて、エルフ側が日本側に対して友好的な態度を取らなかったのだから、なおのことであった。


 そのために、最初の2か月間は両者とも相手を信用せず、まともな外交交渉とならなかった。日本側はどうして交渉にやって来たのか理由を問いただしたが、イルジニア側は単に不可侵条約を結ぶためとしか言わず、議論が平行線となったからだ。


 ようやくまともな交渉がスタートしたのは、6月に入ってからであった。ようやく、イルジニア側が譲歩してこの交渉の目的を告げたのである。そしてそれは、この世界における歴史と勢力バランスが大きく関わっていた。


 この世界には獣人、魔法を操る人間、そしてエルフの3種族が住み、それぞれが国家を樹立していた。


 この3つの国は、有史以来断続的に対立と衝突を繰り返してきた。逆凹型の大陸は地続きであり、イルジニアは国境を接する人間の国であるモラドアと衝突を繰り返してきた。


 モラドアは古くから優れた攻撃魔法の技術を持っているものの、長い間その使用可能範囲に制限があり、大陸東側のイルジニアでは有効に活用できなかった。


 ちなみにこの世界の3つの国ではそれぞれ魔法は普通に使われている技術らしい。ただし、エルフであるイルジニア人の用いる魔法の多くは治癒や生命力の増進と言ったもので、攻撃系の魔法はない。一方モラドアは攻撃系の魔法を、獣人国家のバルダグは転移系や変換系の魔法をそれぞれ主とする。


 つまり各国がそれぞれ独自の魔法技術を持ち合わせていた。そしてその魔法はそれぞれの母国で最大限に力を発揮可能で、母国の外では効果が弱まるという。


 イルジニアは幾度となくモラドアと戦火を交えたが、モラドアの得意とする攻撃魔法はイルジニアでは充分な力を発揮できず。一方のイルジニアはモラドアへの積極的な侵攻はしなかった。このため、両国は国境付近で押したり押し返されたりを何百年も続けてきた。


 ところが、その状況にここ数年変化が生じたという。これまでイルジニア領内では効力を発揮できなかったモラドアの攻撃魔法が、何故か効果を発揮できるようになったという。


 このためイルジニアは劣勢となり、既に国境から100km以上も押し込まれてしまったという。


 イルジニアの劣勢はモラドアの魔法攻撃もあったが、それとともにエルフの人口が少ないのも災いしていた。エルフは人間の5倍近い平均寿命を有し、また彼ら自身治癒魔法が得意なので、病気やケガにも強い。そのため、一人一人の寿命が長い反面、生涯に産む子供の数は少なく、人口では圧倒的にモラドアに比べて少なかった。


 もちろんイルジニア側も必死に抵抗していた。この世界にも一応科学技術はあるらしく、その分野ではイルジニアがトップを走っているそうだが、それでも劣勢を覆すものではなかった。


 現在国家として危機的な状況に置かれているイルジニアにとって、最近俄かにその存在が大きくなったのが、新海道(日本)であった。新海道を経由してこの世界に進出した漁船は、イルジニアとも接触しており、その存在は伝わっていた。


 イルジニアの船はモラドアやバルダグと違い、漁船を襲うようなことはなかった。一方で、積極的に接触することもなかった。


 しかしながら、彼らはしっかりと見ていた。漁船が動力を搭載し、帆走でなくても航行できることを。そして時折その漁船を守る様についてくる軍艦が、自分たちの持つ艦よりもはるかに高性能で、強力な艦であることを。


 自分たちが科学技術を利用するゆえに、イルジニアは異世界の科学力を冷静に見ていたわけだ。そして、その優れた科学力が自分たちに向けられないかと警戒した。


 彼らが日本側に不可侵条約を求めたのは、海の向こうとはいえ一定の安全を確保したいがためであった。その一方で、交渉目的を中々話さなかったのは、自国が現在弱い立場にあることを口にするのがはばかられたためと、派遣された使節団にどうしても人間蔑視の感情があったためであった。


 この世界では獣人、人間、エルフは互いに自己の優越を疑わず、相手は劣等な存在と長らく考えていた。


 イルジニア人にしてもこの考えは根強く、人間にしろ獣人にしろ野蛮な民族と考えていた。確かに現在イルジニアはモラドアに対して劣勢であるが、それは単に「軍事力」という野蛮人が振るう粗野な力で比べた場合であり、自らは争わず、優れた自己の治癒魔法で長寿を全うできる存在。多くのエルフはなおもそう自負していた。


 しかしながら、イルジニアの政府上層部の人間(厳密にはエルフ)はそうも言っていられない程に自国の状況が悪化しているのを自覚していた。だからこその、新海道への使節派遣であった。


