いざ模試! 今こそ学んだ成果を!
「じゃあ、問題用紙を開いて」
和田部教諭の指示と同時に、落ち着きを取り戻した生徒一同、冊子の形にまとめられた問題用紙を開いた。
例年のセンター試験に合わせて、基本的な設問は行われている。
だが、そこは生徒一人ひとりに対するケアの行き届いた城聖学園。
それぞれの進路に合わせて、問題自体がカスタマイズされているのだ。
無論、国公立を狙う生徒には、フルスペック模試。
楓や郁己はこのスタイルで、クラスの三割ほども同様。
勇太や麻耶、栄は、難易度を志望校向けに落としたタイプ。
短大志望の勇太は一番簡単なはずだ。
だが。
「むむむ……。ぬぬぬぬぬ」
勇太は必死に脳内に刻み込んだ、郁己との勉強成果を思い出そうと苦心する。
以前であれば手も足も出なかった、数々の設問群。
今は脂汗を垂らしながらの闘争ではあるが、確かに抗えるようになってきている……!
(ふふふ、戦える……! 私は戦えるよ……!!)
10月ともなるとエアコンは停止している。
残暑あふれる教室において、生徒たちの熱気は天然の蒸し風呂を生み出す。
容赦なく時間が過ぎていき、勇太は鉛筆を握りしめ、マークシートを埋めていく。
脳内に響くのは郁己から伝授された模試を戦い抜く技術だ。
(まずは全部埋めなければ……!! ええと、わからない問題は飛ばして、先に先に……。ええと、先にわかる問題があるかもしれないから、可能な限り分かるものを解いたあとで、わからないものは後で……だよね)
なるほど、伝授されたように試験に挑んでみると、今までとは段違いにさくさくと進んでいく。
二年時から郁己の教えを受けていた勇太の学力は、明らかに向上していた。
自他共に認めるおばかであると思っていたが、どうやら自分はやればできる子だったのだ。
ちょっとした感動とともに、問題を解き終え、わからない問題に一応の決着を付け、見直しをしている最中で……試験時間の終了が来た。
「ふぃーっ……!」
達成感とともに汗を拭う。
後ろから回収されてくる解答用紙に、自分のものも重ねて前に回す。
勇太は通路を挟んだ斜め後ろの席に目をやる。
そこには、彼女の師匠にしてパートナーが腰掛けている。
彼……郁己は勇太のやり遂げた顔に気づくと、満足げに深く頷いてみせた。
ちなみにこの男、汗一つかいていない。
「いやあ……。前の私だったら即死だったよ……。試験は恐ろしい……!」
「ああ。だが勇ならやり遂げると俺は信じていたぞ。試験は1月だったっけ?」
「そう。それまでの間に、講習会となんだかオリジナルの模擬試験がもう一回あるでしょ? だから、郁己の言う短期目標? それが模擬試験で、さいごの目標が入試で……」
「勇の今の学力なら、それなりの大学いけるだろ? そっちも受けてみたら?」
「うーん」
勇太は腕組みして考え込んだ。
無造作にこういうことをするが、胸元の辺りが大変なことになる。
郁己の前の席にいた男子が、立ち上がろうとしてもろにそれを見てしまい、一瞬前かがみになってからスッと腰掛け直した。
「あのさ、私があの短大にした理由わかる?」
「学力的な理由じゃなくて?」
「それもあるけど……郁己の志望校と近いんだよ。それに交流もあるって。なんなら、在学中に勉強して三年生から編入したっていいし……。いや、私はこれ以上試験勉強とかしたくないんだけどっ」
郁己は笑った。
「そっかそっか。悪い。勇なりに色々考えてたんだなあ……。だけど、案外、試験勉強はつきまとうかもしれないぜ」
「えーっ!? なんでさ!?」
「だって、勇の希望する進路は作家だろ? 童話作家とか……。道は険しいし、なったとしても食べていけるとは限らない」
「うん。だから、少しでも本に触れる仕事をしたいなって最近は思うんだよね」
「ならば、学歴って大事だよ。これがあるだけで、選択肢が全然増えるからな。あと、コネな。短大と大学だと、作れるコネの量がぜんぜん違うから」
「……なんで郁己はそんなに詳しいのさ」
「そりゃあ、最近俺が、尊さんの助手になってあちこち走り回ってるの知ってるだろ? そうしたら、学内だって入ることになるし、他の教授たちと話をすることだってあるし」
「な、なるほどぉ」
勇太はおののいた。
この幼馴染は、自分よりどれほど先に行ってしまっているのか。
もしや千里眼かと思われた、先見の明も、全てこういう経験が生み出しているのだろう。
「郁己は本当に、そういうとこすごく勤勉だよねえ……。一年の頃はもっと俺と馬鹿やってた気がすんだけど、あーあ、置いてかれた気分だ」
思わず素の部分が出てしまった。
ハッと気づいて、勇太は慌てて口を抑える。
幸い、既に他の生徒たちは近くからいなくなっていた。
いるのは、目の前で半眼になっている郁己だけ。
「あのさ勇太。これは俺のためでもあるけどさ」
「う、うん」
何やら郁己がすごい迫力で、勇太は対面の席に腰掛けて、背筋を伸ばしてしまった。
「俺がこんだけ頑張るのは、勇太のサポートにもなると思ってるからなわけ」
「や、別にそんなん望んでないし」
「いやいやいや、そうじゃなくて。お前だけのサポートじゃなくてさ。俺たちのこれからのこと考えたら、色々やっといたほうがいいだろ? ほら……卒業したらさ、お前、本当に戸籍も女になるわけじゃん? そうなったらだな、ほら」
「あ、ああ……!」
何もかも理解して、勇太は真っ赤になった。
「ご、ごめん! 俺、自分のことしか考えてなかった……!!」
「うむ、分かればよろしい」
ちょっと冗談めいた郁己の返答で、この場はお開きとなった。
そろそろ生徒たちも戻ってくる。
次の模試が始まるのだ。
離れ際に勇太、幼馴染の耳元で、
「でも、気づけて良かった。ほら、もうすぐ子どもとか作るじゃん? そしたら、自分のことだけじゃなくなるし、郁己が色々そのことも考えてくれてたら、安心だし……」
「もっ、もうすぐ!?」
目を剥いて狼狽する郁己を背に、勇太は舌を出しながら席についたのだった。