伯爵親娘
今回は初めての敵方の描写です。
バルダグ王国の王都デイロッツ。背後に小高い山を控えた平野の北端に国王の居城である王城が置かれ、そこから外に向かって広がる様に、整然と開発された街は活気に満ち溢れている。街にはどこへ行っても獣人たちの生き生きした姿があり、ランプの灯りに照らし出された商店には物が溢れている。
その風景の中を、1台の装飾が施された馬車が走っていく。街の通りは決して広くはないが、その馬車が高級貴族の乗り物であると認識した瞬間、市民たちは道を譲る様に端へと寄る。
そしてその馬車は帝都内でも指折りの大きさを誇る邸宅の門をくぐり、その車寄せで止まる。すると待ち構えていたように執事とメイドたちが馬車の前に並び、降りてきた人物を出迎える。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ありがとうデロ」
出迎えた執事に、馬車から降りた男は手を上げる。
「お食事は?」
「城で摂った。すまないが、何か酒と肴になるものを私の部屋に」
「畏まりました」
執事は主人の帽子を取りながら、恭しく頭を垂れる。
「あと、リア「お帰りなさいませ、お父様」
男が言いかけた時、少女の声がその犬の様な耳に入った。
「ただいまリア」
家の中で着る簡素なブラウスにスカート姿だが、その動作から如何にも御令嬢と言う感じの少女。彼女は男に一礼する。
「お城の方はどうでしたの?」
話をすぐにでも聞かせろと目を輝かす娘に苦笑しつつ、男。バルダグ王国ヒクネ伯爵家当主、ギラナは娘のリアにやさしく言う。
「それも含めて、お前とちょっと話したいことがある。後で私の部屋に来てくれ。デロ、すまないがリアのために、お茶と菓子も追加してくれ」
「畏まりました。旦那様」
執事は新たな命令にも、恭しく従う。
「ありがとうデロ。下がってくれ」
「では旦那様、お嬢様。何かありましたらまたお呼びください」
酒と肴、それにお茶とお菓子を出し終えた執事が頭を下げて部屋から出ていく。
「それでお父様、お城の方はどうでしたの?」
お茶もお菓子にも手をつけず、体を前のめりにしてくる娘に、ギラナはまたも苦笑してしまう。
「まったく、リアはせっかちな奴だ。まずはお茶に口をつけたらどうだい?デロがせっかくいれてくれたんだから、冷める前に」
「それもそうですね。配慮が足りませんでした。いただきます・・・うん、おいしいです」
娘がおいしそうにお茶を飲み、お菓子に口をつけるのを微笑ましく眺めながら、ギラナも出されたワインに口をつける。城でも食事の時に少しばかり飲んできたが、やはり娘とプライベートで飲むと言うのは悪くなかった。難しい話をする心の内を、多少なりとも柔らかくしてくれるようにも思える。
しばらく2人は、お茶とワインを飲みながら他愛もない会話をして場の雰囲気をほぐす。
「ところでだ、リア。実は領地へ戻る日を前倒そうと思う」
ギラナの言葉に、リアの表情が険しくなる。
「それは、今日お城に行ったことが原因ですか?」
それまで楽しそうに微笑んでいたリアの顔も真剣味を帯びる。
「まあ、それもあるね」
「何かこの度の戦に、悪いことでも起きたのですか?」
「そうと言えるのかな。今日城で聞いたんだが、なんでも南部の沿岸部の要塞と砦が、何者かの攻撃を受けて全滅したらしい」
「それは誠ですか?」
「ああ、間違いない。ただ、国王陛下も重臣たちも、他の領主たちもあまり気にしていないようだがね。何せ地方の要塞と砦の話だ。例え全滅したにしても、王国にとってはそう痛いことじゃない。だが、私としてはあまり軽視も出来なくてね」
「要塞を攻撃したのは誰ですか?どこかの無法の海賊ですか?」
バルダグには王国自身が所有する王立海軍もあるが、海賊もいる。
その海賊には国から免状を受けて沿岸の警備や商船などの護衛をしつつ、独自の徴税権などを得た王家公認の海賊と、国から何ら信任を得ず無法の限りを尽くす海賊の二種類がいた。
現在の国王の治世になってからは後者の海賊は激減してはいたが、それでもまだまだ無法者の海賊もいる。それらの中には手練れの海賊もおり、海軍や公認海賊の目をすり抜けて商船や漁船を襲ったり、沿岸部の漁村や、時にはそれなりの規模の街を襲う大胆な者もいる。
リアはその者たちが今回の下手人かと思った。
だが、ギラナの考えは違うらしい。
「その可能性も無きにしも非ずだが、どうも腑に落ちない。確かに連中にとって沿岸部の要塞や砦は目障りだが、自分たちから手を出すなんてな。それに、全滅させるなんてことがやつらに出来るのか。南部の領主たちはその討伐のために艦隊の派遣や沿岸部の警備強化を口にしていたが、私には違う何かが動いてる気がしてならない」
「違う何かですか?」
「ああ。例えば、突飛な話だが。例の異世界人とかね」
「ええ?異世界人は魔法も使えぬような野蛮人と聞きましたが?」
リアはこともなげに口にする。
バルダグ王国には魔法が存在する。彼ら獣人が得意とする魔法は、物を浮かべたり、物を遠くへ送ったり、或いは召喚したりと言った、後に地球側が呼称するところの空間系、或いは転移系の魔法であった。