 そして、イルジニア使節団が態度を軟化させたのは切羽詰まってきた自国政府からの督促もあったが、それとともに自らの目で見た黎明島の実情も大きかった。


 黎明島を含む新海道は、日本領であるものの列強各国との取り決めにより海外企業が多数進出し、外国人街も形成されていた。各国はそうした自国の企業や自国人の街を一種のショーウィンドウにして、自国の国力や技術力を誇示する場とした。


 もちろん、主である日本も負けてはいない。この新海道を列強の技術を吸収する最前線の場とするとともに、列強に見下されないように投資を行ったのである。


 そのため、黎明島の各都市は日本とは思えないほどに垢抜けた近代的な街づくりが進められた。街は綺麗に区画整理され、道路は路面電車と自動車が同時に走れるほどに広い幅が取られた。上下水道も整備され、衛生面にも配慮された。


 こうした都市計画は、新海道が一から整備されたために、惜しみなく様々な新技術が投入できたことが大きい。そしてここで蓄積された経験が、本土の東京や大阪、名古屋と言った諸都市の改良や、満州連邦共和国の都市計画への助言と言う形でフィードバックされた。


 つまりは、新海道の都市は大日本帝国の首都である東京よりも、多くの面で一歩先を進む近代的な都市であるわけだ。そしてそれは、イルジニア人からすれば、遥か未来の都市を見るようなものであった。


 イルジニア人も魔法だけでなく科学技術を用いていたが、その技術水準はようやく明治初頭の日本に並ぶ程度であったのだから。


 いかに人間を劣等人と思っていても、はっきりとした差を見せつけられれば、さすがに多少は理性的になろうというものだ。


 こうして、イルジニアと大日本帝国の外交交渉は本格化した。大日本帝国としては、互いの国を国家として承認することや、不可侵条約を結ぶことは何ら問題のないことであった。


 もちろん、異世界の国家同士であるから、それぞれの持つ国際慣習や国際法(ただしイルジニアはそもそもこうした慣習や法概念がなかった)など、隔たりは大きかったが、幸いと言えたのはとりあえず言語が通じることだった。


 言語が通じると言っても、エルフであるイルジニア人が日本語を話すわけではない。これこそ、日本の関係者はじめ地球人を驚かせた魔法のなせるわざだった。厳密には魔法薬の効果であった。イルジニア人が得意とする魔法は治癒などであったが、他に体に影響する魔法薬の精製も得意分野であった。


 彼ら自身が魔法を発動させるには、彼らの母国でないと無理であった。このため、イルジニア人が新海道や、光の柱を抜けた地球側で魔法を実演することはかなわない。


 しかしながら、魔法を封じ込めた魔法薬を使えば、その恩恵に与かれた。その結果が、飲むだけで多国語を解することの出来る魔法薬の存在であった。ちなみに、魔法を封じ込める道具は魔法具という。


 またその効能はイルジニア人だけでなく、ちゃんと人間にも通じる。そのため、日本側から派遣された外交官が、イルジニアで交渉するさいも通訳なしで行えた。


 日本がイルジニア連邦を国家として正式承認するのは1932年10月。さらに、イルジニアの首都マティスで不可侵条約を結んだのは11月のことである。そしてこれに引き続く形で、新海道に進出していた列強各国も次々と、イルジニアを国家承認した。そして、各国はさらに通商条約や安全保障条約を結ぶために動き出す。


 イルジニアは人口が少ないといっても、それはモラドアやバルダグと比較しての話で、国家としては1億ほどの国民が暮らし、さらには戦争中ときている。色々と市場として魅力的だと考える人間が出てきてもおかしくなかった。もちろん、広い大陸を有しているのだから、新海道と同じく資源も有望であった。


 そしてイルジニア側も戦争は劣勢であり、地球の進んだ科学力は魅力的であった。自国を守るため、戦争に勝つためにも是非とも取り入れたい。もう人間が劣等人だとか言ってる時ではない。背に腹は代えられなかった。


 こうして1933年に入ると、イルジニアと地球側各国の貿易が始まり、人・物・金の往来が始まった。地球と異世界との貿易の中継点となった新海道は、ますます発展するかに思われた。


 しかしながら、イルジニアとの貿易が始まったということは、漁船に加えて貨物船や客船、タンカーと言った商船も異世界の海を広く航海することを意味していた。


 そして、イルジニアと安全保障上の条約を結ぶということは、イルジニアの敵であるモラドアやバルダグからすれば、敵の味方ということになり、要するに敵も同然となる。


 もちろん、日本をはじめとする地球側の各国は、異世界人同士の戦争に直接首を突っ込む気はない。そもそも、そのような準備はしてもいないし、するにしてもすぐにできるはずがなかった。


 だが敵は待ってはくれなかった。異世界の海へより深く入り込むことは、モラドアやバルダグにも近づくことを意味したのだから。


 新海道は異世界との貿易の入り口になると同時に、異世界における戦いの最前線になる運命にあった。

御意見・御感想お待ちしています。


次回から本編に入ります。

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