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3(新しい石)

   ※


 バスクがオフィスを訪れた。手には四角い箱。赤いリボンが結ばれていた。

「プレゼント?」

 バスクはにっこり笑った。「カナミに」

 それは自分に宛てたものと同義であると絵理子は思ったが、口にはしなかった。


 中にはテニスボールよりひとまわり小さな球が入っていた。

 光の加減で虹色に輝く石のようで、どっしりとした確かな重みがあった。


「それは五角形の集合なんだ」得意げにバスクはいった。「コアを中心として積層状に包んでいる。その五角形の集合はさらに小さな石のから成っている」

「ちょうどニューロンとカラムのようね」

「原理は同じだよ」バスクは頷いた。「電気信号を伝達物質としてレセプターが受け取る。テープは平面だ。もっとフレキシブルにやり取りするには、」

「球状が理にかなっている」

「その通り」

「コアの役割は?」

「なにも」バスクは肩をすくめた。「球を形成するためだけなんだ」

「脳幹はないのね。それにしても、」

 バスクは絵理子を制し、「フェローのコミュニティがあるのは知っているだろう? たぶん君たちより分野を越えた交流がある。出所は訊かないでくれ」

「大丈夫なの?」

「問題ないよ」バスクは請け負った。「そもそも使ってみなきゃ何が出来て何が出来ないのかも分からない。きちんとフィードバックすればいいだけのことさ」

「実地に勝る検証はなしか」

「どんなネットワークに繋がれていても直接、手から手へ渡るとログに残らない。どうにも皮肉だね」

 ウインクするバスクのそんな仕草に、絵理子は愛おしさを憶える。

 箱の中身は集積回路に違いないが、ロマンスに満ちた石のように思えた。「わたしたちのことは知られてないでしょうね?」

「まさか!」

 絵理子の何気なく口にした言葉に、バスクはいたく驚き、傷ついたような声を出した。

「冗談よ」絵理子は取り繕うように箱をバスクに返した。「あまり発熱しなさそうだし、消費電力も少なそう」幾ばくか羞恥に似た感情がバスクの顔に見て取れたのは自分の目の錯覚だと思うことにした。「はやく組み込みましょう?」

 受け取った箱を手の中で弄びながらバスクはいった。「実は他にも試してみたいマテリアルがあるんだ」顔を上げ、真っ直ぐ視線を向けていった。「当たりだよ、絵理子。消費電力は格段に低くなる。だけど発熱ばかりはしかたない。ぼくは液冷を考えている。例えばその中に浮かべられないかと思うんだ」

「それも物性ラボの試作?」

 バスクは微笑むだけで答えなかった。絵理子は苦笑する。

 やはりそれも出所は知らぬが良いだろう。「まるで脳漿ね」

「ノウショウ?」

 絵理子は指で自分の頭をコツコツと叩いて見せた。「この中のこと」

「酸素とブドウ糖で動くようなったら素晴らしいだろうね」

「わたしはハチミツがいいわ」絵理子は身を乗り出し、バスクの唇にさっと羽毛が触れるようなキスをした。「黄金色の蜜で動く機械なんて素敵じゃない?」


 見つめ合い、彼のそこに驚き見て取り、絵理子は自分のしたことに気恥ずかしさを憶えた。

 少し浮かれすぎたようだ。


 新しい石をカナミに組み込み、アルゴリズムを調整する段になってふたりの意見は分かれた。

「カラムのアクセス頻度でメモリの優先順位を決めたい」バスクはいった。

「物忘れをさせたいの?」絵理子は反対した。

 するとバスクは不思議そうな顔した。「無限の容量を確保できるわけでないのだから問題は解決されれるはずだよ」

 絵理子はかぶりを振った。「それじゃただのヒトの模倣でしかない。ヒトはあくまでも参考よ。思索モデルであって、そこから拡張されたまったく異る論理で動くものになることを期待している」

