敵騎来襲! ⑤
最初の翼竜の襲来から3日後、朝陽市の北東50海里を大日本帝国海軍(以下日本海軍)の敷設艇「燕」が低速度で航行していた。
「燕」は敷島鎮守府の防備部隊に所属する排水量450トンの敷設艇である。敷設艇とは、機雷や潜水艦対策の捕獲網を設置する小型艇のことで、敷島鎮守府には同型艇の「鷗」とともに配備されていた。
この2日前から、黎明島に在泊していた日本海軍や列強各国の艦艇は次々と錨を揚げて出港し、周辺海域の哨戒を続けていた。
大型の艦艇ほど遠方に配備されており、小型ゆえに「燕」は沿岸に比較的近い海域に配備されていた。
乗員たちはいつ来るかわからない敵を待っていたが、しかしながら艇長から最下級の水兵に至るまで、同じことを考えていた。それは。
「ここは島から近い。もし仮に敵が来襲するにしても、外側に配備された艦艇の哨戒網に引っかかる筈だ。だから俺たちが敵を見つけるとすれば、他の艦艇が見つけた後だろうさ」
島のより外周を、戦艦も含む艦艇が哨戒を行っており、さらに哨戒の飛行艇や水上機も飛んでいる。それらに発見されずに、黎明島に接近するなど不可能。絶対にそのどれかに引っかかり通報される。自分たちが敵を見つけるとすれば、その通報を受けてから。
「燕」の乗員の誰もがそう思っていた。
しかしながらこの日、4月4日早朝。彼らは驚愕の光景を目の当たりにすることになった。
夜が明けると、見張りの兵士が甲板や見張り台に立ち、双眼鏡で周囲の海面や上空を見回し始める。敵を一番に発見する可能性はないが、哨戒する以上は数名が交代でたてられていた。
朝日が昇り、陽光が海面を美しく照らし出す。この日の天候は晴れで、波も穏やかだった。
しかしながらその平穏は、日の出から1時間もしないうちに打ち砕かれることとなった。
「何!?」
それを見つけた水兵は、最初自分の目がおかしくなったと感じた。双眼鏡を向けた先の空が、突然歪んだように見えた。慌てて双眼鏡を目から離し、目をゴシゴシとこすり、もう一度見てみた。
その結果は同じであった。相変わらず、空に歪みがあった。
「じゅ、11時上空に異常!」
彼女は大声で叫んだ。
「異常ってなんだ!?もっとちゃんと報告せんか!女だからっていい加減な報告は許されんぞ!」
「いえ、兵曹!本当に11時の空が変なんです!!空が歪んでるんです!」
小暮直美一等兵は、他にセリフが出なかった。その光景を、彼女の知識で説明しようとすればそれ以外に思い浮かばなかった。
「ああん!?・・・何じゃありゃ!?」
彼女を叱責した下士官も、その光景に目を疑った。だが長年の海軍生活を経ていた彼は、すぐに艦橋へそのことを伝達した。
「11時上空に異常事態発生!」
艦橋に詰めていた艇長の溝口隆大尉ら士官たちは、その報告に慌てて上空に双眼鏡を向けた。そして、その時上空を見ていた誰もが見た。
「バカな!」
空に開いた歪みから、次々と翼竜が飛び出してくる光景を。そして、その一部は自分たちに向かってくることを。
「敷島鎮守府に緊急電!敵翼竜出現!位置報告急げ!それから対空戦闘!回避運動!」
艇長の命令が飛び、艦内が一気に慌ただしくなった。「燕」は煙突から派手に黒煙を上げ、全力での回避運動に掛かった。
敵騎が間近に迫ったのはその直後であった。
「敵騎来襲!敵騎来襲!」
「対空戦闘用意!」
海上の海軍艦艇から「敵騎発見!」の報が届いたのと、その翼竜が朝陽市上空に姿を現したのはほぼ同時だった。各機銃陣地では配置に就いていた陸軍や海軍陸戦隊の兵士たちが機銃(高射砲(高角砲)は海軍の要塞を除いてほぼなかった)に取り付き、弾を込めて銃身を空に向ける。
とある5階建てのビルの屋上に取り付けられた機銃陣地でも、M2重機関銃が天に向けられた。
「敵は市街地の西側に回り込んでいます!」
一人の若い男の声が飛ぶ。機銃陣地の傍に設けられた対空監視哨からだ。
「了解!9時方向に照準合わせ!」
すぐにその銃身は西の空へと向けられる。
「本当に目のいい奴だ」
「鷹の目を持ってるっていうんですから、遠くまで見えて当然ですよ」
銃座の兵隊たちは、監視哨の上に立つ男、黎明和仁の目の良さに驚かされっ放しだった。
漢字を用いた日本風の名前だが、彼はバルダグよりやってきた難民出身者だった。初来襲直後、道庁や軍は民間の自警団や対空監視員に広く人を募集、特に耳や目の良い獣人に対して応募が呼びかけられた。彼はその募集に応じた一人だった。
ちなみにバルダグやモラドアから来た難民で、日本国籍を取得した者の多くは日本風の名前を名乗っていたが、元々家名を持たない者が多く、新たに名字を付けた際には、新海道の地名や街の名前から取る者が多かった。
獣人として鷹(厳密には猛禽類)の目を持つ彼の視力は優れており、民間人ということで最初は軽く見ていた兵隊たちも、その能力に一目置いていた。
「敵騎向かってくる!」
「射程に入り次第撃ち方始め!」
翼竜が高速で高度を落としながら向かってくるのが見えた。他の機銃座や装甲車両から発砲が始まり、空に曳光弾の軌跡が浮かび上がる。
しかし、射程も射高も低い小口径の機銃では距離が離れている翼竜を捕捉できる筈がなかった。
そして。翼竜の腹の下から黒い何かが落とされ、市街地へと吸い込まれた。
ドーン!
