異世界派遣連合軍
地球時間、さらに厳密に言えば日本時間と1時間の時差がある新海道基準時間の昭和9年(1934年)4月4日早朝、異世界の3大国家の1国であるイルジニア連邦は、危機的な状況にあった。既にモラドア軍により国境より100km近く押し込まれていたが、この日行われた敵の攻勢はイルジニアをさらなる苦境へと追い込んだ。
この日早朝、全ての戦線でモラドア軍による大規模攻勢が行われたのである。200万ともいわれる兵力が怒涛の如く進撃を開始し、随所でイルジニアの防衛線を突破していった。
もちろん、イルジニア軍も各所で激しく抵抗した。エルフたるイルジニア人は、攻撃魔法は使用できなかったが、科学力では3大国家随一であった。雷管を用いたライフル銃に、信管を用いた砲弾を使用する野砲、そして手動式ながら連発可能なガトリング銃など、モラドアにはない科学技術の結晶を彼らは手にしていた。
しかしながら、そうした技術の結晶も数の暴力と、制空権の喪失の前に吹き飛んでしまった。特に制空権の喪失が痛かった。
イルジニアはまだ飛行機を開発しておらず、それどころか地球からの供与機を使いこなせるようになるのは、ずっと先のことだった。イルジニアにとって、空の戦いだけは他国と同じく翼竜など竜騎士によらなければならなかった。そして、その戦いにイルジニアは完全に敗北した。
「畜生!奴ら翼竜を強化してやがる!」
「数が違い過ぎる!」
出動したイルジニアの竜騎士たちの多くが、圧倒的な敵との差に苦しみ、悔しがりながら死んでいった。翼竜単体の能力でも、そして数でも敵はイルジニアを圧倒した。
制空権を喪失してしまうと、陸兵は空からの一方的な攻撃にさらされた。モラドアに対して数世代も先を行く銃や大砲なども、空からの攻撃にはほぼ無力であった。
さらに、戦闘開始後しばらくして衝撃的な事実がイルジニア軍全体を駆け巡った。
「バルダグ軍も参加してるだと!?」
「バカな!人間と獣人が手を結んだと言うのか!?」
イルジニアに進撃を続ける敵軍。その中に、明らかにモラドアにはない旗を掲げ、人とは違う容姿をした軍勢が確認された。3大国家のもう一つの国、獣人の国家であるバルダグがモラドアとともに進撃してきたのである。
それはイルジニアにとって驚天動地の事態であった。何故ならこれまで、この世界では3大国家がそれぞれ相手を敵とし、戦い続けて来たのだ。その常識とそれによって保たれていた均衡が、この日を境に完全に崩壊してしまった。
各国はそれぞれに戦い、それぞれの技術を自分たちだけが使うことで、そして人口面でも互いに争いつつも絶妙なバランスを保ち、共存してきたと言えた。しかしながら、モラドアとバルダグが連合を組んだと言うことは、全ての面でイルジニアを圧倒し、滅ぼすことを可能にしたことを意味する。
現に、その兆候はこの日の戦いで既に現れていた。
「モラドアの竜が突然出現した!」
「モラドア軍の魔術師の攻撃魔法が以前よりも強力になっている!」
「翼竜にバルダグの竜騎士が混じってる!」
モラドア軍の魔法の異常な強化、そして現にバルダグ軍と思える軍勢が参加していると言う報告が、各地から寄せられたのである。両者が連合を組むことで、魔法技術も大きく向上していた。もちろん、単なる数の上でも凄まじいものとなる。
そしてそのモラドア・バルダグ連合軍は、怒涛の勢いでイルジニア領内奥深くへと侵攻して行ってた。
「ダメだ!とても前線を維持できない!」
「後退だ!後退しろ!」
圧倒的な敵の圧迫に、イルジニア軍は敗退に次ぐ敗退を重ねてしまい、南へと押し込まれて行った。南へ向かう街道には、膨大な数の難民と、撤退するイルジニア軍将兵で溢れかえった。そしてモラドア軍とバルダグ軍は、そんな敗残者の群れにも容赦しなかった。
イルジニアの苦境は、少し遅れて新海道、さらには地球側の各国にも伝わってきた。タイムラグが生じたのは、イルジニアとの間の通信網の整備が途上であったためだ。イルジニアは有線通信技術は持ち合わせていたが、無線通信技術は地球から供与されたばかりの無線電信機に頼っており、使い始めたばかりとあって十分に使いこなせなかった。地球側各国の船舶無線や、領事館の無線機の方が先に情報を発信できたくらいである。
ただし、このイルジニアの苦境と言う情報が正確に伝わるまでのタイムラグは、新海道を襲撃した竜騎士に関しての調査を行う時間となり、新海道への襲撃とイルジニアでの大攻勢がリンクしたものであることを地球側各国に確信させることになった。
この間に新海道では、捕虜とした敵竜騎士の尋問が進められた。その結果、竜騎士はモラドア軍とバルダグ軍の連合であったこと、そしてバルダグの得意とする転移魔法によって新海道近海まで運ばれたこと、この作戦が彼らにとって目障りな異世界人への見せしめ的な攻撃であったこと等が判明した。