「彼女に自律を?」バスクは絵理子を見つめ、僅かに眉根を寄せた。「それは少し怖い」

 絵理子は笑った。「それを進化と呼ぶかどうかは知らないけれども、今まで見たことのない物に対して畏怖の念を抱くのはおかしくないわ」

 口を開きかけ、しかしバスクは口をつぐんだ。絵理子はいった。「もしヒトと同じものが欲しいのなら子供を作るだけのことよ」


 それ以来、カナミのメモリに関する話はふたりの間で交わされることはなかった。


   ※


 カナミの移行作業は実験とリポート、会議と論文執筆の合間に行われた。

 自分の研究、日常業務と平行しての作業は決して容易ではなかったが、当初の目的通り、気分転換にはうってつけだった。

 行き詰まったとき、思うような結果の出なかったとき、ボスとやり合ったとき。

 時間をやりくりし、やがてカナミはそっくり新しい筐体に入れ換え変わった。


 絵理子は基礎となるソースコードを新たに書き起こした。

 最初はバグやエラーばかりだったが、やがてそれも解決し、動作は安定している。

 当たり前だ。

 誰も触れたことのない概念から成り立つプロセッサに適したアルゴリズムを考案するのは刺激的だが、不確定要素が多すぎる。

 絵理子はカナミが自身で改良と拡張、最適化が出来るよう設計した。

 思うようにならない処理も、放置して帰宅した翌朝には解決していた。

 カナミは優秀な生徒だ。


「新しい言語は旧言語でしか開発できないのは当たり前なのに妙な気分になるわね」

 カナミの筐体を開き、手を突っ込みながら作業するバスクのかたわらで絵理子はいった。「優秀な生徒に優秀な教師は必要ない。重要なファクターは生徒のポテンシャル。優秀な教師が優秀な生徒を作るわけでないのと同じように」

「天才と呼ばれたその多くはむしろ問題児だよ」バスクはモニタに表示されたカナミの学習結果に感嘆する。「もはやこれはテセウスの船だ」


 バスクの肩に手を置き、腰を曲げて絵理子もモニタをのぞき込む。「人体だって七年あれば総入れ替えよ」鼻先をかすめるバスクの匂いをそうと気付かれぬよう愉しんだ。

「脳細胞は違うよ」バスクが肩に置かれた絵理子の手に自分のそれを重ねた。


「そんなの分からない」絵理子はバスクから身体を放した。「自分のすら見たことも感じたこともないもの」

 モニタから顔を上げたバスクは絵理子を真っ直ぐ見つめた。「どうしたんだい?」

 絵理子はカップを手に取り、「なんでもない」冷えたコーヒーを口にした。


   ※


 オフィスに入った瞬間、バスクはおや、と訝しげな顔をした。

 窓の外はすっかり暗くなっているのに、ブラインドは降ろされぬまま、明かりもついていなかった。

 モニタが強い光を放ち、機器のLEDランプはせわしげに瞬いていた。


「さっき内線、かけてこなかったかい?」


「いいえ」絵理子はモニタから顔も上げずに応える。「一日篭りっぱなし。線、抜いてた」


 その機械を心底煩わしく感じるとき、絵理子はわざと線を抜く。

 それが問題になることはなくはない。

 しかし本当に必要な用件ならば、こうしてオフィスを訪ね来るものだと考えている。


 そうでないなら大したことでない。


「勘違いでしょう」面倒くさそうに絵理子は片手で抜いた電話線を掲げ見せた。「わたしじゃない」

「いや、番号も、きみの声も、」はっとバスクは絵理子の使うモニタと並べて置かれているそれに目を向けた。「カナミ、きみだな?」

 その言葉に絵理子はやっとモニタから顔を上げ、カナミのモニタ前に立つバスクを見遣った。


「またやられた」バスクはいった。「テストには合格だ。でも、」オフィスの入り口に視線をやり、「ぼくが来て、扉を開けるまでそれは確定しなかった」

 絵理子は薄く笑った。「ここに猫と毒ガスがあるとでも?」

 バスクは首を振った。「箱を開けずとも分かり切ったことだよ。波動関数? 少なくともカナミは見事にやってのけた」バスクは目を細める。「テキストだけでなく音声合成なんてどこで憶えた?」

 モニタに表示されたウインドウ一面、喜悦に満ちた文字で埋め尽くされていた。


 ──YAHOOO!


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