前史 ②
新海道の防衛は、発見直後から日本政府にとって大きな課題となった。九州と四国を合わせた以上という土地に加えて、海上にある光の柱と、新海道周辺海域までもが新たに守らねばならない土地となったからである。
日露戦争終了後、大日本帝国は租借地となった関東州と南満州鉄道付属地以外の大陸からの撤兵に加えて、日本海海戦でバルチック艦隊に大勝利した連合艦隊も解散し、平時編成へと戻った。戦争が終わった時点で、大兵力は国家の財政負担となるだけだ。
しかし、新たな領土の防衛は絶対に必要であった。このため、新海道が正式に日本領となるとともに、陸軍には新海道駐屯軍が、海軍には新海道派遣艦隊が編成された。1907年9月1日のことである。これらの部隊は、それまで暫定的に現地の警備を行っていた部隊を再編成して誕生した。
もっとも、陸軍の兵力に関してはその面積は巨大であるものの、新海道には敵対する存在は島内になく、加えてこの時点では近傍に敵対する国家乃至勢力の存在も確認できなかった。
そのため、新海道に配備された新海道駐屯軍の兵力は、当初主島の黎明島に歩兵1個大隊に加えて、騎兵、砲兵1個中隊ずつに、これに必要な輜重部隊をはじめとする附属部隊に過ぎなかった。
そしてその後開発の進捗と人口増加により幾度か規模の拡充、ならびに技術の進歩による機械化や、航空部隊の配備も行われたが、昭和9年初頭時点でも配備兵力は1個師団+周辺諸島警備のための1個大隊に過ぎなかった。
一方海軍の方は、当初光の柱の消失の可能性が拭えなかったことから、艦艇数こそ戦艦5、巡洋艦4、駆逐艦8、水雷艇24が配備されたが、いずれも元は日露戦争中に旧式艦などで編成された警備艦隊と言うべき第三艦隊に配属されていた旧式艦や、日清戦争での戦利艦であった。
ちなみに柱の地球側を警備する艦艇は、常時1~2隻であったが、数は少ないとはいえ新鋭艦、特に無線装備を強化した艦艇が配備された。柱に接近する不審な艦艇があった場合、あるいは柱自体に急変があった場合に即応するための処置である。
この新海道派遣艦隊には旧式艦や戦利艦、或いは海外からの購入艦を配備するという傾向はその後も長く続くこととなる。
そんな艦艇と比して、最新の設備を投じられたのが軍港設備であった。黎明島には島の北東部に、商業港であり道庁の置かれた朝陽市の玄関である朝陽港と、それよりも西側の軍港である敷島港が置かれた。
敷島港は東西を岬と半島に守られており、艦隊の泊地としても十分な広さのある湾を有していた。このため帝国海軍はここに艦隊の拠点である軍港、ならびに工廠の整備に1910年4月から着手した。
この海軍敷島工廠が稼働を開始するのは1914年5月のことで、この際に敷島港はそれまで要港部の扱いだったのが鎮守府に格上げされている。ただし鎮守府長官は基本的に派遣艦隊司令長官が兼任するという珍しい人事が行われた。
これは派遣艦隊が基本的に黎明島を含む新海道の防衛のみに任務が特化していたゆえの処置であった。
1914年に始まった第一次世界大戦において、日本は同盟国イギリスから再三再四行われた対独参戦要請を蹴り続けたが、一方でドイツが東洋に持っていた植民地を購入したこと、そしてイギリスにとって大きな懸念であった青島に根拠地を持つ独東洋艦隊を武装解除することで、その要請に一部なりと答えた。
この際に、英国では独東洋艦隊が光の柱から異世界に逃亡するのではと警戒され、開戦直後に同国の東洋艦隊の一部が柱の周辺海域に集結し、四六時中通過艦船を見張るというような事態が起きている。
柱の警戒に当たっていた巡洋艦「春日」と「利根」は当然ながらこの英艦隊の動きに緊張した。また柱の向こうの敷島鎮守府でも、旗艦である戦艦「朝日」を始めとする全艦に出撃準備が掛かった。
ただしこれは、後に独東洋艦隊全艦の武装解除が確認されると、英艦隊が撤退したため出撃せずに済んだ。
その後、敷島鎮守府と新海道派遣艦隊は特に大きな戦闘に遭遇することなく、新海道の警備作業を淡々とこなす毎日を、しばしの間送ることとなる。
状況に大きな変化が起きたのは、1920年代後半からである。この頃、光の柱を通って新海道側にて操業する漁船の数が増えていた。新海道側の異世界の海は人の手が入っておらず、手つかずの海であるがゆえに、漁業資源が豊富であったからだ。
それに加えて、異世界の海では実質的に制限や取り締まりがない。もちろん日本の領土である新海道周辺であれば、日本側の規制や取り締まりがあったが、日本側が管轄していないより遠方の海は完全にフリーであった。
そのため、各国の漁船が取り放題ともいうべきこの海で操業を行うようになった。
しかし、それと平行する形で新たな問題も起きるようになった。それが難民の遭遇と、そして異世界の国家との衝突である。
新海道のある世界には、3つの国があることが早い段階で確認されていた。逆凹型の大陸の西側にあるバルダグ王国。中央部に位置するモラドア帝国連合、そして東側に位置するイルジニア連邦であった。
