曖昧なのはよろしくない
「やあ郁己」
「ヒョッ!?」
いきなり隣に座ったら、比喩ではなく郁己が座ったまま数センチ飛び跳ねた。
物凄くびっくりしたらしい。
「ゆ、ゆ、勇太!? いきなり横に座るなよ、心臓に悪い……!」
勇太と郁己は、長いこと見知った仲である。
いきなりだろうとなんだろうと、今更唐突に声を掛けたり、隣に腰掛けたりしたくらいで驚かれる筋合いは無い。
つまりこの郁己の反応は……。
「さては悩んでただろう郁己!」
「な、何故それを――ッ」
分からないはずが無かろう。付き合いが長いのだ。
露骨に焦る郁己、挙動不審になり、顔を掻いたり膝を指でトントンやったり、視線をきょろきょろさせたり、露骨にこっちから目線を反らしたり。
「あのね、私は気持ちを決めた。だから、郁己の気持ちも聞きたいって思ってここに来たの」
「そ、そうか」
郁己の顔が緊張の色を帯びる。
「なんて顔してんだよ」
「いや、だってさ。これって俺は決断を迫られてるわけだろ……? 俺としては勇太の思うがままで……」
「それってさ、確かに俺の問題だし、正論ぽく聞こえるかもだけど、郁己の気持ちが入ってないじゃん」
「むう」
郁己が唸った。
彼としては、勇太のこれからを巡る決断から逃げたかったのだろうか?
いや、二人でこれから歩いていくと決めてから、ずっと先を見据えて行動していた郁己が安易な逃げに走るはずがない。
勇太は断言できる。
こいつは男気のある奴なのだ。だから、自分だって彼に惹かれた。悔しいが、こいつはそれなりに女の子にもモテる。なぜか気が強い、一癖あるような女の子にばかりだが。
「私は、郁己の気持ちが聞きたい」
人が少ない電車の中だ。
ちょっとした声でも周囲に聞こえてしまう。
だけど、勇太は声を抑えようと思わなかった。
誰に恥ずことでもない。
自分と、そして郁己の将来の問題なのだ。
「うむ」
郁己はまた唸り、天井を仰いだ。
吊り下げられた広告が目に入ってくる。ごくありふれた、スキャンダルを書き立てた内容だ。
「俺はな……その……。お前に、女のままでいて欲しい」
「……そっか」
「ああ。男だった頃のお前を否定するんじゃないけどさ。今は今で、楽しかったからな」
「うん、私も楽しかった」
「色々積み上げてきたなーとか思うんだよな。だから、女のお前を否定するってのも違うと思うんだ。そして、こう……」
「こう?」
「致していないうちに男に戻られるのはもったいない」
「ぷっ」
勇太はちょっと吹き出した。
そして、軽く彼のわき腹を小突いておく。
「ぐほっ」
「正直すぎだろ、郁己」
「いやまあ、本音半分だけどさ。でも、俺の一存でお前の未来を決めるようなこと言っていいのかなってさ。すげえ悩んでるんだけど」
「私が郁己の言葉に従わないかもしれないじゃん」
「いや……何ていうかさ。昔以上に、勇太の事よく分かるようになって気がするんだ。だから、勇太は俺の言葉を受け止めたら、そのことですげえ悩むって気がする」
「む……。悔しいけど多分、それって正解かも。だけどさ郁己、肝心な事忘れてるじゃん」
「なんだよ?」
「私はさ、女の子として郁己の事好きなんだってば」
ちょっと離れた所に座っていた、くたびれたサラリーマンが「くっ、リア充めっ」と呟いた。
「え、てことは……?」
「そ」
勇太は郁己の腕を取ると、ぎゅっと抱き寄せた。
「これからもよろしくね、未来の旦那様♪」
「うわ、すげえ古臭いせりふ!? だけど破壊力凄いな……!!」
抱き寄せた腕からも、郁己の鼓動が高鳴っているのが分かる。
爆発しそうなほどだと思って、その半分は自分のものである事に気づく。
そう言う事だ。
多分、気持ちは最初から同じところを見ていたんだろう。
迷って、悩んで、寄り道したりはあるかもだけれど、最後は同じところにたどり着ける。
多分。
ただまあ正直な話、こうやって直接会って、腹を割った話をしなければすれ違っていた可能性が高い気がする。
怖い怖い。
「多分さ、男だった頃の私と、今の女の子の私は別々なんじゃなくて……地続きなんだよ。あの頃からずーっと続いてるから今の私と郁己がある」
「そうか……そうだよな」
そんな訳で、男に戻るかどうかを考える、人生最大級の決断。これにて大団円……となるはずだった。
「怪文書だねえ」
「怪文書ねえ」
「怪文書、だね」
「怪文書だよねえ」
始業式の日だ。
登校して来た勇太と夏芽、楓は、三年二組教室に貼られたその文書を見て呟いていた。
すぐに彦根麻耶が合流してきて、怪文書だと断言したのである。
そこには……。
『金城勇は男だった!? 中学時代の写真が学ラン!』
的なものが貼られている。
ご丁寧に、フルカラーの写真を貼り付けた週刊誌風の煽りである。
どうやら全てのクラスで貼られているらしい。
ちょっとした騒ぎになっている。
「ちょっと!! ちょっと勇! なんだか変なもんが貼られてるんだけどこれって何よ!?」
「どうどう、小鞠ん落ち着きなよ。止まれ、止まれって豆タンクー!」
「んー」
他クラスの、板澤小鞠、竹松利理、張井洋子の三名が覗きにやってくる。
学年の男子の間にも衝撃が走っているらしい。
主に、「あの素晴らしい乳を持つ学園トップ美少女を使ってこのようなコラージュをするとは何事か!」というトンチキな意見が主流なのだが。
「それはな……」
と郁己が説明にやってこようとしていたのだが、小鞠がギョロッと睨んだので郁己がスッと引っ込んでいった。
彼が入るとややこしくなりそうな話題だ。
多分それが正しい。
「一難去ってまた一難だなあ……」
勇太は天を仰いだ。
恐らく、心葉が言っていた、本城桐子の攻勢が始まったのであろう。
最初は一昨年の誕生会で会った心葉のクラスメイトだったのだが、郁己に惚れて粉をかけた挙句、勇太に精神的に叩きのめされたのである。
なんというタイミングだろう。
これが昨日までに行われていたら、こちらも危ないところだった。
さて……、と勇太は自分の周りの友人たちを見回す。
人ごみに興味を惹かれて、脇田理恵子と大盛栄までやってきて、黒板前の人口密度が凄い。
「おしくらまんじゅうって憧れていたんです」
理恵子の感想だけがちょっとずれていた。