いざ、父の職場の研究室
文化学科の校舎を、きょろきょろしながら歩く二人。
リノリウムの床は、高校のそれよりもなんだかのっぺりしている感じがして、通路の幅も広い気がする。
周りは、私服のお兄さんやお姉さんたち。
なるほど、大学だからそりゃあ私服だ。
「なんか落ち着かないね」
「きょろきょろしたら部外者だってばれるでしょ。勇は落ち着く!」
「は、はい!」
ハートが強い麻耶。
勇太はお上りさん気分を改めるため、ちょっと深呼吸した。
……なんだか注目されている気がする。
「かーわいい」
「この講義で見ない顔じゃない?」
「キャンパス見に来た高校生だよきっと」
バレてるーっ!! と、勇太は吸った息を一気に吐き出していた。
なぜだ、どうしてバレるのだろう。
自分たちは私服でやって来ているというのに。
「やはり、高校生と大学生じゃ、大人っぽさに差があるっぽい……!? 勇、撤退、撤退だよ! 具体的には上に逃げる」
「なんで!?」
「勇のお父さんの研究室があるんでしょ! そこに逃げ込むの!」
果たして逃げる必要はあるんだろうか?
なんて考える暇もなし。
二人で笑い合いながら、バタバタと階段を駆け上がったら、降りてくる途中のおじさんとぶつかりそうになった。
「こら、階段を走るんじゃない。まだ高校生気分が抜けんのか」
「すみませーん!」
「ごめんなさい!」
二人は速度を落として、おしとやかに階段を上がりきった。
その後、顔を見合わせる。
「今度はバレなかったんじゃない?」
「今の人はおじさんだったから、細かい違いが分かんないだけっしょ」
「あー、なるほど。でもうちの父さん、高校生の学年まで見分けられるよ?」
「それは勇のお父さんが特殊すぎるんでは……?」
「うん、普通では無いと思う……!」
校舎の二階は、一階のロビーから吹き抜けになっている。
その左右に教室が分かれている形だ。
一つの大講義室と、中講義室が一つ。小講義室が三つ。
クラスという概念がないから、教室割が実に自由だ。
「ふむふむ、こんなん……」
「多分試験は、こういう大講義室で受けるんじゃない? これ、結構入れそうだねえ。うちの学校なら、三年生全員収容できるでしょ」
「でさ、中講義室は中途半端な大きさじゃない? 大きい部屋を半分にちょん切ったというか」
「建物がほら、ロビーが真ん中に無いんだもん。だから仕方なくじゃない?」
「大人の事情かあー」
このまま上の階に行けば、教室棟。
最上階には、PCルーム。
理系の校舎には専門の大型PCルームがあるんだそうで、それとここの部屋とはどう違うんだろう?
良く分からない。
勇太は考えるのをやめた。
「右が研究室棟だから、そっち行こう。父さんの研究室を覗きに行きたいんだ」
「ほうほう、父親の職場見学ですかあ。本人がいない間に、そっとチェックをする勇さんなのだった」
「まあそのようなものです」
顔を見合わせて、むっふっふ、と笑う二人。
教室で自習していたらしい女子大生たちが、そんな二人をちらちら見ながら通り過ぎていった。
すっと静かになる勇太と麻耶。
「うちらさ、落ち着きないよね」
「うん、まあ女子高生ですんで」
「そだねー。落ち着きは大学に進学してから身につけよう」
「おう。大人の女の仲間入りだぜ」
拳を打ち付けあって、さあ隣の研究棟へ。
城聖大学のキャンパスは、変わった形をしている。
上空から見下ろすと、三つの羽を持つ風車のような形をしているのだ。
中心が大学本部。
そこから繋がるのが、文学部と理学部の研究棟。
研究棟から枝分かれして、文学科、文化学科、経済学科、法学科の校舎があり、理学部は電子情報学科、数学科の校舎がある。
あとひとつの羽は、体育館と厚生館へ繋がっている。
つまり……。
「全然外に出ないままで、あちこち行き来できるのかあ。凄いねこれは」
「お金かかってるね……。全校社が渡り廊下で繋がってるとか」
さすがは、城聖学園の総本山なのである。
研究棟直前で、四つの校舎から続く渡り廊下が、一つに繋がる。
ここはなかなかの大混乱だ。
学生たちがあちこちの廊下からやって来ている。
「……なんか、校舎にいた人たちよりも年上の人が多いような」
「研究棟って言ったら、ゼミでしょゼミ。ゼミって言ったら、城聖大学は二年からだもの。ちょっと年上の人たちがいるってわけよ」
「なるほど! つまり、みんな成人している……」
「そういうこと」
人波に乗りながら、ちょっと緊張する二人なのである。
そして、研究棟への扉に到着。
そこには、ラミネートされた太文字の注意書き。
『研究棟では静かに! 私語厳禁!』
慌てて口元をおさえる、勇太と麻耶なのだった。
(なるほど、研究するところだもんね)
(お喋りされたら迷惑だよねー。だけど、なんで研究棟がいちいち学生が通りやすい構造になってるなろう)
(そう言えばそうだ)
小声を交わしつつ、しんと静まり返った研究棟を行く。
ここは、校舎に比べると小さい建物だ。
半ば通路となっている二階は、人通りがあるぶん賑やか。
だが、三階から上は……。
「静かだ」
階段を上がり、研究棟の静かさに思わず息を呑む二人。
「勇のお父さん、どこにいるのよ」
「今日は留守だって」
「だから、研究室よ。どこどこ?」
「ああ、こっち。302号室だって」
「マンションみたい」
似たようなものかも知れない。
教授や准教授になると、専門の研究室が得られる。
彼らにとって、そこは自分の第二の家みたいなものなのだ。
「あった」
扉に掛けられた札に、『金城尊教授研究室』とある。
「無人だよねー」
勇太は笑いながら、軽い気持ちで扉をノックした。
こんこんっと扉を叩く。
誰も出てくるはずのない扉だ。
だって、今日は金城ゼミのメンバーはみんなで、郁己を連れてフィールドワークに……。
「はーい。どなた? 先生は今日はお留守ですけどー」
そうしたら、ガチャリと音を立てて戸が開いた。
顔を出したのは、ほっそりした体格のボブカットの女性。
肌が真っ白で、優しそうな顔立ちをしている。
「へ?」
「あら」
彼女と目を合わせて、勇太は硬直した。
(だ、誰だこの人ー!?)