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楓、大いに怒る

「なる、ほど」


 考えてみれば、楓の家に来るのは初めてかもしれない。

 付き合いは二年にも及ぶのに、これはなかなか意外だった。

 趣味の良い、女の子らしい色合いに満ちた部屋を見回していた勇太に、楓はなんだか重々しく頷いたのである。

 ここは、勇太の家から学園へ向かう中間地点の駅まで向かい、そこから別の方向へ三駅ほどいった場所。

 片道に要した時間は、おおよそ30分ほどか。どちらかというと区に近い勇太たちの家と違い、広々とした敷地を持つこの市は、あちらこちらに緑を宿している。

 楓の家も、そんな豊かな緑の中にあった。


「お話は、よく、わかったよ」


 いつもは柔和な表情を浮かべ、微笑んでいる印象の親友。彼女がメガネの奥の瞳をきらりと光らせる。

 なんだか難しい顔をしていないだろうか。


「それは、勇ちゃんの選択だと、思うけど」

「やっぱりそうだよね」


 郁己も言っていたことだ。

 勇太の人生なんだから、勇太が決めるべきだと。

 だから悩んでいるわけなのだが。意外と、というか当然と言うか、元の性である男に未練がある自分に驚く今日この頃。

 うーん、と勇太が考え込みかけた時だ。


「でも、私、の意見は違うよ」


 ぐっと楓が詰め寄ってきた。


「ひゃ!? か、楓ちゃん!?」

「勇ちゃんが、男の子に、戻るのは、私、いや!」


 なんと、あの楓が眉を怒らせて言った。

 断言である。

 勇太の肩をがしっと掴んで、じっと視線を合わせてくる。


「私、ね、今、とっても毎日、楽しくて、幸せなの」

「う、うん」

「悠介くん、は、優しいし、私がいないと、危なっかしいところある、けど、いざって言う時は私の手を引っ張って、見たことが無い景色を見せてくれる」

「うん」

「夏芽ちゃんは、前までの私、なら、友達になれなかった人。かっこいい、し、でも、紺野くんの前だと可愛いし」

「うん」

「心葉ちゃんは、大切な友達、だよ。学校まで違う、のに、あんなに趣味の話、合う人いなかった」

「うんっ」


 何が言いたいのか、段々分かってきた。

 楓は息を荒くして、顔を赤くして、目には涙まで溜めている。


「私、は、全部、全部全部全部、勇ちゃんがいてくれたからここまでやってこれたんだよ! 私、今の勇ちゃんに、まだ何ももらったもの、お返しできてない!」

「そ、そんなことは」

「だから、だめ。絶対、戻っちゃいや」


 楓が見せた強烈な感情である。

 このもの静かな少女の中に、これほどのエネルギーが詰まっていたのだ。

 そのことに勇太は驚いていたし、それが勇太自身のために発された事が、戸惑うと同時に、とても嬉しくもあった。


「ありがとう、楓ちゃん」


 むぎゅっと親友を抱きしめる。

 すると彼女も、


「んっ」


 勇太の胸に顔をうずめるようにして、背中に手を回してきた。

 しばらく、そうやって友情の素晴らしさを感じつつ、楓のいい匂いを吸っていた勇太だったが。


「何より……!」


 ガバッと楓が顔を上げた。


「こ、今度はなんですか」

「私、許せないのは、坂下くん、だよ……!! こういうの、変に、大人ぶってたらダメ、だと思う……!! ちゃんと、いやならいやって、言わなきゃ!!」

「ご、ごもっともで……!」

「だから私、坂下くん、も、呼ぶ」

「ひええ!?」


 大変な事になってしまっている!

 勇太は戦慄した。

 水森楓という少女が、エンジンがかかってしまうと、どこまでも突っ走ってしまうような性格だったとは。二年間の付き合いでも全く分からなかった。

 いや、楓に言わせれば、こうやって積極的に行動できるようになったのは、何もかも勇太のお陰だと言うのだろうけれども。


「お、落ち着いて楓ちゃん! 郁己を呼んでもね、ほら、いきなりだし。それに、郁己には私から言うから。あと、楓ちゃんの家に男の子を上げちゃっていいの?」

「……勇ちゃんをもう上げてる、から」

「いやあ、私は割りとノーカウントじゃないかなあ……。ほら、上田くんがまだ上がってないなら、先に郁己が入るのはいかがなものかと」


 苦し紛れに言った勇太のせりふだったが、これがどうやら楓にクリティカルヒットしたようだ。

 携帯電話を手にして、今にもプッシュボタンを押そうとしていた彼女の動きがピタリと止まった。

 そして、一瞬この場を静寂が支配する。

 やがて楓は振り返り……。


「ほ、ほ、ほんとだ……!」


 驚きに震える声で呟いたのである。


「悠介くんがまだなのに、さ、坂下くんを、上げたら、私、う、う、浮気してるみたいっ……!? そ、それじゃあ愛憎渦巻くドロドロの男女関係になっちゃうよ……!」

「いやいやいやいや!」


 そういう本の読みすぎである。

 だが、一応はこれで、ヒートアップしていた楓が落ち着いたようだった。

 彼女は胸に手を当てて、ふう、はあ、と呼吸を整えた。


「ごめん、ね。なんか、私、おかしく、なっちゃってた。自分でも、ここまで、熱くなっちゃうなんて、思ってなくて」

「私も思って無かったよ……。むしろ驚きすぎてどっと疲れた……」

「ほんとに、ごめん、ね」

「ん、いいよ。私のために、そこまで真剣になってくれるんだもん。親友としてすっごく嬉しい」

「うふふ……ちょっと、は、恩が返せた、かな」

「恩なんて……」


 何かと楓には、最近もらいっぱなしな気がする勇太である。

 それから二人は、少しの間おしゃべりをして、お茶を飲んでお菓子を食べ、最近出た本の話をした。

 別れ際のことだ。


「どっちにしても、坂下、くんとは話し、合わないといけないとおもう、よ。坂下くん、もっと、勇ちゃんに、真剣に向き合わない、と……!」

「うん、分かってる。郁己はどう思ってるのかなって、私も思ってた」

「きっと、同じ方向を見てると、思うから。私、勇ちゃんも、坂下くんも、信じてるから」

「うん……! ありがとう、楓ちゃん!」


 見送りに来てもらった駅の前である。

 日も落ちてきており、楓の帰宅が危ないんじゃないかと思う勇太だったが、ちょうどもうすぐ、水森家の父が帰宅してくるらしい。

 父と一緒に帰るつもりだと楓は言った。


「じゃあ、ね。がんばって……! 私、勇ちゃんの、味方だから、ね」

「うん……!!」


 二人でぎゅーっと抱き合うと、通りすがるサラリーマンのおじさんたちが、「おっ」とか「うひょっ」とか言って通過していった。眼福だったのであろう。

 これで、なんとなく腹は決まった気がした。


 楓と別れて、中間地点の駅へ。

 そして、人が少なくなってきたのぼりの電車に乗り込む。

 ふと、隣の車両に見覚えのある顔を見つけた。


「郁己……? …………よっしゃ!」


 顔をぱちーんと叩いて気合を入れる。

 向かいの席に座っていた、大学生らしい男性が目を丸くしてこちらを見ていた。

 だが、人目なんて構っていられない。

 思い立ったが吉日。

 親友が注入してくれたエネルギーが、まだからだの中にたぎっている内に、しっかりと事を成さねばならないのだ。

 勇太はズバッと立ち上がると、車両を繋ぐ扉を開けたのだった。

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