市街地で起きる派手な爆煙と炸裂音。それも立て続けに起きる。
「あ!やりやがった!」
「撃て撃て!逃がすな!」
投弾を許した対空機銃を操る兵士たちは報復に燃え、機銃を撃ちまくる。すると。今まさに投弾を終えて上昇に掛かった翼竜が1騎、グラッとふらついたと思うと降下し、市街地の中へと消えた。
「やったぞ!」
「撃墜だ!」
だが喜んでいられた時間は短かった。その後も翼竜は次々と市街地に爆弾らしき物を投弾していく。
「さらに敵騎降下する!」
「クソ!」
「野郎!」
銃座の兵士たちは必死に空を飛ぶ翼竜を狙い引き金を引き続ける。弾が無くなれば次々に予備を装填する。また銃身が過熱すると用意してあった水を掛け、冷却して撃ち続ける。
しかし、その後も投弾後の翼竜は撃墜できるが、投弾を阻止することは全く出来なかった。ようやく翼竜の爆撃が終わった頃には、市街地に20本近い黒煙が立ち昇っていた。
消防車が走り回っているのか、サイレンの音が聞こえてくる。
「畜生!」
銃座の将兵たちは地団太を踏んで悔しがる。そしてこの時になって、ようやく上空で爆音が飛び交っているのに気付いた。
「遅いぞ航空隊!」
「1騎たりとも逃がすんじゃねえぞ!」
駆けつけてきた戦闘機が、爆撃を終えて上昇した翼竜の上空から攻撃を開始していた。もはや機銃の届く高度ではないので、陸の兵隊たちに出来るのは彼らに声援を送ることだけだった。
その声援は聞こえなかったが、上空に現れた戦闘機のパイロットの一人、陸軍第10飛行連隊の小原善勝少尉の気持ちも同じだった。
「生きて帰さん!」
彼は手信号で僚機に突撃を指示すると、自らも翼竜めがけて突撃を開始した。
今日の彼は朝陽市上空の防空を命じられて、前回と同じく91式戦闘機で哨戒飛行を行っていたが、敵騎の来襲があまりにも急だったために、投弾を許してしまった。
前回に引き続き二度目の屈辱である。だが今回違うのは、前回は敵を追いかけたために振り切られてしまったが、今回は上方から先回りする形で投弾後の敵の頭を取ることが出来たことであった。
理想的とも言える優位な態勢に、彼とその小隊はあった。投弾を終えて、上昇中の敵のまさに頭上から襲い掛かった。
「て!」
1騎の竜の上方から弾を叩き込む。情報によれば翼竜には火を吐く能力はないとのことだった。そのため、安心して前から前上方から襲い掛かれた。
機首に搭載された7,7mm機銃の弾が敵騎の頭から背中の辺りに吸い込まれるのが見えた。そして次の瞬間。
「あ!?」
翼竜には、馬の騎手と同様に竜騎士(竜騎兵)と呼ばれる騎手が鞍に跨って乗っている。その騎手が、機銃弾を受けて空中に吹き飛ぶのが見えた。
7,7mmと言う小口径銃とはいえ、着ている鎧以外何の防備もない剝き出しの竜騎士が機関銃弾を叩きつけられれば、当然と言えば当然の結果であった。しかしこれが初めての空戦で、その場で人間が吹き飛ぶのを見た小原の衝撃は大きかった。
だが、その衝撃も続いて見せられた光景によって大分和らぐ。
「あっちもパラシュートを持っていたか」
空中に投げ出された竜騎士からパラシュートが広がるのが見えた。機銃弾を受けた以上助かるのかはわからないが、その可能性が出ただけでも気が楽になる。
そしてもう一つ、小原を驚かせる光景が現出した。
「機銃弾を受けても飛んでやがる!」
騎手を失いながらも、小原が撃った翼竜はまだ飛んでいた。多少ふらついてはいるが、機銃弾の一撃では致命傷を与えられなかったようだ。
「翼竜は思った以上に頑丈だぞ!」
出撃前に知らされた翼竜に関する情報で、背中の鱗に対しては機銃の効果が不明とあったが、目の前の光景から見ると、実際に機銃弾に対してある程度の抗堪性があるようだ。
小原は弱点として教えられた箇所を思い出す。
「となると、狙うは顔と腹・・・それか背中の竜騎士だな」
直接人間を撃つのは気乗りしないが、弱点であるならばそこを撃つしかない。
「やるぞ」
小原は機首を翻し、次なる敵を探し始めた。
この後小1時間ほど、朝陽市上空で翼竜と出撃した帝国陸海軍戦闘機隊の間に空中戦が繰り広げられた。
戦闘機隊は翼竜の意外な頑丈さに手を焼きつつも、腹や顔、御者である竜騎士といった弱点を狙って攻撃し、最終的に15騎(内不確実6騎)の撃墜を報告した。
対して戦闘機隊も、翼竜に翼を折られるなどして91式戦闘機1機と90式戦闘機2機の合計3機が撃墜される被害を受けたが、この内2名のパイロットは脱出に成功した。
こうして朝陽市上空での空中戦は終わったが、この戦いはこの日黎明島で起きた戦いのワンカットに過ぎなかった。
翼竜は朝陽市だけでなく、軍港のある敷島市と春日市にも来襲していたのである。
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