体育祭当日、いきなりの短距離
周囲がわいわいと騒いでいる中、一列に並んだ少女たちは、一人を除いて一様に緊張を帯びていた。
クラウチングスタートの体勢で構える彼女たちは、右端で構える少女に注意を向け、じわりと汗をかく。
右端は、三年二組。
金城勇。
(運動系サークルとして)
(文芸部のこの子に負けるわけにはいかない……!!)
クラスから、それぞれ男女四名の代表が出て、男女三回ずつに分けて走る。
女子ラストが、三年一組から三組、二年一組から三組の組み合わせである。
この二年間、勇は短距離走に出場してはいない。
だが、今年はどういう風の吹き回しか参戦するのだという。
運動部系の女子たちに電撃が走ったのは言うまでもない。
ちなみに、金城勇こと金城勇太が参戦を決め込んだのは、他の人にはうかがい知れぬ理由である。
(よーし、身体能力とか、完全に女の子になったから大丈夫。この間の練習でも、前より速度が落ちてたし……!!)
それでも男子運動部と互角の速度だったわけだが。
間違いなく、城西学園女子最速である。
それでも妹である心葉より遅いので、勇は自分の速度が、女子としてちょっと速いくらいだと思っているのだ。
そんな少女たちの思惑をよそに、スターターピストルが空に向けて構えられる。
各クラスからの応援が盛り上がるわけである。
ちなみに、休日開催でもあるため、父兄も応援に参加している。
「ほう、勇太はやる気ですね」
「勇太ったら、足が遅くなったって喜んでたんでしょ? あれ、絶対体が女の子になったからじゃなくて、最近ちょっと太ったからだと思うのよね」
心葉と金城家の母たる律子さん。
ビニールシートにお茶などすすりながら、体育祭を眺めている。
「勇太は太った……?」
「そうよ。最近勉強ばっかりしてたでしょ。だからお腹周りがきつくなったって言ってたわね。胸も大きくなったって」
「シット!」
心葉が苛立たしげに呟き、紙コップのお茶を飲み干した。
そんな、太って遅くなった勇太。
ピストルが鳴り響いてスタートを告げると、周囲の少女たちに一瞬遅れて飛び出した。
(ほら! ちょっと体が重いもんね。これで女子として参加しても問題ないよね♪)
そんな事を考えつつ、体格に比して大きな歩幅で走り出す。
胸元で、風が割れた……ような気がした。
一歩、また一歩と踏み出す度に、先行した少女たちの背中が、どんどんと近づいてくる。
勇太は、先行逃げ切り型でもスロースターターでもなく、万遍なく全て速いタイプである。
ということで、あっという間に少女たちの中で一番遅れていた者を追い越した。
そのまま、次なる獲物を求めて突き進んでいく。
三年二組からは、わーっという歓声。
他の組からは、「化け物か」「外見と馬力を兼ね備えている」「でかい」「可愛い」と様々な声が漏れ聞こえる。
「おひょー、金城さん、あんなに速かったのか……」
三年二組の控えにて、上田は驚きを隠せない様子だ。
「リレーの時より速くなってないか?」
「うん……勇ちゃん、すっごく、速い」
「あれでも、最速だった時期より遅くなってるんだよ。あいつ、リレーの時はバトン受け取る方に注力してたからな。速度が乗り切る前に走るのが終わってしまった。ほら、最後の一人を抜く」
スタートしてからずっと、女子とは思えぬ凄まじい速度を保ち続けていた勇太。
ついには城西学園女子最速であった、三年一組バレー部の現リベロ、砂川美浦に並んだ。
「うおおおおっ、は、速いィィィィィッ!?」
美浦は自分の横まで追い上げてきた彼女を見て、必死にスパートをかけようとする。
だというのに、胸が。
彼女の胸が、自分よりもどんどんと先に向かっていく。
まるでそれに引っ張られるように、金城勇が前に出る。
一度前に出られたら、追いつけない。
異次元の走りだ。
風を引き裂きながら、勇はゴールテープを一着で破ったのである。
「よおーっしゃー! 一位!!」
ぐっとガッツポーズ。
そのこめかみを汗が伝った。
「お疲れ様。うちの砂川より速いとか、勇の足はどうなってんのよ」
タオルを手渡す夏芽。
それを受け取りながら、勇太はふふんと得意げだ。
「そりゃね。私も鍛え方が違うのよ。一応、受験勉強中でも朝の稽古だけは欠かしてないからね!」
「朝の稽古だけ……?」
「お陰で体重が4kgも増えちゃって……。危うく身長から百を引いたら私の体重だよ……!!」
「そのコンディションであの速度を? あはは、本当に化け物だねえ」
「化け物……」
不本意ながら二位でゴールした砂川美穂。
戦慄を隠しきれぬ表情である。
ちなみに、剥き出しの勇太の二の腕や太ももはぷにぷにしているが、美浦のそれは引き締まって鍛えられている。
世の不条理を思う美浦なのであった。
夏芽はもう、勇と一緒にいて不条理なことになるのには慣れている。
「柔ら、かい?」
控えに戻ってきた勇を出迎えたのは楓。
体重が増えちゃった発言を聞いていたらしく、勇太の二の腕をむぎゅっと摘んだ。
ぷにっと柔らかい。
柔らかい脂肪の下に、明らかに全く質の違う筋肉が内蔵されているのが分かる。
「奥、深い」
太もももつんつん。
「きゃっ! 楓ちゃん、くすぐったい!」
「んー、よく、分かんない、かも。じゃあ」
そこで楓、正面からむぎゅっと勇を抱きしめるわけである。
「ひゃーっ」
「柔らかーい」
「楓、次はあたしに勇を貸して」
「えっ、じゃあ次はうち」
「次は私がー」
夏芽に摩耶、理恵子が順番待ちに並び始める。
鼻の下を伸ばした男たちも並ぼうとして、片っ端から摩耶に蹴っ飛ばされている。
ちなみに、この件のある意味当事者である坂下郁己は、余裕の表情で女子たちのきゃっきゃうふふを眺めていたという。