最近では同盟国となったモラドアとの魔法技術の交換や共同研究により、攻撃系の魔法や魔法の封じ込めなどの技術も大きく進歩している。また魔法はそうした括りだけでなく、他にも様々な種類のそれが存在している。
そうした魔法の恩恵のもと、バルダグは発展してきた。そして、一時は屈辱の同盟とさえ言われたモラドアとの同盟によって、三大国の1国であるイルジニア連邦を追い詰めつつある。
「確かにそう聞くが、我々はあまりにも異世界人について知らなさすぎる」
ギラナら多くのバルダグ人は、最近自国の周辺の海に現れるようになった異世界人について、あまり知らない。彼らがバルダグの海に入り込んで魚を不法に獲っているとか、公認海賊である私掠船がその捕獲に動いて何隻か捕まえたとか、彼らの本拠地は南の海にあるらしいとか、魔法が全く使えないらしいとか、イルジニアと同盟を組んだとか、断片的な情報をチラホラ聞くだけである。
その異世界人の拠点に、半年前バルダグはモラドアと連合して制裁を目的に攻撃を加えた。ギラナもリアも、どれほどの戦果を挙げたかなど詳しいことは知らないが、それから半年間異世界人は大きな動きを見せておらず、効果は大きかったと言うのが社交界で語られている話だった。
「これで異世界人も、身の程を知って大人しくなるだろう」
と主に東側の領主たちが言っているのを、リアも聞いた覚えがあった。
しかし、ギラナはそこまで楽観できないらしい。
「本当に彼らが蛮族ならいいが、恐ろしい敵だったらどうする?例えば、伝説に出てくる悪魔のような」
「そんなこと。あるのでしょうか?」
リアにはイマイチ実感が湧かないらしい。
「もちろん、私としてもなければいいと思っているが。世の中何が起きるかわからない。現に、ほんの10年前だったら今の世の中など思いもよらなかったからね」
現在バルダグを治める国王であるクワ一世は今年30歳になる若い国王だ。前国王の5番目の子供で、男子としても三男である。そのため、前王時代の10年前の時点では、誰も彼が王位を継ぐなど思いもしなかった。
それは当のクワ自身も同じことで、当人は16の時に王城から飛び出し、しばらくの間行方知れずになっていた。当人が語る所では、戦闘パーティーに入って、大陸中を回っていたらしい。
しかしながら、8年前の流行り病がクワやこの国の運命を大きく変えた。王都で蔓延したそれは、クワの父親だけでなく、9人いた彼の兄弟姉妹の内、8人までの命をことごとく奪ってしまったのだ。
しかもクワが王都に駆けつけた時、彼は王都へ入ることを許されず、地方の居城で軟禁させられてしまった。他ならぬギラナら地方から救援に駆けつけた貴族たちの手で。
その時の、クワの怒りと憎しみと、悔しさが混ざり合った眼差しを、ギラナは未だに忘れられない。
「お許しください殿下。王家を継ぐことができるのはもはや殿下だけ。殿下が病に倒れられることがあっては、国王陛下に顔向けできません!どうかここは堪えてください!」
そう言って、貴族たちが王都へ意地でも入ろうとするクワを何とか押しとどめた結果、彼が流行り病に罹ることはなかった。しかしながら、その代償に彼は家族の死に際に立ち会うことができなかった。それどころか、遺体として最後にその姿を目にすることも。病を絶つために、国王も含めたその遺体は全て火葬されてしまったのだから。
その後ただ一人生き残った王位継承可能な人間として即位したクワは、それまで流れの戦闘パーティーの一員であったと思わせぬほどに、精力的に政治を行っていた。
若さと、王宮の外の世界を体験した柔軟な思考を武器に、流行り病で壊滅的打撃を受けた王都を立て直したのみならず、国内の開発による国力増進に力を入れ、またそれまで不倶戴天の敵であった人間の国、モラドア帝国とも講和した上に同盟関係を築いた。
その結果、現在バルダグは空前の好景気の中にあった。モラドアとの講和によって、両国間の貿易が活発化し、停滞していた魔法技術の開発が促進され、そしてイルジニアへの侵攻も上手く行っている。楽観的な貴族の中には、イルジニアとの戦いはあと半年で終わり、モラドアとの利権の分け合いになるからそのための交渉の準備を、と皮算用をしている者までいた。
もちろん、ギラナはその中に入っていなかった。
「陛下は本当によくやっている。しかしながら、そうは言っても敵あっての戦争だ。イルジニアだって抵抗はするし、異世界人だっていつまでも一方的にやられているわけじゃないだろうさ・・・とにかく、油断は禁物だし、我々は陛下を補佐して国のために奉公する身だ。冷静に物事を見極めて判断しなければならない。いいね、リア」
「はい、お父様」
自分の言葉に素直に答えた娘に、ギラナは満足そうに微笑んだ。
2日後、ギラナとリアは王都の屋敷から自分たちの領地へ向けて出発した。
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