上陸第一陣
「いやあ、本当にエルフばかり。異世界に来たんだな、俺たち。日本に帰れないのは残念だけどな」
「本当だよ。満州の次は異世界か。合衆国からどんどん離れていくなあ」
イルジニア連邦南部の都市ガランガン。現在は連邦政府が避難し臨時首都となっているこの街に、数日前から見慣れぬ軍服に身を包んだ人間たちが歩き回っていた。
エルフである市民たちは、彼らが異世界からの援軍と聞かされていたが、見慣れぬ服装やエルフではない異邦人ということで、不安と警戒、好奇心などが混ざった複雑な眼差しで、彼らを見ていた。
エルフたちが見ている人間たちこそ、3日前の地球時間(日本時間)の10月10日に上陸を開始した、異世界派遣連合軍の第一陣である日本陸軍独立混成第一連隊と、米異世界派遣第一連隊の兵士たちであった。
新海道への攻撃に対する報復、さらには同盟国たるイルジニアへの救援目的に異世界派遣連合軍が編成されたが、すぐに大部隊が送れる筈もなく、第一陣となったのは彼ら2個連隊だけであった。しかもその母体となったのは、満州に展開していた独立連隊であった。
満州は現在、連邦政府をトップにいくつかの省政府から成り立つ満州連邦共和国となっている。これは支那(中国)大陸の政治情勢が大きく関わっていた。
支那では第一次大戦に前後して、それまで大陸を支配していた清王朝が辛亥革命によって崩壊し、一時は革命政府が共和制国家として大陸を統一するかに見えた。しかしながらその後、指導者の死などで革命政府は内部分裂を起こしてしまい、地方にも軍閥や地方政府が乱立する群雄割拠の時代へと移ってしまった。
一方大陸東北部の満州では、日露戦争後権益を掌中に収めた日本が、英米との共同開発を推進した。新海道発見によって、大陸への大規模進出と単独での開発に意味がなくなったため、日本は海外との共同開発を目指した。
そんな満州へ進出した各国にとって、政情不安は開発を行う上で不都合この上なかった。誰でもいいから、安定した治安とまともな行政機構を提供する政府を作ってもらいたかった。
そこで、日英米は現地の軍閥や馬賊の有力者に呼びかけて満州一帯を互いの自治権を認めた連邦国家とすることを提唱した。もちろん、それぞれの利権や面子のある指導者たちをまとめ上げるのは並大抵ではなかったが、そこは長年の謀略に関しての蓄積のある英と、以前から大陸に進出していた日本、さらには豊富な資本を持つ米がタッグを組んだのだ。最終的には1925年1月に、満州連邦共和国が発足した。
これに対して、革命政府を引き継ぐ中華民国政府は形ばかりの抗議声明を出すことしか出来なかった。何せ列強の大国が承認している上に、各地に地方政府や軍閥が割拠して自分たち自身の正当性すら危うかったからだ。
話を満州に戻すと、満州には連邦発足以前から新海道と同じく各国の民間人が移住し、加えてその居留民利権保護のために各国の軍隊が駐屯していた。
満州の外国軍と言えば日本の関東軍がつとに有名であるが、この部隊は日本が租借を受けている地域の警備軍であるため、厳密には違う組織だ。
そうしたのとは別に、広く満州に散らばる自国民の保護を目的とした軍隊で、日本をはじめ、米陸軍と英陸軍もそれぞれ旅団規模の兵力を駐留させた。当時は盗賊や馬賊がまだまだ跳梁跋扈した満州ゆえである。
この部隊は、連邦発足後も協定により満州連邦軍への軍事顧問としての役割を付与されつつも、駐屯を続けた。しかし、発足から10年近くが経過して現地の治安も安定し、連邦軍の育成も進んだために、各国は派遣軍の縮小を計画した。
そんな時に発生したのが、今回の異世界派遣連合軍の創設であった。日米両国は、満州から撤退する予定だった兵力を前倒しして引き抜いて、今回の派遣軍第一陣としたのであった。ちなみに英国は引き揚げ後の軍を植民地警備に転用する予定だったため、異世界へは派遣されなかった。
本国に帰れると考えていた兵隊たちにとってはトバッチリ甚だしかったが、長年の海外駐屯経験があり、しかも満州では各国軍が共同で出動、演習する機会も多かった。つまり、満州における日米英軍はそれぞれに交流があり、それを転用すれば今後の共同戦線構築を行う上で有利になると見なされたのであった。
もっとも、当の本人たちの気苦労は相当なものである。
「我々はたった2個連隊だが、やるべきことは師団どころか軍にも匹敵するほど重要なものである!」
と新聞記者の質問に答えたのが、独立混成第一連隊連隊長となった船山達夫大佐の言葉である。この言葉の真意は、とにかく忙しいということであった。
「今後派遣される部隊の受け入れのための準備に、拠点の構築。イルジニア軍への武器指導に、共同作戦を行うための根回し。出動に備えての各種計画の立案。考えるだけでも頭が痛くなってくる」
「全くだよタツオ。これで装備が劣悪だったら、ストライキを起こすよ」
と派遣直後の夜、合同の夕食会で顔を合わせた船山と、米異世界派遣第一連隊連隊長デイル・クーパー大佐は愚痴をこぼし合った。