当初日本政府は、これらの国々と接触を試みたが、結局それはことごとく失敗に終わった。というのも、相手が地球における常識が通じない相手であったからだ。
バルダグ王国は動物的な特徴を有する獣人の国家。モラドア帝国連合は人間の国であったが、魔法至上主義国家。そして、イルジニア連邦はエルフの国家であった。
獣人とエルフは人間を、モラドア帝国の魔法使いは魔法が出来ない人間をそれぞれ見下していた。そんな彼らと人間で魔法が使えない異世界人が対等に付き合えるはずもなかった。
「お前らと対等に外交する気などない」という形で門前払いしたイルジニアのエルフはまだいい方で、「人間は我が敵!」「魔法の使えない劣等人は我らに従え!」と敵認定、服従要求をしてきたバルダグとモラドアでは、使節団が這う這うの体で逃げ出すしかなかったくらいである。
結局この最初の接触以降、大日本帝国は異世界の国家群との付き合いを半ば放棄した。もちろん、相手が友好を求めてくれば状況は変わるだろうが、3国とも友好を求めてくる様子もなければ、逆に攻めてくる様子もないため、触らぬ神に祟りなし。特にも何もしない状況がしばらく続いた。
しかしながら、漁船の操業海域が広がったことで、否応なしに大日本帝国は異世界人と向き合うこととなった。
一つは難民の受け入れである。難民と言っても、何百人単位で押し寄せて来るわけではなく、1回にせいぜい十数人から数人である。大概は操業中の漁船が、航行或いは漂流している所を発見して、黎明島に連れて帰ってきた。
難民はバルダグやモラドアの漁民や農民、奴隷などであった。彼らは母国での困窮した生活に絶望し、海上から脱出したのだが、ほとんどが拙い航海技術ゆえに進路の逸脱や、遭難したために漁船の操業海域に迷い込んだのであった。さらに時間が経過していくと、新海道のことが伝わったのか「南の果てに自由で豊かな国がある」という噂を頼りに、南を目指して航海してきた者も出てきた。
こうしてたどり着いた難民たちを、新海道庁では国交がないため送り返す手段もなく、設置した難民向けの居住地域に押し込むことで対応した。
彼らの受け入れは、人種の違いや文化の違い、さらには言葉の違いなど様々な問題をもたらしたが、一方で新海道、特に主島である黎明島では油田や鉱山、農業地帯、工場地帯、さらには建設現場や市街地におけるサービス業などで、人手は常に不足気味であることから、日本語を覚えて島の生活に馴染みながら、働く者も徐々に増えていった。
難民問題は異世界の人間がやってくる問題であったが、もう一つの問題はこちら側の人間が連れ去られるケースであった。それが私掠船の出没であった。
操業する漁船の中には、新海道を遠く離れて大陸に近づいて漁をする船もあったが、そうした船がバルダグやモラドアの私掠船(海賊船)に捕まるという事件が発生した。
当初は行方不明で片づけられていたが、無線機を搭載した船から救難信号が発せられたこと、また捜索に向かった艦艇が私掠船を拿捕したところ、船内から行方不明船の乗員や関連物品が発見されたことで明るみに出た。
バルダグやモラドアの私掠船は、漁船が武器を搭載していないこと、さらには自分たちが高速であることを生かして、漁船や難民船を襲っていたのであった。そして売れそうな物や、奴隷となる人間を奪って売り払っていた。
この私掠船の狼藉は、1928年頃から目につくようになった。もちろん帝国海軍も黙っておらず、新海道派遣艦隊を強化するとともに、敷島鎮守府から艦艇を出動させたが、広い海上で1匹狼のごとく動き回る私掠船を捕捉するのは不可能に近かった。
問題をややこしくしたのは、襲われる漁船の多くが日本籍ではなく、外国籍の船であることだった。このため、列強各国は自国民の保護のための艦艇の異世界への進出を日本に要求した。
もちろん日本側は当初この要求を拒否したのであるが、イギリスの捕鯨船団が私掠船に襲われ、半滅するという事件が発生したこと、さらに時を同じくして行われたロンドン海軍軍縮条約で英米仏などが日本側に譲歩するという交換条件を提示したため、日本側は要求を飲むこととなった。
こうして1931年初頭から、日本と協定を各個に結んだ米英仏独伊露(伊露は遅れて参加)などが艦艇を派遣し、新海道に駐留させることとなった。これら艦艇は黎明島南西部の春日湾に設けられた基地に駐留し、自国漁船の護衛活動に従事した。
こうして各国艦隊が自国漁船団に随伴することで、私掠船による被害は減少したものの、完全撲滅にはいたらず、その後も列強艦艇の駐留が続く一因となる。
そんな中、異世界との交流活動に大転換をもたらす事態が発生する。日本側からの外交関係樹立を拒否したエルフの国家、イルジニア連邦が接触してきたのである。
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