見知らぬ助手の人
「も……もしかして父さんの愛人……!?」
勇太が呻いた瞬間、麻耶が彼女の後頭部をはたいた。
「すみません! この娘頭が残念で……!」
「麻耶ちゃん!?」
あまりといえば、あんまりな物言いに抗議する勇太。
そんな二人を見て、研究室の女性は笑った。
「ああ、ごめんなさい。本当に教授が言うとおりの娘なんだなって思って。教授のお嬢さんの、勇さんと、お友達だよね。私は保坂由紀。教授の助手をしています。一応、大学院生なんです」
彼女……由紀が名乗ったことで、疑いは即座に晴れた。
失礼な物言いを、ペコペコ頭を下げて謝る勇太なのである。
二人は研究室に通されると、適当な椅子を勧められた。
「はい、粗茶ですが」
「あ、スミマセン」
お茶を出されて恐縮する勇太。
居心地が微妙なのだ。
父親の職場に、見知らぬ女性が助手としている。
そりゃあ、ゼミ生には男子もいれば女子もいるだろうけど。
「えっと、保坂さんはいつから父さんの助手をしてたんですか?」
「私? ええと……大学三年からだから、もうかれこれ四年目になるかなあ」
「そんなに前から!!」
衝撃を受ける勇太。
父からは、彼女の話なんて一度も聞いたことがない。
もしや、関係を隠していたのでは。
「教授、ちょうど息子さんが難しい年頃だって話してたんだけど、その子って、あなたのお兄さんか弟さん?」
疑念が一瞬で晴れた。
父が由紀に話していたのは、自分のことであろう。
そして難しい年頃というのは、自分が男子から女子に変わりつつあったときのことだ。
なるほど、あの時に余計な情報を耳に入れられていたら、勇太はパンクしていたかも知れない。
これは話せない。
「似たような感じです……!」
まさか自分だとは言えず、言葉を濁す勇太なのだった。
「勇のことでしょ」
そこで空気を読まずに囁く麻耶。
驚き、お茶が鼻に入りそうになる勇太。
「な、何を……」
「あ、ごめん、鼻水拭く?」
「出てないから!」
咳払いをして、お茶を飲み干す勇太なのだ。
「えっと、保坂さん。そのー、最近、高校生の男の子がゼミに顔を出してると思うんですけど」
「坂下くんね? 教授、未来の息子だって紹介してたから、ゼミのみんなは大受けだったよ。今じゃ、みんなから弟みたいに可愛がられてるの。……あれ? もしかしてそれってあなたの」
「はっ、彼氏です」
「なるほどねえ、そうかあー。大丈夫だよ、安心して。彼ったらけっこうモテるんだけど、食事のお誘いとか全部しっかり断ってるの。彼女さんのことをとても大事にしてるんじゃないかな?」
「ほう……!!」
郁己が見えないところでも、誠実にやってくれているということを知って、ちょっとニヤニヤしてしまう勇太である。
あいつめ、後でギュッとハグしてやらねばなるまい。
それくらいのご褒美はあげなくちゃな、と勇太は考える。
「じゃあ、そろそろ私は作業に戻るから、ゆっくりしていって。ほんと、教授ったら資料の整理をほったらかしにしてフィールドワーク行っちゃうんだから……」
由紀は立ち上がると、ぶつぶつ言いながら研究室の奥へと向かって行った。
そこには、明々と研究資料を映し出すディスプレイ。
そして印刷されたらしき、紙の束。
重要そうな仕事を助手に任せて出かけてしまうとは、金城教授は不良研究者である。
「ま、そこは私が頼りになるってことなんだけどね、ふっふっふ」
「あれえ」
どうも妙なニオイがするぞ、と勇太は首を傾げた。
もしかして、ただの教授と助手以上の信頼感が生まれたりしてませんかね……?
ちなみに保坂由紀さんは、全体的に細身で、背筋がしゃんとした真面目そうな女性。
目がちょっと細いのが、クールな印象を与えてくる。
勇太の周りには、いなかったタイプだ。
当然、母である律子さんとは全然違う感じである。
律子さんは目元ぱっちり、メリハリのある体つきの人で、勇太をそのまま大人の女性にした感じに近い。
近年、母親にどんどん似てきているなあ、と思う勇太なのである。
だが、そんな勇太の考えはすぐに遮られた。
「いやー、なんか研究室って感じだねえ! ほら、土器とか並べてあるじゃない! これって出てきた土地と年代? 触れるところに無造作に置いてあるのとか、超それっぽくない?」
少しテンションの上がった麻耶が、勇太の袖を引っ張ってくる。
いつの間にか、研究室の中を見て回っていたようだ。
彼女がこういう考古学めいたものに興味があるとは意外だった。
「それと勇、なんか今日はめっちゃ女の子っぽい」
「へっ!?」
「お父さんのこと心配になってたでしょ。保坂さん前にしてその心配を先にしてる辺り、女子だよ」
「なんと……! ついに私は心の中まで」
「むしろ三年間女子の中で過ごしてて、女子にならないほうが驚きだわ」
麻耶に指摘されて、ハッとする勇太。
それはそれでいい事なのか、どうなのか。
結局、由紀と金城教授の詳しい関係については謎なのだった。
「今度、郁己に詳しく聞いてみよう……! っていうか、郁己が何も言ってないってことはシロなのでは……?」
本日のキャンパス見学の印象が、全部保坂由紀さんで上塗りされてしまった勇太なのだった。