予定では、異世界派遣連合軍は数個師団をイルジニアに救援として派遣する。海軍も各国が新たな艦隊を編成して派遣されると2人は聞いていた。
しかしながら、そうした部隊の動員と派遣には時間が掛かる。何より異世界への派兵と言う前代未聞の事態だけに、慎重に行われていた。
そしてそれらの部隊がイルジニアにやって来たとしても、彼らを受け入れる基地が必要となるし、補給ルートの確立も必要だ。また現地住民との信頼関係構築も重要である。
そうした役目を、最初に到着した彼らはしなければならなかった。戦闘よりもある意味重要である。
しかし、やはり彼らにとっての気がかりは、いつ戦闘を行うかであった。
「敵には翼竜がいる。航空戦力がなきゃ戦えない」
「来週には最初の部隊が到着する予定だ。そうすれば、とりあえず戦闘は出来るようになるな」
派遣軍総司令部は当初黎明島に置かれたため、上位からの命令もそこから出されることとなる。総司令部と前線が随分と離れているが、戦力が十分に蓄積されて本格的な作戦開始となれば、総司令部も前進してくるはずだった。
それまでは、2個連隊は極力戦闘を回避することとされていた。そもそも、たったの2個連隊で何百倍の敵と戦うことなど出来ない。ここは後々のための下準備に専念するのが得策である。
だが実際に何が起きるかは、誰にもわからない。もし、戦況の悪化が予想以上で敵軍がこのガランガンに押し寄せるようなことになれば、彼ら(とイルジニア軍)だけで戦うことになる。
「こっちには戦車も装甲車も、大砲もある。歩兵が乗るトラックもある。だが空の守りがなけりゃ戦えない」
「がら空きの頭上から襲われたら、たまらないからな」
今回派遣された2個連隊は、ともに複数の兵科からなる統合戦闘部隊であった。
独立混成第一連隊の場合は89式中戦車に92式重装甲車、91式装甲牽引車等が数は少ないが配置され、歩兵も自動車やトラックで機械化されていた。
米第一連隊も戦車としてルノーFT(厳密にはアメリカ製のライセンス生産車)を保有し、そして歩兵も全てトラックと乗用車で機械化されていた。
これは広大な大陸の満州に置いて、迅速な機動戦を行うことを念頭に置いて両連隊が編成されていたためだ。実際に、この機械化編成によって、両連隊は辺境部での馬賊の跳梁に対して大きな効果を発揮した。
しかし、このイルジニアにおける敵は満州の馬賊とは違う。特に竜騎士という航空戦力を保有し、制空権を握っているのは脅威であった。
ではその航空戦力に関してだが、こちらも先遣隊として新海道に展開していた陸海軍航空隊から戦力が抽出され、第一独立飛行大隊としてガランガン近郊の特設飛行場に進出を始める予定だった。大日本帝国では非常に珍しい陸海軍統合部隊であった。
「でもこっちの戦闘機で大丈夫なのかい?」
「何でも本国じゃ、海外から戦闘機を購入するって聞いたよ。日本の戦闘機じゃ、翼竜には威力不足だって言うしな」
クーパーの問いに、船山は聞いている航空隊の現状について話す。
4月の黎明島への空襲で、陸海軍航空隊は翼竜と空戦を行い、撃墜を記録している。しかしながら、撃墜後地上に墜ちた翼竜が暴れて被害が出るなど、撃墜は出来たが致命傷を与えられなかった例も多かった。
これは現有の戦闘機が搭載している7,7mm機銃の威力が不足していたためだ。地上軍への通達でも、「翼竜の背部などは12,7mm以上の機銃でなければ致命傷を与えられない」と載せられていた。
この報告に各国の航空隊関係者は慌てた。特に日本は試作中の機体も含めてほとんどの戦闘機が7,7mm機銃しか搭載していなかった。
このため、大口径機銃搭載の戦闘機までの繋ぎとして、海外から戦闘機が輸入されることとなった。船山も具体的な機種までは知らなかったが、これまでにないほどのスピードで売買契約を結んだと聞いていた。
「とにかく航空隊がこなければ戦闘なんてとてもできない。いくら戦車や装甲車があっても、空から襲われれば一巻の終わりだ」
「ああ。今敵の進撃は停止中だ。この間にどれだけ戦力を集積できるかだ」
イルジニアの北半分近くを占領した敵軍であったが、現在の所進撃を停止していた。補給線が伸びきったと言うのが、船山たちの結論であった。
「それから情報収集もだ。イルジニアの連中は、あんまりいい目で俺たちのことを見てないしな」
敵に関する情報収集は始まっていたが、イルジニア側の協力は微妙であった。情報は提供してくれるのだが、船山達をいい目で見ない。敵対こそしないが、友好的でもないというところだ。
「ま、そんなの満州で慣れっこだけどな。ただ部下たちに改めて無用な衝突はしない様に厳重注意するだけだ。背後に敵を作っちゃかなわない」
「まったくだ」
本人たちはいろいろ思うところはあったが、彼らが一番最初に上陸したのは正解と言うべきことであったようだ。
しかしながら歴史の流れは、彼らにあまり時間を与えてはくれなかった。
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