モラドアとバルダグは、この世界の海に入り込んで活動し、さらには敵対国であるイルジニアに対して肩入れする地球側に敵意を抱いていた。そして、イルジニアへの大攻勢と合わせて、ついにその策源地である黎明島へと襲い掛かったのであった。
ただし捕虜になった竜騎士にとっての誤算は、地球側が強力な対空火器を備えていたこと、そして偵察騎からの報告で脅威にならないと見られていた地球の竜騎士(航空機)が翼竜を撃墜できる手強い敵であったことだった。
また竜騎士がこうした情報を尋問で喋った背景には、この世界における捕虜に対する概念が地球と大きく違っていることに起因するのも判明した。
「捕虜とは奴隷と同義である。捕まった瞬間からその生死は全て相手に委ねられる。強制労働はまだいい方で、その場で弄られて殺されても文句は言えない。だから私は、あなた方が私に拷問するどころか、衣食住を与えてくれることに驚きを隠せないし、感謝している。だからこれ(情報提供)は当然のお礼だ」
一人の竜騎士が、情報提供に感謝した担当者に対して、逆に礼をした。この時、地球側各国はまだまだこの世界の戦争の常識を認識していないことに気づかされた。
モラドアとバルダグによる実質的な宣戦布告と言う事態に、列強各国(厳密には異世界側に権益を持つ国々)は日本の東京で緊急の国際会議を開いた。後に東京会議と呼ばれる、異世界の戦争への介入を決定づけることとなる会議だ。
これまでも、各国はバルダグやモラドアの私掠船の蛮行に苦慮してきた。それでも、それらは海賊と言う無法集団の行為であり、地球人の殺害や拉致に対しても、限定的な対策に留めて、直接バルダグやモラドアに対する懲罰などはしなかった。
しかしながら今回の事態は、明らかな地球側への国家規模での攻撃であり、戦争状態に突入したも同然であった。
各国が異世界側へ進出させていた人命と財産がこれまでにない規模で傷つけられ、さらに同盟国イルジニアも含めて大いなる脅威にさらされている。これだけでも、強硬な態度に各国を導くに充分な理由となった。
そして各国が何より恐れたのは、バルダグやモラドアと言った常識知らずの輩が地球に出現することであった。魔法に一番詳しいイルジニアは地球側の問い合わせに対して「可能かはわからないが、不可能とする根拠もない」と回答しており、現実としてその可能性があることは、バルダグやモラドアへのより厳しい声へとつながる。
異世界側へのより大規模な軍の派遣と言う流れは、当然ながらすぐに提起された。現状の異世界側に展開する戦力では、苦戦するイルジニアを支援するのは不可能であるし、新海道を保持できるかすら怪しいからだ。
そして、直接の領土を持ち多くの同胞が暮らす日本、現地に権益を持ち今回最大の被害者となった米国では世論も異世界への大規模な増援に賛成し、後押しする形となった。もちろん、同じく異世界側に地歩を固めつつあった各国も、今回の奇襲と異世界からの攻撃の可能性、同盟国であるイルジニアの苦戦を前に、出兵へと最終的には賛成した。
日本は当座の対策として、陸海軍の増援をただちに送り出すことを決定するとともに、各国の駐留戦力の拡張にも同意した。
もちろん、これだけでは怒涛の勢いで迫るモラドアやバルダグに対して充分な策ではないし、何より苦戦しているイルジニアに対しても力とはなりえない。各国はより大規模な戦力を、現に戦場になっているイルジニアに連合して送り込むことを協議した。
そのためには、現在結ばれている軍縮条約の無効化や協定の再検討、各国議会の承認、関係外の各国への根回しなど、多くの問題をクリアせねばならなかった。
しかし、ことは急を要する事態だけに、各国は一致団結してこれらの諸問題解決に奔走した。
そして1934年6月5日、日米英仏独連合による異世界派遣連合軍の編成と派遣、黎明島への連合軍総司令部の設置が全世界に向けて宣言され、これにともない既存のワシントン・ロンドン軍縮条約の無効化や、これまでに異世界派遣に適用されていた協定の大幅な見直しも合わせて発表された。
ここに地球側は、全力を持っての異世界への武力行使に舵を切ったのであった。
一方イルジニアの戦況は悪化の一途を辿り、7月1日にはイルジニア連邦首都であるマティスが陥落し、大統領以下政府要人は、南部のガランガンに脱出してそこに臨時首都を設けた。
9月1日には国土の半分を喪失してしまった。イルジニア軍は各地で反撃を続けたものの、敵の圧倒的な戦力の前に敗退を繰り返し、膨大な犠牲を出してしまった。
地球の異世界派遣連合軍は、その絶望的ともいうべきイルジニアを救援するべく、そして異世界への橋頭保たる新海道、さらには故郷たる地球を守るために、派遣されることとなった。
その第1陣である日米陸軍2個連隊がイルジニアの大地を踏んだのは、派遣軍編成が発表された4カ月後、10月10日のことであった。
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